『お義母さん』
「がいあさま~」
「ごはんなののの」
きゃ。はしたなくも驚いてしまったのは私の所為ではないと思います。
こんにちは。西尾由紀子です。現在は魔王軍旧ノーム砦こと『ばるらーん絶対領域』の構築作業を担当する義父、ノームさんとガイアさんと共にこの一室にて三人で暮らしております。
小さく堅牢で趣味のよい建物だった古い砦は、星型の波を打つような壁と急ごしらえの複数の塹壕、土塁を組み合わせた防壁によって全然別の代物へと変貌していました。
それでもこのお部屋は内装面では変わりません。しかしです。
ここはとても高いところにあるのです。
その窓の外にぶらーんぶらーんと両のひじだけでぶら下がる子供二人を見て驚かないほうが不思議と言うものです。
「はやくっ! こっちにっ 落ちたり怪我したらどうするのっ?!」
「ほい?」
冷や汗が出るより体が先に動きました。
強く引き揚げ、助け上げます。子供を助けたり、小さな子が危ないことをしていたら叱るのはお姉さんの仕事なのです。
……。
……。
「がいあさま。早くたずげて」
「よそ見しろとだがいっだか! だらずっ!! (よそ見をしろと誰が言いましたか。本気で叱られたいのですか)」
よそ見をする子供たちに激を飛ばします。
先ほどまで子供たちが落ちたらと思って冷や汗をかいていたのが嘘なほど頬も耳も熱くなり、思いっきり叱り飛ばしてしまいました。
「いいですかっ! 落ちたり怪我をしたらあなたの身だけではなく、お父さんやお母さんたちも心配するのです!」
ぐずぐず泣く彼らを叱るのは良心の呵責を覚えるのですが。
何故か私たちのやり取りを見ているガイアさんはお腹を抱えて大笑いされています。
「災難ね。ミリオン。フェイス」
「ぐずっ」
「うえええん。由紀子さまがこあい~! 」
「『炎のサラマンダー』直属とは思えない醜態。アップルが見たら大笑いね」
「それは勘弁してほしいのの」
「うげ。アップルは勘弁。あいつうざい」
「なんだって?」
「ごめん。ミリオン。言い過ぎた」
泣きながらも好きな女の子をバカにされると怒るのは小さくとも男の子ですね。
「今後、窓にぶら下がったりしてたら、折檻ですから!」
「ふええん」「あ~ん」
ぷんぷん。ひとしきり叱り飛ばした私の横でガイアさんはまだ笑い転げていらっしゃいました。
「『英雄』ミリオンと『無貌の』フェイスを叱り飛ばすなんて。ホント。うちの義娘は傑物だわ」
良くわからないことをおっしゃるガイアさん。
子供たちの一人が差し出した小さな手紙を受け取ってニコリ。
「ご飯にしましょうね。ゆっこちゃん」
「はい」
ガイアさんの体つきはものすご~く大きいのですが、すっごい美人さんなのです。性格も優しくてとても素敵なお姉さんです。
「お義母さん、腕によりをかけてお米を育てたのよ」
「ありがとうございます。ガイアさん」
とはいえ、見た目は私とほとんど同い年であり、私のお母ちゃんは由良に残してきた一人しかいないのです。
なので、いまだガイアさんを『お母さん』と呼べない私がいます。
六尺(約180センチ)を超える長身に反してとても優しいお姉さんのガイアさんは少し憧れます。料理も上手ですし、気遣いも出来ます。子供が出来ないのが悩み。だそうです。『お姉さん』なら。由良のおねえちゃんよりおねえちゃんらしいのに。
思案していると思いのほかガイアさんのお顔が近くに。
「おいしい?」
ニコニコ笑いながらごちそうを口に運ぶ私を眺める彼女。
「もっと食べていいのよ?」
私は小さく手を合わせ、「御馳走様でした」とつぶやきます。
「残りは、子供たちにあげてください」
「あの子たちは底なしなんだけど」
不思議そうな顔をする彼女の優しい顔に我慢が出来なくなった私は。
噛めば噛むほど広がる甘み。懐かしい味に思わず口元を押さえてしまった私を。
……彼女の掌が優しく支えてくれました。
「お父ちゃん。兄弟皆に定規で計って御馳走をわけてたのです」
みんなに平等に。それゆえみんなおなかがすく。
いつもおなかをすかせていたのを覚えています。
いつも皆で支えあったのを覚えています。
「ここはそんなことをする必要はないわよ」
解っていますけど。
「ほら、由紀子ちゃんの故郷の『おこめ』って食べ物、美味しいわよ。『おはぎ』ってお菓子になるというけど、今度作り方教えてね。作ってみるから」
ええ。
どれだけ抱き合っていたのか、ちょっと解りません。
恥ずかしいですよね。取り乱してしまって。
涙を拭っていますと、軽くお米を噛んで赤ちゃんのように口移しをしようとしだした彼女を止めます。
「赤ちゃんじゃないのです」
「うーん。義娘が可愛くて仕方ないのに」
「私は大人なのです」
「いいじゃん。私から見たらはたちまえなんて赤ちゃん」
それはそうですけど、おとなの気持ちというものがあるのです。
ニコリと微笑んで彼女は続けます。
「ね。ね。ゆっこちゃん。そろそろ『お母さん』って言ってくれていいのよ」
「……」
口元をもごもご。やっぱり今日も言葉に出せない私。
今日も彼女の大きな胸が私を包み、私は泣きながら眠るのです。……って。
「お、おがちゃん! むねっ! むねっ?!」
「ん? 」
「い、いぎ(息)がでぎっ?!」
「いくらでも泣いていいよ。ここでは私がお母さんだから」
そうじゃなくて、お義母ちゃんっ?! 息ができっ?!
ぎゅー。ああ。だめ。むねが。むねが。水みたいに鼻と口を。
「お前は何をやっているのだ。ガイア」
「ごめんなさい。ノーム」
その日。酸欠で倒れた私の横でガイアさんは小さく小さく正座されていました。
それでも一週間ぐらいは彼女が上機嫌だったことを覚えています。
「ゆっこちゃんが『お母さん』っていってくれた~♪ わ~い♪ ノームに勝ったぁ~! 」
「別に悔しくない」
仏頂面のノームさんの周りではしゃぎまわるガイアさん。子供みたいなのです。これでも将軍様とその副官さんなのですが。
「言っていません。言っていませんから。ノームさん」
「言ったもん! 言ってくれたもん!」
「次は『大好きなお母さん』って言って! お願い!」
「いい加減にしないか」
「あーん! ノームが嫉妬する~?! ちゃんと次はお父さんと言ってもらうようにゆっこちゃんに頼んであげるわよっ?」
「調子に乗りおって。いい加減にしろ。神と呼ばれる上位巨人族の威厳をもて」
「威厳より娘だもんっ! ノームもそうでしょうにぃ~!」
「ばっ。ばかをいえ。私は土魔将だッ」
「お。やるか。昔みたいに土魔将の座を争うか?! 夫婦喧嘩をここでやるなら巨大化してやる~」
「やめんか。あと争っていない。貴様が一方的に狙ってきたのだろうが」
「やめてください。お義母さん。お義……」
はっと口をつぐむ私を二人は呆然と見。
次の瞬間二人は快哉を叫びました。
恥ずかしいっ?! やめてくださいっ?!
「よし。今夜は貴腐を開けるぞ」
「私もソーマ開けちゃう!」
「いい加減にしてくださいお二人ともッ 明日はお仕事でしょうっ?! 魔王様にお叱りを受けますよっ?!」
後になって思うのです。彼女のこと。
もっともっと。もっともっと。もっと『お義母さん』って言ってあげたら。
言えたら良かったのにと。