愛を諦めないで(久視点)
「おい。大将。お客さんだぜ」
「ひゅー ひゅー」
こっそり城を抜け出し、親友との思い出に浸っていた俺はその女をみてげんなりとしてしまった。スラリとした長身に細面の顔立ち。誰がどう見ても絶世の美女。
「またか。ウンディーネ」
「きちゃった♪」
最近。何処で呑んでいてもやってくる。困ったヤツだ。そして、この女が暴れだしたら手も脚も出せそうにない気がする。なんせ博志の仇だ。
……『きちゃった♪ 』か。
そういって肩をすくめてみせる姿はそれはそれはもう魅力的だ。事実、酒場の連中は皆口をあんぐり。というか。股間押さえろ。まったく。
焼ける灯り代わりの獣脂が臭いのは慣れた。カビて干からびた麦酒を水で溶いて呑むのも慣れた。
喉に入る半分腐った肉の味も。ワケの解らない酢漬けの野菜の数々も。
なれないのは、いつもとなりでバカを言っていた親友がいない事実だけ。
俺が食っているものは宮廷ではなかなか食えないものが多い。
「酢漬けの野菜なんて好きなんだ?」
「壊血病対策だ」
あと、ざわーくらふと? とかいう発酵食品で酢は入っていないらしいぞ。
玄米があればいいんだがな。こういうものはなかなか宮廷では口にできない。
「壊血病が酢漬けの野菜や『ゲンマイ』で治るなら、魔法なんていらないわ」「事実だぞ」
病気を治す魔法はあるが、原因であるビタミン不足を治すことはできないので即座に病気に戻るだけである。
別に魔法が壊血病に効果がないわけではない。
野菜や玄米に含まれるビタミン欠乏症が壊血病だというと彼女は目を見張る。
「其の情報、いくら?」
「ッ」
余計なことを言ってしまったらしい。
「私、ソレを聞いて海の国を滅ぼす目処がついたんだけど」
「おい」
「冗談よ。貴方たちの仲間の一人。凄く強いから」
「……」
肌が泡だつ。俺の内心の焦りを知ってか知らずか微笑む女。
すすっと距離を詰められ、腕を持たれる。利き腕ではないが。
そして柔らかい感触と甘い香りに心地よい声。
「久君。今夜はお暇?」
「国王が暇だと思うのか。というか誰が忙しくした」
実務のほとんどを行っていたのはこの女が殺した親友である。
聖剣を呼ぶのは簡単だが、俺たちが本気で暴れれば周囲の皆は確実に死ぬ。
酒場全員、いや町全体を人質にしている女はそんな事も知らない皆の薦めた酒を煽りだす。
あわよくば酔い潰して不埒な行為を行おうとしていた連中たちはどんどん目減りしていく自らの財布を見て青ざめていく。
この女には如何なる毒も酒も効かない。そのくせ酒好きと来ている。
「相変わらずの呑みっぷりだね。ネエちゃん。俺は嬉しいよ」
「新商品っていってたけど、この『サーケ』最高ね。何でできてるのかな?」
「ああ。大将のお仲間が魔法だかなんだかで出してくれたのを掬ったんだ」
うげえええええっ?! そんなもん呑ますなッ?!
俺が再三指導するまで、ウンコだか汚物だかがこびりついてた床である。
というか、この国に便所を普及させた俺は褒められていい。
こいつら、酔うと平気で酒場の床に立小便する。食い物と便所を一緒にする発想が信じられん。
博志曰く、「ケガレ思想だな」とか言ってたが。
「ああもう♪ みんなに邪魔されちゃった。逃げることないじゃない♪」
「……」
ウンディーネを囲んで酒を飲む人々を尻目に酒場を抜け、路地に向かう俺を思惑通り奴は追いかけてきた。逃げてない。今日こそ決着をつけてやる。
俺は博志の形見の聖剣を抜くが。
「そっちの剣? そっちの剣より、使ってない名剣があるんじゃないかなぁ?」
「あのな」
思わず気勢をそがれてしまう。この女の術中にはまってはいけないのは解るのだが、視線を下げて艶然と微笑む女に脱力してしまう。
パンパンだろ。マジで。つつしみってものが無い。そう口に出すより奴はつぶやいた。
「処女です」
「ウソツケ」
心が読めるのか。この女。
「『処女の奇妙な冒険』と言ってください」
「何を言ってやがる」
「ダイヤモンドは砕けないの」
「わからん」
「私も解らないけど、"彼"から教わったわ」
……『彼』??
結局気を逸らされた俺は、この女と夜の街を歩く羽目になった。
この女の身の安全を危惧してではない。こいつに絡もうものならそいつは確実にこの女の血袋になる。だから心配なのだ。そう自分に言い聞かせる。
「あ~あ。博志君は笑ってくれたのにぃ」
「博志にも接触してたのか」
恐ろしい女だ。
「博志に何を?」
「うん? 戦争を終わらせる方法を交渉してた」
はぁ?
「信じられん」
「うん。信じないのもまた自由。あと私は魔将だから、戦場で会ったら誰でも容赦しないの」
博志君の花って綺麗だったよ。ウンディーネはワケのわからないことを言う。
「花?」
「うん。私は元々ニンフって種族なの。あの水の身体はあとから」
意味が解らんが彼女が戦闘時に変化する水のカラダは俺たちの呪いだかチートだかいう力に似ているらしい。
「私たちは死者を花に変える事ができるの」
「嘘だろ」
「博志君の花は、綺麗な色の花でね」
夢見る乙女のような表情で語る女。
俺は。俺はやはりこいつら魔族と人間の決定的な感性の違いを感じざるを得なかった。
「やめろ」
闇夜を歩く俺たち。幸いにも頭上の『輪』のおかげである程度は視界がある。
本当に不思議な『輪』だ。土星の輪が地球にあったらこんなものなんだろうか。
「ねぇ。ヒサシ」
「なんだよ」
距離を取り、剣を抜いて応える。
奴はあくまで可愛らしく笑って告げる。
「死ぬか。私を抱くか決めて」
「死ぬ」
俺の聖剣と、彼女の『霧雨』を経て一足一刀の間合いでにらみ合う。
ため息をつく女と、剣を納める俺。
「言うと思った」
「当たり前だ。俺は魔族が憎い」
「その理由。聞かせてほしいな」
「等価交換」
今度は女のほうがため息をついた。
「あなたが非常識な魔力の持ち主っていうことは知っているわ」
「そっか」
「多分、何かの呪いの一種でも掛かっているんじゃないかしら……敵の力を奪うとか。同意した人の力を譲り受けるとか」
ぞく。
くすくすと笑うウンディーネの真意は測りかねる。この女は何処まで知っていて、何処までを知らないのか。俺は既に其の時点で負けている。
「『あの子』の話なんてどう?」
「聞き飽きたな」
この女曰く、魔族に保護されている『勇者』がいるらしい。
召喚位置失敗とか、神聖皇帝もマヌケなことをするものだ。
「そもそも、人間が魔族に勝てるはずがないでしょう」
「そうだな。色々考えている」
なんとか話をはぐらかそうとする俺に彼女は自ら話を変えてきた。
「あの子は、君と同類だね」
「?」
解らん。会った事もない。
「無能。かも知れないけど誰からも愛される力に特化している『勇者』」「……」
なんだそれは。俺なら。俺なら狂う。
「ひょっとしたら、君だって惚れちゃうかも?」
そういってくすりと笑うウンディーネ。
「バカ言うなッ」
震える声で俺は剣を抜く。
あんな忌まわしい力、あってはならない。
そんな忌まわしい力を持っていることを知らずに、純粋に周囲の好意を信じ、周囲に感謝する乙女などいてはいけない。
どれほど。どれほど残酷な話なのだと。
「いいことを教えてあげるわ。久君」
剣を突きつけられて尚、女は呟く。
「『君が愛を諦めたら。この世界は滅びる』」
「はぁ?」
「私達には予言の力がある」
「意味が解らん」
踵を返す女。勝手に先に進む。
「おい、この奥は治安が良くないッ」
「『次に会うときは。もう戦うだけ』」
楽しく戦いましょう。彼女はそういうとまた蒸気になって消えてしまった。
俺は生まれてから何人もの人の温かさに触れた。この世界に来てからもそうだった。
そして、それを奪うこの世界が。魔族が憎いと思った。
しかし、本当に魔族を憎み切るほどではなかったのかも知れない。たとえ博志を奪われたとしても。たとえ無辜の民を殺されたからだとしても。
異世界から来た俺には心のどこかで他人事だったのかもしれない。
「どうしろって。言うんだ。四天王『水のウンディーネ』」
「一騎打ちでは余計なこと言わない。剣のみで語り合いましょう」
俺の捨て身の剣を易々とかわした女は、俺の背中に霧雨を叩きつける。
「久君。私を殺すんじゃないの?」
「くっ?!」
そうだ。この日を待っていたはずなのだ。なのに何故剣が鈍る。
「ウンディーネさんッ」
『血袋』と思って保護した少女の声。
恐らくあの子が噂の『勇者』なのだろう。
幼い。幼すぎる。
こんな子供すら、この世界は、人々は兵器にするのか。
俺の背中に仕込んだ『聖なる盾』は霧雨の必殺の一撃になんとか耐える。
「『水のウンディーネ』討ち取ったりッ」
俺の一撃は。彼女の首筋に吸い込まれていく。
魔族なんか。だから嫌いなんだ。
なんだよ。その満足そうな。嬉しそうな。
優しい。したり顔は。