おかえり
彰子視点
「かくして勇者は天より舞い降りた」
蝉の声が遠く聞こえる中、武田彰子は神社の境内で垢まみれの文庫本を読む。
頁は黄色を越えて赤茶色になり、カバーは既になく、表紙の印刷は赤くなったその本を。
「その者の声。戦場に朗々と響き」
さわさわと風が吹き、夏の香りが私の鼻をくすぐる。
何処からか田畑の香りがして苦笑い。今年は豊作になるはずだ。
「その瞳は未来を見つめ」
天を焦がす夏の太陽の光は入道雲にぶちあたって、私を焼くには至らない。
雲は夕方には夕立を降らすはずだ。今日は傘を忘れてしまった。
「その微笑みは頑なる心を溶かし」
それでも夏の暑さは私を爽やかな気持ちにさせてくれる。
夏の熱さは命を燃やし、未来を感じさせてくれる。
「正義の剣をふるい、悪しき炎に立ち向かう」
私は、夏が好きだ。熱くて優しく、強い夏が好きだ。
「その雄姿は人々の心を奮い立たせ」
「嘆くものあれば共に涙を流し、共に歌を歌い。共に歩まんとする」
私は立ち上がり、風に身体を任せる。
夏の光が雲間から差しこみ、きらきらと輝く御稲荷様の祠が現れた。
「そのものは。勇者。人々に勇気を与えるもの」
祠の扉が開き。神鏡が輝く。
「おかえりなさい」
白い輝きは集結し、鏡の中で空に向けて浮かぶ小さな少女の像を結ぶ。
「勇者よ。目覚めよ。汝らは全て勇者なり」
私の腕の中、小さな勇者はまどろみから醒めたように目を開く。
「たっ……ちぃ……」
「おはよう。由紀子」
おかえり。由紀子。子栗鼠のようなまるい瞳が大きく開き彼女の唇が驚きを告げる。
私は彼女の。大きく優しい心を秘めた。小さく華奢な身体を抱きしめる。
「おかえり。私の由紀子」
私に勇気を与えてくれる。小さな小さな。大きな子供。
「たっちぃ?」
彼女の誰何に私は応える。
「なぁに?」
「私のふろふき饅頭」
……。
「分けてくれるって言ってたあんぱん」
「ナンノコトダネ」
彼女の頬は月の様に丸くなり、瞳は輝きを湛え。
「絶交ッ? 絶交だからッ! もう話してあげないっ」
「その台詞、何度目だ」
夏の光の中、私たちは歩き出す。
「明日、かってやるよ。何個でも。飽きるまで」
「ほんとっ? わぁいっ!」
「だから、泣くな」
「うんっ!」
ふふ。
「いこうか」
「うん。なんで寝てたんだろう。私。疲れてたのかな」
……さぁ。ね。
彼女の子栗鼠を思わせる瞳の先が私の手に握られた書にとまる。
「なにこれ。何も書いて無い。ボロボロ。落丁本かな」
「みたいだな」
パラパラと頁をめくる少女。物語は。また白紙に戻る。
それは とても ちいさなちいさな おんなのこ と おとこのこ の
とても おおきく やさしい あい と ゆうき の おとぎばなし 。
太陽の光が輝き、空の斧を掲げた金の髪の女性が。魔王の剣を持った半身の女神が微笑む。
炎が踊り、風が囁き。水が世界をかけめぐり。大地が君を満たしてくれる。
「あんぱん。何個買ってくれるのっ」
彼女はキラキラと輝く瞳で私をみつめ。私は親友に言葉を伝える。
「俺だって小遣い少ないんだ。遠慮してくれよ」
「しないもんッ」
勇者よ。目覚めなさい。
大精霊はいつでも貴女を。
貴方を。あなたたちを見守っている。