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猫の探偵社  作者: 久住岳
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第5巻 男鹿に建つ呪いの館

   猫 の 探 偵 社

   

     第 5 巻 男鹿に建つ呪いの館

     

     

 趣味の山登りの最中、探偵社の所長、黒猫のノアールと副所長の尚子から、探偵の依頼があったと連絡がきた。依頼主は秋田市男鹿半島...なまはげ伝説の地、男鹿半島で呪いと闘う義の猫ハルが一行を待っている。


  第五話 沢渡家の秘密 ・ 鎮魂の館 義の猫ハル


 春から夏にかけて...とても忙しかった。毎日数件の依頼が舞い込み、一日三件の捜索をする日々が続いた。お陰様で《猫の探偵社・黒猫のノアール》の売上は上々だ。電話相談も含めて月の売上は二百五十万を超えている。ノアール嬢も大活躍だった。特に電話相談では相談先の猫と話し、的確なアドバイスをして一躍、相談猫達のアイドルに上り詰めていた。

 ノアールも尚子に意思を伝える方法を見つけたようだ。鳴き方を変えて『イエス、ノー』や『行け、止まれ』等の必要な意思表示を伝えていた。ノアール、尚子のペアの探偵としての能力は、他の探偵社の能力を遥かに上回るだろう。猫の捜索以外の案件も時折、舞い込んだが、一匹と一人のペアがあっという間に解決していた。

 九月になってから遅めの夏休みを取る事になった。唯一の趣味の登山、夏山に行けないのはつらい。尚子を何とか説得して一週間休暇とした。久しぶりの山だ。山域はお気に入りの《鷲羽岳》。祖父母の旅館に前泊し、朝四時にテントを担いで出発。新穂高からワサビ平小屋を抜け、鏡平小屋から急登を登り暫く歩くと、双六小屋の背後に雄大な鷲羽岳が姿を現す。今日のテント場は三俣山荘だ。二時過ぎに到着し受付を済まし、まずは珈琲をたのむ。注文してから落としてくれる、この山荘の珈琲は絶品だ。登山口から十時間以上、重荷を背負ってくるだけの価値はある至高の一杯だ。

 次の日は朝四時にテントを出て、鷲羽岳山頂を目指す。テントを張りっぱなしで必要な物だけを担ぐ。ザックが軽い、身体も軽い、心はもっと軽い。山頂では槍に昇る御来光、穂高連峰から黒部五郎、薬師、遠く劒まで見渡せる、北アルプスの最深部。いろいろな物が身体から離れていく感じがした。

 尚子も同行すると騒いでいたが、ノアール嬢のお世話もある。登山の経験が少ない尚子を連れてくるのは、もう少し先になるだろう。まあ、熊並みの体力の尚子なら...問題は無いかもしれないが...。

 三俣山荘のキャンプ場に二泊して、鷲羽、水晶岳に登り、三日目に新穂高温泉に下山した。次に来る時はそのまま雲ノ平を抜けて、折立までいってもいいかな~と思った。下山後は祖父母の旅館に向かった。登山中、スマホは機内モードにしておく。電波が入らない場所が多く、消費電力を少しでも少なくするためだ。電波の届くところで機内モードを解除して、下界からのメールや伝言を見るようにしている。

 三日目、下山中、双六小屋で機内モードを解除すると、尚子からメールが入っていた。【緊急依頼発生・待望の以来だよ】という短いメールだった。なんとなく予想がつき...もう下界に降りるのはやめようかと一瞬思った。しかしノアールの黒い毛が『早く戻って来い』と言っている。山に行く時にノアールが毛を持って行けという。彼女は自分の毛に意思を送る事が出来るようだ。便利な毛だが、私には不便な厄介な毛だ。尚子とノアール。似たような性格の美女二人が、私に早く帰って来いと急かしている。祖父母の旅館に着き、尚子に電話を入れた。


 尚子『遅いよ、もう。いつ戻ってくるんですか。』


 尚樹『明日、朝一で此処を出ても、そっちに着くのは午後二時過ぎになるよ。』


 尚子『ノアール所長と相談して依頼は受けましたから。ついでに料金も交渉しちゃったよ。遠方からの御依頼だったから、交通費とか宿泊代とかもかかるでしょう。』


 尚樹『遠方?』


 尚子『うん、東北ですよ。秋田県です。秋田に行くのは初めてかも、なまはげに会えるかも。とにかく、一刻も早くお帰り下さい。依頼メールは転送しておきました。』


 秋田県か、山形との県境に鳥海山があるな。電話を切り預けてあったモバイルを開き、メールを開き依頼内容を確認した。

 

『猫の探偵社・黒猫のノアール様。猫の探偵社のお噂をお聞きして、メールをさせて戴きました。沢渡真央さわたりまおと申します。ご依頼していいものか凄く迷いましたが、あまり時間もありません。ご相談は父と飼い猫のハルの事です。ハルは母が六年前に譲り受けた、外国産のオス猫です。父にとても懐いていて、いつも一緒にいる感じでした。四年前から父が原因不明の病にかかり、意識も混沌とした状態になりました。ハルはずっと父のベッドの上にいて、ハルの身体も衰弱してきています。実は祖父も曽祖父も五十歳を過ぎた頃から、精神に変調をきたし最後は苦しんで亡くなりました。父は精神的には何もなかったのですが、やはり四十歳を前に体調を崩し始めました。何が原因なのか、調べて戴けませんでしょう?そして、父とハルを助けてください。お願いします。』


 尚樹『これは...猫の探偵の仕事じゃないよ。』


 次の日、松本までバスで向かい特急に乗って自宅に戻った。荷物を片づけた後、尚子とノアールの待つ探偵事務所に向かった。事務所に入るや否や、ノアールが『秋田に行くよ。ハルが危ない』と頭の中に話しかけてきた。ノアール所長がこの依頼にゴーサインを出したのは、ハルの身を案じての事だったようだ。猫の安否が掛かった以上、断る事はできない。


 尚樹『尚ちゃん、先方とは打ち合わせ済み?』


 尚子『もうバッチリです。尚樹さんが今日、帰ってくるってわかったから、明日の朝一の新幹線で向かう約束です。秋田駅には十時半着、迎えに来るそうです。男鹿半島の山の中だって聞いてますよ。』


 尚樹『一日か二日で、何とかなればいいけど。』


 尚子『原因究明と助ける事ですからね。』


 尚樹『助けられるかはわからないよ。原因はなんとか突き止めないとね。』


 翌日、始発の新幹線に乗り秋田に向かった。ノアール所長はゲージの中で寝ている。ノアールも生後八か月になった。人の年齢だと中学生くらいだ。しかし彼女は老成している。思考や行動はすでに立派な成人女性だ。電車の中でゆっくり休んで、体力、知力を温存しているようにみえた。尚子は...騒いでいる。まるで修学旅行の女子生徒だ。

 十時半、秋田駅に着いた。西口のローターリーに黒いセダンの高級車が停まっている。後部座席から少女が降りてきて、こちらに向かって手を振っていた。まだ十代、高校生くらいの女性...彼女が依頼者、沢渡真央だった。十七歳の高校生だ。


 尚子『真央さんですね。黒猫のノアールの副所長の本条です。こちらが同じく副所長の野上、ゲージにいるのが所長のノアールです。』

 

 真央『皆さん、遠い所までお呼びして申し訳ありません。どうぞ、お乗りください。』


 高級車だった。運転手付きで後部座席は対面シート。車名は...わからない、こんな高級車に乗った事は無い。車の中で真央から聞いた話では、真央が幼い頃には、祖父は亡くなっていたそうだ。祖父の話は家の中では禁句になっていて、真央に教えてくれるものはいなかったらしい。父、圭一が病に倒れ意識が混沌とし出した頃に、昔から仕える執事から聞いたそうだ。

 祖父と曽祖父は、徐々に精神に異常をきたしたようだ。最後は隔離された部屋で、狂って亡くなったらしい。身体や精神に異常をきたすのは後を継ぐ当主だけ、それ以外の親族には見当たらない。真央は一人娘でいずれ跡を継ぐ事になるそうだ。

 秋田駅から一時間程走り、男鹿半島の寒風山レストハウスを過ぎた。左に曲がり山の中を走ると、大きな洋館が見えてきた。中世ヨーロッパの貴族の館を、彷彿させるような建物だった。


 尚樹『凄い建物ですね。』

 

 真央『四代前の祖父の祖父が、千八百九十年に建てたそうです。その前は古い木造のお屋敷だったそうです。写真も残っています。』


 建て替える前の写真を真央が見せてくれた。立派な感じの屋敷の写真だった。祖父の時代から仕える執事を真央がリビングに呼んだ。この家の事を任されている、戸部という七十代後半の男性だった。

 

 真央『戸部さん、探偵のノアールさんと本条さんと野上さんです。この家の事を話して戴けますか。』


 戸部『お嬢様。沢渡家の事を部外者に話す事は禁じられています。禁をお破りになる事は、どうかお止めください。』

 

 真央『お父様は自分の代で終わりにすると仰っていました。何の事かは聞かせてくれませんでしたが...。戸部さんは何か知っているのでしょう?』

 

 戸部『私が知っているのは沢渡家の歴史と、御当主様から言いつかった事だけです。』

 

 真央『戸部さん、お願い。話して。』

 

 戸部『...そこまでおっしゃるのなら...次期当主の御命令ですし、知っている事はお話ししましょう。暫くお待ちください。』

 

 戸部はリビングを出て、当主の書斎から《沢渡家・書記》と《男鹿史実記》の、二冊を持って戻ってきた。

 

 戸部『沢渡家の発祥から、お話ししましょう。』


 戸部が話し出した。沢渡家は富山県の名家だったそうだ。五百年前に三男が本家を離れ男鹿半島に移り住み、この地の沢渡家を起こしている。真央の父で二十代目になるそうだ。戦国時代が終焉を迎え江戸時代の幕開け、まだ混沌とした時代。初代、孫三郎は十八の時、男鹿半島に渡った。名家とは言え三男坊、富山にいても先の見込みがなかった孫三郎は、新天地に活路を求めたそうだ。

 孫三郎に付き従った従者は十数名、脇本城下に移り住み、当時の城主、佐竹家に出入りする博徒のような生活を送ったという。城下で富と力を蓄えていたものの、それほどの財力もなく人々からの信頼も勝ち得ていなかった。田畑を耕し、城下から離れた山間の村で、庄屋を任されるようになったのは四代目の時だった。庄屋になった沢渡家は商才にも長け、港や街の商人との繋がりも築き財を成していく。

 三百数十年前、八代目の重蔵の時に転機が訪れる。城下に夜な夜な妖魔が現れると噂が立った。妖魔は家々を襲いあらゆるものを破壊し、町民や侍達は怯え恐れていた。時の脇本城主は妖魔の討伐の触れを出し、討伐した者には恩賞と地位を約束した。重蔵は村で有志を募り、二つの家の者と八人の隊を作り、妖魔が住むという山奥の地を目指した。

 重蔵たちが妖魔の住処の着くと、そこには赤や青の鬼達が大きな体を揺らして、酒盛りの最中だったそうだ。城下を襲い手にした酒や食料が、辺りに散らばっていた。重蔵たちは鬼が寝静まるのを待った。夜半、鬼達は住処の奥にある、岩屋に入っていった。寝息が聞こえ出した頃、岩屋の中に重蔵たちが切り込んでいき、鬼を全て退治し証拠になる赤い髪や金銀の髪を切り、城下に持ち帰ったという話だ。

 脇本城主はたいそう喜び、重蔵に鬼の住む地を領地として与え、周辺の村々の統治も任せ家臣として取り立てた。重蔵に付き従った二つの家も、重蔵の家臣として取り立てられた。その鬼の地がこの洋館のある場所だそうだ。商才に長け城下の商人達との繋がりもあり、沢渡家はその後、大きな財力を貯め込んでいく事になった。二つの家の家臣もこの地に住み、沢渡家の為に働いたそうだ。

 異変が起きたのはそれから三年が経ってからだ。最初の異変は鬼退治に加わった家臣の当主が、気が触れて自害して果てた事だった。その後、残りの家臣の家も当主が病に倒れ、重蔵の代で家臣はいなくなった。家臣の家族は『土地を離れよ』と言い残した当主の教えを守り、この地をあとにしたそうだ。

 その頃から城下では噂が立ち始めていた。『妖魔の祟りだ。沢渡家は呪われている』、城下の噂は沢渡家や統治する村々にも伝わった。重蔵は祈祷を繰り返し、妖魔の呪いを封じようと試みたが、効果はなく重蔵も三年後に亡くなった。狂乱した上での死だった。

 その後、九代目から十一代目までは、《妖魔の呪い》は起きなかった。異変が再発するのは十二代目当主の時からだ。文学者だった十二代目は、沢渡家の歴史の編纂に乗り出した。その直後から異常をきたしだし、狂ったように部屋に籠もり、亡くなったそうだ。それ以降、真央の父まで続いていた。


 尚樹『戸部さん。《沢渡家・書記》に八代目の欄が抜けていますね。妖魔の討伐も書かれていないし。』


 戸部『《沢渡家・書記》は十二代目が編纂したものです。その後は時の当主が、書き加えてきました。この男鹿史実記に八代目が討伐した事が書かれています。鬼を討伐したのは事実です。』


 尚子『鬼が実在するのかしら?じゃあ、鬼の呪いって事ですか?』


 戸部『それは...わかりかねます。御当主様も先代様も、病の原因はわかりませんでした。医者は精神的なものとしか思えないと...言っておりました。』


 尚樹『鬼が実在するかはわからないけど、呪いというのであれば九代から十一代まで、何もなかった人がいるのもおかしい。』


 真央『明治になって突然、洋館に建て替えさせた時も、十七代目は気が触れかけていたと聞きました。家に何かが憑いていると思ったのかもしれません。お願いします。私達を助けてください。』


 尚樹『お父上とハルさんに会わせて戴けますか。』


 真央『はい、どうぞ、こちらに』


 大理石の階段を上がり、二階の奥の寝室に案内された。広い寝室だ。壁には書庫や棚があり、沢山の書物や鏡、アクセサリー類が置かれてあった。寝室の奥に扉がある。ベッドに横たわる真央の父は、静かに眠りについているようだ。父、圭一の胸の上には毛足に長い大きな猫が、静かに目を閉じて座っている。まるで瞑想しているかのような感じだ。日本の猫ではない洋ネコだ。


 尚樹『寝ていらっしゃるようですね。』


 真央『ずっとなんです、意識もないようで呼びかけても応えません。二年前までは意識はあったのですが、とても苦しんでいて...夜も昼も苦しそうにしてました。その時に私の代で終わりにするから、真央は安心していいって言われたんです。意識が混濁しても苦しんでいて...ハルがベッドの上に座るようになってから、眠る様に静かになったんです。』


 ノアールがベッドの上に乗り、ハルに近づいていった。ノアールはハルの顔をみつめた後、目を閉じて話しかけている様だった。私もハルに呼び掛けてみたが、彼からは応答は無かった。ハルと圭一はまるで同化しているかのようだ。圭一とハルの魂が同化し何かの空間を作っている感じがする。ノアールから『今はそっとしておいた方が良さそうね』という声が届いた。彼女も何かを感じたようだ。

 この事態の要因に八代目の時の、妖魔討伐が絡んでいるのは間違いないだろう。しかし屋敷の中にも外にも、妖しい雰囲気は感じない。ノアール嬢が外に出たがっている。彼女の直感が何かを感じたのかもしれない。どちらにしても、もう少し調べた方が良さそうだ。


 尚樹『真央さん、戸部さん。現時点では残念ながら、何も感じる事が出来ません。しかし八代目の事件が絡んでいる可能性が高いでしょう。調べる必要がありそうです。』


 真央『お願いします。父もハルも弱っています、出来る限り早くお願いします。』


 尚子『ノアール所長が外に行きたがっているみたいだから、私は所長と一緒に行きますね。』


 尚樹『うん、お願いします。僕は屋敷に残っている文献を、もう少し調べてみるよ。』


 尚子がノアールをカゴに乗せ、洋館の庭に出ていった。鉄柵で囲まれた広い庭の左の方をノアールが視ている。何か気になる気配がするようだ。

 

 尚子『所長、あっちに行くの?』

 

 ノアール『ミャ』

 

 尚子『違うのね。何処に行けばいいの?』


 尚子とノアールのコミュニケーション。尚子曰く『お気に召さない時は《ミャ》、お気に召した時は《ミャ~》って鳴くんですよ』と言っていた。たったそれだけの違いで、コミュニケーションが取れる...尚子の野生の血なのだろうか?それ以外の鳴き方もあるようだが...。

 一人と一匹は車に乗って出かけていった。洋館を離れ、昔の城下町のあった集落に向かった。集落に着くとノアールが車から降り歩き出した。ノアールの美貌に惹かれて、オス猫が集まってきている。彼女は集まった猫達から情報を得ようとしているようだ。洋館で感じたものを猫達の伝え、同じような感覚のものを探していた。

 尚子はノアールに付き添いながら、行き交う人達に洋館の事や、歴史的な出来事であった妖魔退治の事を尋ねていた。三百年も昔の逸話だったが、街で知らない者はいない昔話だった。若い人達は洋館で起きている事は知らないようだった。何人かに聞いていると、ノアールが尚子に向かって鳴きだした。


 尚子『何かわかったみたいね。連れて行って。』


 ノアールがゆっくりと歩きだし、尚子はその後に続いた。集落の路地に入ると、立派な日本家屋が幾つか並んで建っている。二つ目の建物の玄関前に猫が一匹座って待っていた。ノアール嬢は猫と額を摺り寄せた後、振り返り尚子に向かって『ここだよ』と言っているように鳴いた。表札には《鬼島》と書かれてあった。


 尚子『こんにちは。どなたかいませんか?』

 

 老女『そんなに大きな声を出さんでも聞こえているよ。なんだい?お嬢さん、うちに何か用かい。』

 

 尚子『ええ、じつは三百年前の妖魔退治の調査をしていまして、何か知っている事があればお伺い出来ないかと。』

 

 老女『ああ、あの話かい。お嬢さんはうちがどういう家か知っていて、訪ねて来たのかい?』

 

 尚子『いえ...ただこの子が連れて来てくれました。』

 

 老女『その黒猫がかい?』

 

 尚子『ええ、そうです。鬼島さんの家系は伝説の話と何か縁があるんですか?』

 

 老女『三百年前に妖魔を退治した一族の家系だよ。中に入りなさい、知っている事は教えてあげるよ。』


 老女は五十五年前に鬼島家に嫁いできたそうだ。夫や他の親族から鬼島家の家系や、妖魔退治の事も聞いたと言っていた。嫁いでから変な事は全くなく、義父は二十七年前に八十二歳で亡くなり、義母は二十三年前に八十歳で亡くなっていた。夫も二年前に八十歳で亡くなったという。息子と娘がおり今は秋田を離れて、東京と仙台にいるそうだ。

 老女は尚子とノアールを居間に通すと、奥にある蔵から絵画と古い文献、そして沢渡家にあった《男鹿史実記》と、もう一冊、新しい感じの書物を持ってきた。


 老女『この絵はね、鬼退治をした時の様子を描いたと言われている絵なんだよ。明治になってから史実記を基に、五代前の御先祖が描かせたらしい。あんた、史実記は読んだって言ってたね。この文献は鬼退治をした御先祖から先代までの家系図と、鬼島家の歴史が書かれているんだよ。古い文献だからね。先代がこっちに書き写して、自分の代からは新しい方に付け加えていたそうだよ。』


 絵は一枚の中に四つの場面が描かれていた。大きな鬼が数十匹、焚火を囲んで踊る姿、寝静まる鬼の住処に火をかける人の姿、焼け落ちる住処から逃げ出してくる鬼を退治する様子。そして討ち果たし鬼の首を掲げている様子。鬼の手には斧や鉄棒があり、恐ろしい表情の妖魔そのものだった。

 新しい書物を広げて、妖魔退治の頃の資料を探した。鬼島家史録によると、妖魔退治には沢渡重蔵と手下のもの、それと鬼島家と二つの家が参加している。討伐の様子は絵画に描かれた通りの内容だった。鬼島家は退治後、暫くは洋館のある地で暮らしていたが、暫くして城下に移り住んだそうだ。戸部の話と一緒だ。当時、性は無かったが、妖魔退治の功績で名乗る事を許され、鬼島という性を名乗る様になった。

 鬼島家初代は洋館の地で病にかかり亡くなった。亡くなる前に『この地を離れよ』と遺言を残し、二代目はそれに従い沢渡家にお暇を戴き、城下町に移り住んでいる。それ以降は城下町で妖魔退治で得た財で商家を起こし、街の有力者として代々引き継がれていた。二代目以降で不審な死や病にかかったという記録はなかった。

 沢渡家との交流は途絶えていたが、五代目の時に当時の沢渡家当主がこの屋敷を訪れていた。恐らく《沢渡家・書記》を編纂した、十二代目当主であろう。史録には《秘伝の書を渡した》と書かれてあった。


 尚子『秘伝の書を渡したって書いてありますね。何かわかりますか?』

 

 老女『初代が封印したものらしいよ。二代目以降も見たものはいないらしくてね。読んではならぬって遺言があったらしくてね。』

 

 尚子『それを沢渡家の当時の当主に渡したんですか?』

 

 老女『沢渡の当主がどうしても譲って欲しいって、かなりの金額を貰ったようだよ。何が書かれていたのかね。その後の沢渡家の事も少し書いてあるだろう?』

 

 尚子『ええ、その後、沢渡家が呪いに襲われたって書いてありますね。』

 

 老女『それには書いてなかったけど、鬼の毛も渡したそうだよ。沢渡家にいって聞いてごらん。場所はこの上の山奥だよ。』

 

 尚子『ええ、知っています。沢渡家のお嬢さんから依頼されて、調査しているんですよ。』

 

 老女『そうだったのかい。あの家も大変だからね。何代にも渡って呪われててさ。呪いを解くのかい?』

 

 尚子『それはわかりません。事実を調べてからです。お祖母ちゃん、有難うございました。』


 一方、沢渡家では尚樹が真央の案内で、屋敷内の当主の部屋や蔵書庫、蔵の中にある文献や貯蔵品を調査していた。古い書物や文献は沢山あり、全てを見るには数カ月かかりそうな感じだった。尚樹は文献の表題をみて中をぱらぱらとめくって、必要かどうかを判断して、必要と思われるものだけリビングに持っていった。尚樹の腕の上には十冊以上の本が積まれていた。

 一冊ずつ読み進めている時、文献の中に隠すように綴じられていた書面をみつけた。《沢渡家・書記》に記載がなかった、八代目の項目の部分だった。八代目は身体も大きく、文武に優れた男性だったようだ。周りの人達にも優しく接する好青年。妖魔退治も城下の民や村の民の為、身命をかけて立ち向かった。その後、身寄りのない娘を養女にとり、生涯結婚はしなかったそうだ。九代目は妖魔退治には参加しなかった弟が、後を継いだと書かれてあった。


 真央『書記の抜けていた部分ですね。なぜ、この部分だけ切り取ったように抜けているんでしょう?』

 

 尚樹『何故でしょうね。特に八代目にとって不都合になる記述もないし...。』


 その後も蔵から持ち出した書簡に目を通していた。夕方になりノアールと尚子が帰ってきた頃に、やっとあと三冊まで読み終えていた。ノアール嬢との探索で得た情報、鬼島家の老女から聞いた話を、尚子がみんなに聞かせた。


 尚樹『秘伝の書?なんだろうね。』

 

 尚子『この書簡って蔵から持ち出してきたの?何かわかった?』

 

 真央『いえ、特に呪いに関する事は。』

 

 ノアール『ミャ~』


 ノアールがテーブルに積まれた書簡の下から、二冊目を引っ張り出そうとしている。真央が不思議そうな眼でノアールを見ながら、彼女の示す書簡を抜きだした。


 真央『あ!これは十二代目の編纂した時の記録みたいです。』

 

 尚樹『読んでみましょうか』


 恐らく書記を編纂した際の記録だろう。沢渡家の歴史を編纂しようと思ったのは、富山から流れつき苦労をして築き上げた一族の歴史を、後世に残すためと書いてあった。初代から始まり二代、三代の調査の結果や、感想が記されてあった。八代目の時の事は衝撃的な内容だった。


十二代目の日誌

『八代目、重蔵は妖魔を退治し功績を認められ、富山で名乗っていた沢渡の名を名乗る事を許された。八代目はたいそう喜び、一族も沢渡家がこの地に生まれた事を祝った。重蔵は居を妖魔のいた地に移し、不遇であった身寄りのない娘を引き取り養女とした。心根の優しい人物であった。しかし、妖魔の呪いで亡くなる、養女の娘の消息は途絶えている。何故だ?何が起きた?』


『妖魔退治に同行した鬼島家を訪ねた。鬼島家の当主が八代目重蔵から託された書簡を持っていた。代々の言い伝えで書簡は蔵の奥に封印されていた。書簡をなんとか手に入れなければ、沢渡家の書記は完成できない。明日も鬼島家にいってみよう』


『やっと譲ってもらう事が出来そうだ。鬼島の家は商取引に失敗して、資金が必要になっている。金で何とかするのは心苦しいが...。三日後に昼、書簡と交換する事になった。三日後が待ち遠しい。』


『信じられない。何という恐ろしい事を...。重蔵や鬼島家の初代の呪いは...。どうする?これを残すのか?これは...残せない。しかし、沢渡家の当主として、闇に葬る事は出来ない。八代目は...重蔵様は隠そうとしていたのか?』


『沢渡家・書記は完成した。八代目の事は書記には書けなかった。しかし、記録は残さねばならない。沢渡家として罪を償わなければ...。』


『今日、八代目重蔵様の書を見つけた。重蔵様も私と同じことを考えておられた、少し安心した。父や祖父が知らなかった理由もわかった気がする。』


 十二代目が《沢渡家・書記》を編纂した記録に書かれていた事は多岐に渡っていた。その中の八代目重蔵についての日誌は、異様な無い様なきものだった。何かが八代目の時に起きているのは間違いない。


 尚樹『鬼島家に預けた以外にも、八代目の書が残っていたという事か。』

 

 真央『八代目が残した書簡に何か、呪いに関する記述があるという事ですか?戸部さん、知っていますか。』

 

 戸部『いえ、お嬢様。残念ですが私は何も聞いておりません。』

 

 尚子『多分、それが鬼島家から譲り受けた秘伝の書よ。どこかにあるはずよ。闇に葬るわけにはいかないって書いてあるし、呪いが始まったのは十二代目からだし、まだ続いているのよ。』

 

 真央『戸部さん、何でもいい、心当たりはないんですか?』

 

 戸部『...先代が病に伏された後、圭一様と二人きりでお話しされた事があります。まあ、お二方が二人だけで話をする事は多かったのですが。ただ...執務室から出てきた圭一様の表情が、いつになく真剣だった事を憶えております。その後、数年で先代は亡くなりました。もう十二年も前の事です。圭一様は三年後、三十三歳で御当主に就かれ、四年前まではお元気でした。先代と何を話されたのか、何があったのかは聞いておりません。』

 

 尚子『闇に葬るわけにはいかない秘密...空手でいう一子相伝かもしれないわ。当主にだけ伝える歴史なのかも。養女が消息不明っていうのも気になるわ。』

 

 尚樹『そうだね。まだまだ謎がばかリだ。今日はもう遅いから明日、もう一度探してみましょう。』


 翌日、朝から屋敷内を、戸部をはじめとする使用人と私達で捜索した。十時過ぎから屋敷中を探し回り、すでに時間は三時になっていた。しかし、それらしき書簡や物は見つからない。探していない部屋は当主とハルが眠る寝室だけになった。私たち二人と一匹、真央、戸部の五人で寝室に入っていった。


 戸部『探していない部屋はここだけですが...旦那様が臥しておられますので、静かに願います。』

 

 尚樹『そうですね。静かに探しましょう。』


 ノアールはベッドの乗り、ハルの前に座り込んでいる。話しかけているようだが...返事はないみたいだ。私達は寝室の壁に並ぶ書棚や引き出し、装飾品のケース等を、音をたてないように気をつけて探し続けた。見つかったのは当主、圭一の日記だけだった。


 戸部『圭一様はまめな方で、日記を欠かさず書いておりました。日記を無断で読むのは、心が痛みます。』

 

 真央『ええ、でも...今は仕方ありません。読んでみましょう。』


 圭一の日記は六冊あり、五年連用の日記だった。十歳の時から書いたものらしい。十歳から十五歳、十五歳から二十歳、二十歳から二十五歳、二十五歳から三十歳、三十歳から三十五歳、そして最後が三十五歳から四十歳のものだった。戸部の話を聞く限り、三十歳になった時から、圭一は何かを知ったと思われる。二十五歳からの四冊目の日記から、目を通す事にした。

 二十五歳の最初のページには、写真が貼られてあった。赤ん坊を抱っこして椅子に座る若い女性、その背後から二人を抱くように屈む圭一だった。赤ん坊は真央、女性は母だろう。


 真央『私が産まれた時のだわ。お母様も若くて綺麗。』

 

 尚子『気にはなっていたんですけど...お母様は?』

 

 真央『母は十年ほど前から体調を崩していて、今は故郷のバンクーバーで療養しています。』

 

 尚樹『カナダの女性なんですね。』

 

 真央『祖母はフィンランド人です。カナダ人の祖父と結婚したんです。私はクオーターになるんですよ。フィンランドとカナダ、日本の血を受け継いでいます。父が二十四歳、母は二十二歳の時に結婚して翌年、私を産んでくれました。母は四年前にカナダに移り、今はバンクーバーで元気に過ごしています。日本の水が合わなかったのだと父は言っていました。母は...ここには帰りたくないと言っているんです。母に聞きましたが理由は特になく...ただ嫌なんだと。父にも私にもバンクーバーに移住するようにって言ってたんです。』


 真央の話では母エレンは十年ほど前から、段々とうつ症状が出始めたそうだ。夜中にうなされて目が覚める事が続き、地元の精神科にも通院した。原因は不明だが軽度の鬱と診断されたようだ。四年前に父、圭一がエレンに静養の為、母国に一度戻る事をすすめ現在に至っていた。

 二十五歳からの日記には、幸せな三人家族の日常が書かれてあった。圭一の妻や娘への愛情あふれる文面だった。娘が成長していく様子を、妻と二人で見守る、幸せな一家の記録だ。

 三十歳からの五冊目。文面は前の日記と変わらない。変わったのは三十五ページ目からだった。この日を境に内容が暗く、怯えている感じの内容に変わった。


圭一・三十歳から三十五歳の日記

『今日、父から二つの鍵を預かった。鍵に関する由来の一部も聞いた。先祖の犯した罪が隠された場所の鍵だ。沢渡家は当主が先祖の罪を償う事を約束したそうだ。後継者が三十歳になったら鍵を譲り渡し、当主を継承する一年前に鍵を開け、沢渡家の秘匿の歴史を知る事が、代々の言い伝えになっていると言った。父は一年前に鍵を開け歴史を知ったという。父の容態が悪くなった時と一致する。鍵で開ける場所は教えてくれなかった。まだ早いと父は言っていた。』


『父が亡くなった。鍵を預かって三年間、ずっと苦しんで亡くなった。最後に父が示した場所が、この鍵で開ける場所なのだろう。真央はまだ八歳だ。あの子に二十二年後、この鍵を託さなければならないのか?エレンの様子もおかしい、いやな夢ばかり見るという。彼女は霊感体質だ、沢渡の歴史と関係があるのかもしれない。』


圭一・三十五歳から四十歳の日記

『真央も中学生になる。エレンの身体や心の事を想うと、母国で療養するのが一番だろう。カナダの御両親も賛成してくれている。彼女をカナダに送り届けた後、あの場所を開けて、沢渡の秘匿の歴史を知ろうと思う。父からは継承者が二十九歳になったら、開けるように言われたが、もし、父の身体の異変に関係があるのなら、真央に継承させるわけにはいかない。』


『今日、鍵を開けた。二通の書簡と様々な遺品をみた。重蔵の残した書簡には、十二代目以降の当主の書も残されていた。沢渡家はなんと恐ろしい事を...。もう一通の日誌のようなものは読めなかった。こんな事を娘に継承は出来ない。胸が痛む...これが沢渡家当主の担う痛みか。私の代で終わりにしようと思う。父も祖父も継承後、二、三年で亡くなった。私はこの先、この痛みを一心に受け、数十年苦しみことを誓う。私の代で終わりにする事を許して欲しい。』


 日記は三十八歳の時、このページを最後に終わっている。その後、圭一は体調を崩し、精神的にも病み始めていた。娘の真央や信頼している戸部と、話す事も無くなっていったという。唯一、ハルだけは傍に置いて可愛がっていたそうだ。ハルはいつも心配そうに、圭一の手や頬を舐めていた。

 ハルが屋敷に来たのは六年前。秋田港に寄港する、クルーズ船に紛れ込んでいたそうだ。たまたま港に出かけていた、母エレンが船員達に捕まったハルを見て、飼う事を決めたのだという。洋ネコ特有の長い毛足、見開いたイエローダイヤのような眼。エレンはすぐに気に入り、ハルもまるで昔から飼われていたかのようにエレンになついた。ハルはベッドにいる事の多かったエレンに、付き添うように過ごしていたらしい。エレンが母国に療養で戻って、圭一が寝込むようになると、今度は圭一に付き添っていた。


 真央『二つの鍵を祖父から?戸部さん、知りませんか?私は父から聞いてないわ。』

 

 戸部『お嬢様。残念ですが私は知りません。先代がそんな鍵を持っていた事も、圭一様がお持ちなっているのも、見た事がありません。』

 

 尚樹『四年前に鍵で何かを開けて、隠された何かを見たんですよね。真央さんには、継承させられないって書いてあるから、隠したか捨ててしまったのか。』

  

 尚子『鍵なんか何処にもなかったわよね。戸部さん、屋敷の中で開かずの間とかないんですか?』

 

 戸部『そんな部屋はありませんよ。この屋敷内で開かない扉は存在しませんし...。隠し部屋があるとは思えませんし...。』

 

 ノアール『ミャ、ミャ~』

 

 尚子『え、所長。わかったわ。ノアール所長がついて来いって。』


 尚子の言葉に私以下全員があっけにとられていると、尚子は寝室のドアを開けノアール嬢を自由に歩かせ始めた。一階に降りると玄関のドアの前で『ミャッ』と鳴き、尚子がドアを開けると外に出ていった。私達はノアールの後についていった。

 屋敷の広大な庭は花壇や噴水が作られ、洋風建築物の外観に合わせた造りになっている。ノアールは玄関を出ると左方向に歩き出した。洋館の脇を抜けると、ちょうど洋館の後ろにあたる所に、大きな石像が建立されていた。高さ一メートル、三メートル四方の大理石の台座の上に、女神のような女性が小さな橇に乗り、数匹の猫が曳いている石像だ。ノアールが石像の前で立ち止まり、振り返って尚子に鳴いた。


 尚子『ここに連れて来たかったようです。真央さん、これは?』

 

 真央『はい、四代前の当主が洋館に建て替えた時に、一緒に建立されたと聞いています。祖母が...カナダの母方の祖母が、北欧の神話に出てくる《美と愛の女神フレイヤ》の像ではないかと言っていました。』

 

 尚樹『ここでも北欧ですか...』

 

 戸部『え?』

 

 尚樹『真央さんのお祖母様は北欧の方でしたよね。ひょっとしたらハルさんも北欧の猫かもしれませんよ。』

 

 尚子『うん、確かに像の猫と似ている感じ。洋館にしたのも意味があったのかもしれないわね。ねえ、この台座の中って空洞になっているの?さっき殴った時に、乾いた音がしたの。』

 

 戸部『ここにはあまり使用人も来ませんから...わかりません。ただ、この像の事は先代から聞いた事があります。鎮魂の像だと仰ってました。あまり手荒に扱わないでください。』

 

 尚樹『尚ちゃん、ダメだよ。鎮魂の像?周りを見てみましょう。空洞ならひょっとしたら、扉とかがあるかもしれません。』


 二手に分かれ左右から、像の周りをまわって台座を確認したが、扉らしきものはない。ただ、背後の台座の部分が、一カ所、塗り固まれたような痕跡があった。幅にして一メートル、高さは台座の上部分の下までだ。尚子が拳で塗り固められた部分を叩いている。手荒に扱うなという戸部の言葉は...尚子には届かなかったようだ。何か鉄板が響く様な音が聞こえた。


 尚子『この中に鉄の扉がありそうですね。どうしましょうか?』

 

 真央『構いません。その部分を壊して確かめてください。』

 

 戸部『私は賛成できかねます。四代前の当主が建立したものです。仮に扉を隠したとしても、隠す理由があったのでしょう。』

 

 真央『戸部さん.駄目よ。明らかにしないとお父様の御病気も良くならないし、沢渡家の呪いも解けないわ。』

 

 尚子『真央さんの言う通りよ。戸部さん、真実に向き合いましょう』

 

 戸部『...そうですね。わかりました。』

 

 尚樹『どちらにしても、もう日暮れです。明日、明るくなってからにしましょう。』


 どうやら台座の後ろに、鉄の扉がありそうな感じだ。圭一が継承した鍵は、その扉の鍵なのかもしれない。私達は屋敷に戻りリビングで話し合っていた。仮に扉があったとしても、鍵がなければ入る事は出来ない。扉の厚みや形状にもよるが、壊して入るには専門の業者の力が必要になるだろう。


 戸部『お嬢様、無理やり扉をこじ開けるのは...鎮魂の像と聞いております。』

 

 真央『ええ、わかっています。無理に開ければ呪いが降りかかるかもしれない。』

 

 尚子『鍵を探すしかないかしら。でも、なかったものね~。』

 

 尚樹『圭一さんが隠したんでしょうね。』

 

 真央『父に聞くしかないですか...意識が殆どないから、聞きようもないです。』

 

 ノアール『ミャ~~、ミャ』

 

 尚子『連れて行けって言っているわ。何処に行きたいの?』


 尚子がノアールを抱きかかえ、彼女の指示する方向に歩き出した。ノアールは二階の圭一とハルが眠る、寝室に行きたがっていた。階段を上がりながら、尚子も私もそれに気づいた。やはり圭一本人に確認するしかないという事か。寝室の扉を開けると尚子の腕から降り、ベッドのハルの元に駆け寄っていった。

 ノアールはハルに寄り添い、目を閉じてじっとしている。私はハルと圭一の意識と感情を探っていた。午前中に来た時は何も感じる事は出来なかった。圭一とハルの周りに何か、遮断するような空間がある感じがしていた。今もその感覚に変化はなかった。ノアールの意識を探ってみた。

 ノアールはハルの意識の中に、自分の意識を溶け込ませようとしていた。彼女は同化する圭一とハルの中に、自分の感性を重ねようとしているようだ。『なるほど、そういう手があるのか』と思い、私もハルと圭一のベッドに腰を掛け、二人の意識に自分の意識を重ねる事に、挑戦してみた。

 十分が過ぎた頃、ハルと圭一の一体化した空間の画像が朧げに見えてきた。この画像は私の心が感じたものを、私自身の知っているイメージで実体化したものだ。圭一の魂に綻びがある。ハルがその綻びを埋めるように、綻びの上に鎮座している感じだった。徐々に大きくなった綻びは、ハルが埋められないほどになっており、圭一の意識が戻らなくなっているのだろう。しかし、この綻びは何を意味するのか?私は意識を二人から離した。


 尚樹『少しだけわかりました。』

 

 真央『本当ですか!教えてください。』

 

 尚樹『お父様の魂には傷があります。その傷が徐々に広がり、肉体を蝕むようになっているのでしょう。ハルさんはその傷を埋めるために、お父様から離れずにいるようです。』

 

 真央『魂の傷?それが呪いですか?』

 

 尚樹『それはわかりません。でも、呪いとか恨みとかという感情は、感じませんでした。う~ん、何が原因か...。ハルさんが埋めきれない傷を、ノアールと私で協力して埋めてみます。ひょっとしたらお父様の意識が戻るかもしれません。尚ちゃん、意識が戻ったら、鍵の事を必ず聞き出してね。』

 

 尚子『わかったわ。私達で沢渡家の呪いは払うっていうわ。ノアール嬢も尚樹さんも無理しちゃダメだよ。』


 尚子からこんな優しい言葉を聞くとは...嫌な事が起きなければ良いが...。私はノアールに伝えて、ハルが埋める傷に思念を集中させ始めた。傷を覆うような感じになると、胸が痛みだしてきた。ハルは一人でこの痛みに耐え、圭一の傷を塞いでいたのだ。ハル、ノアール、私の三体で共同して、圭一の傷を埋めきった時、圭一の意識が回復した。


 真央『お父様、私よ、真央よ。わかりますか?』

 

 圭一『...真央か。どうしたんだろう、身体が楽になってきている。うん?この黒猫と男の人は誰だい?』

 

 尚子『探偵社の私の仲間です。お嬢様から依頼されて、沢渡家の呪いを解くために参りました。今、御主人様の心の傷を、ハルさんとうちの二人が塞いでいます。ご安心ください。私達が必ず解決しますので、受け継いだ鍵をお渡しください。』

 

 圭一『鍵...なぜその事を...駄目です。私の代で終わりにするんです。鍵を渡せば真央にまで引き継がねばなりません。』

 

 尚子『私達は数多くの事件や謎を解決してきました。沢渡家にまつわる事も、おおよその検討はついています。鍵を渡して戴けなければ、石像を壊すまでですよ。もう、わかっているんです。』

 

 真央『お父様、この方達を信じて、お任せしましょう。』

 

 圭一『...わかりました。鍵はベッドのマットレスの中です。右の横にチャックがあるでしょう。そこに入れてあります。』


 尚子はベッドの脇を探り、チャックを見つけ開いて、中から小さな箱を取り出した。箱を開けると二つの鍵が入っていた。一つは古い南京錠の鍵、一つは少し新しい感じの鍵だった。


 尚子『鍵はお預かりしました。今、うちの黒猫と副所長が、御主人の傷を塞いでいます。事件の解決には二人の力が必要ですので、また、御主人から離れる事になります。今度、目覚めた時には必ず、沢渡家の因縁を消し去った後です。安心してください。』

 

 圭一『そうですか。私の心の傷ですか...。確かに傷ですね。わかりました。もうじたばたしても仕方ありませんね。私はどうなってもいい。真央の為に、宜しくお願いします。』

 

 戸部『坊ちゃん。私がふがいないばかりに、坊ちゃんやお嬢様にご心労をおかけして...』

 

 圭一『戸部さん。貴方は父の代から尽くしてくれました。感謝していますよ。真央の事をお願いします。』


 圭一は静かに瞳を閉じた。尚子は私とノアールを叩き起こした。ノアールと私はハルの意識から離れ、現実世界に戻ってきた。私達が離れるとハルと圭一は、元のように眠ったまま動かなくなった。ハルが作る一体化した結界のような物に触れ、沢渡家の呪いの秘密が少しわかったような気がしていた。


 尚子『ノアール嬢、尚樹さん。生きていますか?』


 尚樹『うん。もう少し優しく起こしてよ。いきなり引き離されたら、こっちが傷ついちゃうでしょう。』


 ノアール『ミャアア~~』

 

 尚子『悪かったわよ。ごめんね、雑な美女で。鍵を預かったわ。これで開けられるわね』

 

 真央『明日、陽が昇ってからですね。探偵社の皆さん、宜しくお願いします。』


 私達は圭一の部屋を出て、リビングで食事をした後、それぞれの部屋に戻っていった。私はハルの事が気になり北欧の猫に着いて調べていた。暫くすると尚子とノアールが私の部屋に来て、明日の段取りや呪いの正体について、協議するために集まっていた。


 尚子『ねえ、尚樹さん。心の傷ってどういう意味なの?』

 

 尚樹『圭一さんとハルさんに接触した時に、二人以外の感情や感触は感じなかったんだよ。呪いとか恨みなら恨んでいる人の意識や感触が、残っているはずだからね。それが全くなかった。』

 

 尚子『じゃあ、呪いじゃないって事?』

 

 尚樹『それは、わからないけど。違うような気がする。』

 

 尚子『日誌のようなものは読めなかったって、書いてあったじゃない。読まないじゃなく、読めない。どういう意味かしら』

 

 尚樹『圭一さんと話したんでしょ?聞けばよかったのに。』

 

 尚子『何言っているのよ。そんな時間なんてなかったんだから。辛くて読めないって意味かな~』

 

 尚樹『家の呪いを一人で受けようとする人が、感情で読めないという事は考えづらいよ。単純に読めなかった、という意味かもしれないね。』

 

 尚子『読めなかった?そうか、言語が違ったって事かも。でも、英語は喋れるはずだし...』

 

 尚樹『裏庭に建立されていたのは北欧の女神の像だったよね。北欧の言葉かもしれない。ハルさんの事も調べてみたんだけど北欧の猫に、ジャンフォレストキャットという猫がいるんだよ。彼はその猫種だった。尚ちゃん、確か...』

 

 尚子『うん。オーロラを観に行こうと思っているから、フィンランドやスウェーデンの言葉は勉強したよ。多少は読めるわ。』

 

 尚樹『明日、何があるのか。何があっても真央ちゃんの事は守らないとね。さあ、明日は早いから、部屋に戻って寝てください。』


 一人と一匹は私の部屋を出ていった。私もすぐに眠りについた。呪いや恨みの類が存在するとは思えないが、そういった事には関わり合いたくないと思っている。今回は覚悟を決めていたが、ハルと意識を合わせた時に、オドロドロしいものではないと確信が持てた。少し安心して眠りにつく事が出来た。

 翌朝五時、まだ暗いうちにリビングに、真央と戸部、沢渡家の従者数人と私達が集まった。辺りが明るくなった六時、電動工具を持って裏の石像に向かった。石像の裏の...おそらく圭一がコンクリで塗り固めたのだろう...場所を電動ハンマーで使用人が崩していく。段々と鉄の扉が見え始めてきた。

 コンクリートを取り除くと、観音開きの重厚そうな幅一メートルの鉄の扉が出てきた。四代前の当主が何かの為に、石像でこの地を隠したのか?鎮魂の像と言い伝えられている、何かを鎮める為に造ったのか?扉の鍵穴に鍵を入れ、鉄の扉をゆっくりと開けていった。

 中は空洞になっていた。真っ暗な空間を、懐中電灯で照らし室内に入った。室内の四隅に灯りを置き、辺りを照らしてみた。像の中の空間には何もない。


 真央『何も...何もないです。何一つないですよ。』

 

 尚樹『運び出したのかな』

 

 尚子『そんな事はないはずよ。圭一さんは鍵を渡す時に、宜しくお願いしますって言っていたもの。運んでいたら鍵を渡す前に言うわよ。』

 

 真央『そうですよね。』


 その時ノアールが空洞の真ん中の地面を爪で引っ掻き始めた。引っ掻いた後、振り返って『ミャッ』と尚子に向かって鳴いた。


 尚子『そこに何かあるのね。掘ってみましょう。』


 尚子がスコップを地面を突き刺すと、スコップの先端部分しか刺さらない。地表の下に何かが埋まっている様だった。尚子と数人の使用人が、スコップとほうきで地面を払っていく。空洞の中は岩の岩盤の上に、土が数センチ積もっている感じだった。土を掃いていくと硬い岩盤が現れ始めた。中央には岩戸のような扉があった。石板の扉は岩盤に繋がっていて、南京錠が掛けられていた。


 戸部『伝承によれば妖魔は、岩屋を住処にしていたという記録があります。その岩屋の跡地に造ったんでしょうか?』

 

 尚樹『たぶん、そうでしょう。この扉の下に隠された書簡や、遺物が残っているはずです。開けてみましょう。』


 もう一つの鍵を南京錠に差し込んだ。鍵穴におさまり廻すと鍵があいた。南京錠を取り外し石板の扉に指をかけ、上に押しあげようとした。重くて上に持ちあがらない。私の力ではビクともしない扉だ。尚子があきれ返った顔で私を見ていた。戸部が使用人に手伝うように指示し、使用人二人と私の三人で、石の扉を上に押し上げた。中には梯子がかけられている。扉の奥は真っ暗で何も見えなかった。

 扉の先の地下からは、特に怪しいものは感じない。圭一が開けてから四年間、封印された空間の、かび臭い空気だけしか感じなかった。ヘッドライトをつけて、真央、私、尚子の三人が、梯子を降りて下に向かった。空間の高さは二メートルほどで、すぐに地面に足が着いた。周りを灯りで照らすと、十坪弱の広さの空間の様だ。中央に岩の台のようなものがあり、何かが置かれてある。


 尚子『上の石像と同じ女神の像だわ。横にもあるわ...え、お地蔵様よ。』


 中央の岩は平たい五十センチほどの高さの岩だ。その上に台座と繋がった女神像が置かれ、岩の横にお地蔵様の石仏が置かれてあった。石仏は見た目にも古く、数百年は経っている感じだ。女神像は大理石で出来ており、上の石像と同じものだと思われた。


 尚樹『元々はこの岩の上には、石仏が置かれてあったのかもしれない。ここを洋館に建て替えた時に、石像と一緒に女神像も作ったんだろう。』

 

 真央『女神像の台座に扉がありますよ。』


 ニ十センチ程の高さの台座には、観音開きの扉がついている。鍵は掛かっていない。真央が扉に指をかけ、ゆっくりと開いていった。台座の中には何冊かの書簡が収められていた。初代、重蔵の書と圭一が読めなかったという書の他に、もう一冊あった。書簡を取り出し、真央が抱きしめるように持った。

 空間の周囲を照らすと、奥に人が通れる程度の穴が空いている。ライトを掲げながら進んでいくと、穴の中に遺品と思われるものを見つけた。幾つかの髪の束、ボロボロに錆びついた鉄製の斧や、小さなナイフ、馬の蹄鉄だろうか。この時代の日本には無いものだ。日本で鉄製の蹄鉄が普及したのは、明治以降だった。

 洞窟の奥に祭壇のような物があった。中央に石板があり見た事も無い文字で、何かが書かれてあった。私はスマホで石板の文字を撮り、周囲の地面をライトで照らした。祭壇の前には敷物が敷かれていたのだろう。朽ち果てた布が残っている。裏手に回ってみると洞窟の壁との間が、幅二メートル、奥行き一メートル程度の空間になっていた。ただの地面で何も置いてなかった。


 尚樹『穴の中には祭壇があった。めぼしいものは見つからなかったよ。祭壇に書かれた文字は、スマホで撮ったから書簡を持って屋敷に戻ろう。』


 梯子で上にあがり扉を閉めて女神の間に戻った。そのまま外に出て石像の扉を閉じ、中にあったものを持ち屋敷に戻った。リビングに真央、戸部、私と尚子、ノワールが座った。書簡をテーブルに置いた真央の表情は、緊張しているようだった。書に手を伸ばす指が震えている。


 尚子『真央さん。無理はいけないわ、先に私達が読むわ。この文字はフィンランド語だわ。』

 

 尚樹『やっぱり、北欧に何か関係があるんだね。重蔵の書簡を僕が読むから、尚ちゃんはそっちを読んで。あと、これが祭壇の文字の写メだよ。』

 

 尚子『これもそう、フィンランド語ね。えっと...父と母と兄達に安らかなる眠りを...だね。祭壇ではなくお墓?まさかね。』


 私は重蔵の残した書簡を読んだ。書簡は妖魔討伐後に書かれたものだった。妖魔討伐の様子や、その後の事が詳しく書かれてある。重蔵達が討ち入った時、妖魔は洞窟の外で食事をしていたようだ。火を焚き何かを食べる大きな鬼の様子を見て、恐ろしくなったと書いてあった。討伐隊は尻ごみ、妖魔が寝静まるのを待つ事にした。やがて食事は終わり、洞窟の中に妖魔が入っていった。

 気づかれないように洞窟に近づき、入口に木を集めて油をかけ火をつけて、燃える木片を洞窟内に投げ入れたと書かれてあった。洞窟の中にも延焼し黒い煙が中から出てきて、鬼達も外に逃げ出してきた。入口で隠れて待ち構えていた討伐隊が、火に焼かれ出てくる鬼達を討伐したと書かれてある。その時に討伐隊に参加した、二家の二人も命を落とした。

 夜が明け辺りが明るくなり、退治した鬼を視て重蔵は恐れおののいた。重蔵達が討ち果たしたのは、鬼でも妖魔でもなく、人、人間だった。顔立ちや髪の色は違うが、異国の人間達だった。この時代にも異国からの人の出入りはあった。重蔵も何人か異国の人間を見たことがある。

 足元に横たわる異国人は、大人だけでなく子供もいた。女性も二人含まれていた。大人の男性三名、女性が二名、男の子が二名だ。七名の遺体が横たわっていた。遺体をみた二家の使用人は後ずさりし、三人が大きな叫び声をあげて逃げ出していった。その三人はその後、戻ってこなかったそうだ。討伐の地には重蔵と、二家の当主の三人だけになった。

 重蔵達は話し合い、妖魔を討伐した事にする事にした。証拠の品として赤い髪を切り持ち去る事になった。その時、洞窟内から鳴き声が聞こえてきた。中を覗くと、まだ幼い少女が立っていた。寝ていて煙を吸わなかったのだろう。洞窟の中にはもう一人、女性の遺体もあった。

 歳はわからない。言葉も通じない少女を殺すのはためらわれた。重蔵が引き取り、育てる事になったようだ。言葉も通じない少女であれば、この事が漏れる事も無いと思ったのかもしれない。少女を重蔵がみている間に、二人が洞窟内に穴を掘り遺体を埋葬して、証拠の品を携え村に戻った。少女は重蔵の屋敷の納屋に隠された。

 藩主から褒美として、財宝と名誉と妖魔のいた山を拝受し、重蔵達は秘密が漏れる事を恐れ討伐の地に屋敷を移している。二家も重蔵に帯同し、秘密を隠匿した。岩穴を塞ぐように納屋も建てた。ここまでは記録として書いたものだった。自分達がやった事を全て消し去れるほど、重蔵は悪人ではなかったのだろう。次のページからは、日記のような文章になっていた。長い日記だった、苦しんだ日々の心の葛藤が綴られていた。恐らく重蔵が死ぬ間際まで書かれた日記、棹後の個所を尚樹が読み上げた。


『あれから二年がたった。欄の青い目を見る度に、あの夜の事が思い起こされる。胸が締め付けられそうだ。欄は悲しい目で遠くを見ているだけだ。あの夜の事を憶えているのか。洞窟は納屋で入口を塞いだ。それでいいのか。俺は、俺こそが鬼の化身だ。』


『欄が納屋の壁を壊し、洞窟の中に入っていた。いつから気づいていたのか。目を見るのがつらい、怖い。家臣二人も怯えている。しかし、欄を閉じ込めるのは、心が痛む。』


『欄が洞窟の中で自害した。何か書き残してあったが、俺には読むことが出来ない。その場で家臣も呪いだ、と叫び自刃して果てた。俺は犯した罪を償わねばならない。我が家を守る為、この魂に償う事を刻む。許してくれ。』


『身体も動かなくなってきた、もう長くはあるまい。許されるまで呪いは受けねばならない。沢渡の家を守る為にも、当主が一心に受けるしかない。祭壇に誓い魂に刻んだ。呪いを解き彼らの魂に安らぎを、いつの日か与えて欲しい。』

 重蔵の書はここで終わっていた。


 真央『妖魔ではなかった...異人の家族だったという事でしょうか。』

 

 尚樹『船が流されてこの地に来たのかもしれません。山に住んでいたのでしょうが...。当時だと鬼のように見えたのでしょうね。鬼人の伝説は難破した外国の船の人達が、日本の山や島に住んでいるのを、日本人が勘違いしたという説もあります。』

 

 尚子『こっちの書はフィンランド語だわ。日誌みたいよ。最初の日付は千六百九十三年。フィンランドで飢餓が発生したみたいで、三家族が土地を離れてロシアに移動し始めたところからみたい。』

 

 尚樹『確か北欧に小氷河期があった頃だね。飢餓でたくさんの人が亡くなったって聞いた事があるよ。最初は陸路で移動してたようだね。』

 

 尚子『船に馬車も積んでいるわ。裕福な家系だったのかもしれないわね。ロシアの何処の都市だろう。破れていて読めないわ。親密な知り合いがいたみたい。その人を頼っていこうとしたのね。途中幾つかの港を経由しているみたい。それから暫くして嵐に巻き込まれて...その後は海を漂流してたのね。三年後に浜に漂着して、山の中に移り住んでいるわ。千六百九十六年。山の中に住処を作って、山の木の実や魚や動物を狩って暮らしてたみたい。冬は食物がなくなって街に出ていたのね。最後の日付は千六百九十七年二月五日よ。』

 

 戸部『重蔵様が妖魔退治に行ったのも、年明けの寒い日とありました。旧暦の年明けは、太陽暦だと二月です。ひょっとしたら重蔵様たちが討ち入る前日かもしれません。』


 フィンランド語の日誌と重蔵の日誌を合わせると、千六百年代後半に北欧、フィンランドに小氷河期が訪れ、気候変動で作物に影響が出て飢餓が蔓延した。三家族は新天地を求め、知り合いの住む地に旅立った。数カ所を経由し途中、嵐に遭遇し難破し男鹿半島に漂着した。山中に逃げ込み、人里離れた地で細々と生活をしていた。冬、山が雪で覆われる時期だけ、街におり食料などを盗んでいたのかもしれない。それを当時の人々が妖魔と思い、重蔵達が討ち入って惨殺した。という事だろう。


 真央『呪い...生き残った異人の娘さんが自害していますね。その娘さんの呪いなのでしょうか?』

 

 尚子『祭壇の文字は、その子が書いた文字だと思うわ。呪うというよりも亡くなった家族の魂の安らぎを求めているわ。祈っていたんだと思う。見知らぬ土地で苦労したのよ。安堵の地にいって安らかな眠りをって祈っていたのよ。残された日誌や文字のどこにも呪う様な表現はないわ。』

 

 尚樹『僕もそう思う。この屋敷にも土地にも、妖しい空気は感じないんだ。』

 

 戸部『先代も圭一様も穏やかな優しい方達です。恐らく重蔵様や歴代の当主様も、同じような方達だったのではないでしょうか。呪いとは自身の中にあるのかもしれません。』

 

 尚樹『魂に刻む...ですか。そうかもしれない、重蔵さんが犯した罪を償う事を魂に刻んだ。それが当主に遺伝子のように受け継がれていく。そんな事があるのか。』

 

 尚子『だとしたらさ。どうすれば圭一さんの呪いを、解く事が出来るんだろう?』

 

 尚樹『そうだね、難しいかもしれない。どうすればいい...』

 

 戸部『今日はもう休みましょう。ゆっくり寝て明日、考えませんか?』

 

 尚子『そうですね。』


 それぞれの寝室に入ってベッドの上に横になった。私は三百年前の出来事に思いを馳せながら、そのまま眠りに落ちていた。寝室のドアが開きノアールが入ってきた。ノアールは私の上に乗り、胸の上に蹲って眠りについた。頭の中に私を呼ぶ声がする。ノアールが私を呼んでいた。人の言葉を話している。


 ノアール『尚樹、彼女にきいてみましょうよ。』


 尚樹『ノアール嬢...何故、言葉が...』

 

 ノアール『来てくれたわ』

 

 その時、懐かしい雰囲気が私達を包んだ。

 

 ビャクヤ『尚樹、暫くですね。その節は世話になりました。』

 

 尚樹『ビャクヤ!』

 

ビャクヤ『ノアールから聞いていますよ。私が知っている事を伝えましょう。さあ、ついて来なさい』


 身体が宙に浮く感じがした。肩の上にはノアールが乗っている。ビャクヤは私の前に座った感じで浮いていた。ビャクヤの見つめる下を見ると、戦う装備をした男達が、洞窟に火を放つ場面が広がっていた。白い靄に包まれ靄が晴れると、洞窟で祭壇に祈りを捧げる少女の姿が視える。この地で起こった事を見せられているようだ。

 少女の声が聞こえる。フィンランド語のはずだが、日本語として認識できた。彼女は家族達の魂の安堵を祈っていた。そこには悲しみしかなく、恨みや呪いの類はなかった。少女が立ちあがった時、場面が変わった。ここは...フィンランドのようだ。飢饉が始まる前の一家の暮らしが見えてきた。

 ログハウスのような木造建築の家屋と、大きな庭、畑が広がっている。周辺にも同じような家が三つ建っていた。幸せそうな家族達の生活が、目の前に広がっていた。女性の腕には男の子の赤ん坊が抱かれていた。その足元にハルに似た猫が寄り添っている。あれが少女の母と兄だろうか。まだ、少女は生まれていないようだ。ハルに似た猫が私に気づいた。宙に浮く私とノアールを悲しそうな瞳で見つめていた。猫の波動が想いが私の中に流れ込んできた。波動の強さに眼を閉じ、再び目を開けるとベッドに戻っていた。目の前の宙にビャクヤが浮いていた。


 ビャクヤ『私が時を彷徨っている時に、あの猫の意思を受け取りました。あの家族は不幸を望んではいません、安堵と幸せな家庭を望んでいます。それは自分達だけではなく、この屋敷の者たち、敵になるであろう者たちも含めてです。家族は一つになりたいのです。尚樹、わかりますか?この世に偶然はありません、全てが必然です。もう尚樹には何が必要か、何をすべきか理解できたでしょう。』

 

 尚樹『ビャクヤ、わかったような気がする。ありがとう、関わった人達の悪しき因縁は晴らしてみせるよ。』

 

 ビャクヤ『私は時を彷徨うもの。また、会う事もあるでしょう。ノアール、二人をお願いしますよ。』


 私はそのまま眠りについていた。朝になり何か騒がしい、尚子がドアを開け駆け込んできた。


 尚子『ノアールさんがいないの。え?なんで尚樹さんのベッドで寝てるの?』

 

 尚樹『ノアール嬢、ありがとう。昨日、所長がビャクヤを連れて来てくれたんだ。』

 

 尚子『え?ビャクヤって、あのビャクヤ?』

 

 尚樹『うん。彼女が教えてくれたよ。』


 支度を整えたあと、一階のリビングに降りていった。テーブルの上には朝食の準備が出来ていた。真央と戸部はまだ来ていない。私が一人で座って待っていると、ノアールを連れた尚子が降りてきた。尚子は私の部屋を出て支度してからリビングにやってきた。暫くすると真央と戸部もリビングに姿をみせた。


 真央『おはようございます。先に召しあがって戴いても良かったんですよ。』

 

 戸部『あまりよく眠れませんでしたよ。いろいろ考えてしまって。』

 

 尚子『何かわかったみたいですよ。時空の旅人が助けてくれたみたい。』

 

 真央『え?』

 

 尚樹『お食事しながら聞いてください。昨日、夢の中に前に出会った、女神のような白猫が出てきました。ビャクヤという猫です。彼女はある事情で魂だけで時を彷徨っているようなんです。彼女が見せてくれた風景が、僕にヒントを与えてくれました。』


 私は三人に昨日の夢の話をした。戸部も真央を信じられないような顔で聞いていた。


 尚樹『ビャクヤは最後に、この世に偶然は無い全て必然だと言っていました。あの少女の一族は幸せを望んでいます。その為には沢渡家の一族も、悲しい因縁から解放される必要があるのでしょう。真央さん、貴方のお母様は多分、あの少女の家系にあたるはずです。そしてハルさん。夢で見たフィンランドのログハウスにハルさんに似た猫もいました。両家の因縁を解消する為に、お母様と圭一さんは出会われ、ハルさんがこの地にやってきたという事だと思います。』

 

 真央『そんな事が...本当ですか?父は大丈夫ですか?』

 

 尚樹『これは呪いではなく、自分自身に打ち込んだ、くさびによるものです。クサビを解けば大丈夫でしょう。恐らくあの石像の地下に、少女の家族の遺骨が眠っているはずです。掘り起こして慰霊祭を行って、フィンランドの地に埋葬しましょう。』

 

 尚子『石像はどうしよう。』

 

 戸部『掘り起こして慰霊をし、埋め戻した後に石室はなくし、石像だけにしましょう。戒めの記憶と慰霊にために。』

 

 真央『とにかく出来る事をやってみましょう。』


 その日のうちに業者を頼み、石像を台座から降ろし台座を壊した。祭壇を移動した後、慎重に掘削をしていった。地面のあちこちから人の骨が出てきた。人骨が出る事はわかっていたので、警察にも立ち会って貰った。遺骨は全て法医学教室に運ばれ、一つ一つ丁寧に並べられ鑑定が行われた。翌日、牧師が招かれ慰霊祭を行った。私達は慰霊祭に参加した後、東京に一度戻った。

 法医学教室で事件性が無い事が確認され、一体ごとに分けられ沢渡家に戻された。真央から報告を受けた私は、バンクーバーの真央の祖母に連絡をさせ、フィンランドの祖母の生家の場所を調べて貰った。祖母の生家のそばに、あの家族の安住の地があるはずだ。そしてフィンランドに遺骨を運ぶことが、長い因縁の解消になるだろう。圭一の意識はまだ戻らないが、空路、圭一とハルさんもフィンランドに運んだ。フィンランドには真央の母と祖母も、バンクーバーから駆け付けていた。私と尚子も同行した。ノアールは黒い毛だけを私達に持たせた。飛行機の移動はノアール嬢の負担が大きすぎる、日本で留守番をお願いした。

 祖母の生家の近くに来ると、あの時...ビャクヤと一緒にみた景色が蘇ってきた。ここだ、あの家族はやはり、真央の母の家系の者たちだった。生家につく手前で車を停めさせ、尚子と私は歩き出した。真央や真央の母は驚いた顔でみていた。百メートルほど歩くと広い草原にでた。私の脳裏には三百年以上前に、草原の先に建っていたはずの、ログハウスが見えていた。


 尚樹『真央さん、ここです。僕がビャクヤに見せて貰った場所は。』

 

 真央『何もない草原ですね。』

 

 祖母『昔は家が建っていたそうよ。』


 車椅子に乗せられ、膝にハルを乗せた圭一が、少し動いた感じがした。私達が車椅子を振り返った時、ハルが起き上がり草原の中に走っていった。しばらく行くと止り、振り返ってこちらを見ている。ノアールの黒い毛から意思が伝わってきた。

 

 尚子『ノアール所長があそこだって言っているわよ。』


 圭一の車椅子を押して、私達はハルのところに駆け寄った。ハルが地面を引っ掻いている。尚子が手で地面を少し掘ると、小さな木の人形が数体出てきた。服も着ているようだが、時の流れで破けてしまっている。


 尚樹『あ!夢で見た人形だよ。お母さんと赤ん坊が抱いていた...』

 

 祖母『これはトントゥよ。フィンランドの妖精たち。家の守り神って言われているのよ。』

 

 尚樹『この近くに教会と墓地はありますか?』

 

 祖母『この先にありますよ。遺骨を埋葬したい旨は、親戚を通じて伝え了解を取ってありますよ。』


 トントゥを尚子が拾い上げ、私達は教会に向かった。教会の中に入ると、牧師が祈りを捧げて待っていた。牧師にも事情は伝わっていた。牧師は遺骨の箱を祭壇の前に置き、祈りを捧げ始めた。私達もハルも神妙な顔で祈りを捧げた。


 牧師『教会の古い記録を調べてみました。千六百九十三年、ここから離れた人達がいました。エレン、貴方の遠い親戚にあたりますよ。不思議な話です。教会の墓地の一角に、一緒に埋葬しましょう。』


 牧師に連れられて、教会の墓地に向かった。すでに埋葬用に地面が掘ってあった。遺骨の箱を穴の中に置き、祈りを捧げ乍ら土を被せていった。ハルが何かに反応した。尚子や真央達には視えないのだろうが、私の眼には金髪の少女が微笑んでいる姿が視えた。少女の後ろには母の姿も視えていた。私は二人をみつめながら『長い間、すみませんでした。この地でゆっくりおやすみください』と心で祈った。


 真央『お父様?いま、動いたわ。お父様、わかりますか?真央よ。』

 

 圭一『真央、ここは?夢をみていたようだ。金髪の女性と少女が私の頬を撫でていた。』

 

 エレン『圭一、意識が戻ったのね。良かった。』

 

 圭一『エレン?何があったんだ。』

 

 尚樹『あとで真央さんから聞いてください。沢渡家の因縁は解消したはずです。もう圭一さんの身体も回復に向かうでしょう。』

 

 圭一『確かに痛みも無くなっている。』

 

 真央『良かった(泣)』


 沢渡家の祖母と母、エレン、圭一、真央の四人は暫くこの地に留まり、慰霊をしてから帰国する事になった。私と尚子はフィンランド観光をして日本に戻ってきた。厄介な依頼だった。着手から一カ月がかかってしまった。秋田から戻りフィンランドに出発する間は、積もり積もった他の依頼をこなす毎日だった。暫くは積もり積もった依頼を解決するのに、没頭しなければならなくなりそうだ。

 沢渡家の四人がフィンランドを旅立つ日が来た。圭一の病状も回復し自分で歩けるほどになっていた。教会に行き墓碑に祈りを捧げ、トントゥの埋まっていた場所に立ち寄った。その時ハルが真央の胸から離れ、草原を走り出していった。


 真央『ハル、何処に行くの?帰るわよ。』


 真央が呼びかけると、ハルは振り返り大きな声で鳴いた。まるでさよならと言っているようだった。ハルはそのまま走り去り、真央達の視界から消えていった。ハルの向かう先に小さなログハウスが立っていた。庭先にいる女性がハルを見て驚いている。ハルは女性の膝の上に乗って寝転がった。


女性『ハル?ハルよね?六年も何処にいたの?心配していたのよ。みんな、ハルが帰ってきたわ。』

 この一家は真央の祖母と欄と呼ばれた、フィンランドの少女の血縁に当たる一家だった。長い年月が過ぎ家系図もなく本人達は知らない事だが、ビャクヤが見せた当時の映像の少女の母の足元にいた猫がハルを日本に遣わせた。ハルの表情には使命を果たした安堵感がただよっていた。

 日本に戻った沢渡家の一行は洋館に着くと、隠し持っていた資料を一般に公開した。先祖の犯した過ちを公にし庭にあった石像を元の場所に戻し、鎮魂碑として祈りを捧げた。鎮魂碑には地元の人々も訪れ、多くの祈りと花が絶える事無く手向けられた。地元紙でも記事になった。なまはげ伝説とも符合する部分があり、沢渡家が伝説を吹聴した節もあった。せめてもの罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。

 真央の母の体調も戻り、日本に帰国し家族が一つになった。沢渡家を代々襲ったものは呪いではなく、自責の念が打ち込んだ、契約のようなものだったのだろう。当主自らが罪を背負い贖う事で、自分自身に許しを請おうとしたのかもしれない。念の力とは凄いものだと、私達は魂に刻んだ。

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