種明かし
日がとっぷりと暮れた深夜に近い時間。
エレナはレオナルドに充てがわれた部屋にそっと忍び込んでいた。
手にはロジオに渡された短剣を握っていた。
ここでは一番広い部屋といえども、教会にあるためか作りは簡素なものだ。
入口を入ると右手に机とテーブルが有って、西の窓と平行になるようにベッドが備え付けられている他に家具は何も無い。
あの時と同じ時刻。
エレナはゆっくりとベッドに近づいていく。
足元が南側に来るように設置されたベッドのそばに立つと、ちょうど西の窓から満月を望むことが出来た。
ひと一人分盛り上がっているベッドは、頭まですっぽりと布団に包まれているから顔を見ることはできない。
どこかでエレナを見張っているロジオからは誰が寝ているかまではわからないはずだ。
エレナは覚悟を決めて剣を鞘から抜く。
月明かりに反射して、キラッと剣が輝いた。
(この先に毒が……)
曇り一つない剣。切れ味も良さそうなそれは、何の変哲もない剣だ。
しかし、エレナは沢山の剣傷を治してきたが剣を握ったことがない。
こんな小さなもので人を殺めることができる剣が恐ろしく感じる。
緊張からか手が震える。酸欠なのか息も苦しくなってきた。
早くしないと。
わかってはいたが、エレナの腕は中々動かなかった。
時間が立つにつれ、どんどん息苦しくなってくるエレナにいつの間に後ろにいたのか、ロジオが「早くしろ」と声を掛ける。
もうあまり時間はかけられない。
「よしっ……」
エレナは気合を入れる。
そして腕を大きく振りかぶると、振り向きざま声のした方へ剣先を向けたのだった。
エレナの剣は虚しく空を切っただけだ。だが、後ろに避けたロジオの首筋にレオナルドの剣が当てられる。
「覚悟しろ、『狂犬ロジオ!』」
だが、ロジオもいくつもの死線を渡ってきた男だ。一瞬の隙をつくと脱兎のごとく逃げ出す。
「アラン!グウェン!」
「はいよっ!」
「はいっ!」
部屋の隅に隠れていた二人の従者が飛び出してロジオの後を追う。
部屋に残されたレオナルドは、エレナに声を掛けた。
「もう大丈夫だ」
その声にエレナの体が傾いだ。
「お、おいっ!」
遠くの方からレオナルドの声が聞こえるが、エレナはそれどころではなかった。
息が苦しい。体が勝手に震える。
グッと喉の奥から鉄錆のような味がせり上がってきて口いっぱいに広がる。
堪らずエレナはそれを吐き出した。
「血かっ!?」
焦るレオナルドの声でエレナは察した。
ロジオから渡された剣に塗られた毒は、剣先だけではなかったのだと。
柄のところにも――恐らく遅効性の――毒が塗られていたのだ。
「柄に……ど……くが……。触れな……いで……」
「ちょっ!エレナっ、しっかりしろっ!!」
レオナルドの心配そうな声がするがエレナの意識は遠のいていく。
エレナが覚えているのはそこまでだった。
※
次にエレナが目を開けた時にはすべて終わっていた。
「お前が一番重症だ」
呆れたようにベッドに横たわるエレナに言い放ったのはセドリックだった。
「まぁお陰でロジオの背後にいた人物をまとめて処分できたがな」
傍らの椅子に腰掛け皮肉な笑みを浮かべるセドリックだが、エレナは知っている。
彼が忙しい執務の合間に無理やり時間を作って見舞いに来たことを。
「申し訳……ありません」
まだ一人では床から頭を上げることが出来ず、掠れた声で詫びるしかできないエレナをセドリックはフンと鼻息で答える。
「ファン=マリオン卿やをデュモン公爵を始め、前王政権の時中枢にいたものは殆ど処罰の対象だ。人手は足りない分忙しくて目が回るが、余計な者がいなくなってやりやすくなった。もっともお前がレオナルド王子を刺して、それをロジオに擦り付ければもっと都合が良かったのだがな」
それがセドリックからの遠回しの礼だと気づいたのは足早に彼が退出してからだ。
セドリックらしい言い回しにエレナはホッとして、再び眠りについたのだった。
※
「と、いうわけだ」
「……」
セドリックの言葉にエレナは何から返事したらよいかわからなかった。
やっとベッドの上に上半身を起こすことができるようになったのは、最初に目覚めてから三日後のことだった。
まだ喉を通るのは水と具無しのスープくらいで長時間座っているのもキツい。
そんな状態だとわかっているセドリックが敢えて人払いをした上で、長々と話をしたのは次の策略のためだ。
「私が前王の子ども――皇女というのは……確かなのですか?」
「あぁ」
何から突っ込んだらいいかわからないエレナは、とりあえず自分の出生を確かめることにした。
前王が口を滑らして知ってはいたが、セドリックに確認したことはない。
問いただすとただの聖女として生きていけなくなるからだ。
だが、エレナは悟ったのだ。自分が知らないフリをしていても周りがそれを許してくれないのだと。
特に前王と王太子が亡くなった今、皇女であるエレナはセドリックに継ぐ第二継承権を持っているのだから。
答えたセドリックの表情から、彼がエレナに対してどのような感情を抱いているのか読み取ることはできない。
セドリックの感情が読めないのはいつものことなのでエレナは気にせず次の問いを投げかけた。
「セドリック様は、私が皇女だと知って接触を?」
「当たり前だろう? 知っている者は限られているが、聖女の力は基本的に王家の血筋にしか現れないものだ。まぁ前王と前王太子はその辺りのことは興味がなかったから、娘や妹がいるなどとは思いもしていないだろうが」
「そうですか……」
答えたエレナは胸が苦しくなる。
前王に楔を打ったことを思い出したからだ。
「あぁ、ついでに言っておくが前王の死因は病死では無いぞ」
「え? どういうことですか?」
楔を打てば細胞の変異を起こすことが出来るのだ。死因は病死になるはず。特に前王の楔はエレナが治療した肝臓の細胞に作用するように打ち込んだ。
病死以外の死因は考えられない。
「俺が殺した」
サラリとセドリックは言ってのける。すぐに理解が追いつかないエレナに重ねるようにセドリックは種明かしをした。
「楔が作用するまで待っても良かったんだが、思いの外前王はしぶとくてな。アタナス帝国が近いうちに大勢で攻め込んでくるという情報も掴んでいたし、流石にもう待てないと判断した」
ニヤリと笑うセドリック。
策略のためだと、頭では理解していた。だが八つ当たりだとわかっていたがその顔にエレナは無性に腹が立って食って掛かったのだ。
「それならあの時になぜお伝えくださらなかったのですか?」
今まで従順に従っていたエレナの反抗的な態度にセドリックは気を悪くした様子もなく、大したことがないというように話したのだ。
「敵を欺くにはまず味方からと言うだろう。幸いにもお前は時短のルートを知らない。とすれば、エレナを見張っているロジオも騙せるというわけだ。まぁ多少の時間稼ぎにしかならないが、その時間が俺には必要だった」
ずるい言い方だ。そんな風に言われてしまえば、エレナはそれ以上の反論を口にすることはできない。
セドリックが前王を屠って、マルーンに向かう一日弱の時間。その少しの時間でセドリックがどれほど王城を牛耳れたのかはエレナは知らない。
だが、エレナが思うよりもずっとその時間はセドリックにとって重要だったのだろう。
「ギリギリだったが間に合うようには計算していたさ。最悪間に合わない場合にどうするかも考えてはいたしな。……それにお前も俺が間に合うと思っていたんだろう?」
エレナはぐぅと唸る。
セドリックの言う通りだからだ。
実際問題、ヒースとマルーンの距離は馬で四日。
往復したら八日かかる。
一週間前に異変を知らせる手紙を出しても間に合わないのに、エレナはセドリックなら何とかすると確信していたのだ。
反論できないエレナに皮肉な笑みを浮かべながらセドリックは続ける。
「お前とレオナルド王子は上手く踊ってくれた。まぁ、少々計画と違うところはあったが許容範囲だ」
「……レオナルド王子も巻き込んでいたのですか?」
「語弊があるな。あいつは自分から巻き込まれに来たんだぞ」
ニヤリと笑うセドリックにエレナはクラクラと目眩がする。
思い当たる節は多分にあった。
途中から何処かセドリックと似通っていると感じるところが多々あったからだ。
いつから? どこから?
セドリックに問うたところで明確な答えは返って来ないだろう。
だから一点だけ確認した。
「私がレオナルド王子に預けられた時から手を組んでいたのですか?」
「いや」
エレナにとってはそれだけで充分だった。
「先程の話……お受けします」
セドリックが入室するや否やエレナに選択させた問い。
皇女として生きるのか、それとも聖女として生きるのかを。
そして皇女として生きるなら、と新しい計画を告げたのだ。
エレナの肚は目覚めた時には決まっていた。
巻き込まれざるを得ないのなら、最低限の自衛はしなくてはならない。
そのためには王族として生きる必要がある、と。
自分のエゴに巻き込まれるレオナルドには悪いと思うが、向こうだって聖女の力が欲しいと言っていたのだ。
アタナス帝国に渡ると一切使えなくなる能力だったから引け目はあったが、プラスアルファルトニア国の皇女であるという付加価値があるなら、少しだけだがエレナの心が慰められる。
エレナの覚悟を薄々勘づいていた様子のセドリックはあっさりと答える。
「わかった」
選ばせる、と言いながら自分の思い描いているルートに乗せるために、敢えてエレナに策略の全貌を話したセドリックは、言質は取ったぞ、と言いながら立ち上がった。
「今後もせいぜい役立ってくれ。……ルトニア国のために」




