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最後の悪あがき


 村の教会は旅人が泊まれるようにいくつか個室が用意されている。

 エレナも母の付き添いで何度か掃除に訪れていたその部屋に宿泊することになるとは。

 そっと窓枠を撫でたエレナの後ろから声がかかる。


「覚悟は決まったか」

 と。


 胸の奥から込み上げてくる何かに浸る間もなく、エレナは現実に引き戻された。

「あなたを呼んではおりませんが」

 振り向きざまにキッとロジオを睨みつけたエレナにククっと笑う。

 笑いざまにロジオはエレナに向かって一つの短剣を放り投げた。

「これをやろう」

「必要ありません」

「いや、必要になる」

 いつの間にか、ロジオは短剣を拾いエレナの前に立っていた。

 間近に見ると、狂犬の名は伊達ではない。

 近づくだけで殺されそうな雰囲気。

 膝が勝手に震える。

 先程の気丈な態度はすっかりと身を潜めていた。


「この剣先には毒が塗ってある。少々刺しどころを間違えたとしても王子を殺めるのは容易いはずだ」

 エレナの胸元に鞘ごと短剣を押し付ける。そしてロジオは耳元で囁いた。

「これで確実に殺れ。王子がのたうち回って死ぬ姿、この目で見届けてやろう」

 殺らなければお前もろともレオナルドを殺す、と言い残し、ロジオは去っていった。



 どれくらい佇んでいただろうか。

 トントンとドアをノックする音でエレナはハッと我に返る。

 気づいたら日はとっぷり暮れていた。

 薄っすらとあたりを照らす月明かりを頼りに部屋のドアを開けると、そこに立っていたのはレオナルドだった。

 手にしている盆の上にはパンとスープが二人分乗っている。

 彼はいつものようにエレナに笑い、声をかけた。

「夕食が出来たんだ。よければ一緒に食べないか?」

 そんな気分ではなかったが、わざわざ部屋に来てもらったレオナルドを追い返すなど無粋なことはさすがにできない。

「少しお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」

 断りを入れて明かりをつけようとランプを手にするエレナをレオナルドは止める。

「今日は満月だ。このままでも充分明るいさ」

 レオナルドの言う通り、部屋の中は食事するのには充分なくらいの明るさはある。


 エレナは少しだけ迷った。

 部屋の中に――身元は知れているとはいえ――異性を入れることも、数時間後には殺害しないといけない人物と食事を共にすることも。

 何度かレオナルドと接しているとはいえ、エレナは彼のことをそこまで多く知らないから。


 だからエレナはレオナルドを部屋に招き入れた。

 レオナルド、いやレオのことをもっと深く知りたいと思ったから。


 エレナの誘いにレオナルドは嬉しそうに笑うとゆっくりと部屋の中へ歩を進めたのだった。

 もちろん、未婚の女性にあらぬ疑いが掛からないように部屋の扉は開けっ放しにして。



 レオナルドとそこまで多くの話をしたわけではない。

 エレナも彼が忙しい時間を割いているのは分かっていたし、レオナルドもそこまで込み入った話をする腹づもりはなかったようだ。


「あの夜を思い出すな」

「ええ」


 食事が終わるまでレオナルドと交わした言葉はたったそれだけだった。

 逆にそれがエレナには有り難かった。


 初めて出会ったのは、ひょんなことから敵国の王子――その時はルトニア国が雇った傭兵だと運ばれてきた患者であったが――を治療した時。

 その後、傭兵(レオ)ではなく王子(レオナルド)として再びエレナの前に現れた彼は、「君が欲しい」と言ったのだ。

 聖女の能力が欲しいと言われたのに過ぎないのに、レオナルドのその一言は、エレナが何もかも捨てて頷いてしまいそうになるほど魅力的な響きを持っていたのだ。

 思い返すとあれからたった二ヶ月ほどしか経っていないとは信じられないくらい、ずいぶんと昔のように感じる。

 今目の前にあるのは、あの時エレナが口にしていたのとは似つかわしくないくらい柔らかいパンだ。

 具沢山のスープも添えられている。


 食事内容としては質素な方だが、戦時中では考えられないメニューにエレナは感謝しつつ、フワフワのパンを口に運ぶ。

 ほのかに温かさが残っているパンは、きっとレオナルドたちが視察に来ると知ってわざわざ焼いたのだろう。

 相伴に預かりつつ、エレナはいい意味でガラリと変わった日常が続けばいいと願ってやまない。

 その日々を続けるためにはどうすればいいのかも、エレナは既に知っていた。


「レオは天命を信じますか?」

 食事を終えて立ち上がるレオナルドにエレナは問いかける。

 かつて、ある人物に訊ねたのと同じ質問であった。

 レオナルドは浮かしていた腰を再度降ろし、エレナを真っ直ぐに見つめながら答えた。

「俺はそんなものは信じないな」

 その答えはある人物と同じだった。だが、その先の答えは違った。

「神は信じている。が、結果的に自分の力で手に入れたと思っていたほうが幸せじゃないか」

 エレナはレオナルドの返事に少しだけ笑った。


 セドリックは問いかけた時に「神など信じないからだ」と言ったのだ。

 それも吐き捨てるように。


 二人のあまりにも真逆な答えに、エレナは笑う。

 そして納得した。セドリックがレオナルドを意識している理由を。

 本人に言ったら「違う!」と全否定するだろうが、エレナは知っている。

 セドリックは好ましく思う人間に対してのみ、皮肉屋な一面を見せるのだということを。

 ルトニア国の今後の舵取りは難しい。新王の味方は少ないからだ。

 第二王子という、同じ立場のレオナルドならセドリックの良き相談相手になるだろう。

 同じ物事でも悪い方に捉えがちなセドリックを、レオナルドなら前向きな意見で解きほぐすことができるだろう。


 (……彼は必要です、この平和が永久に続くためには)


 肚は決まった。


 レオナルドは殺さない。殺させない。

 自らの命と引き換えにしても。


 覚悟を決めるとストンと心が軽くなったエレナの顔つきは、柔らかいものに変わった。


 顔つきが変わったエレナを目の当たりにしたレオナルドは息を呑んだ。

 あまりにも美しい顔だったからだ。

 今まで背負っていた重荷が全て彼女から抜け落ちて、本来の――何一つ着飾っていないエレナがそこにいた。


 レオナルドは思わず彼女を胸に抱き寄せようとして、すんでのところで思い留まった。

 今その行為をすることは、彼女の決意を蔑ろにすることだと悟ったからだ。

 だが、レオナルドにも思うところはある。

 直球では誰が聞いているかわからない。代わりにレオナルドは静かに呼びかけた。


「エレナ」

 エレナが真っ直ぐにレオナルドの視線を受け止める。

この言い方で伝わるかどうかわからない。けれど、レオナルドはエレナなら気付くと確信していた。

 セドリックと共に革命を起こした彼女なら。


「覚えているか、前に俺が「君が欲しい」と言ったことを」

「ええ」

「それは今も変わらない。()()()()()()()()()()()

「……?」


 エレナは戸惑った。

 このセリフは覚えがある。

 レオナルドが身分を明かした夜と同じ言葉だ。

 なぜ今更同じ言葉を繰り返すのか。

 もう協定は結ばれ、国を捨てて敵国に行く必要などないのだ。

 もっというと、今のエレナはレオナルドの監視下なのだ。アタナス帝国に連れて行きたいのであれば強制的に連れていけばいいだけなのに。

「返事は……そうだな。次の満月の夜、マルーンのあの場所で聞かせてくれ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ええ。わかりました」

 言葉を強調するレオナルドにエレナはとりあえず頷いた。

 レオナルドは、期待を込めた目でエレナを見つめ返すと今度こそ立ち上がり、空になった食器と共に部屋から出ていったのだった。



 (同じ場所……同じ月……)


 エレナはレオナルドの言葉を反芻する。

 同じ時間の意味はわかる。だが、同じ場所、同じ月は何を指しているのだろう。

 あの時、月は西の空に姿を見せていた。

 (西……。もしかしたら!)



 エレナは部屋を出て広間に向かう。そこにはこの教会の配置図があるのだ。

 レオナルドに充てがわれた部屋は南西の角。

 この教会で一番立派な部屋だ。

 (やっぱり!)

 その部屋は南と西に窓があったのだ。


 (ということは……)


 西の窓。そこから月を見るシチュエーションを再現しろと暗に示しているのか。

 そうだとしたら、エレナが今夜起こすこともバレているということになる。

 エレナはその場で考え込む。


 レオナルドは気づいているのかいないのか。


 しばらく悩んでフッと苦笑した。


 (考えるまでもありませんね)


 レオナルドが気付いていようがいまいが、エレナが取る行動は決まっているのだ。

 考えるだけ無駄だ。


 それに確信もしていた。きっとレオナルドは気付いている。

 (なんせあのセドリック様と対等に渡り合えるのですから)


 策略の糸は幾重にも絡み合っているのだ。エレナのような指示駒として動く者では解けない程複雑に絡まっている。

 セドリックの思惑、レオナルドの考え、ロジオの行動。

 誰が最後に笑うのかエレナにはわからない。


 だが、エレナは信じることにした。

 セドリックを。そしてレオナルドを。

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