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ルームメイトのお姫様 01

 篠國学園。

 雄大な山脈を背に建ち、中高一貫教育を行っている全寮制の男子校である。

 豊かな自然と充実した設備を有する広大な敷地、そして多方面に亘る分野に排出できる優秀な人材を育成するための教育を提供することを特色として掲げている全国でも有数の進学校だ。

 だが実際はといえば、田舎に学園があるために右を向いても左を向いても山と田んぼと畑ばかり。知り合う異性は農作業をするおばさんや小さな商店を開くおばあさん、という具合だ。徒歩圏内に娯楽施設というものは一切無く、一番近場でもバスで一時間弱かかり、それでもあるのは昔流行ったゲーム機を置くスーパーや哀愁漂うボーリング場だ。全寮制という閉ざされた空間の中で、切実に生徒たちは娯楽に飢えていた。携帯電話やインターネットの普及によりある程度の刺激は受けられるといっても、得られるものは所詮は情報のみである。それだけで十代の研ぎ澄まされた感性を満足させることは難しいだろう。

 そんな世間から逸脱したような場所に、今年16歳になる木ノ倉哲平は立っていた。

 毎年10人程度募集される高等部への編入試験を受け、見事に合格を果した哲平は、今年の4月からこの篠國学園高等部に通うことになったのだ。当然寮に入ることとなり、哲平は今日、入寮を迎えることになっていた。

 男子校に進学するに当たっては、中学時代の友人たちから散々に茶化されてきた。「ホモがいるぜ」と冗談交じりに言われ、「ま、お前みたいな顔も身体も平凡な奴なら相手にもされないだろうけどな」と笑われた。言われなくても分っている事をいちいち言ってくる悪友たちに、哲平は怒る事もない。これが彼ら特有の激励なのだと知っていたからだ。そして、茶化されるだろう事を予想しながらも全寮制の男子校を選んだのが他ならぬ自分の意思だということもあった。

(そりゃ、俺だって可愛い女の子のいる普通の学校が本当はいいんだけどさ)

 哲平は心の中でぼやく。

(でも・・・家にはいれないし)

 哲平は溜息を落とす。

 いれない、ではなく、いたくないというのが正解だ。

(今頃俺がいなくて母さんはうかれてるんだろうな)

 年甲斐もなくはしゃぐ母親の姿を容易に思い浮かべることが出来て、哲平はもう一度、深く息を吐き出した。

 哲平には物心付いた時から父親がいない。兄弟もなく、哲平は女手一つで母親に育てられてきたのだ。他に親類もいないためか、親子の絆は何処よりも強いと感じている。必死に自分を育てようとしてくれる母が哲平には誇りでもあったし、男である自分が母を守らなければという強い責任感のようなものを幼い頃から感じていた。

 自分と母はずっと変わらない。漠然とした確信を哲平は無意識に持っていた。それがある日突然、揺らいでしまったのだ。

 決めたら何があっても貫き通す頑固者の母親が、何の前触れもなく、一人の男を紹介してきたのが全ての始まりだ。

「結婚する事にしたから」と重大発表を世間話のように話す母に、哲平はうんともすんとも言えなかった。

 母にだって母の人生がある。頭では分っていても、哲平は母が一人の女である事をすっかり失念していたのだ。それを突然思い知らされてしまった。

 母の隣に座る男は、誠実で優しそうな男だった。どこか頼りないところも見受けられるが、それは母の持つ豪快さでカバーできるのだろう。

 幸せになってくれるのならば再婚も構わない。哲平は努めて冷静に母に言った。

「必ず幸せにするよ」と神妙な顔で言う男に、哲平は深々と頭を下げたのだった。

 それが年末の頃だ。

 年が明けて本当に結婚してしまった母は、男を自分たちの住むマンションに迎え入れた。そして哲平と三人の生活が始まったのだが、同時に哲平には苦難が押し寄せてきた。

 今まで母親としての姿しか見せなかった母が、突然女としての姿を見せるようになったのだ。中睦まじい新婚二人は、哲平の前でも熱い視線を絡ませあう。別に母親を取られたと拗ねるほどマザコンではない。いちゃつく姿を見て頬を赤く染めるほど純情でもない。ないのだが、照れてはにかむ母の姿を見た日には、哲平は思わず「気持ち悪い」と口を滑らせてしまった。直後に母には拳で殴られ、男には申し訳なさそうに何度も頭を下げられると、哲平は居たたまれなさで身を縮めるばかりだ。

「あんたも彼女作っていちゃつきなさいよ」と真顔で母に言われて、何の反論も出来ない自分が情けない。

 こうして哲平は、真剣に家を出ることを考えざるを得なくなったのだった。

 彼女を作るよりもその方が簡単だというのがなんだか情けないが、それはとりあえず考えないことにする。

 家を出るにあたって一番周囲を納得させられる方法として思いついたのが、全寮制の学校に進学する事だった。一人暮らしでも、寮でも下宿でも、何も家を出なくてもという周囲の、特に男の引きとめから逃れるための苦肉の策だった。自分が親子の関係を壊してしまっているのかと悲観する男と、余計なことをして私たちの新婚生活に水を差すなと噛みついてくる母の板挟みに、哲平は心底うんざりしてしまう。誰もが納得する形で家を出なければ、それが自分の義務なのだろうと達観した哲平がひねり出した理由が、この学校に進みたい、それが全寮制だから家を出るというものだった。篠國学園が全国でも名の知れた進学校ということが、随分と哲平の主張を助けてくれた。母も男も、そう言うことならばと表だって反対をするようなこともなかった。私立の学校へ進むことで金銭的に負担を掛けてしまうだろうことについても、母は「それは子供の考えることじゃない」と気前よく賛成してくれたのだ。それは哲平にとっても嬉しかったし、いつか必ず親孝行をしてこの恩を返そうと決意した。ただ誤算だったのは、篠國学園が男子校という点と、思った以上にレベルの高い編入試験だ。男子校なのはこの際仕方がない。最低でも三年間、母が男といちゃつく姿を見せつけられることを思えば、周りが男だらけになろうともその方がまだましだ。ただ、編入試験に受からなければ元も子もない。生まれて初めて死にものぐるいで勉強をして、本当に自分はおかしくなったのではないかと思うほどに哲平は多大な情報を頭に詰め込んだのだった。

 こうしてめでたく篠國学園に入学できたのだから、実際に学園を目の前にすると、その感慨は深いものだった。


 まずは学園校舎を見ておこうとやってきた哲平だったが、昇降口近くに立てられたガラス張りの掲示板を前に、先ほどから立ち止まっている。

 何度も首をかしげて、掲示板に張られている一枚の紙を熟読していた。

「・・・真奈姫の、休日?」

 それは校内新聞のようだった。見出しに大きく書かれた文字を読み、哲平はもう一度首を傾けた。新聞には三枚のカラー写真が印刷されている。そのどれもが同じ人物を写していた。ショートヘアーの目を見張るような美少女が微笑んでいる。どれもカメラ目線ではないので隠し撮りかもしれない。きっと自分を見てこの顔で微笑まれたら、ときめかない男はいないだろう。天にも昇る思いを味わえるかもしれない。・・・だが。

「これが真奈姫、か?可愛いけど・・・」

 哲平は眉間に皺を寄せた。

 哲平がいるのは男子校だ。そしてこれは校内新聞。写真の一枚は哲平が篠國学園へ入学するときに買った制服のブレザーに良く似たものを着たものもある。ということは。

「こいつ、・・・男か?」

 哲平は写真を凝視する。何処をどう見ても美少女としか見えないが、それでも自分と同じ男子高生なのは確かのようだ。

「いや、これは男じゃねーよな」

 哲平は顔を近づけて、じっと一枚の写真を食い入るように見た。どこからどう見ても、やはり自分の買った篠國学園の制服を着ているようにしか見えない。身体の線も細いし、首も細いし、何より顔が女の子なのだ。

 男装した女の子なのかとも思うのだが、それならばわざわざ校内新聞に載せる意味が分からない。そもそも、校内新聞とは校内の話題を載せる為のもののはずだ。ならば・・・。

「・・・男なのか」

 何故か酷く気落ちしたように、哲平は言葉を漏らした。

 深く息を吐き出して、今度は睨みつけるように写真を見る。

「これ、詐偽だろ」

 哲平の中で腹立たしさがじわりとこみ上げてきた。

 俺のときめきを返せ、と勝手な文句を頭の中で並べ立てる。

 哲平は踵を返して歩き出した。

(おかしなところに来ちまった)

 これから先の生活に多少の不安を覚えながら、哲平は自分の入る寮を目指した。


***


 篠國学園には第一から第三までの寮棟がある。哲平が入寮するのは敷地の南に位置する第一寮棟だ。

 鉄筋コンクリートの建物を見上げて、哲平は意気込んだ。

 今日からここが自分の城なのだ。三年間頑張ろうと自分に渇を入れ、哲平は寮の敷居をまたぐ。期待と不安が胸の奥からこみ上げてきて、哲平の足取りは無意識にも浮き足立ったものになっていた。


 寮内は入ってすぐにロビーが広がり、入り口のすぐ右手側には管理人室というプレートを掲げたドアがあった。

 事前に郵送されてきた案内には、寮へ入ったらまず管理人に挨拶をするようにと書かれていた。管理人から寮の事に付いて聞くことになっているらしい。

 深呼吸一つ、哲平は控えめに管理人室のドアをノックした。

 だが、何の反応もない。

 留守かとも思ったのだが、もう一度、今度は力を込めてドアをノックした。

「はいはい」という男の声が奥から微かに聞こえて、ようやくドアがゆっくりと開かれた。

 顔を出したのは初老の男性で、開かれたドアの隙間から出した頭を上下に動かし、哲平の頭から足の爪先までを満遍なく見つめてくる。見慣れない顔のためか、管理人は考え込むようにしていた。ようやく何かに思い当たったのか、一度頷くと、改めて管理人は哲平を見た。

「編入生の木ノ倉君だね」

「はい。今日からここに入ることになりました。お世話になります」

 哲平は腰を折り、管理人に頭を下げた。その態度に好感を覚えたのか、管理人の表情が柔らかいものへと変わっていく。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。えーと、それで君の荷物はすでに部屋に運んであるから。あと寮の説明は・・・と」

 言いながら、管理人は内線でどこかへ電話をかけ始めた。

 二言三言言葉を交わし、受話器を置くと哲平を見る。

「今寮長さんが来るからね。彼にいろいろ聞いてくださいね」

「・・・はあ」

 どうやら管理人は何もしないらしいと分り、哲平は大人しく寮長を待つことにした。

 待っている間にゆっくりと建物内に視線をめぐらしていく。年季の入ったコンクリートの壁はそこらかしこで黒ずみ、汚れが目立っている。窓辺に置かれたソファーは古いのかくたびれた感じをかもし出していた。特に飾りっけもなく、よく言えば無駄のない造りと言えるだろう。

 住めば都、哲平はそう思うことにした。


「おまたせしました」と声が聞こえて振り返ると、またも初めて見る顔の男が管理人に頭を下げているところだった。歳は哲平とそれほど変わらない感じだから、きっとここの寮生なのだろう。長身で綺麗な顔立ちをしている。少し性格のきつさが目元に現れていて、それが余計に美人顔を引き立たせていた。

(・・・気にくわん)

 哲平はひっそりと思っていた。

 もともと162センチという自分では納得できない低い身長にコンプレックスを抱いている哲平は、自分よりも背の高い男が基本的には気に食わないのだ。世の中には自分よりも背の高い男のほうが多いので、哲平はこの世の大半の男が気に食わない。だがそれを理由に交友関係を限定するほど子供でもないので、とりあえず哲平は現れたこの綺麗な男に軽く頭を下げてみた。

「ああ、木ノ倉君。彼が第一寮棟の寮長をしている木坂衛君だ」

 管理人に紹介をされて哲平はもう一度、今度はしっかりと頭を下げた。

「木ノ倉哲平です。よろしくお願いします」

「ああ」

 衛は短く言う。綺麗な顔を無表情に保っているので、どこか不機嫌そうな印象を受けた。

「木坂君、後はよろしくね」

 管理人の言葉に、衛は小さく頷いた。管理人はそれに満足したのか、そそくさと管理人室に入っていってしまった。

 バタン、と閉められた管理人室のドアの音が、やけに大きく響いた。

 衛と二人取り残された哲平は、なんとも気まずい思いを抱えてしまう。そろり、と哲平は衛を見上げた。見上げなければならないことに腹が立つ。

「部屋はこっちだ」

 そう言って、衛は踵を返すと、哲平を気にすることなく歩き出してしまった。哲平は慌てて衛の後に付いて行く。

「朝食は朝の5時から8時まで。夕食は17時から21時までだ。食堂は二階にある。風呂は最上階。門限は22時。外出時は管理人の山本さんに申請書を出せ。無断外泊は処罰の対象となる」

 歩きながら、衛は言葉を連ねていく。哲平が口を挟む隙間は全くなかった。

「第二、第三寮棟へ勝手に侵入することも基本は禁止だ。その反対にもぐりこませる手引きもするな。部外者も然り。家族が来る場合は一階の応接室に通す事になる」

 早足で歩く衛に着いていくためには、哲平は小走りにならなければならない。歩幅の違いに釈然としないものを感じるが、それを言うのはプライドが許さない。哲平はひたすら黙って衛に付いて行った。

「ここがお前の部屋だ」

 階段を上り歩き続けた衛は、突然ぴたりと立ち止まった。ちらりと、振り返りながら哲平を見下ろす。衛は一枚のドアを顎で指し示した。

 ポケットから鍵を一つ取り出すと、衛は無言で哲平に差し向ける。哲平が鍵を受け取ると、衛はすぐに手を引っ込めた。

「何か質問は?」

 聞かれて、哲平は周囲に視線を走らせる。

 寮の規則等については事前に貰っていた案内に同じ事が書かれている。それについては何の疑問もない。生活をしていけばおのずと分ってくる事も多いだろう。寮内の配置についても見取り図があるので問題はない。今哲平が気になる事といえば、唯一つだった。

「あの・・・」と遠慮がちに哲平は口を開いた。

 途端に衛にじろりと睨まれて、哲平言葉を詰まらせてしまう。自分が聞いてきたくせに、と僻みっぽく思いながらも哲平は気を取り直して言った。

「俺、何かしましたか?」

「ああ?」

 衛が眉を寄せ、あからさまに威嚇してくる。顔に似合わず乱暴な言動をする男だ、と哲平は感じた。顔と性格が必ずしも比例するとは言いきれないので、これが衛の人柄というものなのだろう。

 哲平はもう一度、ちらりと視線を周囲に向けた。

 先ほどから、周囲に同じ寮生たちが現れては自分を見て、なにやら影で囁きあっているのだ。耳に届く言葉の中には、哲平に対する誹謗中傷といった意味合いのものも多く含まれている。寮に着たばかりの自分が何故ここまで敵意をむき出しにされなければならないのか、哲平には全く理解できなかった。哲平の周辺で、一定の距離を空けて集まってきている顔ぶれの中に、哲平の知っている者は一人もいないのだ。初対面のはずなのに、なぜか自分は注目を浴びている。

「何だか喧嘩を売られてるみたいで気分が悪いというか」

 哲平はぼそぼそと言う。

「基本的に俺って売られた喧嘩は買う主義なんすよ。でも来たばかりで喧嘩を買ったりしたら、問題になりますよね」

 自分は気の長い方だと哲平は思っている。それでもさすがに我慢の限界が近くなっていた。言いたいことがあるならば正面きって言ってこい、と言ってやりたい。身長が低い分なめられないようにと、昔から喧嘩の腕だけは鍛えてきたのだ。多勢に無勢であっても、簡単に負けてやることはないし、一対一の勝負であれば大体に勝てる自信もある。来るなら来い、というのが哲平の性格だった。

 気後れすることなく言い放った哲平に、衛は少しだけ驚いた表情を浮かべた。

「騒ぎを起こせば問題にはなるな。暴力沙汰は処分の対象になるだろう」

 律儀に答えた衛に、哲平はにんまりと笑った。

「先輩って、真面目っすね」

 哲平の言葉に、衛は不愉快そうに眉間に皺を寄せる。その仕草がまた、哲平には面白かった。

「だって、俺のことすげー気に食わないって感じなのに、仕事はきっちりこなしてるからさ」

「・・・確かに」と衛は重い口を開く。

「俺はお前の事が気に食わないな」

「俺、何かしました?」

「ここに来て早々で、お前は何かをやらかしたのか?」

「いえ、それが全く記憶にないんですよね」

「だろうな」

 衛は鼻で笑うと、踵を返して歩き去ってしまった。

 質問の答えは全くもらえていない。哲平は呼び止めるタイミングを逃してしまい、ただ呆然と衛の背中を見送るしかなかった。

 あとに残されたのは哲平と、自分に集中する居心地の悪い視線だけだった。

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