前章
『ルンルンルンっ! ルーンの守護者、プリンセス・ミルキィここに参上!』
誰が点けたまま放置したのか、2モデル前の古い液晶テレビが逆さまになった状態で、ネットからのテレビ電波を受信し続けていた。だがそれを嬉々とした眼差しで見つめる少年少女も、大人も老人もいない。
ゴミの楽園だと、誰かがこの場所のことをそう呼んでいた。皮肉にもそう名付けた人は、かつてもこの場所が同じ名称で揶揄されていたことなど知る由もない。
派手な3D演出、人物は実写のようだ。オーディションでこの役を勝ち取った十歳ほどの少女が、派手なピンクフリルに身を包んで満月型スティックを振り回している。ワイヤーアクションあり、愛憎劇あり、本格的な殺陣あり。子供が見るには刺激の強い内容も含まれているとして、放送禁止になった『プリンセス・ミルキィ』はしかし、ネットの世界ではその異様な設定とギャップのある主人公の少女が可愛らしいことも手伝い、秘かな人気となって海賊版が繰り返し放送されていた。
『そこの、上司の妻を普段の仕返しに寝取ろうとしているお父さんッ、妻の泣き叫ぶ姿を想像したことあるッ!?』
きらららん、とスティックが流星群を飛ばして冴えないサラリーマン姿のオッサンを捕らえる。苦痛に顔を歪める中年男はしかし、傍らに立つ豊満な肉体の美女に意地悪くも助けを求めた。
『フハハハハ! なぁんにも分かっていないようだな、ミルキィ! その妻も隣の旦那さんとヨロシクやっているのさ!』
『なッ……なんですってぇっ!?』
正義の味方、プリンセス・ミルキィはがっくりと膝を落として大地に拳を付ける。その手からスティックを強引に奪った美女は、9センチ高のヒールでスティックを踏み砕いた。
美女は手に持っていた刺付きの鞭をしならせ、絶望の淵に佇むミルキィめがけて無情にもそれを振り下ろす!
――テレビは、いつだってそうだ。いつも気になって、次が見たくなる場面で唐突に途切れる。
その鋭い刺が少女の柔らかな肌を突き刺す前に、パッと画面が切り替わった。調度良いところでCMに移り、視聴者の興味を煽って続きを見させようとする。番組制作会社の常套手段だ。
『新世代の、波が来る』
不倫騒動により一躍世間を賑わせた、外国人とのハーフである美人女優が一つのサングラスを持って、ぴったりとしたスーツ姿で堂々と都会を闊歩している。ブロンドの髪はさらさらと癖ひとつなく真っ直ぐ腰まで伸び、そこに立つだけで絵になってしまうのだ。BGMは著名な作曲家が手がけたらしいが、番組スポンサーとの黒い繋がりが指摘される人物で、爽やかな曲調の裏に隠れるどす黒い陰謀や下卑た世間の好奇心が透けて見えるようだ。
『2062年、インターネットは、更なる進化を遂げた』
女優が滑らかに台詞を唇から紡ぎ出し、手に持っていたサングラスをかける。
その瞬間、画面は都会から常夏の島国へと移される。瞬時にして髪は赤に染まり、肌は黒くなり、服は黒いビキニへと変わる。波打ち際へ駆けて行き、保険をかけたと噂される美脚を惜しげも無く波に濡らした。
『目から感覚を共有する時代へ。触れる、感じる。新しい“光媒体”式接続器、『スーリヤ』2DF型、デビュー』
淡い光が女優の体を包み、真っ白にフェードアウトしてCMが終わる。『スーリヤ』とは、インド神話の太陽神だ。全身から高熱を発し、仏教では日天とも言う古代の神の名を商品に冠するとは、なんと罰当たりなことだろうか。
だが、これは神にも等しき『進化』なのだ。
ただの二次元世界であったインターネット。そこへ、『触れる』ことの感覚を付与したことで世界は大きく変化した。
『光媒体』とは、目から脳へサングラスから発せられる光刺激を送ることで、脳が触っているように認識できるようにしたもの。神経回路の操作。これは人間を新たなる新世界へと連れ出してくれる、ひとつの光となった。
人々は潜る、ネットの世界へ。1と0の無機質な世界が、彩りを持って無限の可能性を広げた。あらゆるものはネットの世界で剣を振るい、戦い、空を飛ぶ。そこに快楽以外の生産的活動は無く、男女の触れあう喜びを自由化した。
予期せぬ事態を、引き起こすまでは。