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仮定


「こんな時間に中に入っていいのか?」

「入院患者はいませんし、ユーク先生の許可は取っています」

 エレナは昨晩と同じ時間に外の椅子に座っているレオナルドを病院の診察室へ連れて来る。

 マルーンにある自宅から通っているユークは既に帰宅している。

 病院の中はエレナとレオナルドの二人きり。昨日のこともあり、何か起きてもおかしくないが、エレナのピリピリした雰囲気がレオナルドが手を出す隙を与えない。


 (警戒されているな)


 子猫が毛を逆立てるように、言外にシャーシャーと威嚇してくるエレナ。

 そんなことをしても所詮子猫(エレナ)だ。そんな様子も可愛く映るが、指摘したら烈火の如く怒るだろう。

 怒った顔もきっと好ましいだろうが、出禁になるのは困る。レオナルドは彼女の行動を微笑ましく見守ることにした。


「どうぞ、座ってください。今からメディカルチェックを行ってもよろしいでしょうか」

「俺の?」

「貴方以外の人はここに居ないと思いますが」

 少しだけツンケンしたエレナの口調にレオナルドはたまりかねて吹き出す。彼女の眉が怒ったように上がるが、そこは神に仕える身。

 常に自愛の心を持って人々に接する聖女らしく、一呼吸で感情を抑えたところは見事だった。

「昼間訪れた隊員の方にお聞きしました。また明日からセドリック王との面会でヒースに向かわれると。しばらく戻られないでしょうし、隊長である貴方も検診の対象です。それに……」

「それに?」

 エレナは今日初めてレオナルドと視線を交わした。

「以前私が治療したところ。そこが完治しているのか確認したいのです。そして()()()()()()()()()()()()()()、それが知りたいのです」

 紛れもないエレナの心からの言葉だった。


 任務度外視で、純粋に聖女の能力を与えられた者として自分の力が人体にどのように作用しているのか知りたいという探究心から出た言葉。

 だからエレナは自分の失言に気づくことはなかった。


 (なるほどな。聖女の力の作用が異なったから俺の身体を調べたいということか)

 一旦納得しかけたレオナルドは、待てよ、と思い直す。

 

 (確か……聖女の記録を辿る限り人によって作用が違った例はあったはず。だが、エレナが改めて俺の身体を調べるのは、何故だ?)


 些細な違和感だ。何かがおかしいのだ。直感でしかないが、やけに引っかかる。


 聖女の力は、エレナが以前話していた通り細胞に作用するもののようだ。

 若い健康な人間の方が、年老いた者よりも治療効果は高い。細胞が若いためだ。

 あとは本人の体質次第で治療効果が出やすい出にくいがあるようだ。

 自分でも実感はある。レオナルドには聖女の力との相性が良かったようだと。

 彼女の治療を受けた後に感じた、細胞が生まれ変わった感覚。

 ある程度動けるようになってから自ら付けた親指の剣傷。通常は一週間程はかかるはずなのに、二日も経たずに完治した。

 アタナス帝国に伝えられている僅かな文献にも、ルトニア国と協定を結んだ後読みあさった書物にも、聖女の癒しを受けた者の中で稀に治りが恐ろしく早い者がいた、と記されている。

 母数が少ないからか、どの文献にも詳しくは記されていない。

 書物によっては、おとぎ話のように書かれているものまであった。

 だが、どの文献も――あやふやなうわさ話レベルの書物でも――傷の治りが早いのは一過性のものであると締められていた。

 書物の通りレオナルドの傷も今はすっかり元通りになってしまっているが、あの身体が沸き立つ感覚は忘れることはできない類のものである。

 身を持って聖女の力の凄さを体感したからこそ、エレナがレオナルドの身体を調べたいという理由はわからないでもない。

 個人差――誤差の範囲だと素人目には思えることなのだが、キチンと分析することで今後の聖女の能力の解明に役に立つ。


 だから聖女の力の分析のために身体を調べたいというエレナの言い分は筋が通っている。

 だが、レオナルドが引っかかっているのはそこではない。


 なぜ、隠すようにコソコソと調べようとしているのか、という点だ。


 それくらいだったら直接レオナルドに言えばいい。今、彼女はレオナルドの元にいるのだから。

 もしくは、国としての正式なものであれば、セドリックを通じて依頼をすれば済むことだ。

 既に両国間では――表面上は――和平が結ばれたのだから。

 セドリックはあの場でエレナがどうなろうと知らないと言ったがそれが本意でないのは知っている。

 むしろエレナは、今後のセドリックの作戦のキーパーソンになる。

 度々ヒースを訪れているレオナルドが感じているセドリックの周りの不穏な空気。

 そして休戦後に顔を見るようになった、エレナを見張っている者の熟練の戦士のようなきな臭さ。


 なにか――それこそ歴史が変わる気配がする。


 そこまで考えたレオナルドの頭に、ある仮定がよぎる。

 まだその考えを固めるにはピースが足りないのだが。

 だが、自分の想定が正しければ、セドリックがエレナを簡単に放出し、自分のもとに追いやった理由に納得がいく。

 頭では様々な考えがよぎるが、レオナルドはそれを表にはおくびにも出さない。

 いつも通りエレナに柔和な笑みを見せ、言われるまま椅子に腰を掛けた。


 診察室の椅子に座るのは、傭兵レオとして退院したとき以来だ。

 硬い椅子の感触は覚えがあり懐かしく感じる。退院したときと違うのは、向かい合って腰掛けているのがユークではなく、エレナということだ。


 一人しかいないのか、時間があるからか、それとも別の理由なのか。

 エレナは殊更丁寧に入院していたときの記録をめくり、一つ一つの傷についてレオナルドに訊ねていく。


 違和感はないか、痛みはないか、痛むならどんな時か。

 時にレオナルドの身体に触れる。

「状態を確認するだけで細胞には作用しませんから」

 と断り、聖女の力で傷が内面から完治しているか調べ、その結果の記録を書き留めていく。


 彼女の言葉を疑っていたわけではないが、本当に状態を確認するだけだったようだ。

 治療を受けた際の細胞の沸き立つ感じは得られていない。

 レオナルドは純粋に聖女としての役割を果たしているエレナを邪魔しないように努める。

 言われるまま、体を動かし質問に答え、和やかなまま終わると思っていた。



 (……ん?)


 レオナルドが違和感を感じたのは、エレナの作業が終わりを告げる直前だった。

 何かを逡巡するようにエレナの手が止まったのだった。

 ほんの数秒の間。普段なら見逃してしまうくらいの時間だ。

 だが、無駄なくレオナルドの身体を調べていたエレナのリズムが狂った。


「あ……」


 手が当たりカシャン、とエレナの膝からメモとペンが転がり落ちる。

 慌てて拾うエレナの顔は、蒼白であった。


 レオナルドは知っている。

 その顔は、普段剣を持たない人間が、初めて人を武器()で傷つけたり殺してしまった時に見せる顔だということを。


 身体を調べているだけだ。

 レオナルドは実際に傷をつけられたわけではない。そんな顔を見せる要素はないはずだ。

 レオナルドが理由を訊ねようとした瞬間、煙に巻くようにエレナが早口で喋りだした。


「ありがとうございます。これで確認は終了です。……明日は早くヒースに立たれるのですか?」

「ん……あぁ。明朝……夜が明ける頃に立つ予定だ」

 エレナは大変、と慌てて立ち上がった。釣られて立ち上がったレオナルドは追求するタイミングを見失う。

「夜明けまでもう何時間もありません。すみません、お忙しいのにお引き止めしてしまいました。どうしましょう、こちらで仮眠を……えっと……今使用出来るベッドあったかしら?」

 問いただしたい気持ちはなくはないが、慌てふためいて右往左往しているエレナを前にしたらすっかり毒気が抜かれてしまう。

 それにエレナの前では、王子ではなく一介の傭兵(レオ)でいたいのだ。

 頭によぎった疑問については、後で調べれば済むことだ。

 レオナルドは今にも部屋を出てベッドメイキングしに行きそうなエレナを留める。

「お気遣いなく。隊舎に戻ってしなければならないことがあるし、夜更かしには慣れているから」

「でも……」

「気にしないでくれ。そもそも君からの誘いを()が断ることなんか出来ないんだから」

 ウインクしそうな口調で話すレオナルドとは反対にエレナの頬は真っ赤に染まる。

 青白かった顔に色味が戻って来る。もっともその次元を通り過ぎているような気もするが。


 その顔を見ると、ついレオナルドのいたずら心に火が付く。

 レオナルドはエレナの目線に合わせて腰をかがめた。

「気にするな、と言っても気になる?」

「え……ええ」

 レオナルドの問いかけの意図がわからないまま、エレナは頷く。

 なら、とレオナルドの右手がエレナの左耳に触れた。

「礼ならこれでいい」


 昨夜と全く同じシチュエーション。どんなに鈍い人でも、レオナルドの指しているものが何かわからない人はいないだろう。

 エレナは散々迷った末に、昨日と同じように固く目を閉じた。

 レオナルドがふっと笑う気配がした。

 そっと触れてきた彼の唇は、昨日よりも熱く感じた。




「グウェン」

 病院を出てしばらく歩いたレオナルドは、小さな声でグウェンを呼んだ。

 いつの間にかすぐ後ろに立っていたグウェンにレオナルドは用件を伝える。

「エレナの生い立ちを再度洗い出してくれ。早急に。特にS・F――いや、王族との関係がないか、親兄弟親類縁者、わかる範囲は全て遡って調べろ」

「はっ」

「あと、前ルトニア国王の死因もだ。亡くなる三年程前からの健康状態やどの聖女の治療を受けていたのかも含めて、できだけ詳細を調べ上げろ」

「……はっ。そこはアラン殿の手を借りても?」

「良い。頼むぞ。ついでにアランには後で別件の調べも頼むと伝言しておいてくれ」

「かしこまりました」

 腑に落ちない様子のグウェンだが、反論はせずに淡々と返事をし、闇に消えていった。

 レオナルドは月を見上げると、ため息をついた。


「悪い予感の方は当たるんだよな」


 いい予感は全く当たらないのに、と言外に伝えながらレオナルドは歩を進めながら考える。

 厄介者扱いし簡単にエレナを手放したセドリックの言い分を、レオナルドたちは頭から信じていたわけではない。

 むしろ、何かしら意図があるのではないかと疑っていた。

 その一方で、エレナの良心に賭けていたところもある。

 前王を裏切ったという汚名は被っているが――彼女は聖女なのだ。

 慈愛の精神は、他の者と同じように――いや、それ以上に持っているとレオナルドは考えていた。


 (まだ十八歳の娘が自ら志望して単身戦場に乗り込んでくる。生半可な気持ちでは来ていないだろう)


 戦場では多くの理不尽を目の当たりにするのだ。

 救えない命。自分ですら明日は死んでいるかもしれないという不安はもちろんだが、それ以上に戦場となる町の治安は一気に悪くなる。

 泥棒、引ったくりは当たり前。

 元々住んでいた人がどんどん町から減っていく一方で、傭兵などどこの馬の骨ともしれない人間が出入りするようになるのだ。

 以前なら機能していた、警護の者も役には立たない。その者が敵国に買収されている可能性だってある。

訓練で鍛え上げられ覚悟を持ってきている兵士ですら、適応できないものもいるくらいなのだ。


 それに女性なら夜道で男性に襲われる危険性もある。

いくら王命や教会の後ろ盾があったとしても進んで来たい場所ではない。特にエレナは若い女性なのだから。

現にエレナ以前にも以後も、彼女以外の聖女は派遣されていない。

 王命以上に、彼女がここマルーンに赴任したかった理由があるはずと、レオナルドたちは見立てていた。


 実際エレナの生まれは、今はアタナス領になったボーワであるということは調べがついている。

 だが、彼女についての調査はそこまでで一旦休止していた。

 何故ならエレナの親兄弟はアタナス帝国がボーワを攻め込んだ際に皆亡くなっているからだ。

 いや、エレナの家族だけでない。

 ボーワの民は皆死んでいるのだ。

 先にルトニア国から宣戦布告されていたアタナス帝国は、報復とばかりにボーワにいた者全てを皆殺しにしたのだから。

 たまたま行商に連れられマルーンの町の教会に訪れていたエレナだけが助かった。


 レオナルドが今知っているのはそれだけだ。

 アタナス帝国に残っている記録では、ボーワの民全員死亡としか書かれていなかったから、エレナの故郷がボーワというのも最近知りえたことだ。

 教会に仕えている者の生い立ちは、すべてヒースの大教会に保管されているのだ。

 教会に仕えたる者、全くの身辺調査を行われないということは、ありえないからだ。

 だが、それはあくまで本人からの申告があった上の調査である。

 エレナのように戦争孤児のように身内を亡くした者は、怪しいものでないか調べるのは難しい。

 エレナの場合は教会に来た時には既に聖女の力を発現していたから、特に身辺調査が甘かったようだ。

 父母の名前と出身地、生年月日くらいしか資料には記載されていなかった。


 彼女がどんな人生を歩んできたのか、レオナルドは知らない。

 エレナがボーワ村出身ということだって、つい先日知ったばかりなのだ。

 だが一つだけ確かなのは、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()



 身内を殺されているというのに、アタナス兵――レオナルドに殺意を向けない理由も聖女だからだろう。

 当時ボーワに攻め込んだ兵士と――もちろんレオナルドはいなかったが――同じアタナス帝国の人間だということで、レオナルドを恨んでもおかしくはない。

 実際そんな人間は履いて捨てるほどいるのだ。

 だが、エレナはレオナルドがアタナスの人間と知っていても分け隔てなく接する。

 他のアタナスの者に対してもそうだ。彼女は自国の民と接するように少し前まで敵国だった国の者と交流をする。

 慈愛の心を持った聖女として。


 傭兵(レオ)として瀕死の状態で初対面した時はそんな風に思わなかったのに。

 彼女の人となりを知れば知るほど、聖女として()()()()()()という意志が強いことが見て取れる。


 (だから、わからないのだがな……)


 彼女が前王を裏切ってセドリック側についたことも、レオナルドの好意を受け入れようとしていることも。

後者に関しては、レオナルド(自分)に取り入るためにそう見せているだけかもしれないが。

 レオナルドは再びため息をつく。


 (シンプルに事が運べばいいのだが……)


 セドリックが噛んでいる以上、そんな幕引きになるはずはない。

 だが、今エレナ(彼女)がセドリックから受けていると推測される任務が無くなり、一度は聖女の肩書から解放されて欲しいと願ってやまないのだ。

 この国では、レオナルドの想像以上に聖女の名が重いようだから。



 ふぅ、と三度息を吐いたレオナルドは隊舎の自室に戻ると机の上に投げっぱなしの書類に手を付けた。


 エレナに関してはそう時間はかからずにグウェンからの報告は上がってくるだろう。

 ボーワは小さい村だったようだし、生存者を見つけてエレナの家族のことを問いただせば新たな情報を得る可能性は高い。

 マルーンの住民でボーワ村に住んでいた者を探し訊ね歩いてもグウェンの諜報能力なら容易いはずだ。

 幸いにも平和が訪れ、マルーンに戻って来る人も増えている。


 エレナの報告書が上がってくる前に。


「この山積みの問題を解決しないとな」


 書類に目を通し始めたレオナルド。彼の夜はまだ終わりそうになかった。



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