由紀子。こっちに来い。君は『勇者』だ
「ここは」
目が覚めると知らない天幕の中でした。
~ お前は ~
「驚いたな。君のほうからこっちに来るなんて」
ニッコリ微笑む男の顔を。私は存じています。
「皆の仇ッ!」
『霧雨』を抜いて斬りかかる私を笑いながら手元の工具で止めてみせた男の子。
~ 武田久ッ! ~
「や、武田彰子さん。いや、大精霊様だったっけ」
彼はそういってウインクしてみせました。
「無理無理。君じゃ僕に勝てないって。指揮は見事だけどね」
剣を抜いて威嚇する私に彼はそういうと何処からか。
「よおぐると?」
「うん。魔族の主食らしいけど、悪くない」
そういって彼は『よーぐると』をぱくぱくと食べています。
「『あんこ』は君が作らせたみたいだね。よく出来ている」
「米も実用化したわよ」
「それは物凄く助かる。魔族は魔法が使えるのがいいね」
品種改良には永い永い時間がかかりますが、腐敗と発酵と成長、時間を司る闇の精霊さんに頼めば。ガイアさんに頼めば。なんでも。
「食べる?」
感傷に浸っていた私。
よーぐるとを手に楽しそうに微笑む彼。
どきり。
私は彼に思いのほか接近を許していた模様です。
~ おまえら、いいよなぁ。私はそれ食べたことねえ。食べたいなぁ ~
すっぱいですよ。たっちぃ。物凄~く。
~ むー。すっぱいのか ~
「あはは。慣れるとこれはこれでいけるよ。乳さえあれば作れるし」
な。そういって彼は私にウインクしました。
「ああ、この天幕には誰も来ないから気にしなくていいぞ」
「……?」
「だ、か、ら。……あ~」
急に顔を赤らめて彼はぼやきました。
「自分でも恥ずかしい事を言った。すまない」
「?」
首を傾げる私に彼は『まさか、気付いていてそういう態度か?』とか言ってますが。
~ おまえがかあちゃんの手から離れられないことだけはわかった ~
たっちいが変な事をいいます。彼の顔が更に赤くなりました。
~ (ぼそ)洗濯板 ~
意味わかんないです。『霧雨』があれば洗濯板は不要です。
「エアデ。ツェーレ、ヴィンド、オズワルド」
ビクッ。
私の身体が震えます。
「ノーム。ガイア。由美子。ゾンビマスター。水奈子」
口をついて出たのは懐かしい名前。
つい、この間まで隣にいてくれたのに。
彼は眉を顰めてみせました。
「日本人の女が二人もそっちに?」
「由美子は。私の側近。水奈子はゾンビマスターの妻だ」
臭い臭いと事あるごとに『ぞんび』である彼を苛めていましたが。
私は気がつきませんでした。あれはあの子の愛情表現だったのだと。
「ああ。なるほど。君たちに名前をつけてもらったのか。魔族だもんな」
~ いちいち、気に障ることをのたまう子だね。あんた ~
彼はいいました。
「? だって、魔族は人間の敵だろ」
血を吸い、肉を食らい、出遭えば闘いは避けられない。
「ならば、貴方は私達の敵ですね」
私は、その魔族の将軍なのですから。
「違うね」
彼は微笑みました。
「君は人間だろ。由紀子」
「今は、ウンでーネです」
しっかりと彼を睨み返す私達に、彼は微笑んで見せます。
「動揺すると、君は『ウンディーネ』と話せなくなるようだな」
「ッ?!」
「由紀子。君は何をしたいんだ」
「なにをいいたい」
身を固くする私に彼は近づきます。
「『勇者』は魔王を倒して、元の世界に戻る」
「らしいわね」
「なら。君は元の世界に戻りたくないのか?」
もど……る?
戻りたい。戻りたい。
あのたんぼのある平和な世界に。
~ 由紀子っ?! ~
「由紀子。こっちに来い。君は『勇者』だ」
解っているだろう。この戦いが終われば、俺もお前も用済みだと。
久さんは自嘲気味に呟きます。
「そもそも、君を慕っているわけではないのだよ。魔族の皆は」
「?」
~ おい。久。何言ってるんだ。由紀子ほど慕われている奴はいねえ ~
仰っているお言葉の意味がわかりません。久さん。
「エアデがいうには、『ニコポ』とかいう力らしくてな。
にこっと笑っただけで相手が惚れる力を俺たちは持っているらしい」
え。
「皮肉なものだな。お陰で自ら王になって、俺たちを矢面に押し出そうとしていた馬鹿者共に反撃できた」
え。え……。
「君を呼んだ魔導士に話を聞いたよ。無辜の少女を魔王城に呼んだってね」
~ 由紀子っ!! 話を聞くなッ ~
「うまく『ニコポ』が機能したら、奴らを支配して、魔王の心臓を手に入れることが出来るだろうと」
私の言葉を聴いて、死んでいった皆は。
「まさか、空席だった水魔将になるとは計算外だったそうだけどね」
そういって久さんは拳を握りました。
「俺たちは、この世界の連中の都合のせいで元の世界で殺され、拉致されて、挙句に戦争の道具に使われている。それが『勇者』だ」
由美子も。ゾンビマスターさんも。皆も。ガイアさんやノームも。私の魅了の力で……動いていただけ?
「い……や……嘘よ」
「このふざけた戦いを終わらせて、さっさともとの世界に戻ろうぜ。由紀子。君は『勇者』なんだ」