再会はマルーンで
「お待ちしておりました、レオナルド王子」
深々と頭を下げたエレナにレオナルドは顔を上げるように頼んだ。
「「王子」は止めてくれ。君の前ではただのレオでいたい」
固辞することも出来たのだが、レオナルドは表情で意地でも譲らないと語っている。
食い下がるだけ無駄だ。そう判断したエレナは大人しくレオナルドの条件を飲むことにした。
レオナルドと会うのはあの月夜の日以来だ。
「君が欲しい」と言われたことに不覚にもときめいたあの夜。
久しぶりに会うとわかってもっと胸が昂ぶるかと思ったが、平静な自分にエレナはどこか拍子抜けしていた。
彼と再会した時もあの時の感情は蘇らない。
(アレは、……勘違いだった?)
きっとそうだ。
月の光が必要以上にレオナルドを美しく魅せて、熱を当てられていただけ。
いわゆる吊り橋効果だ。
特殊な環境に置かれ熱い言葉をかけられたから、一時的に逆上せただけだ。
その証拠に、今対面していても何も起こらないのだから。
それに実際にレオナルドが求めているのは、エレナの聖女の力であって、エレナではないのだ。
そう思うと、ストンと心が軽くなる。
気持ちがなければセドリックの命に従い、レオナルドに付いていくことも、彼の身体を調べることにも、全てが終わったあと彼を亡き者にすることにも罪悪感を感じなくて済むからだ。
レオナルドの命を奪う、ということに胸の奥が少しだけ痛んだのは、他者の命を救う聖女としてあるまじき行為だからに他ならない。
レオナルドだからというのでは決してない……はず。
エレナはすでに能力を使って前王の命を奪っているのだ。
それがセドリックの命だとしても、彼に従ったのはエレナ自身。
そのことに後悔していないと言えば嘘になる。だが、国民をこれ以上犠牲にしないためには王をすげ替える必要があると思ったのだ。
多くの同志も――大小はあるが――セドリックを王座に着かせるため皆、手を汚している。
聖女にあるまじき行為だ。そんなことはわかっていた。
それでもエレナの力を持ってしてでも救えない多くの命があった。
自分のような戦争孤児は、二度と出したくない。
だからエレナは聖女であるよりも、自分の信念に基づいて行動したのだ。
そんな自分に、今さら人を殺めることを悔やむ資格など、ない。
だから、エレナは「自分について来てほしい」と願うレオナルドにニッコリと微笑んで答えたのだ。
「セドリック王から伺っております。私の力があなたのお役に立てるのでしたら着いていきましょう」
と。
※
その日のレオナルドは浮かれていた。
久々にエレナに会えるからだ。
それだけなのにこんなに気分が高揚するとは思っていなかった。
予想外の感情に酔いしれるレオナルドに、アランは「気持ち悪いぞ」と暴言を吐き、グウェンは「今度はきちんと告白してくださいね」とからかう。
主に対して相応しい言葉ではないが、長い付き合いの二人だ。レオナルドが目くじらを立てて怒ることはない。
それどころか。
「最初になんて声をかけようか」
と訊ねる始末だ。
アランは呆れ返り椅子にもたれ掛かるし、グウェンはクソ真面目に切り出し方を考え出す。
そんな二人を面白そうに見やったレオナルドは、ふと表情を引き締めて、問いかけた。
「彼女の件だが、どこまでセドリックが裏で糸を引いていると思うか?」
セドリックを隠語で呼んだレオナルドに、アランとグウェンも姿勢を正す。
「すべてが彼の手のひらの上だと考えた方が良いかと。エレナを王子に差し上げると言ったことも含めて」
グウェンの答えにアランも同意する。
「そうだよなぁ」
レオナルドはソファーに座り直す。三人がいる場所はマルーンで一番高級な宿の最上級の部屋だが、ここも戦火の名残が強く残っている。
取り急ぎ間に合わせたといった雰囲気の調度品はほとんどが高級宿に相応しいものではない。
レオナルドが座っているソファーも体を動かすだけでギシッと音を立てて軋むのだから。
そんな宿だから、誰かが聞き耳を立てている可能性がある。
それでなくてもマルーンの治安はまだまだ悪いし、レオナルドこそ好意的に見てくれているがその他のアタナス帝国に向ける住民の目は厳しい。
だからこそレオナルドは敢えて隠語で話したのだ。
二人もわかっているから固有名を出さずに会話を続ける。
ここにいる誰もが、エレナをレオナルドにプレゼントと言ったセドリックの言葉をそのまま受け取ってはいない。
いくら前王を裏切ったとはいえ、今の王はセドリックなのだ。
大教会が認めなくても彼が口添えすれば逆らうものはいないし、自分の手元に置いておくこともできる。
何より。
「彼女だけですからね。S・Fに従って謀反に協力した者の中で罰せられているのは。彼女をレオの側に来させたということ自体、何か裏があるってのことでしょう」
「だな。彼女の此度の戦争での功績を見ると、それなりの立場は得られるはずだ。それが一人だけ咎人のような扱いということは……」
アランはその先の言葉を飲み込む。言わなくてもレオナルドにもグウェンにも意図は充分伝わった。
沈黙が部屋に満ちる。前ルトニア国王を屠るまでのセドリックの計画は緻密だった。
もちろんアタナス帝国も多くの密偵をルトニアに潜入させていたし、情報は入って来ていた。
だが、断片的な情報が一つに繋がったのは、セドリックが父王を亡き者にしたと知った時だった。
振り返って考えてみたら、アタナス帝国の作戦が利用されていたこともある。
その最たる例が、マルーン陥落の計画である。
アタナス帝国、いや、レオナルドの行動を知っていたかのような休戦の申し入れ。
多くの命が救われたという意味では、作戦が実行されなくてよかったのだが、セドリックからの知らせは図ったような絶妙なタイミングだった。
間者によると少なくとも半年程前から寝たきりだった前国王なぞ、いつでも葬ることができたはずなのだ。
エレナが着任する前後から有望な指揮官や兵士は怪我や精神的な治療のためと理由をつけて、マルーンから後方の首都ヒースに――具体的にいうとセドリックの元に集まっていたのだから。
その他にも司教に反感を持っている大教会の一部の者や、戦争特需を貪り尽くした商人、そして前王に蔑ろにされていた実力派の下級貴族達。
彼らは目立たぬようにこっそりとセドリックの元に集い、知りうる限りの情報を提供したりあるいは彼の命に従い作戦を実行したり。
アタナス帝国がセドリックの動きを把握していたと同じように、彼もまた、アタナス帝国の行動を監視していたのだ。
どのタイミングで父を殺せば大衆の心を一番掴むことができるのか。
その絶好の機会を伺いながら。
レオナルドはいつもと変わらぬ顔だったが、自分でも意識しない内に拳を固く握りしめていた。
情報量としては大差なかったのに。
ほんの少しの差だ。謀反の情報を得るのがあと一日早かったなら、状況は変わっていた。
結果的に、レオナルドはセドリックにいいように利用されたのだ。
本来なら、レオナルドがセドリックを利用する予定だったのに。
思い出しただけでも悔しさが蘇る。
怒りの理由が自分の戦略が負けただけでなく、エレナを蔑ろにしているセドリックへの嫉妬も含まれていることに、レオナルドは気づいていなかった。
レオナルドと多少なりとも帝王教育は受けているのだ。王子の肩書で近寄ってくる女性をスマートにあしらう術は完璧に身に着けている。
コンラートは王太子ということもあり、早々に婚約者が決まっていたが家臣として扱われるレオナルドに許婚はいなかったため、取り入ろうとする者は後を絶たなかった。
ただでさえ見た目だけは恵まれているのだ。仮にも王子だ。王族と縁者になりたいという打算もあり、言い寄ってくる者は後を絶たなかった。
選べる立場のレオナルドだが、どの女性にも本気になったところをアランもグウェンも見たことはない。
角が立たないように断り、適度にあしらい。王子としての振る舞いを忘れることなく、誰にも靡かず。
エレナだけなのだ。レオナルドがこんな態度を取るのは。
初めて芽生えた恋心さえ策略の一つとして利用しているとレオナルドは思い込んでいるが、アランたちから見るとただの恋する男のヤキモチでしかないのだということを。
自分では気付いていないレオナルドの心境を敏感に察している二人は、目配せをする。
沈黙を破ったのは、年長者のアランだった。
「ま、セドリックが何を考えているのかわからんが、せっかく惚れた女が出来たんだ。真剣に惚れさせれてこちらに取り込めばいいだろう?」
アランの言葉にレオナルドは軽く驚いた。
エレナは高確率でセドリックから密命を帯びているだろう。
そんな彼女を口説くリスクが高いのは、アランだって承知しているはずだ。
「彼女を引き込むのは……危険だ」
「そんな些細なことなど」
アランはレオナルドを笑い飛ばす。
「惚れさせて忘れさせればいいんだよ」
「そうですよ」
「だが彼女は庶民だ」
どうせ結婚まで結びつかないとこの場で及び腰になるレオナルドに、アランは叱りつけるように言葉を放った。
「そんなんどうでもなるさ」
「自分でも仰っているじゃないですか、俺は庶民の出だ、って。それで押し通しましょう」
グウェンまでアランに加勢するセリフを吐く。それでも煮え切らない様子のレオナルドに、とうとうグウェンは爆弾を投下した。
「うだうだ言って……らしくありませんね?自信がないからですか?S・Fよりもいい男だという……」
「あるに決まっているだろうっ!」
アランのセリフに重ねて煽るように付け加えられたグウェンがすべて言い終わる前に、レオナルドは食い気味に口を開く。
作戦ではない。
素の感情をストレートに出したレオナルドは、顔を赤く染める。
「くそっ……。お前たちにはお見通しってやつか」
照れ隠しにわざと粗野な言葉を使ったレオナルドに、アランとグウェンは爆笑したのだった。