再会は月明かりの下で
エレナがこの日僅かな休息を取れたのは、日がとっぷり暮れた頃だった。
戦況はますます厳しくなっている。それに伴い、怪我人も日に日に増える一方だ。そして、死者も。
怪我人を治療し、亡くなったものを死後の世界へ導く言葉を捧げ埋葬する。
それだけであっという間に時間が過ぎていく。
カチカチになった手のひらに治まるサイズのパンの切れ端と、お椀になみなみと注がれた井戸水。
今日最初で最後のエレナの食事だ。
もう、運ばれてくる物資も乏しい。できるだけ怪我人に栄養があるものを回していたら、こんなものしか残らない。
その怪我人が食べているのも、ほとんど具がないスープにエレナが持っているモノと大差ないくらい固くなったパンだけれど。
それでも、聖女を見つけると人々は少しでもいいモノを回そうとするのだ。
彼女が倒れると、マルーンはあっという間に敵の手に落ちることを知っているから。
だからエレナは他人に見つからないように、病院を抜け出し、少し離れたところにある建物の裏側に向かう。
もう使われていない倉庫だ。
かつてはここに溢れんばかりの物資を保管していたのだが、もうここが使われることはないだろう。
この先どうなるのか。不安は尽きないが、とりあえず腹ごしらえだ、と、建物の入口を通り過ぎ、裏へと周る。
「あっ……」
エレナは小さく声を上げた。
そこに先客がいたからだ。
「こんばんは。その節はどうも」
エレナが来るのを知っていたかのように、その男は動じることなく話しかける。
その男には、見覚えがあった。二度と会わないと思っていた人物であったが。
「もう体は大丈夫?」
「お陰様で」
「今日は眼帯はしていないのね」
「夜だからね」
少し伸びた銀髪をなびかせ、印象的な目を向けるたレオナルドはエレナのために場所を空けた。
一人になりたい気持ちも無くはないが、ここで踵を返すのも大人げない。
エレナは大人しく空いた場所に腰掛けた。
「ありがとう。……ええっと」
「レオ」
「ありがとう、レオ」
ちょうど月が雲に隠れる。
レオナルドの表情は読み取れないが、野蛮なことをするつもりはないようだ。
剣も持っていないし鎧は着ていない。最も服の中に隠していたらそれまでだけど、レオナルドはシャツに下衣というラフな格好だ。
その姿で待っていた、ということはレオナルドはエレナに何か言いたいことでもあるのだろう。
どのように切り出せばいいのか迷っている様子でエレナの顔色伺っている。
こちらから訊ねることも出来たが、まだやることが沢山ある中で無理やりとった休憩なのだ。
エレナは自分の空腹を満たすことを優先した。
パンを水に浸し、ふやけさせながら少しずつ口に運ぶ。
少しでも満足感を得られるように。
それでもそもそもの量が少ないからあっという間に食べ終わる。
「足りるのか、それだけで」
足りるはずはない。見ればわかるだろうに。
だけど、彼に食ってかかるのは得策ではない。
「仕方ありません」
エレナは微笑んでやり過ごす。
無言の圧力を感じたのか、レオナルドは口を噤んだ。
中々口を開かないレオナルドに焦れて沈黙を破ったのはエレナだった。
「なにか私に聞きたいことがあったのではないですか」
頷く彼の顔はまだ見えない。
何を切り出すのか心の中で身構えたエレナに飛んできた質問は意外なものだった。
「まずは命を救ってくれて感謝する。貴女がいなければ俺は今ここにいない」
「どういたしまして」
「その上で聞きたい。何故あのとき全てを治さなかった?」
「……と言いますと?」
「貴女ほどの力を持った聖女は、あの程度の怪我でも完治させるのは容易なはず。だが、実際には完治まで1月ほどかかった。その真意が知りたい」
エレナは笑った。そして確信する。
やっぱり彼はこの国の人間ではない、ということを。
「聖女の力は魔法の力ではありません」
エレナはレオナルドに諭すように話す。
この話は何度も大教会で子どもたち相手に話してきているから、頭で考えなくても言葉が口から出てくる。
「怪我や病に聖女の力は有効です。ですが、万能ではありません」
「というと?」
うん、レオナルドはいい生徒のようだ。エレナがほしい反応を的確によこす。
「力は貴方たちの体を作っているもの――私たちは「細胞」と呼んでいるのですがそちらに作用します。ですので細胞の限界を超えての治療をすることができません」
「ふむ……」
レオナルドは顎に手を当てて考え込む。
「なので……」
「治療回数が多いと治せない……?」
必死に考えたのだろうが、レオナルドの答えは自信が無さげだった。
エレナは微笑んで首を振った。
「そうですね。それも一つです。ですが、一番の弊害は」
わざと言葉を切って彼の様子を伺う。
特徴的な瞳がエレナを見つめてくる。エレナはその視線を受け止めながら続きを口にした。
「そこだけ老化し、最終的には壊死をするのです。一度や二度の治療でしたら気にすることはありませんが」
「壊死……」
エレナは見逃さなかった。驚いたフリをしながらも一瞬緩んだ口元を。
今が絶好の機会とばかりに、エレナは言葉をぶつける。
「ですから聖女の力を酷似しないほうがいいのです。なので、命を繋ぎ止める最低限の力で治療をいたしました。大事な御身でしょうし、年中戦に出て怪我の尽きないの御方と思われましたから。……アタナス帝国のレオナルド第二王子」
レオナルドはエレナが思った通りの反応を返す。
素で驚いたように、左右で色が違う瞳が大きく開かれる。
そのまま絶句しているレオナルドをエレナは黙って見つめ返す。
せっかくの機会だ。エレナは彼が我に返るまで他国にまで美しいと評判のレオナルドの顔をマジマジと観察することにした。
どこの国でもそうだが、王族や貴族というのはきれいな顔立ちをしているものだ。
レオナルドも例に漏れず、整った造形をしている。
顔立ちだけでいえばルトニアの国王や貴族たちと大差ないのだが、月の光のような銀髪に神秘的な左右で色が違う瞳が、彼に不思議な魅力を与えているようだ。
色気、といってもいい。
元々の色も神秘的だが、光を浴びると更に不思議な色合いを見せる。
光を反射し、色を変える髪と瞳。それだけでも人々を引きつける要素があるのに、上流階級らしからぬコロコロと変わる表情がプラスされるのだ。
病人として治療していた時は観察する余裕はなかった分、その美貌を充分に堪能する。
彼は、本当に美しかった。
タイミングよく雲間が切れ、再び月明かりに照らされたレオナルドは、銀色の髪も相まって月の神の化身かと思うくらいに美しかった。
エレナは思わず息を飲んで、見惚れる。
自分が今仕掛けている策略も、彼がすっかり敵国の王子と忘れて。
エレナにとっては長い時間に感じたが、見つめ合っていたのは僅かな時間だった。
呆気にとられていたレオナルドはすぐに平常心を取り戻し、ふうっと息を吐くと口を開いた。
「参ったな」
レオナルドの発した一言で、エレナもはっと我に返る。
「気づかれない自信あったんだけどな」
そう笑う彼は、いたずらがバレた子どものようだった。