明日天気になぁれ
「しるふぃーどさま♪」
「職務は終わっただろう。帰れ」
「ええっ?」
薄暗くジメジメした部屋の中、暴風に身を纏う男と可愛らしい幼女の二人が会話している。
「なんか、この部屋ジメジメしてます」
「俺には快適だ」
事実、彼には空気清浄の能力がある。
掃除いらずなのだが、彼はあえてこうしている。
「なんか生暖かいし」
「丁度良い」
実際、お湯を魔王城の地下の温泉からワザワザひいて持ち込んでいるあたり、彼にとっては快適なのだろう。
幼女はきょろきょろ部屋を物色中。シルフィードはあえて口出しせず、報告書を読んでいる。
「しるふぃーど様。お掃除とかやらないのですか」
「俺がその気になったら魔王城すべてを二十分で掃除できる。天井も梁も通気口もくまなくな」
「お料理とかできる部下とかいりませんか」
「俺に食事は不要だ。しかし匂いはわかるぞ。先日由紀子がくれた出汁とやらの効いた料理は中々だったな」
幼女の口元が何故か膨れた。
「風でほとんど吹っ飛んじゃうじゃないですか」
「まぁ。周囲を探ることで匂いや味は解る」
それが何か? と問う魔将。
「私は忙しいのだ。用事が済んだらとっとと帰れ」
酷薄だが恩に篤いとされる魔将。四天王『風のシルフィード』。
意外なことだが子供に好かれる。本人は嫌がっているのだが。
この幼女もそうである。厳密に言えば幼女ではない。これでも200年以上シルフィードに仕えている身だ。
魔王が廃位するたびに砕ける炎の将の『炎』を護ったり、風の将の『風鳴』を護って走った。
多大な功績から言えば将になることも不可能ではないが、彼女は地位にこだわらない。
『子供たち』には良くある傾向と言えばそれまでだが、彼女は常にシルフィードの身辺にいる。
彼女は自称『シルフィード様の妻』だがシルフィードは否定している。そういう趣味はないらしい。
とはいえ美しい少女であることは事実である。
ハニーブロンドの髪を肩口で切りそろえ、大きめの瞳にすっきりした形の低い鼻。
形のよい唇を尖らせて膨れるそのようすは伝説にある天使のように愛らしいし、皮で出来たジャンパーは丁寧になめしてあって、其の胸元から覗く赤いスカーフもまた愛らしい。
ズボンはブカブカにしてあるが、それは武器や道具を隠す措置である。
彼女の服には多数の武器や道具類が仕込まれている。胸の飾りヒモは絞首紐。 スカーフはスリングになる。
暗殺。諜報。情報戦を司る直属の部下である。
「由紀子様は撫でてくれますよ~」
「コンペートー(金平糖)とやらをくれてやっただろう」
当たり前だが彼の手は銘刀『風鳴』しか握ることが出来ない。撫でることはおろか触れることすらできない。
「つまんない~! たまにはなんかもっといい御褒美くださいよ~」
ジメジメした床に転がってバタバタと駄々を捏ねる彼女を冷たい目で一瞥。視線をそらすシルフィード。
「飽きたら帰れ」
「ひどいっ?!」
少女が暴風にスカートを押さえながら近づく。その頬はふくらみ気味。
「執務手伝ってあげませんよ」
当たり前だが、常に暴風を纏う男は書類の扱いが苦手だ。燃やすよりましだが。
「書類読んであげませんよ」
「その気になれば俺は世界中のものを見て回れる」
「ごはん作ってあげません」
「食べる必要がない。お前しか食べない」
「お風呂焚きません」
「俺は風呂には入らないが、湿気と熱は嫌いではない」
「離婚してやる」
「そもそもお前はただの部下だ」
一気に頬を膨らませる『子供』に冷たい表情のシルフィード。
「とっとと帰れ」
「酷い~? 酷い~! 二百年以上おつかえしているのです。たまにはいいことしましょうよ」
眉をひそめて疑問の表情を浮かべるシルフィード。
対して頬を赤らめ、両の手を下げて恥じらう少女。
「いいこと?」
「夫婦の……」
シルフィードの瞳が細まった。
「どうやら地の果てまで吹き飛ばされたいようだな」
「地の果てでも走って戻ってきますッ 愛の力は偉大なのですッ」
実際、彼女は一度地の果てから走って戻ってきている。
「厄介な」
頭を押さえるシルフィードの足元でコロのついた帆船の玩具で遊ぶ少女。この辺は他の『子供たち』と代わりはしない。
「それより」
「ええ。『土のノーム』の『義娘』の護衛兼監視任務は続行ですね」
しかし伊達に遊んでいるわけではないし、無駄にシルフィードに二百年以上仕えているわけではない。
「そうだ。あのジジイは人間など飼い入れて何を企んでいるのやら」
「普通に娘として扱っています。でも『義父上』と由紀子様が呼んでいらっしゃる姿はいまだ見ておりません」
報告するときの顔と遊んでいるときの顔がコロコロ変わる部下の扱いはシルフィードも心得たもの。
しばしやり取りを続けた彼はふと思案の表情を浮かべる。何かを思いついたらしい。
「そうだ」
「???」
不意につぶやくシルフィードに目を丸くする少女。
「明日が晴れたら」
「??」
晴れるわけがない天気である。
「『でぇと』とやらに付き合ってやらなくも無い」
「ホントですかっ??!」
「だから、今日は帰れ」
「はいっ!! 早退します!」
曇天の空の下、厄介払いできたと嘆息するシルフィードは足元に転がる玩具をみてまたため息をついた。
「俺は掃除はしないが、片付けはちゃんとするぞ」
……。
……。
「と、いうわけで。明日は是非とも天気になってほしいのです」
真剣な顔で政敵であるはずの『炎のサラマンダー』に話しかける少女に炎の将は苦笑い。
「お前、風のの部下だろ」
「愛には関係ありません」
「いや、お前にどれだけ邪魔されたか」
「二百年間にたった六十八回しか口に出せる邪魔はしていません」
「充分だろう」
炎の将の炎がゆらゆらと揺れた。カーテンに火がつきかけたが近くにいた『子供たち』の一人が手馴れた様子で消火。
呆れる炎の将に「これは優曇華の花といっていいチャンスなんです」と断言する少女。
ちなみに優曇華の花とは盲亀の浮木と共に由紀子の言う『ラクゴ』に登場する3000年に一度のみ咲くとんでもなく怠け者の花らしい。
「いや、無理だと思うよ」
「うん。いい加減諦めたら?」
「優曇華の花というより、アップルは爆走する盲亀の浮木」
「今回もフラれたね」
風の将のみならず、炎の将にも『子供たち』の部下がいる。彼らは同族意識が強い。
「うっさいのです。人の恋路を邪魔する奴はシルフィード様の風に煽られて世界の果てまで飛んじゃうのです」
「キミが世界の果てまで飛んでたじゃない」「というか、説得力あるね~」
『子供たち』は一言多いときがある。
サラマンダーは口には出さないが子供好きである。
いくら何度も何度も命がけの暗闘をした相手とはいえ、二百年以上の付き合いならばそれなりの愛憎はある。
彼は気が短いが情に篤い。女を抱けぬ身体ではあるが、それなりに部下達の結婚を仲介したり、浮気したバカを焼き払ったりしてきている。
「しかし、明日は大雨だ。風のはお前をさっさと帰宅させるためにそういったのであろう」
「ううう」
「濡れると風邪ひくのの」「だよよ」
他の『子供たち』も五月蝿い。
「とにかくっ! 明日を晴れにするのですっ!」
無茶を言う少女に呆れるサラマンダー。
皆を尻目に少女は駆け出した。
彼ら『子供たち』の身体能力は高い。
小さな体は易々と垂直の壁を横に駆け抜け、あるいは駆け上り、時には堀をも飛び越えて一直線に目的地に向かう。それでも少女は息切れ一つしない。
「ウンディーネ様ッ」
目的地の扉を少女が開けると。
「モフモフ♪ モフモフ♪ モフモフ~」
少女は完璧に固まっている。
ウンディーネとその妹であるニンフの私室。
どうやって連れ込んだのか、じたばた暴れる由紀子に戯れているのは敵味方から残虐非道の名も高き女。
「もふもふ」
などと意味不明の言葉を述べながら一族の護衛対象の娘に頬ずりしている。同族共は何をしているのだ。少女は薄れる意識でソレだけを考えていた。
「え? 明日を晴れにしろ? 無理よ」
こちらも政敵の諜報部隊の主には冷たい。当たり前である。
妹の『ニンフ』が淹れた麻痺毒の入った茶を瞬時にすりかえてみせる少女にウンディーネはニコリと笑う。
そのまま口に含むウンディーネ。彼女には毒も病気も効かない。
「できますよ」
モフモフに閉口していた娘が喋った。
「本当ですかっ? 由紀子さまっ?!」
藁にもすがる思いで由紀子に詰め寄る少女に由紀子は妙な人形を出した。
小さな白い布の中央に球状の綿を入れて首の部分で縛り、刺繍で笑顔のみが描かれた人形だ。
「なんですか。コレ?」
「てるてる坊主さんなのです」
内心引いている少女。対する由紀子曰く、それを軒先に飾ると晴れになるという。
「モフモフ。モフモフ♪ モフモフ~~~!」
「いい加減にしてください」
『見なかったことにする』
大量の書籍と生花と樹に覆われた花の香りのする趣味の良い部屋を出た少女はその人形を手に外に出た。
「これで、本当に明日天気になるのかな」
二百年も仕えてきたが、一度もシルフィードに女性として見られたことが無い。
今着ているのはお気に入りの服だが、少し他の服も着てみたほうがいいかもしれない。
「この服がいいかな」
武器が仕込まれた白い服。
「この服もカッコイイよね」
暗殺道具が仕込まれた赤黒い服。
「それともこっちかな」
屋外活動に必要なものが仕込まれた緑の服。
「むうううううう。お化粧とか。したほうがいいのかなぁ」
じめじめした曇天が湿気に耐え切れず、豪雨を降らせる。
彼女の敏感な鼻に雨の香りが広がる。
「由紀子さまのうそつき」
彼女は口を尖らせ。
懐から白く輝くナイフを取り、侵入者に向けて投げつけた。
奇跡と言うほどでもないことはたまに起こる。
豪雨は去り、次の日は見事に晴れた。
血も涙も過去も未来も全てを洗い流した露が、にこやかに笑う『てるてる坊主』を濡らし、ピカピカの陽気な明かりが、その白い裾を照らしていた。
いつまでも。