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 なし崩しにセドリックの仲間に引き込まれたエレナだったが、蓋を開けてみて驚いた。

 予想以上にセドリックに賛同するものが多いのだ。

 (これほどまでに民は現王に不満を募らせていたのか……)

 エレナは自分の無知を恥じた。


 教会は、国王のために存在しているといっても過言ではない。

 そもそもが、教会で信仰している月神ルナウスは、兄であり、国王である太陽神サールニウスを献身的に支えたのだ。

 その教義は今も教えの根幹である。

 特に今の大司教がその座についてから、現国王と教会の親密さは増した。

 それまでの国王は、戦神として名を馳せてはいたが、分は弁える人間だった。

 やみくもに他国へ戦いを挑むほど好戦的ではなかったのだ。

 大司教が今の者に代わって十五年。

 ルトニア国は戦いに明け暮れた結果、小国にも関わらず近隣諸国から恐れられる存在になった。

 国内もある意味活気づいていた。

 無謀かと思われた大国アタナス帝国との戦いも勝ちはしてないが負けることも無く、均衡を保っているし、戦争特需もあり仕事は溢れかえっている。

 犠牲になる者もいるが、国からの恩賞も出るし、働き手が欲しいためどこもかしこも雇金をあげて人手の確保に奔走している。

 皮肉なことだが戦争前よりも民の生活は潤っているのだ。

 だから知らなかったのだ。民が長引く戦争に不満を燻らせていることなど。


「当たり前だ」

 エレナの問いにセドリックは簡潔に答えた。

「教会も王族側だ。特に今の大司教と現王は親密だ。下手に聖女や司教に不満を漏らしてみろ。非国民として処刑されるのが関の山だ」

 エレナの耳に民の声が入らない理由は分かった。聖女として庶民に近いところで活動していたのに気づかなかったことは悔しいが、むやみに喋って自分の首を絞める危険を犯す者もいないだろう。

 教会の中でも誰が大司教側なのか、民は知らないのだから。


 だったらなぜ、セドリックの元にはこんなにも賛同者が集まっているのか。

 第二王子のセドリックは、もっとも王に近い人物の一人だというのに。

 末端の聖女ですら民の真意は届かない状況で。

 言葉には出さなかったがエレナの気持ちは伝わった。

「気になるか」

「ええ」

「俺が第二王子だからだ」

 エレナの頭にハテナが浮かぶ。

 セドリックの答えと民衆が彼の元に集まってくる理由が繋がらない。

 察しが悪いエレナに呆れたようにため息をついたセドリックだったが、説明を省くことはなかった。


「俺には皇位継承権がない。兄がいるからな。……だが、兄が亡くなればどうだ?」

 エレナはハッとする。

「だから人は寄ってくるのだ。現王と王太子のやり方に不満を持っている者が」

「……」

「そういう者は大体国の方針と真逆のことを唱える。今なら「戦争を終わらせよう」と。たまたまその提唱と庶民の考えが合致した結果、俺のもとに民衆が集まっているというわけだ」

「……あなたという神輿を担いでいる、ということですか」

「そういうことだ」

 ようやく察したか、というようにセドリックが笑う。

 皮肉な笑みを浮かべたままのセドリックにエレナは何と声をかけるべきか迷った。

「ま、精々担いでもらうさ。その神輿の意志が自分たちの考えと一致しているかどうか確かめることもしない者たちに」

 冷徹な言い方にエレナはゾクリとする。

 時折彼はこのような物言いをするが、一向に馴れない。


 (何を考えているのかしら?)


 セドリックは博識だ。ただの聖女でしかないエレナには到底思いつかないほど程、細部にまで考えを張り巡らせている。

 彼の頭のキレは、一般人でしかないエレナでも現王や王太子とは明らかに違うと実感できるくらいなのだ。

最初は打算で近づいた者も、彼の持っている知識やルトニア国の今後の在り方への想いを聞くと、セドリックという人間の魅力に惹かれていく。

 そして、彼のために身を粉にして仕えていこうと決意するのだ。

 王太子よりも次期王に相応しいのでは、という期待と共に。


 エレナもそのうちの一人ではある。

 戦争で家も家族も失ったエレナを保護し、既に聖女の力の片鱗を見せていた彼女を育てたのは大教会だ。

恩義は多分にある。

 だけど、エレナは選んだのだ。


 自分が「裏切り者」の汚名を着ることになっても、ルトニア国民を救おう、と。

 そのために戦争を一刻でも早く終わらせることができるだろうセドリックに、ついていくことに決めたのだ。


 だから。


「エレナ。そろそろ()()を実行しよう」

 セドリックにそう言われたのは、出会ってから一年と少しが経っていた。

 エレナが十七歳、セドリックは二十二歳の誕生日を目前に控えた日だった。

 エレナは緊張した面持ちで頷く。

「王の言質は取った。聖女をマルーンに派遣することを」

「はい」

「マルーンは最前線だ。こちらからもお前を指名しておく。……あとはわかるな?」

「はい。私からも大司教を説得し、派遣を認めさせます」

 エレナもこの一年、布石を打ってきた。


 マルーンは、今は敵国の物になっている故郷ボーワ村から一番近い町だ。

 七歳になったエレナは聖女の力を保有しているか確かめるため、行商の者に連れられマルーンに訪れていたのだ。

 この国では七歳になった女児は教会での審査を受けなければならないと決められているからだ。

 だから助かったのだ。一人だけ。

 急に村中の人間を失い、泣くことすらできないエレナを支えたのは、マルーンの教会にいた司教と聖女たちであった。

 エレナにとってマルーンは自分の命を救ってくれた町であり、一番故郷に近い町であり、恩義がある町だ。

折に触れて、「マルーンに赴任して聖女の力(この力)を役立てたい」と話していたのだ。

 王からの命とエレナの日頃の言動があれば、大司教とて彼女の派遣を今までのように固辞できないだろう。

 仕込みに一年かかったが、何とか機は熟した。

そして。


「赴任前にはにお前には王城へ上がってもらう。その時に()()()()。ちょうど一年半後に死ぬようにな」

 エレナは息を呑む。ついにこの時が来たのだ。聖女の力を使って王の身体を害なす時が。

 大司教との実験は細々と続いていた。エレナの心とは裏腹に。

 心を殺して大司教の言う通りに実験をしていった結果、エレナは楔を打ってから命を落とすまで最短で半日、最長で一年半と期間をコントロールすることができるようになっていた。

 しかし、一つだけ条件がある。それは身体に触れていないと楔は打てないという点だ。遠隔では打つことができない。

 エレナは疑問をセドリックにぶつける。

「どうやって?私の能力は身体に触れないとできません」

「幸いにも王は最近体調を崩している。お前だから言うが容態はかなり悪い。庶民の間で実力派と評判の聖女だとでも言えば、(アレ)藁にも縋る思いで治療を受けるはずだ」

 あれ、っと思ったエレナはセドリックを見つめる。

 王には専属の侍医や聖女がいるはずなのにそんなに容態が悪化するまでほっとくことがあるのだろうか、と。

 尋ねようとしたエレナはセドリックの顔を見て言葉を飲み込む。

 セドリックは憎々しげ顔をしていたからだ。

 父である現王を()()と呼ぶほど、この父子には溝があるのだ。


 血が繋がっているからといって全ての家族が良好な関係でいないのは、エレナも承知している。

憐れむつもりはない。

 けれど、セドリックが父王のことを()()と呼ぶ時に、ほんの少しだけ声が揺れたのだ。

 表情とは裏腹な感情に揺れた声は、王太子である兄にしか注目しない父に不満をぶつけているかのようにエレナには聞こえたのだ。


「わかりました」


 既に親が無いエレナには、彼が現王に対してどのような思いを抱いているのか、知るよしもない。

 ただ、彼の命令どおりに頷くだけだ。


「一回限りだ」

「え?」

「俺の命で楔を打つのは。嫌なんだろう、その能力を人を殺すために使うのは」

「そう……ですが」

「なに、俺が王座につきさえすれば後はどうにでもなる。お前にイヤイヤ力を使わせて去っていかれるよりも、力がなくても俺に献身的に仕えてくれればそれでいい」

 エレナは言葉に詰まって返事ができない。セドリックの人心掌握の手段の一つだろう。

 だけど、エレナは純粋にセドリックの言葉が嬉しかったのだ。

「一年半もあれば、もっと味方を増やせる。王位を簡単に狙えるくらいには」

 セドリックの言葉は事実だろう。エレナが全員知っているわけではない。だが、拠点としている安宿(ここ)も訪れる度に見慣れない顔が増えているところを見ると、日に日に賛同者は増えているのだろう。

「一度だけ嫌な思いをさせる。だが、これきりだ。……やってくれるな?」

 セドリックにそう頼まれたら答えは一つしか無い。

 が、エレナは一つだけ条件をつけた。

「私が王と対面して……貴方よりも国王の器に相応しいと判断した際は、楔を打たないことを許していただけますか?」

 エレナの問いに、セドリックは一瞬驚いた顔を見せた。が、すぐに鷹揚に頷いた。

「いいさ。それくらい許そう。お前は出来るだけ穏便に済ませたいのだからな。……だが、エレナ、お前はきっと楔を打つ選択を取る。俺が断言しよう」

 自信満々に言い切るセドリックに、エレナは王と王太子に少しだけ恐怖を覚えた。

 彼らが今この国を動かしている事実に。



 セドリックが事前に予告していた通り、エレナはマルーンに赴任前に王と面会する機会が与えられた。

 直接王はエレナを自室に呼び寄せたのだ。

 (それほど容態が悪いのかしら……?)

 王が、聖女といえど一般庶民でしかない人間を自室に入れるなんてありえないことだ。

 それに、王には専属の聖女がついている。エレナのような孤児ではなく、由緒正しい上流貴族の娘が。

 ある程度の病は治せるはずなのに、目の前でベッドに横たわっている王は、エレナの予想通り生きているのが不思議なくらいゲッソリしていた。

 苦しいのだろう。痛みを取ることもできないくらい容態は悪いようだ。

「肝の臓が病に冒されているのに気がついたのは数ヶ月前です。そこから病状は悪くなる一方で……」

 王お抱えの侍医がエレナに説明をする。彼だけはセドリックからエレナのことを聞いているはずだ。

 セドリックの提言だけでは弱い。だから侍医からもエレナが王の治療を許可するように口添えをしてもらったらしい。


 エレナは侍医の言葉に頷いた。確かに肝臓は沈黙の臓器だ。気づいたときには手遅れなことが多い。

 けれど聖女の力を持ってすれば治療が出来るはずだ。

 不審げな目をしていたのに気づいた侍医が言葉を添える。

「臓腑の一番奥の手が届かないところに悪性のしこりが出来ていました。気付いた時には既に我々では手の施しようがありませんでした。王の身体は神聖なもの。誰もが触れられるものではございません。ここまで命を繋いでいたのも、ミラ様のおかげです。我々では一月も保たなかった」

 ミラと呼ばれた聖女が一礼をする。


 王族には優秀な侍医がついているから、彼の手に負えないというのはよっぽど場所が良くなかったのだろう。

 聖女の力は使いすぎると寿命よりも先に細胞が駄目になる諸刃の剣でもあるから、基本的な治療は侍医が行う決まりになっているのだ。

 王に仕える聖女が普段行うのは定期的なメディカルチェックくらい。

 侍医が手に負えない損傷を聖女が担う。

 王と王族を生命(いのち)を苦痛なく長生きをさせる。

 そのために聖女(私たち)は存在しているといっても過言ではないのだ。


 だが、今の王の状態はどういうことだ。

 痛みも強いし、病巣は深く巣食っている。もういつ命の灯火が消えてもおかしくない。

 大教会は――大司教はこの状況を知らないのだろうか。

 あれだけ懇意にしていたのに。


 エレナは王お抱えの聖女をジッと見つめた。

 彼女は今屈辱的な顔を隠すことなく、エレナを睨みつける。

 自分の手に負えないのに、不貞腐れた顔を顕にする姿で、エレナは忘れていたことを思い出した。


 王の側で仕える聖女には、能力よりも家柄が重要視されることがあるのだ。


 彼女――聖女・ミラは宰相の一人娘だったはず。

 能力以上に引き立てられても可笑しくない立場だ。

 だとしても。


「大司教様にはお伝えしているのですか?」

「……ええ、先日」

「王のご様子を見ると、随分前から苦しまれていたようですが」

 本来の身分としては、エレナがミラに質問することは許されていない。

 普通ならエレナはその能力から、大教会の序列の中では上の立場である。

 通常なら他の聖女が手に負えなくなった者の最後の砦として派遣されている立場もあり、生まれ持った身分を超えて意見することが許されている。

 だがエレナはうっかり失念していた。今は身を偽っているからそれも通用しないことを。


 案の定、彼女(ミラ)の貴族としてのプライドはエレナの問いかけを許さなかったようだ。

 追求にカッとなったミラは、エレナを怒鳴りつけた。

「下賤な庶民風情が! いくら能力があったとしても、あなたと(わたくし)では身分が違います! 私の方針に口答えするのは許しません!」

 ピシャリと言ってのけたミラは、気分を害したとばかりに退出する。


 室内には気まずいながらも、どこかホッとした空気が流れた。

 わざとらしく咳払いをした侍医は、エレナに問いかける。

「聖女・ユウナ。お手数ですが王の容態を確認していただけませんか」

 ユウナは亡き母の名だ。名を聞かれたときにとっさに出てきた偽名。

 母の名を呼んだ侍医は、丁重にエレナへ願い出る。

 同時に立ち会っている王太子が無言で頷いた。

 国王の危険に立ち会えるのは後を継ぐ者を含めた極々少数の人間だけだ。

 第二王子にすぎないセドリックは、こういう場に立ち会いは許されていない。

 頼れる者がいないのは少し心許ないが、本来の聖女の仕事だ。

 拒む理由は何もないし、そもそも断れる立場ではない。

 エレナは静かに王の元に歩み寄った。


「失礼いたします」

 庶民のエレナが王の御身に触れるのは、本来許されるものではない。

 だが、エレナが派遣されたということはそれ以上に王の身が危ういということ。

 エレナが王の身体に触れることを咎めるものはいなかった。


 一通り身体を調べたエレナは顔を上げて考え込む。

 真っ先に声をかけたのは王太子であった。

「治療はできないか?」


 エレナは迷った。このまま放置していてもじきに王は亡くなる。

 セドリックの思惑通りではないが、目的は果たす。

 そもそも既に虫の息なのだ。病気が判明した当初、いや、せめて一ヶ月前であればもっと安易に治療できたが、今の状態であればエレナの力を持ってしてもどこまで回復するかわからない。


 見殺しにしても咎められないだろう。

 だが、エレナは何かが引っかかった。


 ――セドリックが敢えて治療をし、一年半の期間を定めて楔を打つように命じた理由があるはず。――


 その理由は王太子と話してすぐに分かった。


「いえ……可能です。しかし……」

「しかし?」

「細胞の状態はよくありません。治療をして一時的には元気になっていても、いつまた病巣に冒されるでしょう。それが一年後か、三年後か、半年後かはわかりませんが」

 エレナの答えを王太子は鼻で笑う。

「どの聖女も同じことを言うのだな。自分の能力に対する怠慢でしかない言い訳をペラペラと」

 流石にカチンと来る。

「……言い訳とおっしゃるのであれば」

 エレナはすくと立ち上がった。

「どうぞ他の方にご依頼を。ミラ様の他にも王宮や貴族の方にお仕えしている聖女がいらっしゃるでしょう。その方にお願いしてください」

「生意気なっ!」

 エレナの態度に腹を立て、今にも剣を抜こうとした王太子の前に立ちふさがったのは侍医だ。

「ちょっ! 困ります、王太子様!!」

「どけっ!」

「退きません! ユウナが最後の希望なのです! 彼女に治せないのであれば、王の生命はここまでです!」

 エレナの素性を知っている侍医の言葉は説得力があった。

 聖女・エレナに治せないなら誰にも治せない。強い眼差しで立ちふさがった侍医に王太子は一瞬怯んだ。

 きっと王太子に反発したことなどないのだろう。侍医はブルブルと震えながらもキッパリと言いきった。

「王太子の気が済むのであれば、ユウナの代わりに私を。王をここまでの状態にしたのは私の判断が甘かったからです。ろくに治療をしたことがないミラの聖女の力に頼るのではなく、多くの人の命を救ってきた実績があるユウナに依頼すればよかったのです。責任は私にあります」

 侍医の覚悟に王太子は気圧されたようだ。

 王太子も王の生命が危ういのは承知している。怒りはそのままだが剣は納め、傍らの椅子にドカッと腰掛けた。

「救えなかったら二人とも殺す」

 ちっと舌打ちをしながら短く言い放つと彼は固く目を閉じた。


 (あぁ、なるほど)


 エレナは察したのだ。今、王が崩御すれば王太子が王になるのだ、と。

 現王よりも横暴で粗野であると評判の王太子が。

 セドリックは王と王太子を亡き者にして政権を握るだけの人脈をまだ築ききれていないのだろう。

 何故ならセドリックは庶民からの人気は高いが、貴族には第二王子だから、と蔑ろにされがちなのだ。

 もっともそうしているのは現王であるのだが。


 (時間稼ぎ……ですか)


 一年半の時間。それだけあればセドリックは貴族を掌握できると睨んでいるのだ。

 大した自信家である。だが、それくらいの人物でなければあれほど賛同者は集まらないだろう。

 エレナもそのうちの一人だ。セドリックなら何かしてくれると見込んでいるのだ。


 ならば。

 エレナの目から迷いが消えた。


 (私は、聖女(わたくし)の努めを果たすだけ)

 いくら王が危険な状態だとしても。

 セドリックからの命はあるが、聖女としての本分は目の前の生命を救うことだ。

 そして今の王の命を繋ぎ止めれる可能性は自分しかいないこともエレナは自覚していた。


「……ユウナ、王をお願いします。出来うる限りの治療をどうか」

 どっと気が抜けたのか、へたり込みながらも侍医はエレナを促す。

 覚悟を決めたエレナは頷き、再度王の元へ歩み寄った。


 先程と同じように手をかざす。だが、今度は聖女の能力を込めて。

 まずは大きな病巣を狙い、肝臓あたりに手を当てる。

 もう病魔は相当根深く巣食っている。奥の方の細胞まで力を注ぎ、一つ一つ傷んだ細胞を壊していく。

 と、同時に正常な細胞を活性化させ、修復を試みる。

 治療の際、命を落とさないように繊細にかつ大胆に力を込めて。

 初老に差し掛かろうとしている王の細胞は、病に冒されていなかったとしても年相応に衰えている。

 むやみに細胞を活性化させるのは、身体に急激な負荷がかかる。

 やりすぎると壊死してしまう。

 エレナは針の穴に糸を通すように、慎重に治療をしていった。



「おぉ……」


 王が声を上げ起き上がったのは治療開始してから一刻が経った頃だった。

 額に汗を浮かべ、力を使い青白い顔をしているエレナとは正反対に、王の頬には赤みがさしていた。

「如何ですか?」

 エレナの問いかけに王はガハハと笑う。

「身体が軽い。久しぶりだ、こんな感覚は」

「良かったです。……まだ治療の途中です。もうしばらくは横になっていてください」

 エレナは微笑み、再び王の身体に手をかざす。

病巣の大元は排除できたが、まだ細かいところが残っている。

 先程と同じように細胞に語りかけながらエレナは治療をしていく。


 この時、治療に専念していたエレナの頭からはすっかり()()()()ことは抜け落ちていたのに。


 喋る元気を取り戻した王は饒舌に話をしだした。

 よっぽど身体の具合がいいのだろう。半身を起こして肩をグルグルと回す。

 エレナは腕が当たらないように身体を引いて手だけ伸ばして治療に当たる。

 そのことに気を悪くした様子もなく、王は「こんなに身体が動くのは若い時以来だ」と、過去の武勇伝を楽しそうに語りだした。

 その中でエレナは聞き捨てならない言葉を王から聞いてしまうのだ。


「それにしても最近の兵士はなっとらん。敢えてボーワを見捨ててマルーンに戦力を集中させたのに、アタナスを蹴散らすのに何年かかっとるんだ! 儂が若ければ……」

「え?」

 思わずエレナは手を止めて王を見つめてしまう。

「なんだ、聞きたいのか、その話を」

 エレナにとってはきっと良くない話だろう。聞いてしまえば無かったことに出来ない。

 しかし、エレナは無意識に頷いてしまっていた。

「え……ええ」

 王は身体の調子が良くなったことも相まって、意気揚々と語りだす。


「なぁに単純なことだ。ちょっとしたミスで開戦宣言を行う伝令よりも先にアタナス軍を攻撃したからな。詫びとしてボーワはアタナスにくれてやったのだ。後方のマルーンさえ防御を固めれば国としては問題ないからな」

 エレナの顔が引き攣るのに王は気づいていない。軽くなった身体と比例して、舌も軽々とよく回るようだ。

「ロアンには援軍を送ったのだが間に合わなくてな。あそこを落としたのは痛かったが、ボーワみたいな小さな村など、いくらでも代わりがきく」

 きっと王はエレナがボーワ出身とは知らない。

 偽名であるし、仮に本名で対面したとしても気づかれなかっただろう。

 教会に保管してある資料にはエレナの出身地が記載されているが、一聖女の記録など王は見ないのだから。

「そういえばお主の名前は何だったかな?」

「……ユウナでございます。国王様」

「ユウナか。……ふんっ、あの忌々しい女と同じ名か」

 本能が告げている。聞いたらダメだと。だが、エレナはその言葉を口にしてしまったのだ。

「忌々しい?」

「そうだ。何とか下働きできるくらいの貧乏貴族の女だったが……、一度手籠めにしただけで孕んだと言い張る強情な女だった。まぁ、顔と身体だけはそのへんの貴族と引けを取らなかったがな」

 ガハハと笑う王にエレナの心を負の感情が支配する。


 王の言うユウナが自分の母とは限らない。だが村に同じ名前の者は一人もいなかった。

 王の話していることが事実であるなら、エレナの父親は眼の前の男になる。

 だが、突然の告白にエレナはどういう気持ちで受け止めたらいいかわからない。


 エレナの気持ちを知らない王は、得意げに話を続ける。

「ボーワにはユウナを始め、昔王城から追い出した者が集結していると聞いていたのでな。アタナスに亡命でもされて我が国の内情をペラペラと喋られても厄介だった。アタナス兵のおかげで一掃出来て良かったわ」



 身体から湧き上がってくるのは、どす黒いもの――。

 怒り、憤り、憎悪……。


 (こんなのが自分と血が繋がっているかも知れないなんて……)


 ――おぞましい――


 その感情を自覚した途端、ありとあらゆる負の感情が噴き出して来て、エレナは自分の身体を思わず抱きしめる。


「どうした?」

 王の言葉にエレナは全ての自制心を動員して、笑みを作った。

「いえ。国王様のお考えに感銘を受けたものですから……武者震いをしてしまって」

「そうだろう、そうだろう!」

 機嫌よく答えた王は、エレナの顔を見ていなかった。

 いや、見ていても普段エレナが浮かべている表情がどんなものか知らなければ違いは分からなかっただろう。


 エレナの浮かべている笑顔(それ)がいつもの聖女として人々を安心させる笑顔ではなく、ゾッと背筋が凍るような笑みだということを。


 セドリックがここまで王の行動を読んでいたのか、エレナは知るよしもない。

 だがセドリックなら――エレナが知っている彼ならば――エレナの出自など調べ尽くしているだろう。

 エレナの出身地など大教会に行って資料を見ればすぐにわかることなのだから。

 セドリックならこの王のようにボーワ村出身の者に対して自慢げに「見捨てた」発言はしない。


 王族を、貴族たち特権階級を支えているのは、庶民であるエレナたちに他ならないのに。

 特権階級(彼ら)は、庶民(エレナたち)のことを同じ人間だと見ていないのだ。


 だから簡単に村を見捨てたりできるのだ。人をコマのように扱えるのだ。



 悲しいという感情は通り越していた。

 それは失望と呼ばれるものであった。


「国王様、もう少し治療をさせてください」


 エレナは再び手をかざす。

 先程まで治療をしていた肝の臓の奥深く。

 他の聖女には決して気付かれない細胞と細胞の僅かな隙間。

 そこに楔を打ち込んだのだ。


 一年半後、王が治療の甲斐なく苦しみぬいて亡くなるように。

 明確な殺意を持って。


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