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密談は月明かりの下で


「やぁ」

 エレナを待ち構えていたかのように立ち上がった影は、今一番会いたくない人物――レオナルドであった。

 奇しくも、今朝見張りの者から忠告を受けたばかりだ。

 タイミングがいいのか悪いのか分からないではないか。

 エレナはレオナルドに気づかれないようにそっとため息をついた。

 それよりも。

「こんな夜更けにどうされたのですか?」

 エレナの指摘通り、日付が変わろうとするくらいの時間だ。

 普段ならエレナも既に床についていて、こんな時間に外には出ない。

 今日はたまたま朝の出来事のせいで寝付けなかったから、少し風に当たろうと表に出てきたのだ。

 門の横にある院内に入れなかった患者のための待合椅子。いつから座っていたのかわからないが、そこで一人ポツンと座っている姿すら絵になるのだから、きれいな顔の持ち主は羨ましい。

 レオナルドはエレナを手招きする。

 迷った末、エレナは彼の隣に腰を降ろした。

 病院があるのは、町の外れ。昼間ならそれなりに人通りがあるがとっぷり日が暮れた今、出歩く者は皆無だ。

 レオナルドの隣に座っていたとしても、目撃するものは居ないだろう。

 それに、ここは病院の敷地なのだ。今病院の従業員の一人であるエレナが遠慮する道理は無い。

開き直ったエレナは、再度レオナルドに訊ねた。

 

「夜中にどうされたのですか?」

「君に会えるかな、と思って」

 このセリフを吐いてニコッと笑うレオナルドに冷たい目線を浴びせたエレナは再度ため息を付いた。

 レオナルドは、シレッと歯の浮くようなセリフを口にする。以前なら――前に月明かりの下で話した時であれば――軽く流せた言葉も、今のエレナはまともに受け取ってしまう。

 からかっているのであろう。それでもレオナルドの言葉の躱し方がわからないエレナは、彼の言葉を黙殺することにした。

 黙っているエレナをレオナルドは左右で違う瞳で見つめる。


 赤とヘーゼルのオッドアイ。太陽の強い光のもとではとりたて目立たないその瞳は、月の淡い光のもとでは輝いて見える。

 銀の髪も不思議な色合いをした瞳も、その身で月の光を吸い取っているかのように美しくレオナルドを彩る。

神話に出てくるルナウスがレオナルド()のような容姿であったなら。

 神と交わるという禁を犯し、自分が先に命が尽きるとわかっていてもルナウスに惹かれた聖女の気持ちが今のエレナには痛い程わかるのだ。


 エレナは自分がレオナルドに向ける気持ちが特別なものだと、とっくに気づいていた。

 今まで誰にも持ったことのない感情。それが愛だとか恋と呼ばれているものだと知っていた。

 誤魔化していても自分を偽ることは出来ないくらい心は動いていた。

 だけど、エレナはセドリックの手下(裏切り者)だ。

 ルトニア国のため、新たに王の座についた彼のために任務を果たさなければならない。

 自分の気持に蓋をするのは簡単だ。気取られないように隠せばいい。

 エレナは()()()()()()()()()()()()()()レオナルドに問いかけた。

「以前治療したところは、痛んだりしないですか?」

と。


「おかげさまで」

 レオナルドの返答は簡潔だ。気持ちを読み取ることは出来ない。だけどエレナは命を果たすため、次の手を繰り出した。

「なによりです。……ご提案なのですが、隊長」

「以前のようにレオ、とは呼んでくれないのかい?」

 グッと言葉に詰まる。「レオ」と呼んでいたエレナが「隊長」とレオナルドを呼ぶようになったのは、マルーンの住民に関係を冷やかされたからだ。

 呼び名を変えることが逆に、レオナルドを意識していると公言しているようなものだ。

 だが、エレナもある意味頑固であった。一度、隊長呼びをしたのだ。今更「レオ」などとは呼べない。

 咳払いを一つし、エレナは改めてレオナルドを呼びかける。

「レオナルド隊長」

 呼ばれたレオナルドは苦笑をする。このまま、「レオ」呼びをゴリ押しして彼女の反応を見るのも楽しめるが、そこまで時間があるわけではない。

 仕方なく呼び名は折れることにして、エレナの提案とやらを聞くことにした。

 仕草で話の続きを促すレオナルドに、エレナは少しだけ表情を緩める。

「駐在している隊員たちのメディカルチェックを行いませんか?」

「めでぃかるちぇっく?」

 聞き慣れない言葉だったのだろう。言いにくそうに復唱したレオナルドにエレナは内容を説明する。


 定期的に隊員の検査をし、肉体的、精神的に任務に耐えられるのかチェックする。

 マルーンに留まっているルトニア軍の隊員たちには既に行っている行為だが、医師のユークとの間でアタナス兵のも適用したらどうかという話が出ているのだ。


「つまり、健康状態の確認のようなものか?」

 柔和な笑みを引っ込めたレオナルドは、真剣な面持ちでエレナに確認をする。

「ええ。それだけではなく、精神的な面も。少なくともアタナスとルトニアはつい先程まで戦争をしていました。人を殺めたものも多くいるでしょう。その方たちは、戦争という大義名分がなくなった途端、精神的に不安定になるのが知られているのです」

「さすがルトニア国、といったところか」

 レオナルドの言葉には揶揄のニュアンスが含まれていないことにエレナは胸を撫で下ろす。

 ルトニア国は、アタナス帝国に戦いを挑む前からどこかしらの国とずっと争いを続けていた。

 小国であったルトニア国がここまで生き残って来たのは、領地に似合わぬ人口の多さと鉄製品の加工能力の高さ、そして聖女の力を後ろ盾にした周りを蹴散らす戦いっぷりに他ならない。

 常にどこかで争い、他の国がまだ知らない武器を使用し、傷ついた兵士たちは聖女に治してもらってまた戦場へと赴く。

 強いはずだ。場数を踏めば初心者でもそれなりに戦い慣れするし、即死でなければ聖女が治す。

 何度も何度も戦場に投入される兵士たちは肉体的には健康だった。

 だが、聖女の力では心までは治せない。その内心身に異常をきたすものが後を立たなかった。

 せっかく聖女の力で肉体的に治療をしたところで、戦場で役に立たなければ意味がない。

 それらを事前に防ぐため、ルトニア国では肉体的な治療のみならず、精神的なケアにも重点的に置いているのだ。


 その一つが、教会の教えである。

 全ては神の思し召し、という経典で戦いを肯定し、悩める人々の懺悔を司教が真摯に受け止める。

 聖女を所有しているだけでなく兵士たちの精神的な支えでもあるからこそ、教会が王に引けを取らないくらいの力を持つようになっていたのを止めることができなかったのだ。

 庶民にとっては節目に訪れ、経典に載っている神話の教えを聞くことくらいしか縁がないのだが、戦いの歴史を刻んできたルトニア貴族にとってはなくてはならない存在だったのだ。

 セドリックが貴族たちに目の敵にされているのも、この点が大きく関与している。

 ルトニア国軍の隊長クラスで実力があるものはほんの一握り。現状ではセドリック直轄の隊以外は――ここマルーンに駐在している兵士たちも含め――全部有力貴族たちの手の内なのだ。

 教会のあり方を変えようとしているセドリックが貴族たちからの人気がない理由の一つでもある。


 ルトニア国の持っている戦争を経験した兵士のケアのノウハウ。

 レオナルドなら詳細を知りたいと望むはずだ。

 案の定、レオナルドは興味ありげな様子を見せる。

 だが、交渉の場での彼はすこぶる慎重であった。

「魅力的な提案だが、どんな方法で行うんだ?()だけなら兎も角、部下を危険な目に合わせるわけにはいかない」

 空気が変わる。口調はさほど変わらないのに。

 いつもエレナの前では()というレオナルドが()と言った程度の違いしかないのに、一気に言葉の圧が強まる。


 一人の男から、国を背負う王子の顔に変わる。

 きっとこちらが本来の顔なのだろう。

 若くとも重圧を背負ってきた者のみが持てる凄み。


 だが、圧に気圧されるエレナではない。

 レオナルドと比べると大それたものではないかもしれないが、彼女とて背負ってきたのだ。

 ルトニア国の聖女としてのしての役割を。そして、国王になる前からセドリックからの内密な命令を。

 グッとへその下辺りに力を入れ、レオナルドに向き合う。


 表情はにこやかに、聖女としての佇まいを忘れずに。


「データを取らせてください」

「それだけか?」

「ええ。お望みであれば取ったデータの開示も可能です。治療履歴の積み重ねは明日の医術の発展に寄与しますから」

 エレナはニコリと笑みを浮かべる。

 レオナルドはあごに手を当ててしばし考え込んだ。


 ユーク医師と事前に取り決めた内容だ。

 定期的にアタナス帝国の隊員の健康状態をチェックする、という名目でレオナルドの身体を隅々まで調べること。


 ――データを開示するのはこちらに他意がない証。


 エレナの力の全てを知らないユークは、純粋にデータを次世代の治療に生かすためと思ってはいるが。


 (レオの身体を調べ尽くして……そしてセドリック様への報告書を上げて。その後は……)


 エレナは無意識に膝に置いた両手の拳を固く握っていた。

 エレナ自身が気付かないその行動を、レオナルドは見逃さない。

 僅かに目を細めると、レオナルドはエレナに頷く。


「こちらも治療の結果をいただけるのであれば拒む理由はないさ。明日隊員には話しておこう」

「ありがとうございます。幸いにも病院は今そこまで忙しくありませんから、隊員の方がいついらっしゃっても構いません」

「承知した」


 その言葉を発した後、急にレオナルドの雰囲気が緩む。いつもエレナに接している空気に戻すと、レオナルドは一つ質問をする。

「その、めでぃかるちぇっくとやらをする者は指名できるのか?」

 予想外の質問に、エレナはレオナルドの意図を測りきれない。

 何か裏が隠されているかもしれない。慎重に返事を返す。

「基本的にはユーク医師(せんせい)にお任せしますが、先生もお年ですので。私が怪我や古傷など目視で出来る確認を、ユーク先生がそれ以外のケアを行う予定です」

「残念だな。エレナが俺の全てを調べてくれると思ったのに」

「なっ……!にをおっしゃるのですか!」

 いたずらっぽく笑うレオナルドについ、声を荒げるエレナ。彼女の様子を面白そうに見ていたレオナルドは、ふと真剣な表情になる。


「エレナ」


 レオナルドの右手が伸ばされる。そっと左耳の上に添えられた大きい手。

 先程より近いレオナルドの顔。

 月明かりが整った顔立ちに影を作る。銀髪とオッドアイだけが、淡い光を浴びて輝いた。

 強い視線。吸い込まれそうな程の力強さに思わずエレナは顔を背けようとする。

 だが、左耳に添えられた手がそれを阻止する。

 強い力ではないのに、触れられたところ同士がくっついているかのように離れないのだ。


「以前、俺が言ったことを覚えているか」

「……何のことでしょう?」

 ドギマギするのを必死に抑え、エレナは問いかける。

「「君が欲しい」と、伝えたことだ」

 ビクリとエレナの身体が跳ねる。レオナルドへの答えはそれで充分だ。

 よかった、と呟くレオナルドの顔にゆっくりと笑みが広がる。


 そんな顔を間近で見てしまえば、最終的に彼を殺害する任務を全う出来ない。

 満面の笑みを浮かべるレオナルドの美しい顔を見ないようにと、エレナは固く目を瞑る。

 それが悪手だと気づいたのは、レオナルドの唇が自分のそれに重なった瞬間だった。


 驚き、目を瞠るエレナからゆっくりと顔を離したレオナルドは何ともなかったのように平然としている。

 やることは終えたというように満足気に頷いたレオナルドはさて、と立ち上がった。

 何か言おうと口を開くが言葉が出ないでいるエレナにこう告げたのだった。


「おやすみ。また明日、同じ時間に」

 と。


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