対面
赤は「引け」の合図。
赤い狼煙が上がるのをグウェンは遠目に確認すると、引き連れていた少数の兵士達と陣営に引き返していく。
レオナルドはグウェンのメッセージの意図を正確に受け取ったのだろうか。
狼煙の方角に向いながらグウェンは先程見た人影のことを考える。
直接の面識はないが、見知った顔だ。
レオナルド達がマルーンの戦いに参加する前の話。
諜報部隊の一人として、少しの間だがレオナルドの元を離れグウェンはルトニアの首都ヒースに潜入調査をしていたことがある。
その時に見かけた顔だった。
時には表舞台で民の前に立ち堂々とした振る舞いをしている姿、時には顔を隠してエレナや他の権力者と密談をしている姿。
彼の名は、セドリック・フィリベール・ルトニア。
ルトニア国の第二王子であり、そしてエレナに指示を出している【彼】本人だと突き止めていた。
アタナス帝国は、早い段階でセドリック王子がルトニア国王とは違う考えで動いているのを把握していたのだ。
現ルトニア国王は、一言でいうと戦い好きな人物だった。
その座についてから近隣諸国に戦いを挑み勝利してきたルトニア国王。
若い時は無敗の王と鳴らしたものだが、十年ほど前にアタナス帝国に戦いを挑んで来た頃から風向きは変わった。
いくら近隣の国に知略を持って勝ち続けて来たとしてもそれはあくまで聖女の力と運が味方をしただけだ。
圧倒的な国土と人口、軍事力を持っているアタナス帝国には屁でもなかった。
十年も戦いを長引かせてきたのは、軍事特需を充てにしていたアタナス帝国にも都合が良かったからだ。
おかげでこの戦争の間、アタナスの戦略や武器、兵士の能力は飛躍的に向上した。
ルトニアが栄華を極めたのは昔の話。
今の彼の国は敗戦が濃厚なのに闇雲に兵士を投入し、無駄に命を落とさせる愚王のいる国に成り下がっている。
ただ、アタナスにも一つだけ誤算があった。
聖女の実力が思いの外高かったのだ。
戦略も数も大したことがないのに、不死身かと思うくらいに次から次へと治療され再び戦場に送られる兵士。
アタナスとの国境にある城塞都市マルーンを落としさえすれば首都ヒースまで攻め込むのは容易なのに、その一歩がとてつもなく遠いのは聖女の尽力があったからこそだ。
ここ二年近くは特に彼女たち――いや、聖女エレナの影響をモロに受け、アタナスはまともに攻め込むことはできていない。
指揮官がマルーンから逃げ出しても――逃げ出したフリをしてセドリックの元に集結しているのだが――なんとか陥落せずに済んでいるのは、彼女の力に依るところが大きい。
だが、それももうおしまいだ。
セドリックが本格的に動くという情報を得たアタナス帝王はマルーンを攻め落とすようにレオナルドに命じたのだ。
ルトニアが降伏するのもよし、間に合わずマルーンを落とすのもよし、はたまた……。
(最後の予想が当たるとは、ね。あの帝王、どこまで読んでいるのやら)
グウェンは深いため息を付いた。
最後の予想だけは当たらないで欲しかったのだが、願いはどうやら神に届かなかったようだ。
レオナルドよりも父王であるアタナス帝の方が戦機を読む能力は一枚上だったようだ。
アタナス帝はレオナルドにマルーンを陥落せよ、と命じたときに合わせてこう言ったのだ。
「セドリック王子が動くのもよし。その場合の交渉は同じ第二王子のレオナルドに一任しよう」
不敵な笑みを浮かべながら。
悔しがるレオナルドが目に浮かぶようだ。だが、離れている自分には何もできない。
(アラン殿がついているとはいえ、荒れなければ
いいけどな……)
せいぜい戻った時には落ち着いていてくれよ、と願うのみ。
先程とは違った緊張感を感じながら、グウェンはレオナルドのところへ向かう馬を叱咤したのだ。
※
レオナルドはセドリックとは幼い頃に一度会ったことがある。
十になる前のことだ。彼よりも随分年上の第一王子と共にアタナスに訪れたセドリックは、第二王子というのもあり、周りからはそこまで丁重に扱われていた記憶はない。
だが、今目の前に立っている男と同じような油断ならない雰囲気だったのを覚えている。
確かレオナルドよりも三つばかり上なはずだ。若いはずなのに、すでに老獪な気配を漂わせている。
気を引き締めると、レオナルドは口を開いた。
「わざわざ王子御自らこのようなむさ苦しい場所にお越し頂きありがとうございます」
丁重に出迎えたレオナルドにセドリックは首を振った。
「何か失礼でも?」
「いや」
セドリックはレオナルドを見つめる。レオナルドは心の底まで見透かすようなその視線を真正面から受け止める。
セドリックは試すように口を開いた。
「もう王子ではない」
「……どういう意味でしょうか?」
レオナルドは言葉の意味を問い返す。面白そうな顔をしながらセドリックは次の言葉を口にした。
「今は王だ。つい数日前、この手で国王と兄が身罷り、正当に跡を継いだ。まだ必要な儀式は行っていないが、首都ヒースでは周知の事実だ。今頃マルーンにも知らせがいっているだろう」
レオナルドは瞬時に考える。セドリックの言葉の意味を。答えにたどり着くまではさして時間はかからなかった。
顔色を変えることなく、レオナルドは鋭い言葉を放つ。
「身罷る?屠ったの間違いでは?」
セドリックはニヤリと笑った。若い王は挑発するような口調で話す。
「それが貴殿の本当の顔のようだな」
「裏も表もありませんよ。全て私自身です」
その手には乗らない。レオナルドは笑みを浮かべたまま穏やかに答える。
上流階級の駆け引き。まだるっこしいし、しなくていいならそれに越したことはない。
だが、レオナルドは王位継承権を持った王子だ。
国に帰れば、レオナルドに取り入ろうと寄ってくる貴族や商人との腹の探り合いは日常茶飯事だ。
これくらいの返しは出来て当たり前。
セドリックが昨晩エレナとの密会の際に見張っていた――もしくはその前から監視されていたのかもしれないが――者からどんな報告を受けたのかは知らない。
想像するに、恐らく顔に出やすく単純で御しやすいタイプだとでも言っていたのだろう。
もちろんそんな一面も持ってはいる。
傭兵として潜入している時や兵を率いる立場としては、笑顔を貼り付けて耳心地のいい言葉を並べるより、率直に本音で話したほうが都合が良かっただけだ。
今は王族同士の会話だ。にこやかに話しながらこちらの有利なように進めていかねばならない。
一つ間違えれば揚げ足を取られる。
(久々だな、こんなやり取り)
レオナルドは内心でほくそ笑む。
腹の黒さを嘘っぽい笑みでコーティングして、上辺だけは友好的な態度を取る。
戦場では得られないヒリヒリする感じ。
歪んでいるが、気持ちが高揚していく。
やっぱり自分はこっち側の人間だと自覚する。
王座に着く気はサラサラないのに周りが担ごうとしてくるのに嫌気が差して王宮から離れたところで生きてきたのに。
いつ命を落としてもいいし、それもまた面白かろうと思っていたのに。
これからセドリックとの間で行われるであろう駆け引きを楽しもうとしている自分もいるのだ。
双方が天秤に乗せるのは、お互いの国というのもいい。
出方一つで国の命運が決まる。そんなギリギリ具合にゾクゾクしていた。
「さてそろそろ本題にいこうか。交渉相手は誰か」
「私が。父からこの戦いについては一任されておりますので」
「貴殿か。是非とも楽しませてくれよ」
セドリックから軽いジャブが入る。彼の態度は戦況が不利な国の王の者ではない。
自分の交渉術に自信を持っているのか、それともまだレオナルドに見せていないカードがあるのか。
どちらにせよ、今は相手の懐に飛び込むまでだ。
「楽しむなんて。若輩者ですからお手柔らかに」
ニコリと微笑むレオナルド。表面上は穏やかな笑みだったが、左右で異なる瞳はセドリックを牽制するように妖しく輝いたのだった。