神話になぞらえて
「お前なぁ、女が絡んだからといってカッカするなよ」
吐き出された言葉は、もう何度目か。
呆れたようにため息をつくアランに、レオナルドもさすがに少々辟易していた。
「悪かったって」
面倒だという態度を若干滲ませながらレオナルドは口だけで詫びる。
「まぁ、今回は結果的に良い方に転んだけどさ、本当に気をつけろよ」
「わかっている」
アランの言葉通り、会談でのレオナルドの聖女への入れ込む様は何故かルトニア国民に好意的に――熱狂的にといっても可笑しくないくらいの情熱で――受け止められたのだ。
ルトニアの神話の再来だ、と。
大司教のホレス曰く、ルトニアの神話では月神のルナウスが一人の聖女と手を取り合って太陽神であるサールニウスを影に日向に支えたと言い伝えられているそうだ。
その物語にはもちろんルナウスと聖女の愛も含まれている。
ルナウスの化身と見紛うばかりの外見のレオナルドに、歴史に名を残すであろう力の持ち主のエレナ、国民を戦争という名の混沌から救った英雄セドリック。
三者をルナウス、聖女、サールニウスに照らし合わせて国民は熱狂しているのだ。
「グウェンからの報告では、民衆はレオと聖女エレナ、そしてセドリック王の話題でもちきりだそうだ」
首都ヒースに先に訪れて様子を探っているグウェン。
レオナルド自身は会談や懇親が立て込んでいて直接民の様子を見ることができないから、グウェンの報告が唯一の情報源だ。
連日の話し合いで疲れはそれなりに溜まっている。
アランしか部屋にいないのをいいことに、首元を緩めソファーに深く体を沈み込ませながらレオナルドは訊ねた。
「いい意味で?それとも悪い意味で?」
「どちらも、だな。一番はお前たち三人の恋愛関係らしいが」
「……あぁ」
そんな気はしていた。
会談や懇親で会う貴族たちは、レオナルドを「ルナウスの化身」と見ると同時に、聖女エレナを巡ってセドリック王と対峙するのを面白おかしく聞いてくるのだ。
オブラートに包んで、時に婉曲な表現で。
それにどこの国でも民衆よりも上流階級の者たちのほうが噂好きなのだ。
尾ひれどころか背びれ胸びれまでついた話は、既にレオナルドの耳にも入っている。
どの噂も大筋はエレナを巡る三角関係の話だ。
元々のルトニアの神話は、王に仕えていた聖女が月神のお告げを受け、サールニウスを王にするという話なのだ。
そしてサールニウスを王の座に就かせた後、ルナウスと聖女は神と人間という壁を超えて、大恋愛の末結ばれる架空の物語が、まさしく今の三人に合致するのだ。
エレナは大教会=王に仕えている身でありながら前王を裏切り破滅に追いやり、王太子ではなくセドリックに味方をした。
そんなエレナに惚れて(本当は惚れたふりだが)、重要な会談の最中に感情をむき出しにする異国の第二王子のレオナルド。
そして恋愛よりも国のためと、前王を裏切った科で教会を追放されても健気に新王に尽くそうとするエレナ。
まだ国が不安定なのに忠誠心溢れるエレナを敢えて厳しく突き放し、レオナルドの元へ向かわせようとするセドリック。
ルトニア国民なら誰もが三人に神話のような美しいロマンスを期待しているのだ。
ロマンス好きなのは国民性なのか。誰もが三人の恋路を期待し、次の展開はいつなのかと待ち構えている。
この噂のおかげで、――特に貴族たちに――前評判がよくなかったセドリックの王としての株は急上昇しているのだ。
「どこまでセドリック王の計算なんだろうな」
「さてね」
レオナルドの呟きにアランは素っ気なく答える。
「ま、お前のその態度も計算の内なんだろ。同じ穴のムジナだ」
レオナルドは苦笑する。グウェンには早々にバレていたが、とうとうアランも気付いてしまったか。
「エレナに惚れているのは事実だ」
嘘が下手なアランに知られるわけにはいかない。
しらばっくれると同時に自分に言い聞かせるように呟いたレオナルドは、マルーンで見たエレナの姿を思い出す。
戦場になったマルーンの状況はよくなかった。
城塞のおかけで護りは堅牢だったが、中は悲惨だった。
いつ襲ってくるか分からないアタナス軍に、ピリピリしている兵士。
運ばれてくる物資もアタナス軍に狙われているため、終戦直前は入ってくる物資も少なかったのだ。
ニ年近く前――エレナが赴任する直前だが――アタナス軍の攻撃が激しくなった頃、一つの噂が流れたのだ。
――城塞都市は一旦閉じ込められたら逃げるすべはない――
そんな噂が流れ――流したのはレオナルドたちなのだが――早々に男女関係なく住民も、指揮官も多くはマルーンを脱出した。
マルーンで生まれ育ってテコでも動かないという住民も居たが殆どは見切りをつけ、ヒースや近隣の町に避難していたのだ。
日々食べるのも困るくらいの少ない物資、毎日多くの兵士が血を流していた中、彼女は逃げることなく治療をし続けたのだ。
指揮官も逃げ出すような環境でも聖女としての本分を忘れず、兵士たちを癒やし続け彼らの心の拠り所となっていたのだ。
彼女の精神的なタフさに、聖女としての能力の高さ、そして何より。
「この顔に靡かないんだぞ。惚れる以外の選択肢があるか?」
アランは汚物でも見るような目をレオナルドに向ける。
「何が「惚れている」だ。「利用する」の間違いだろ?それに国民感情をコントロールするためだろうが……わざとルトニアの神話を模倣しやがって。
可笑しいと思っていたんだ、お前が敵国で感情を剥き出しにするなんて。腐っても王子のお前が」
ケッと吐き捨てるようにいうアランは、やっぱり育ちがいい貴族様なのだ。
どんな手を使っても目的を遂行する庶民上がりのグウェンとは違う。
最初は能力しか見ていなかったが、エレナの人と柄を好ましく思っているのは紛うことなき事実だ。
精神力、能力、そして信念のためなら王も裏切ることが出来る心の強さに、裏でセドリックと繋がっているという事実。
類まれない力を持っているなら、自分が大教会の司教の座について権力を振るうことも出来るのに、敢えて裏切り者の汚名を着て茨の道を進もうとするのだ。
興味がそそられないわけない。
それにレオナルドがいくら王から王子ではなく家臣として扱われているとはいえ、自分も王族の端くれなのだ。
好き勝手結婚相手を選べる訳では無い。
相手はいないが、レオナルドも兄と同じく政略結婚になることは決められている。
手っ取り早いのは、自分とルトニア国の誰かを結婚させることだ。友好国の証として。
父王もコンラートも、セドリックもレオナルドにルトニアの誰かを娶らせることを考えているだろう。
ルトニアには今王女はいない。だとすれば、有力貴族の娘の誰かだ。
いくら惚れた腫れたといえども結婚するのは容易ではない。
グウェンに調べさせた限り、エレナは庶民であることがわかっている。
愛人には出来たとしても結局正妻に据えることができない。
きっと潔癖な思考の持ち主のエレナは、レオナルドのことをけんもほろろに振るだろう。
そう思って、あの晩忍び込んだのだのに。
レオナルドは自分の目元に手をやった。
美しいと評されるこの顔を、レオナルドは好きではない。
自分の実力以上に評価されているのは、この顔のせいだとわかっているからだ。
特に左右で色が違う瞳は大嫌いなのだ。
髪は染めれば隠せる。だが瞳は隠せない。
初対面の人間は誰もが驚き、目を逸らす。
見てはいけないものを見たかのように、あるいは見続けることで魅了されるのを恐れるかのように。
幼い頃のように過敏に反応するわけではないが、毎度毎度の反応に嫌気がさすのだ。
だが、エレナは違った。
あの月明かりに照らされた自分の目を、まっすぐに見つめ返したのだ。
そこに嫌悪も驚きもない。
ただ、他の者を見るのと同様にレオナルドを見ていただけ。
それだけなのに、自分を王子と知った後でも変わらない目線。
月の明かりを全て飲み込むような彼女の黒い瞳にノックアウトされたというのは、くさいセリフだが事実であるから仕方ない。
作戦で言うはずだった「君が欲しい」の言葉は、レオナルドの本心が混じっていなかったか?
何度も自問自答して出た答えは、「エレナを本気で気になっている」ということである。
こういう想いは自分よりも外から見ている方が良くわかるようだ。
だから即座に気付いたグウェンがからかってきたのだ。
どうせ惚れたなら徹底的にこの気持ちを利用してみようと考えたのは、王子としての性だろう。
自分にとっては疎ましく思うことが多い外見だが、幸いにもルトニア国の者はレオナルド=ルナウスの化身と捉えている。
ならば利用しない手はない。わざとルトニアの神話をなぞるように物事を動かしてきたのだ。
そのためには少々脚色したり、感情を露わにしたりもしたが、おかげで群衆はレオナルドの思惑通りエレナとのロマンスを期待するようになった。
エレナとセドリックに向けられている裏切り者の汚名も、恋愛の噂にかき消され下火になっている。
今のところ――多少のブレはあるが――レオナルドの作戦通りに物事は進んでいる。
憎たらしいことにそれはどうやらセドリックとも一致しているようだが。
内心でほくそ笑むレオナルドとは反対に、アランは呆れたようにため息をついた。
「女を利用するのなら、予め言っておけ」
「よく言うだろ?「敵を欺くのはまず味方から」って」
顔をしかめるアランの表情が全てを物語っていた。
気のいいアランは小さい頃からレオナルドの側にいたのに理解しきれていないのだ。
レオナルドは生まれた時から王子だということを。
いくら第二王子で、王位にはつかないとはいえ、感情をコントロールする術など、それこそ息を吸うより簡単にできる。
それが出来なければとっくに父に見放されている。
友好を結ぼうとしている国の王に剣を抜いたり、他の貴族たちも出席している会談の場で声を荒げたりする演技など朝飯前だ。
ひっきりなしにため息をつくアランはいつ気づくだろう。
もっと前――それこそ危険を冒して作戦前日にマルーンに潜入したのだって、打算があってのことだということを。
面白そうに自分を眺めている様子に、アランは何かを勘付いたかのように顔を上げる。
楽しそうな顔を向けているレオナルドとは反対に、アランの顔は青ざめていく。
「まさか、わざと怪我したのか……?」
「御名答」
愕然とした表情を浮かべるアランを横目に、レオナルドはいたずらっ子のような笑みで答えた。
その顔で全て察したアランは、深い溜息をつきながら頭を押さえた。
そもそもは戦場で瀕死の状態のレオナルドをエレナが治療したことから始まっている。
まさかそれすらも、レオナルドの作戦だったとは。
口に出せない言葉を飲み込むアランに、レオナルドは言い訳がましい言葉を口にした。
「予想外なこともあったけどな。瀕死の重症を負うとは思わなかったし。……エレナだってこの顔で口説けばコロッと落ちると思ったんだけどな」
そんなことどうでもいい、この大馬鹿者が!王子なんだぞ、仮にもお前は!命を失っていたらどうするつもりだったんだ!と、怒鳴り散らしたい気持ちを押し込めて、アランは一言絞り出す。
「……腹黒さでいえばいい勝負だな」
誰と比べて、とはアランは言わない。わかりきっていることだからだ。
レオナルドはニッコリと、それこそルナウスの化身と呼ばれるのに相応しい笑みを浮かべて答えた。
「光栄だな」
と。