円月湾の戦い
「すまない。休憩させてくれ」
『水のウンディーネ』が休憩している間、『炎のサラマンダー』と『風のシルフィード』は対策を取ろうとするが。
「最強の俺が行けばなんとでもなる」
「最強は俺だ」
まったく会議になっていない。
早く出て来い。由紀子。
魔都は三方を岩山に囲まれた地にある。
ノーム砦を前身とするバルラーン絶対防衛陣を経て、由紀子がかつて語った北海道は五稜郭の話を聞いたノームが構築した星型城壁に守られた都市である。
玄関口は南側にある天然の堀、円月湾。
豊かな水資源と強靭な水棲魔族、魔物を要し、湾の入り口は狭くなっていて容易に攻め込むことは出来ない。
その入り口は半魔半魚のセイレーン族が死守しており、彼女たちの歌を聴いたものは只ではすまない。
具体的に言うとその歌を聴いたものは正気を失い、船から飛び降りて海の藻屑と消えるのだ。
湾の入り口は現在、『水のウンディーネ』配下の『ゾンビマスター』が操る幽霊船団が船体を鎖で繋いで侵入を防いでいる。
『ゾンビマスター』の操るガレー船の漕ぎ手たちは不死のスケルトンたちであり、食事も休憩も必要とせず、風向き不要かつ高速で移動可能。実質的な永久機関である。
また、ゾンビマスターは襲い掛かってきた敵船を沈め、幽霊船団の一員としてそのまま戦力に組み込むことが出来る。
何かと疎んじられる『死族』である彼を故・ノームと其の義娘ウンディーネは高く評価していた。
「絶対防衛圏は物量で破られたが、円月湾ある限り我らは滅びぬッ!」
無言で腕を上げるスケルトンやゾンビたち。
彼らには発声する能力がない。知性も無い。
喜びも悲しみもなく、血も涙もなく。
ただ与えられた命令をこなすのみ。
だが彼らは知っている。
この戦いに負けることは、地獄の業火に再び焼かれることだと。
「生きるも地獄、死ぬも地獄ならば、我ら魔族の為に生きて地獄を歩むのみっ!」
円月湾を守るセイレーンたちの歌が響き、船員の耳に蝋を詰め込んで強行突破してきた敵の船に水中から浮上した幽霊船団が迎え撃つ。
この屈強な海軍に対して、人間側の利点は物量より、優秀な士官や下士官で挑む。
魔族軍側は、実質ゾンビマスターを除けば『船団』の指揮官がいない。今代の水魔将は船にはまだ疎いからだ。
水棲魔族の多くは『船』を侮っている。簡単に沈めることができるからだ。
しかし水上に浮かぶ要塞が遠くから魔導によって都市を攻めればどうなるか。
その恐ろしさを知るゾンビマスターは水棲魔族に船を決して侮らぬように再三指導していた。
「吉報! ウンディーネ様が戻られたッ!」
「何ッ?! まことか?!」
旗艦に吉報を届けるセイレーンの一人。
今代の水魔将は海には疎い反面人望がある。
喜色満面だった彼女はゾンビマスターの放つ異臭に眉を顰めるが即座に姿勢を正す。
襟を正したいが彼女たちには衣服を纏う習慣がない。
「勝利をウンディーネ様にッ!」
士気も更に高く叫ぶゾンビマスターに無言で腕を振り上げる死者たち。
腐臭と共に次々と湧き出る船体は人間達の船を焼き、時には軋み音と轟音と共に衝角でぶつかり合って共に砕け、あるいは剣で闘う。
しかし、人間との剣の闘いは骨だけで軽いスケルトンや動きの鈍いゾンビには不利。
そこで、自爆。
死者ならではの戦法だ。
次々と船体が爆発炎上。
血が弾け肉が飛び散り、宝物が金属片となって円月湾に沈む。
高価な楽器は欠片になり、人間だった物体は魚の餌へと変じた。
「海底に『爆裂岩』配備しました」
「人間どもよ。絶対、湾には入れんぞ」
微笑みあうセイレーンの少女とゾンビマスター。必死必勝の構えである。
「すまない。休ませて貰った」
争いあうサラマンダーとシルフィードに子供にしか見えない娘は頭を下げる。
そこに聞きたくて聞けなかったことを問うサラマンダー。
「聞きそびれたがニンフは?」
由紀子は急に押しだまった。
「そうか」
ちょっと頭が足りないシルフィードだが、サラマンダーほどではない。
「ニンフはどうしたというのだ? 姿が見えんが」
と言う火の者に「散った」と告げる由紀子。
「……」
「いや、浅慮だった」
故人含めて権力争いばかりの四天王だが、由紀子にだけは態度を軟化させる。
「涙。か」
火の者の指摘に慌てて目元を拭う。『水の者』。由紀子。
「みんな、死んだ。私だけノコノコと帰ってきたのだ」
全身を炎に覆われた男に、血も涙も存在しない。
触れればそれだけで全ては燃え、散り行く。
涙とはなんだろうか。触れればこの身を傷つける水なのは知っているのに。知りたい。
喜びは。解る。戦い、強きものと刃を交える喜びを。
悲しみは。よくわからない。彼の使者の弔いとは、より多く闘うのみ。
全身が風に覆われた男に、実質的な身体はない。
多くのものは触れること叶わず、吹き飛ぶのみ。
彼の剣、『風鳴』を掴んだ由紀子の指。
暖かい血潮がとび、彼の心を止めた。
人間とは、なんと暖かくて、恐ろしい存在か。
そして、『安らぐ』とはなんだろうか。
「あと、ニンフではない。『由美子』だ」
「……」
「……」
由紀子の言葉を聞いて二人の男は押し黙る。
ニンフたちにとって、本来それは『異性につけて貰う』ものだからだ。
涙を持ち、安らぎを知り、それらをあえて捨てて剣を取ることを選ぶもの。水の者。
確かに『名前を付けてもらう』者にこれほど相応しく、誇らしく感じる者はいない。
「『由美子』は最後に、いい友を得たのだな」
炎の者が呟くと由紀子。そして彰子はゆっくりと頷いた。