裏の会話
「ヒヤヒヤされるなよ、全く」
ルトニア国の王城の一角にある部屋。
国賓が泊まる豪華な仕様の部屋の真ん中にあるソファーに、主より先にドカッと腰掛けたアランは思いっきり伸びをした。
「あんな堅苦しい場なのに、雰囲気ぶち壊しは勘弁してくれ」
「君も貴族じゃないか。それも古い家柄の。お得意だろう、そういう場」
レオナルドの指摘にアランは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「だから家業をほっぽり出してお前のお目付け役を買って出てるんだろ? 俺のところは古いだけが取り柄の貧乏貴族なんだ。策略とは無縁の家さ。王族と親類縁者じゃなければとっくに潰れてる」
レオナルドは彼に分からないように笑う。
口悪く言うアランだが、本当はそうじゃないことを知っている。
王と親戚だからといって誰もが王子の側に居れるわけではない。
まずは家柄。
兄のコンラートは嫡男かつ、王妃である母親も名門貴族の出だ。
慣例的に王子の側に仕える者――友人であり、諌めることが出来る者――は、母方が選ぶ。とは言っても、親類縁者がつくことが多いのだが。
王が選ぶとなると、立場上無用な争いが起こりかねないからだ。
王妃の父――コンラートの祖父――は宰相でもあり、側近候補に困らなかったが、レオナルドの場合は違う。
母親はアランの家と同じく、昔からあるだけの貴族と名乗るのがやっとの貧乏貴族で、更に元々の立場は使用人だ。
だから王のお手付きとなった後も、第二王子を生んだあとも第二妃の称号は授かることはなかった。
母は今でも妾妃であるし、王子を生んだ後でも「フォン=ローレンヌ婦人」と呼ばれる。
ちなみに王族にはファミリーネームがないが、レオナルドにはフォン=ローレンヌの肩書がある。
母が「妃」と名乗れないのと同じで、王族ではなく、一貴族にしか過ぎないのである。
そこまで肩書としては徹底的にコンラートと差をつけた父なのに、不思議なことに教育に関してはレオナルドにも別け隔てなく接したのだ。
母とレオナルドを王城の一角に住まわせ、家庭教師をつけ礼儀・マナーから歴史や経営、果ては帝王教育まで施したのだ。
困ったのはフォン=ローレンヌ家だった。
一貴族であればいいのだが、王城で教育を受けるとなるとお付きの者を用意しなければならない。
だが、そこは貧乏貴族の悲しき性。頼るツテなどほとんど無い。
生まれたのも第二王子とくれば、母方の数少ない知り合いを頼っても中々相応しい者は現れなかったと聞く。
レオナルド自身も今でこそ武勲を上げ名を知られるようになったが、それまではただのスペアでしかない。
強力な後ろ盾もありその頃には既に教育が開始されていたコンラートは、教師が目を見張るほど飲み込みが良かった。
レオナルドが唯一兄より勝っていたのは、見た目だけ。兄とて整った顔立ちをしているのだが、如何せん目を引くのだ、銀髪と左右で違う瞳の色は。
有力な貴族の後ろ盾もなく、見た目しか勝つことしかできないレオナルドの側仕えを選ぶのは、それは難儀したそうだ。
誰でもいいわけではない。武術はもちろん、教養、社交性、忍耐力、時に王子の盾として体を張って護り、時には王子を諌める事が出来る人物。
何より当の本人から信頼を寄せられなければならない。
側近の者が仕えている王子を弑逆した例は過去に沢山あるからだ。
側近はできるだけ近親で年の近い者が仕えるのが通例なのに、遠縁の、それも一回り上のアランがレオナルドが選ばれたのは、引き受けるものがあまりにも居なかったからである。
初対面したときには、若干三歳のレオナルドに対し、アランは十五歳。初陣も済ませた、立派な青年であった。
そんなアランは側近というより教師に近い立場で、レオナルドをビシバシと教育したのだった。
だから、アランは今でも遠慮なくレオナルドをどやすし、対外的な場面を除き王子の前だからといって畏まらない。
幼子から青年になるに連れ、自分が負う役目の重さも周りの視線も変わってきている中で、昔から変わらない気安さを保ち続けてくれるアランに、レオナルドは一生頭が上がらないだろう。
実際、アランはレオナルドによく仕えてくれていると思う。
思い入れが強すぎて、レオナルドの方がコンラートより次期王に相応しいと思っているところが玉にキズだが、それ以外は申し分ない人物だ。
レオナルドが年の近いグウェンを重宝するのにも――言いたいことはあるだろうが――黙認してくれている。
レオナルドにとってアランは兄で教師で、政治の話もできる唯一無二の存在なのだ。
「さて、どうするんですか? レオナルド王子」
目線を右へ、そして左上を見て合図を送ったあと、試すような口調でアランが口を開いた。
目の奥には咎めるような視線が混ざっている。
「いくらセドリック王に促されたといえ、王子が行ったのは内政干渉です。これでアタナス帝国をよく思わないルトニア貴族も出てくるだろう。新たな火種になりかねないですよ」
「その点は大丈夫だ」
合図の意味を正しく理解したレオナルドも口調を改め、王子として答える。
「セドリック王は今日の会食にいたものをふるいにかけた。自分に従うのか、刃向かうのか、それとも傍観者でいるのか。刃向かうとどうなるかは、ファン=マリオン卿が身を持って示してくれた。一先ずは皆大人しくしているだろう」
そのために自分を利用した、とはセドリックの立場もあるだろうから黙っておく。
「だが無理矢理抑圧すると、人間何するか分からないですよ」
「なに、セドリック王のことだ。その辺の采配は既に頭の中で出来ているさ。元来ファン=マリオン卿は先王に贔屓にされていた割に貴族たちの評判は良くないみたいだしね」
「確かに」
アランは先程の場を思い出して吹き出した。
貴族は政略結婚が当たり前。他の貴族と血縁関係ばかりだからか、多かれ少なかれ結束が強い。
彼の家柄を考えると何人かは新王ではなくファン=マリオン側に付いても可笑しくはない。
だが、あの場で警備兵に連れ出されるファン=マリオンに味方するものは皆無だった。
それどころか自分に火の粉が降りかからないように、大多数の貴族が彼の視線から逃れるように目を伏せたり明後日の方向を向いていたのだ。
目をそらさずにいたのは……。
「切れ者だな」
「セドリック王ですか?」
「彼もそうだが。私が言っているのは、新しい大教会のホレス司教と、ドゥシー伯爵だ。マリオン卿が退出する時に目を逸らさず見届けたのは、セドリック王と我々、そしてこの二人だけだ」
「そうでしたか」
末席のアランの位置からは全て見通せたわけではないようだ。何かを思い出すような素振りを見せたあと、アランは再び口を開いた。
「ホレス司教もドゥシー伯爵も前王の時は役職には付いていませんでしたね。……調べさせます」
「頼む。気をつけろよ」
この話は聞かれているんだからな、と意味合いを込めてレオナルドは語気を強める。
先程アランが送った合図の意味だ。今この部屋の外で二人の会話に聞き耳を立てているものがいる。
つい先日まで敵国だったのだ。すぐに心を許せるなどお互い考えてはいない。
数多の情報を集めて、相手を出し抜くために策略を巡らせる。
直接武器で攻撃をすることがなくなった分、これから求められるのはそういう戦い方だ。
情報を得るために公にはできない方法を取らざるを得ないこともある。
表向きは友好国同士になった分、後ろ暗い方法で背後から狙われる可能性だってある。
それでなくてもここはルトニア国なのだ。
レオナルドの気をつけろには、力が籠もっている。
アランは心得ていると、力強く頷いた。
「では」
一礼するとアランが部屋から退出する。と、同時に僅かに空気が動いた。
(去ったか……)
今二人の会話を盗み聞きしていたものは、部屋から出ていったようだ。
セドリック王に報告に行くのか、それともアランについていくのか。
まだアランもレオナルドに付き添い王城に滞在する予定だ。
王城にいる以上、みすみすとは命を落とすことはないだろうし、簡単にやられるアランでもない。
今レオナルドが考えることといえば。
(明日、セドリック王はどう出るか)
明日から数日に渡り、結んだ協定の詳細を詰めていくのだ。
そこである程度セドリック王の国に対する考えが読み解けるはずだ。
レオナルドがやることといえば、新王の出方を先読みし、幾通りも考えを巡らせて置くこと。
「さて、と」
レオナルドはベルを鳴らして使用人を呼び出す。そこまで待つことなく部屋を訪れた使用人に、レオナルドはにこやかな笑みを見せた。
「この国の貴族名鑑はあるかな。あれば読みたいのだが。ついでに前王の時に任についていた方は、それも分かると大変有難い」
「かしこまりました。ご用意致します」
初老に差し掛かろうとしている使用人のセバスチャンは、レオナルドの頼みに口を出すことなく丁寧に頭を下げて退出する。
そう間もなく再び部屋を訪れたセバスチャンは、何冊かの名鑑と何か書き付けた紙を持っていた。
「ご用意いたしました」
予め用意していたかのようなスピードに、レオナルドは苦笑する。
(読まれているな)
既に情報合戦は始まっているようだ。パッと目を通すと、レオナルドが欲しいと思っているものは、過不足なく準備されている。
頷くレオナルドに、セバスチャンは卒なくテーブルの上に持ってきた書物と――メモ用だろう――新しい紙の束と羽根ペンのセットをセッティングしていく。
言わずとも周到に用意されているものに、セバスチャンの能力が高いことが伺い知れる。
「貴方は前王の頃からセドリック王子に仕えていたのですか?」
「左様でございます」
無駄なものなどない言葉に、レオナルドはそれ以上何も聞き出せないと判断して礼を述べる。
「ありがとう。セドリック王にも礼を伝えておいてくれ」
「……かしこまりました」
セバスチャンは顔を上げ、目尻を下げると見本となるような丁寧にお辞儀をして部屋から退出していった。
一人になった部屋で手ずから茶を淹れると、レオナルドは書物に手を付けた。
どうにもセドリックとは今思い描いている作戦の道程は同じようだ。
今のところアタナス帝国に不利なことはないが、この策略の終着点が同じとは限らない。
国が違うし、それぞれ立場も背負っているものも違う。
出し抜いているつもりが出し抜かれていた、だなんて話にならないのだ。
「よしっ」
レオナルドは気合いをいれ、明日からの会談に向けて知識を詰め込み始めたのだった。
「知らずに踊るのと、知ったうえで踊ってやるのは違うからな」
グチのように吐き出したレオナルドだったが、口元は楽しそうな笑みが浮かんでいた。