一枚上手
その刹那セドリックと視線が交差した。
(あーあ、イヤになる……)
この一瞬でセドリックが自分に何の役割を求めているか悟ってしまったのだ。
瞬時に計算をし、レオナルドはそれに乗っかることにした。
「……おいっ」
演技だというのに自分でも予想していないくらい低い声が出た。
静かに怒っているといあ態度のレオナルドにセドリックは煽るようにニヤリと笑う。
「アイツは教会を裏切った。トップをすげ替えるといってもよく思わない人間も多いだろう」
あくまでこの路線で行くつもりらしい。ならば徹底的にやるまでだ。
レオナルドは厳しい声で誰何した。
「裏切らせたのは誰だ?」
「別に強制したわけではない。他の道もある、と示しただけだ。孤児で身よりもいないかし、持っている能力申し分ない。まぁ、使いやすい手駒だった」
――バンッ!!
「ちょっ、レオっ!」
キレたのは素だった。自己犠牲をしていつ死ぬかわからぬ戦いの最前線で一人の女性に命を張らせていたことに怒りが頂点に達したレオナルドが、机を叩き立ち上がる。
流石にまずいとアレンが宥める一方で、セドリックは不敵な笑みを崩さない。
むしろ、視線で腰につけているものを抜け、と訴えるかのように煽る。
「エレナは良くも悪くも人気が高い。だが、俺が作る国にはアレの存在は目障りだ。欲しいのならやるぞ」
受けて立つのはやぶさかではない。
レオナルドが剣を抜くのとアランの声が飛んできたのは、ほぼ同時だった。
「落ち着けって、レオ!」
咄嗟に出ているアランの呼び名が裏目に出た。
レオナルドからレオにスイッチが切り替わる。
考えるより先に体が動く。
レオナルドはセドリックの喉仏を見据えて剣を振るった。
――キンッ!
高い金属音がして、剣が止められる。
そしてそのまま反動をつけ押し返される。
「アタナスの王子といえども王に手出しをするなら容赦しない」
「レオっ!納めろ!!」
セドリックの護衛とアランの怒鳴り声が響き渡る。
その声でレオナルドは剣を納め、セドリックに無礼を詫びた。
「セドリック王、申し訳ございませんでした」
二人の間では通じていたが、外から見れば国交問題になりかねない事柄だ。
丁寧に謝りながらレオナルドは観察をする。
(とりあえず、守っては貰えるのだな)
護衛がセドリックを守ったのは、忠誠心だったのか、それとも自分の任務だからなのかはレオナルドは計りかねる。
だが、セドリックが彼を今後どうするのか見定めるには充分だったようだ。
(俺が本気で刺すとは思っていないくせにな)
レオナルドの手つきを冷静に観察していれば寸止めすると予見できたはず。だからセドリックはレオナルドの行動に腰も上げず、また自ら下げている剣に手もかけていない。
気付かないといけないアランは、レオナルドの奇行に頭を持っていかれてたようだった。
後で説教だな、と下げ続ける頭で考える。
セドリックはというと自分も煽った手前、レオナルドの謝罪をあっさりと受け流した。
「良い。若い証拠だ」
レオナルドはグッと拳を握る。
セドリックの思惑に乗っかったのは自分だが、どことなくカチンとくる言い方にフツフツと怒りが込み上げてきた。
(頭を下げていてよかった……)
今すぐに顔を上げるとイラッとした感情が僅かに見えてしまいそうだ。冷静になるべく深く息を吸う。
頭を下げ続けるレオナルドに、セドリックはというと話は終わったとばかりに立ち上がった。
「条約の件はできるだけ早めに返答を求める。……国をまとめないといけないのでこれで失礼させてもらおう」
一旦言葉を切ると、エレナは、と口を開いた。
「エレナは貴殿がいらないなら他の者に渡そう。もっとも今となっては使い道があるかはわからぬ【聖女】だがな」
その一言で、自分と同じくエレナのことを駒以上に見ていないことを改めて突きつけてくる。
同じように扱っているのに、他人がすると腹が立ってくる現象は何というのだろう。
自分でもわからないまま、どんどん怒りだけが蓄積していく。
「いるか?いらぬか?」
セドリックの問い方すらイラつきが募る。
顔を上げたレオナルドの口から出た言葉は、冷静さを欠いていたと言われても仕方ないくらい強かった。
「エレナが――いえ、【聖女様】が望むのであれば、ぜひ私について来てくださいと言付けを。アタナス帝国第二王子レオナルドが責任を持って御身をお預かりします、と」
垣間見えたレオナルドの心の揺れにセドリックは少しだけ目を細め、ニタリと笑う。
「わかった。エレナの返答は条約締結前までに貴殿に伝えよう」
セドリックはそれだけ言い残すと、優雅な足取りで部屋を退出していった。
※
「エレナ」
レオナルドとの面会が終わったセドリックが向かったのはエレナの元だった。
気を失っていたエレナは一刻前に目を覚まし、既に病院の業務に戻っていた。
「セドリック王、おめでとうございます」
エレナは立ち上がり新しい国王に頭を下げた。
寝ている間に起きていた出来事は周りの人間から聞かされている。
尊大に頷いたセドリックは人払いをする。
診察室にいたユークをはじめ、セドリックの護衛も席を外すのを確認すると、セドリックは空いている背もたれ付きの椅子にドカッと腰掛けた。
「王は身罷られたとお聞きしました」
「そうだ。長らく不調だったがようやく、な」
不敵に笑うセドリックとは反対にエレナの顔が曇る。
「医者によると、前王の内蔵は最後はほとんど機能していなかったらしい。兄に至っては突然、血を吐いて意識を失い、そのまま取り戻すことはなかった」
泣き出しそうに唇を噛みしめるエレナの様子を見てセドリックは内心でほくそ笑んだ。
(うまい具合に勘違いしているな)
前王も王太子も殺めたのはセドリックだ。だが、エレナが裏切らないように手も汚させたと勘違いさせたのだ。
聖女の力の悪用。
彼女の力は、聖女としては異端だ。力の強さもそうだが、それ以上に細胞に直接作用できる。
過去の記録を遡ってもそんな聖女はいない。
このことは、王族の中でも直系である前王と兄、セドリックと教会のトップしか知らない。エレナ本人すら、その能力は力の強さの違いはあれど他の聖女と同じであると思っているのだ。
その強さに恐れをなした前王は、エレナを遠い地――マルーン――に追いやろうとしていた。
だが、前王は一つだけやらかしていたのだ。遠ざけるほどエレナに怯えていたのに、彼女の顔を知らなかったのだ。兄も然り。
エレナの顔を知っていたのは、セドリックだけ。だから彼女に赴任命令が出た時に、他の聖女の名を語って前王と兄の治療をさせたのだ。
エレナが赴任する前にうまいこと怪我をしてくれたのは僥倖だった。――それもセドリックが仕込んだのだが。
エレナの力で細胞を壊し、ゆっくり時間をかけて臓物からズタズタにする。元々高齢だった父王は、半年もたたずに寝たきりになったし、兄も一年足らずで戦場に出る体力はなくなっていた。
誤算だったのは、父も兄も意外と図太かったことだ。
計算では一年で亡くなるはずだったのに、生命力だけは有り余っていた二人は実権を渡すことなく弱った体を起こし、ベッドの上から命を下していったのだ。
それでもセドリックが裏で手を回しうまいことやっていたのだが、とうとう父王から最悪というべき命が出たのだ。
それは、マルーン爆破。
マルーンにアタナスの大軍が攻め込んでくる情報は――だいぶ操作していたが――父王も得ていた。
アタナス兵が攻め込むと同時に、マルーンの住民共々爆破せよ。
マルーンが落ちればルトニアの首都が落ちるまであっという間なのに。判断力が弱っている耄碌した王の命にセドリックは自らの手でトドメを刺した。
ちょうどエレナから手紙が届いたタイミングと、前王と王太子に手をかけたのは同日だった。
それもセドリックにとっては良い方に転ぶ。
きっと、エレナは勘違いしてくれるからだ。
案の定、王が亡くなった日を聞いたエレナは勘違いをしていた。
「身罷られたのは十三日だそうですね」
「あぁ、そうだ」
エレナが手紙をセドリックに出したのは十日だ。だからエレナは思っていた。
セドリックの手元に届くのは十四日であると。
何故なら首都ヒースとここマルーンは馬四日日の距離だからだ。
半年前までは。
セドリックは内密に使われていなかった道を一部整備するように命じ、小規模の人数ならマルーンとヒースの間は馬で三日で行き来できるルートを作っていたのだ。
もっともそのことを知るものは一部しかいない。元々商人が主に使っていた道だが、戦中真っ只中のマルーンに好き好んで商売しに行く民はいないし、大量に兵士を導入する際には使えない。
実際に手紙が届いたのは十三日の朝であるのに、エレナは気づかないままであろう。
本来なら十八日に着くはずだったセドリックが十七日の今日、ここにいるのかをエレナが疑問視していないのが不思議ではあるが。
恐らく、セドリックだから何とかしているくらいにしか思っているのだろう。
それもまた、セドリックにとっては好都合だった。
セドリックの思惑通り、勘違いをしているエレナは悲壮感を漂わせている。
聖女は命を救う存在だ。大方その自分が命を奪ったことを悔いているのだろう。
人を殺めたことなどないのだから。
思っていたとおりに話が進んでいる。だが、いつまでも目の前で悲痛そうな顔を見せられるのはたまったものではない。
そろそろ切り替えろ、と告げ、セドリックは本題を切り出した。
「面白い人間に好かれているみたいだな」
先程のやり取りを思い出し不敵に笑うセドリック。誰のことを指しているのかエレナは瞬時にわかった。
ふぅ、と一息吐いて気持ちを切り替えたエレナは真剣な面持ちで口を開いた。
「レオナルド王子、ですね」
エレナについた護衛――監視という方が正しいか――からすでに昨晩の報告は受けているはずだ。
どこまで正確に報告しているのかは知らない。
だが、次の一言で聖女が欲しいと口説かれたことは申し送りされていることを知る。
「随分と熱烈に口説かれたようだな」
「違います!」
間髪入れずに否定したエレナに、セドリックとしては珍しく声を上げて笑う。
別段隠すことじゃないのに、知られていることに何故かエレナは激しく動揺する。
(まるで……レオに誘われたことを二人だけの秘密にしておきたかったみたいじゃない……!)
それは、国――いや、セドリックに対しての裏切りだ。
エレナは誓ったのだ。
一度自分は国を教会を裏切っている。だから、今度は二度と裏切らない、と。
セドリックはそれに値する人物なのだから。
エレナは内心の動揺を悟られないように、昨日ユークと立てた仮説についてセドリックに報告をする。
笑みを引っ込め表情を動かすことなくエレナの話を聞いたセドリックは、「都合がよいな」と口にした。
エレナが訊ねる前にセドリックは命を下す。
「条約締結後はレオナルド王子についていくように。お前が国内にいれば不要な争いの火種になる」
セドリックの命にエレナは「仰せのままに」と答える。
さらにセドリックは続ける。
「ついでにアイツの体とお前の能力の作用を調査するように。そして、分析が終わったら……」
セドリックは人差し指でエレナを自分の近くに呼び寄せる。
素直に従い側に控えたエレナにだけ聞こえるように、セドリックは耳元で囁いた。
「殺せ」
と。
再びエレナの顔が苦痛に歪んだ。
その顔を見たセドリックは、彼女の心に芽生えたものが報告通りだと改めて確信したのだった。