魔王。討つべし
「やめてくださいっ! 助けてっ! だれかっ!」
暗闇の中、娼婦と思しき少女の悲鳴が響く。闇の中で震える人間軍の者達は誰も助けようとはしない。
勝利を目前として敗者となった彼らは、深夜に彼らの天幕に侵入し、めぼしい男女をさらおうとする悪逆な魔族たちへ反抗する気力を失っていた。
そもそも武具がない。
身体能力に劣り、基本として魔導の力をもたぬ人間が素手で魔族と戦うのは無謀である。
人間が魔族と戦うことが出来るのは、武器の力と集団戦の能力が大きな比重を占める。
軍隊として破綻した彼らには、魔族に対抗する手段はない。
夜は明かりを真っ暗にして、自らがさらわれないように神に祈るのみ。
しかし、魔族は夜の闇でも完全な視力を持つ。気休めにもならない。
しかし、救いの神はいた。神ではなく『勇者』だが。
「『水のウンディーネ』より、捕虜や降伏した人間軍の虐待は行うなといわれているはずだが?」
少女をかばい、震える少年兵士を庇い、転送魔法を駆使して同胞を守った男。
久だった。
久をみて小柄で美形な少年と見た二人の魔族は久をあざ笑う。
「人間が武器もなしに魔族に勝てると思っているのか」
角の生えた魔族が笑う。もっとも強く賢いといわれる鬼族だ。
「ふふふ。君も可也の美形だね」
こちらは最強と呼ばれる異能の力を持つダークエルフ。
月が出る。久はニヤリと笑った。月が出ていれば。勝てる。
「思ってるけど?」
久は愉しそうに大股の構えをとった。
「死ね」
「ああ。ガキ。あとでヒイヒィ言わせてやるぜ」
「下品だねぇ。まぁ由紀子の言うことを聞かない莫迦は。こっちで〆ておくか」
襲い掛かる鬼が崩れ落ちた。
「なっ?!」
カウンター気味に久の小柄な身体が舞い、鬼の膝を踏みつけ、二段膝蹴りをアバラと鼻に決めたのだ。
鬼は人間を越える反応速度を持つが、久はそのガードの上からそのまま鋭い前蹴りに移行。
あっさりガードを突き抜けた久の蹴りは鬼の男の肘の急所をついた上でアバラと鼻を砕いた。
久は愉しそうに笑う。
「いっちょあがりっ!」
「ばかな。人間が魔族に、身体能力で勝てるはずが」
「バカヤロウ。俺たちなめんな」
ガタイで負けても。空手じゃ負けねぇんだよ。
「鍛えた身体と磨き抜いた技。挫けぬ魂があれば勝てない敵はない」
久の腕が鋭く伸びた。正拳。其の一撃は魔導を唱えんとするダークエルフを一撃で捕らえた。
男たちは知らないが、彼の師匠は『ましら』とよばれた、沖縄空手で無敵を誇った男であった。
上背は久より小さく、5尺も無い(約150センチ)が、米兵を相手に素手で激しく戦った男である。
その直属の愛弟子。それが。
「ひっさしぶりに拳で闘ったわ。すっきりした。ありがとよっ♪」
伸びた二人を軽く介抱して去っていく青年。久だった。
……。
……。
「やっぱさ。俺か、お前のどっちかが囚われると思うのよ」
「だろうな」
久と真鍮の仮面を被った人物が話し合っている。
ちなみに、「無礼だぞ」と言う莫迦は久の拳の一撃で伸びた。可哀相に。
「やっぱさ、新興国の王と伝統を受け継ぐ皇帝じゃ、俺が行くべきじゃね」
「どちらでも。かまわん」
真鍮の仮面の人物が嗤う。
「魔族を滅ぼしてくれるなら、悪魔にでも魂を売ろう」
「そうきたか。同意だね」
「やっぱさ。調印をお前がやって、由紀子を引きつけて」
「貴様は、魔王を討つ。人類の希望はそれしかない」
「俺、鉄砲玉の真似かよ」
いやだよなぁ。せっかく由紀子と仲良くなれそうなのにさぁ。
そういって胡坐をかいて不貞る久に珍しく苦笑してみせる『神聖皇帝』。
「まぁ、其の後のことはしったこっちゃねぇけどな。俺、死刑だろうケド魔王も死ぬし」
「うむ。魔王が倒されれば充分な魔力が大地に満ちる。そして魔族は勢力を大幅に減退するだろう」
何より。
「お前は、元の世界に帰れるぞ。由紀子を連れてな」
「ホントかよ。正直、疑わしいんだが」
「神聖皇帝を愚弄する気か。間違いの無い事実だ」
「だいたいな、他所の世界の人間を拉致して、鉄砲玉に使う発想がきにくわねぇ。魔王を殺さないと帰れないのもな」
「お前は、魔王を殺すために闘っていたのだろう」
「そりゃそうだけどな。他に今は、もう何も無い」
彼を慕ってくれた人も。友人も。戦友も。皆散った。
いや、彼にはその存在を信じ切ることが出来なかった。誰をも魅了する力を持つ故に。
「なら。久。選択は一つしかない。お前は、魔王を討つ。いくら魔族が一〇万の兵を持とうと、魔王を失えば雲散霧消だ」
「残存部隊の皆はどうなる」
「なんとでもなる。我の実力を忘れたか」
「……」
久は。知っている。坊主にしては異常に強いこの男だか女だか判らないヤツの力を。
「少し。考えさせてくれ。由紀子は悪いようにはしないと約束してくれた」
「その結果が、今夜の事態か」
「……」
「わかっているはずだ。魔族と、人は相容れぬと」
あの女は所詮魔女。人間が憎いのだ。人間でありながらな。『神聖皇帝』は断言する。
無言で天幕を出た久は、空を見る。
故郷の島を思わせる。明るい明るい星の輝き。
そして、目を惹くのはこの世界独特の惑星を横切る『輪』だ。
『輪』は地上の何処かにある楽園から天の川を渡って天の世界に向かう橋といわれ。信仰の対象となっている。
久は思った。皆は。この橋を渡ったのだろうか。そして星になったのだろうかと。
「由紀子さん。俺。やっぱり今しか魔王を倒せる機会はない。そうおもうんだ」
ごめん。俺は。魔王を。討つ。
世界は、其の世界の人間が救うものだ。
そう思っていた久は、王としてこの世界の人々を導き、魔王を倒させる道を選ばせた。
しかし。
「俺たち『勇者』だけの少人数で暗殺者となり、魔王の命を狙っていたのなら。被害は少なかったのかな」
少なくとも、十六万の命が散ることはなかっただろう。
ただ、魔族の世が来れば後日に百万。千万の人々の命が散ったかも知れない。
自らの決断が正しかったか。久にはもうわからない。
道中で討たれる確率のほうが高い。
が。誇りを重んじ、一対一を望む魔族の気質からすれば不可能ではなかったかもしれない。
「俺。さ。由紀子」
お前よりも、『人間』が信じられないのかも。しれない。
「人間ってなんだろうな」
種族なのか。こころなのか。
「俺。本当は信じたかったんだ」
こころを。魅了の力と関係の無い。まごころを。
久は星が見守る天に向けて腕を掲げた。
「こいっ! 聖剣!」