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最後の策略


「私もセドリック王にお叱りを受けましたよ。「お前が生死を彷徨ったらよかったんだ」とね」

 レオナルドが訪ねて来たのはエレナが目覚めて一週間後のことだった。

 ここがルトニアの王城だからか普段エレナの前で見せるラフな服装でも軍服でもなく、準正装といった装いだ。

 口調もいつもより畏まっている。

 見慣れないが、場慣れている様子のレオナルドにエレナは改めて彼のことを王子なのだと認識する。


「助けていただいて……ありがとうございます」

 やっとベッドから立ち上がることを許されたエレナは出来るだけ丁寧に頭を下げた。


 経緯は既に聞いていた。

 毒が回って瀕死の状態のエレナの応急処置をしたあと、マルーンへ運び込んでくれたのはレオナルドだった。

 結局マルーンでも対応が難しいとのことで、不眠不休で首都まで馬を駆ってくれたのだ。

 あと一日遅かったらエレナは命を落としていたと経過を観察に来た侍医に告げられたくらいギリギリだったようだ。

 助かったのは幸運が重なった結果にすぎない。


 皮膚から摂取して効果がある毒の数が限られていたこと。

 少人数なら首都まで三日で行けるルートがあったこと。

 少量なら薬にも使われるその毒に対して、エレナに少しだけ耐性があったこと。

 すべてが重なり合って奇跡的に回復したのだ。


「……間に合ってよかった」


 エレナに向かい合う形で椅子に腰を掛けたレオナルドはゆっくりと声を出した。

「まだ痺れが残っていると聞いているが?」

「ええ。少しだけ。手足は繋がっていますから時間と共に良くなるはずです」

 エレナの言葉にレオナルドは苦笑してとぼけた。

「なんのことかな?」

 あくまでしらを切るレオナルドにエレナも笑う。少しだけ罪悪感を感じつつ。


 あの時エレナに毒を盛ったロジオはレオナルドに手足を切り落とされたとセドリックから聞いていた。

 何の毒か吐かせるため、尋問した結果と聞いているが、そこまでやる必要はなかったのではないか。

 そう呟いたエレナにセドリックは「甘いな」と叱ったのだ。

「それだから自分が危うく命を落とす羽目になるんだ。公表していないとはいえ、実は皇女だ(お前の秘密)を知る者もいるだろう。甘いのはいいが、自らの命を天秤にかけて考えるんだな」


 自らの命にそれほどの価値があるとは思ってはいない。

 だが、先日エレナはセドリックに伝えたのだ。

 自分が前王の血を引いているのであれば、皇女としての努めを果たす、と。

 覚悟と共に。


「いいのか?」

 主語がないレオナルドの問いだが、何について訊かれているのか察しはつく。

「ええ。ふつつか者ですがよろしくお願いします」

 先程よりも丁寧に頭を下げたあと、エレナは付け加える。

「レオナルド王子でしたら他によい縁談もあったのに……」

「そんなことはないさ」

 即座に否定するレオナルドにエレナは笑った。

 レオナルドは「本当のことだ」と真面目くさった顔を崩さない。

「俺の母親は身分が低いからな。側仕えの者選びも難航するくらいだ。挙句の果てにこんな年を食った者を充てがわれ……」

「悪かったな、年食ってて」

 突っ込んだのは今日も付き人として側に立っていたアランだ。

 しかめっ面をしているアランの方向をワザと見ないようにしているレオナルドは子どもがイタズラをした時のような笑みを浮かべている。


 だからつい口が滑った。

「私はレオナルド王子を利用するために結婚に合意しました」

 と。

 しまった、と思っても遅い。一度口から出た言葉は消えない。

 レオナルドは気を悪くした様子もなく、穏やかに「どうしてそう思うんだ?」と訊ねてくる。

 優しい言い方なのに、白状するまでは帰らないと意志が伝わってくる。

 そういう圧の強さはセドリックと共通している。

 何度か躊躇うように言葉を飲み込んだ末、覚悟を決めたようにエレナは口を開いた。


「……私は自分では身を守れません。ですので守って頂ける方――あなたを利用します」

「うん。いいよ」

 レオナルドは簡単に答える。それがどれだけ重い言葉なのか、命を落としかけたエレナは知っている。

「ずっと聖女として生きていきたかったのです。贖罪の証ですから。父母や弟、ボーワの皆と逝けなかったこと。そして楔で必要のない命を奪ったこと。……楔のことはお聞きですか?」

「あぁ」

 エレナは苦しそうに笑う。きっとこのことを告げるとレオナルドは引いてしまうだろう。わかっていても、エレナは全て懺悔をしなければ気がすまなかった。

 エレナは目を伏せて話を続ける。

「聖女としての力を正しい道に使えなかったこと。このことは一生背負っていかないといけないのに。私は逃げ出すのです。……あの時、自らが死ぬかと思うと、とても恐ろしかった。いくら自分が王族とは関係ないと言い張っても、生きている限り皇女である事実は付き纏い、命を狙われる可能性があるのだと思うと……」

 その先は言葉にならなかった。

 机越しにレオナルドがエレナの手を握る。そこで初めてエレナは自分の手が小刻みに震えていたことに気付いた。

 彼の手は大きくて温かくて、エレナの心ごと包んでいるようだった。

 だが、エレナは顔を上げることは出来なかった。

 レオナルドが失望のまなざしで自分のことを見ていたら立ち直れないからだ。

 募る罪悪感に押しつぶされない内にと、エレナは早口になる。


「アタナス帝国に行けば、私の聖女の力は役に立ちません。もう聖女の力は使わない、楔は打ちたくないと逃げ出すのです、務めから。そして、都合のいいタイミングでセドリック様から皇女としての立場を使えと命じられたことに便乗して、貴方に守って貰おうとする浅まし……」

 込み上げてくるもののせいで、言葉が詰まるエレナにレオナルドがかけた言葉は彼女の顔を上げさせるには十分だった。


「いいさ、利用しようとしたのはお互い様だ」


 弾かれたように顔を上げたエレナが見たレオナルドは苦笑しつつも本音をさらけ出してくれたことにホッとしているようだ。


「なぜ……そう言ってくれるのですか?」

「俺だって当初は君のことを能力と、出自が庶民だということでしか見ていなかったからだ」

 レオナルドの発言に後ろに立っていたアランは苦い顔をしている。

「おい」

 咎めるアランを無視し、レオナルドはエレナに懺悔する。

「君が庶民なら正妻に据えなくていい。聖女の力を持っていれば、アタナスのために役に立つ。調べてみればどうやら君はセドリック王と繋がりがあるようだから、利用価値がある。……そんな理由で近づいた。……と言ったら怒るだろうか?」

 エレナはレオナルドの言葉の意味を何度か頭の中で反芻する。


 理解したエレナは自分の中に浮かび上がってきた気持ちに怒りがないことに気付いた。むしろ。

「良かった」


 よくよく考えたら、エレナは少しだけ不思議な力を持っているだけの庶民だったのだ。

 レオナルドから好意を寄せられていたように感じることはあったし、淡い気持ちを抱いてもいたが本来は相容れない身分なのだ。

 本気で気持ちがある、と言われるよりも、利用価値があったから手っ取り早く恋心を利用したと言われたほうが、レオナルドの行動に納得がいく。

 それに、利用価値があると思ってくれている内は側に居れる。

 淡い気持ちを伝えるつもりは生涯ない。が、胸の奥底に大事にしまっておくくらいは許されるだろう。

 自身の罪悪感と共に鍵のかかる場所にしまっておける。

 エレナはホッとして、レオナルドに微笑みかけた。


「え?」

 虚を突かれたのはレオナルドであった。怒られることを覚悟して、そして今は違うと告げようと考えていたのだ。

 なのに、エレナは一人で納得してしまった。それどころか。

「良かったです。お互い利用する、という関係でしたら、この政略結婚に負い目を感じなくて済みます」

 と、言う始末だ。

「いや、ちょっと待ってくれ!」

 まずい方に話が進みそうになっている。レオナルドは慌てて声を掛ける。

「違うんだ!」

「違う?」

 きょとんとするのはエレナだ。策略で近づいたと明言したのは、レオナルド(本人)なのに、何が違うのか、という顔を浮かべている。


 慌てたレオナルドは、実に格好がつかないまま、気持ちを叫んだ。

「君が好きなんだ!」




 なんともカッコ悪い告白だ。


 エレナは固まっているし、アランは笑いを堪えるようにゴホンゴホンとわざとらしい咳払いを繰り返している。


「……今更気を遣わなくても」

「違うっ! 気なんか遣っていない!」

 エレナの言葉を瞬時に否定をしたレオナルドは、頭を抱える。

 きっと今何を伝えてもエレナには言い訳としか取らないだろう。


 (ミスった……)


 気持ちが昂って余計なことを言ってしまったと後悔したところで、取り返すことは出来ない。

 レオナルドを知っている人間が見たらこんなに慌てふためいている彼を見るのは初めてというくらいアワアワしていたが、エレナはその様子に疑心暗鬼になる。

 本当はこの結婚もしたくないのだろう、と勘違いしたエレナはその台詞を口にした。


「気乗りしないならお断りください。……それとも私の方からセドリック様にお伝えした方が角は立ちませんか?」

「いや! 結婚はする! というかして欲しいんだ! 頼むっ!」

 どんどんとレオナルドの目的からズレるエレナの回答にますます焦るが、どう取り戻したらいいかわからない。

 今まで女性からアプローチされたことはあっても、自分からアタックした経験はしたことがないからだ。

 修正しようと頭は高速で考えを始めるが、的確な答えが見つからない。

 冷や汗だけはダラダラと出てくる。


「エ、エレナ……」


 答えが見つからないが、何か言わないとと苦し紛れに声を出したレオナルドは、次の瞬間肝が冷える。


「茶番はいい加減にしろ」

「うわっ!」

 飛び上がらんばかりに驚いたレオナルドは後ろを振り向く。そこにはいつの間にか部屋に入ってきたセドリックが立っていた。

 エレナも声がかかるまでは気づかなかった様子で、突然の来訪者に目を丸くしている。

 アランだけは知っていたというように澄まし顔だ。


「何ゴチャゴチャ言っているんだ、お前らは?」

「「い、いえ……」」

 こういう時は気が合うのか二人の声がハモる。セドリックは呆れた様子で二人を見ると、傍らの椅子にドカッと腰掛けた。


「なんだ、お前らはこの結婚が不満なのか?」

「いえっ!」

「そんなことは……」

 力強く否定するレオナルドとは反対に、エレナの声は小さい。

 はぁ、とため息をついたセドリックは、面倒くさそうにしながらも二人の仲を取り持つ。


レオナルド(こいつ)はお前に惚れている。腐っても王子なんだ。遊びで自分から口づけするなんてリスクが高いことはしない」

 セドリックの言い方はトゲがあったが、気づいたのはレオナルドだけだ。

 エレナは気づかず、赤くなった頬を両手で押さえた。次にレオナルドに向かって話しかける。

エレナ(こいつ)は大事な異母妹()なんだ。本人に好意がないところに嫁がせるほどルトニアは切羽詰まっていない」

 その声は随分優しい。駒と言ったセリフですら、セドリックの愛情が見て取れる。

 自分の時と随分扱いが違うな、とセドリックの不器用さにレオナルドの顔に笑みが浮かぶ。


「ですが」

 食い下がったのはエレナだ。

「もう一度考え直しをしていた……」

「しない。お前も惚れているんだろう? こいつに」

「……い、いえ」

「嘘を付くな」

 ピシャリと言ったセドリックは、エレナに最大のネタバラシをした。


「そういえば、こいつの身体の謎は解けたのか?」

 唐突にズレる会話にエレナは戸惑いを覚えつつ、首を振る。レオナルドにだけ聖女の力の効果が強く出た理由は、結局のところわからなかったのだ。

「いえ、申し訳ございません」

「かまわん。どっちみち調べなくても理由はわかっていたからな」

「え?」

 聞き捨てならないセドリックの言葉に、エレナは自分が病み上がりということも忘れて勢いよく立ち上がる。

 急に立ち上がったからクラリとするが、それよりもセドリックのセリフが気になって仕方ない。

「知りたいか?」

 ニヤリと笑うセドリック。この顔をしている時のセドリックの言葉に良いものは含まれていないと今までの経験でわかっている。

 けれど、エレナは頷くしかなかった。


 面白そうな笑みを浮かべたセドリックはエレナとレオナルドを見比べた後、口を開いた。


「相手に惚れていると効きが良いんだ」

「え?」

「え?」

 レオナルドとエレナは同時に声を上げた。だが、その声に含まれていた感情は正反対だった。

 レオナルドは嬉しそうな、エレナは戸惑った表情を浮かべている。

「というわけだ。誤魔化そうとしてもお前の気持ちはバレバレだ。好きな男のところに嫁がせるんだ、せいぜい役に立て」


 これで話は終わりとばかりにセドリックは立ち上がる。

 用があったのはどうやらレオナルドだったようだ。

 呆然としているエレナを放置して、セドリックは部屋を出ていった。

「ま、また後で話そう」

 と、言い残したレオナルドを引き連れて。



「なん……」


 誰もいなくなった部屋でエレナはふにゃふにゃと腰を抜かす。

 先程セドリックが告げた言葉の意味がようやく脳に届く。


 (えっ?じゃあ私は……)


 最初の治療した時にはもうレオナルドに……。

「ウソ……だ」

 あんなに傷だらけで、瀕死の重傷で。血まみれになって息も絶え絶えだったけれど、全身で生きたいと叫んでいたレオナルドの姿に惚れたというのか。


 エレナは自分が信じられないというように、何度も首を振るのだった。

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