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猫の探偵社  作者: 久住岳
4/8

第4巻 黒猫のノアール

第四話 消えた子猫 名探偵・黒猫のノアール

 

 三月末、五年間の大学生活を尚子が終えた。四月からは本格的に探偵社の仕事に従事する事になった。いつまでも叔母の家を事務所代わりにするわけにもいかず、近くのマンションを事務所として借りる事にた。家賃は七万円、少し古いが広めのワンルームだ。尚子は都内のマンションを引き払い、事務所の傍の市川に引っ越してきた。

 

 尚子『川一本超えただけで、こんなに安いなんて...世の中おかしいですよ。』

 

 東京と千葉の県境、江戸川を一本越えただけで、住宅の評価は一変する。都内への通勤時間は数分しか変わらないのに、住所表記が東京と千葉では数万円の差が出る...不思議な話だ。尚子も家賃の違いに驚いていた。

 《猫専門探偵社・猫の手》のHPも少し修正した。依頼項目に猫の捜索以外の項目を加えた。《動物、よろず相談》だ。今までも捜索以外の問い合わせはあった。電話で済む相談は無料で対応していたが、日に日に相談数が増えてきていた。

 

 尚子『ペットの悩みって多いですね~』

 

 尚子は驚いたように呟いた。動物は言葉が話せない。目や表情、仕草で何かを訴えようとするが、それを理解できる人間は少ない。ましてや感情を読み取れる人などいない。動物と暮らす人にとってペットは家族だ。出来るだけ多くの動物の悩みを解決してあげたい。

 《よろず相談》の項目は猫以外も可とした。毎週月曜日をよろず相談デーに設定し、ネット予約制で十五分単位の時間割として開始した。予約画面で予約を受け付け、こちらから電話をするシステムだ。一時間で三件、一日二十一件まで対応可能だ。予約は二十日過ぎから次月の予約が出来る。

 予約システム開設後、最初の相談日の予約は三時間で埋まった。ひと月の予約分も一日で埋まってしまった。尚子の言う通りペットの悩みを抱えている人は多い。医者ではわからない事が動物には多いようだ。

 

 ようやく事務所の準備も整った五月の朝、一本の依頼の電話がなった。

 

 尚子『はい、探偵社・猫の手です。漆原さんですね。捜索のご依頼ですか。状況をお話しください。』

 

 漆原『子猫が一匹、いなくなっちゃって、探して貰えないかと。』

 

 依頼主の話では四カ月前に五匹が産まれ、その一匹が昨日から見つからないという電話だった。買い物に出かける時に子猫を五匹、ゲージに入れて出かけたが、帰宅すると一匹だけ姿がみえなくなっていたという。その子はよく脱走するそうでゲージの鍵は閉めていったが、抜け出してベランダの窓の空気口から逃げ出したと思うと話していた。今まで脱走した時は一時間もすると帰ってきたのだが...。一晩たっても戻っていない。心配そうな声だった。

 電話を切りすぐに依頼主の家に向かった。漆原の家は中央線の武藏境駅から、徒歩十分程の一軒家だった。周辺には小学校や中学校、境浄水場がある。家の周囲はマンションやアパート等の、集合住宅が多い場所だった。家の中に入ると二匹の親猫とゲージの中に四匹の子猫が鳴いていた。

 

 漆原『もう、この子達も心配しているみたいで。頭のいい子なんでしょう、すぐに逃げ出しちゃうんですよ。まだ、小さいのに...』

 

 猫達も『早く探して』と訴えかけている。生後四か月、人間だと七歳くらいになる。いろいろな事に興味津々で悪戯盛りの年齢だ。脱走した子猫の写真と、抜け出したと思われる空気口に残る感覚を感じた後、すぐに探索を始めた。猫の名前はコマメ、子猫の居場所はすぐにわかった。

 家を出てすぐ前の空き地にある排水溝の排水桝に落ちて、脱出出来なくなっていた。ここ一週間、雨が降っていなかったのが幸いし、排水桝の中は渇いていた。蓋を開けると心細そうな、黒い子猫が私達を見上げていた。

 

 漆原『無事で良かったわ、もう、この子は心配ばっかりかけて。』

 

 漆原は子猫を抱きしめて涙目になっていた。子猫は少しだけ申し訳なさそうな顔をしたが、すぐにやんちゃな顔に変わっていた。家に戻り子猫をゲージにいれ、扉をしっかりと閉め脱走した下部の隙間も塞いだ。親猫が心配そうにゲージに近づいた。他の四匹の兄弟は彼女の冒険の話が聞きたい様だった。これで依頼は終了した。

 

 漆原『有難うございました。戸締りは最新の注意をして気をつけます。』

 

 三人で話をしていると子猫から私に強い想いが流れてきた。子猫から流れる込む意識は『外に行く、連れて行って』というものだった。子猫に『コマメ、どこに行きたいの』と聞いたが返事をしない、どうやら彼女はこの名前は気にいっていないようだ。

 

 尚樹『漆原さん。この子が外に連れて行って欲しいと言っているんですが...。何かやるべき事があると言っているんですよ。どうしましょうか。』

 

 漆原『え?コマメが?どうしましょう...でも聞いてあげないとまた脱走するかもしれないし...探偵さん、お願いできますか?』

 

 連れて行かないとまた脱走するだろう。漆原に事情を話すと、もう少しコマメの気持ちを探るように依頼された。子猫を外出用のゲージに入れてコマメの行きたい所に行く事になった。家の外に出て彼女の意思を読み取り歩き出した。子猫の示す場所にあったのは中学校だった。家から五十メートルも離れていない。

 

 尚子『最近の学校は不審者とかに注意しているから、事務員さんに断った方がいいかもしれないわね。』

 

 漆原『大丈夫よ。私はこの学校の外部指導員なの。』

 

 校門を入ると数人の男女が言い争うような感じで騒いでいるのがみえた。この学校の生徒達で女子が三人、男子が四人だ。子猫は何か心配そうな気を送ってきていた。

 

 漆原『貴方達、何を揉めているの?』

 

 女子生徒『あ、おばさん。友達が二人、職員室に呼ばれちゃって。何もしてないのに、あいつが信用してくれなくて。』

 

 生徒達に事情を聴くと理科室の保管庫から、硫酸と硝酸が紛失し鍵を持っていた二名の化学部の生徒が、生徒指導の教師に疑われているという事だった。二名の生徒は『キーボックスに戻して、ボックスの鍵はかけた』と言っているらしい。化学部の顧問の女性教師は生徒を信じて庇っているが、生活指導の男性教師が信用しないそうだ。いま生活指導室で顧問の女性教師と生徒二名が、生活指導の教師と話し合っている真っ最中だった。

 子猫が生徒の元に連れて行けと言っている。私達は女子生徒に案内を頼み、生活指導室に向かっていった。部屋の前まで来ると男の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

 男性教師『こいつらが盗んだに決まっているだろう。あんたが甘いからガキどもがつけあがるんだ。』

 

 女性教師『貴方は何の証拠もないのに、生徒を疑って恥ずかしくないんですか。』

 

 男性教師は四十代、女性教師は二十代半ばくらいだ。女性教師は生徒想いのとてもいい先生らしい。男性教師は...昭和の時代の名残を残したパワハラ男性といった感じだ。子猫から流れる感情、意思が『この二人は犯人ではない』と言っていた。そして子猫は犯人を知っている様だった。私たち三人は指導室の中に入った。

 

 男性教師『なんだね、君達は。』

 

 尚子『あんたさ、生徒を信じられなくて、よく教師が務まるね。もし、その子達が犯人じゃなかったら、どう責任を取るつもりなのよ。』

 

 男性教師『なんだ、部外者が勝手に入って。不法侵入だ、警察を呼ぶぞ。』

 

 漆原『そうですね、警察を呼びましょう。警察に捜査して貰った方がいいわ。一方的に決めつけるなんて、今どきの学校でこんな暴力的な教師がいるなんて、外部指導員として見過ごす事は出来ません。』

 

 男性教師『あ、漆原さんでしたか。お恥ずかしい所を。しかし、このくらい厳しくしないと白状せんのですよ。』

 

 生徒『私達じゃないって言っているじゃないですか。』

 

 廊下ではさっきの生徒達が聞き耳を立てて聞いていた。悔しそうに涙ぐむ女生徒もいた。子猫は怒っていた、とても怒っていた。男性教師に飛びつくと、手を引っ掻いて私の元に戻った。彼女からは『早く連れて行け』という想いが流れ込んでくる。どうやら犯人は近くにいるようだ。

 

 尚樹『私は探偵です。縁があってこの場に居合わせました。犯人は近くにいるようです。皆さん、一緒に来て頂けますか。』

 

 男性教師『探偵?一体何なんだ。』

 

 漆原『探偵社・猫の手の野上さんです。とても高名な探偵ですよ。いいから着いてきてください。貴方達も来なさい』

 

 私に抱かれた子猫は向かう方向を指し示す。生徒指導室を出ると廊下にいた生徒達も、私達の後を一緒に着いてきた。子猫が示した場所は職員室だった。職員室には十人以上の先生が椅子に座っていた。突然、部屋に入ってきた私達に驚き、数人が立ち上がりこちらを見ている。生活指導の教師は教頭を連れてきた。

 

 教頭『漆原さん。外部指導員の責任者の貴方が、一体どういう事ですか。』

 

 漆原『教頭先生。私達、外部指導員は生徒の指導だけではなく、学校内の改善も責任の中にありますから。あまりに理不尽な生活指導の仕方に、異議を申し上げているんです。』

 

 尚樹『漆原さん、その話はあとでゆっくりして下さい。まずは生徒にかけられた濡れ衣をはらし、真犯人を掴まえましょう。教頭先生。私は探偵社・猫の手の野上といいます。この子が犯人を知っていて、私をここまで連れて来てくれました。五分で結構です。私の指示に従って下さい』

 

 後ろでは尚子が身構えして周りを睨んでいる。早くこの場を収めないと尚子が暴れ出しそうだ。尚子の威圧もあり教頭は私の意見を受け入れてくれた。私は子猫の想いを受け取り、職員室の真ん中の机の前に立つ男性教師の前に歩み寄った。子猫が机の引き出しを見ている。

 

 尚樹『貴方が犯人ですね。』

 

 男性『なにを...』

 

 男性教師がたじろいだ瞬間、尚子が教師の机の引き出しを開け、中に隠してあった瓶を二本取り上げ上に掲げた。

 

 尚子『これは何よ。顧問の先生、紛失した薬品ってこれでしょう?』

 

 女性教師『はい、間違いありません。』

 

 教師はその場で尚子に押さえつけられた。危険な化学薬品の盗難...事が事だけに教頭は直ちに警察に連絡し、男性教師は警察に連行されていった。聴取で教師は学校に対する恨みつらみを自白し、学校から盗み出した薬品で爆発物を作るつもりだったらしい。硫酸と硝酸だけでは爆発物が作れないが、他の薬品を混ぜれば可能だったようだ。生徒に疑いが及ぶように立ち回ったとも言っていた。引き出しからは保管庫の鍵も発見された。

 

 教頭『漆原さん、申し訳ありませんでした。お恥ずかしい限りです。』

 

 男性教師『全く、なんて奴だ、教師のくせに。』

 

 尚子『何を言っているのよ。貴方だって大して変わらないでしょう。証拠もないのに生徒を疑って。なんて奴だ、教師のくせに、だよ。生徒にちゃんと謝罪しなさいよ。』

 

 男性教師『いや、これは...危険な薬品だったから早く解決しようと...疑って済まなかった、俺が浅はかだった。』

 

 漆原『教頭先生。先生方にはまずは生徒を信じる事を指導してください。野上さん、有難うございました。』

 

 尚樹『いや僕ではなく、コマメちゃんのお手柄ですよ。ねえ、コマメちゃん』

 

 子猫は返事もせず振り返りもしない。やはり彼女はこの名前は気に入っていないようだ。職員室の他の教師や生徒の中には《探偵社・猫の手》の噂を知っている人がいた。この事は内密にするようにお願いしたが、女子生徒はすでにSNSで呟いた後だった。

 顧問の女性教師と生徒二名、仲間の女生徒達から子猫は感謝され、抱きかかえられてヒーローのように扱われていた。彼女の横顔は大満足の表情だった。脱走して生活圏の中でこの事件の匂いを嗅ぎつけ、解決しようとしていたのか?それはわからない。

 中学を出ても子猫は家に戻ろうとしなかった。まだ行きたい所があるのか?彼女が目指す場所に三人は連れて行かれた。着いたのは近所の集合住宅で三階建てのアパートだった。二階の部屋の前で子猫は『ニャー、ニャー、』と大きな声で鳴きだした。部屋の中から音が聞こえドアが開くと、若い女性が顔を出した。

 

 女性『クロ、来てくれたのね。...あなた方は?』

 

 漆原『この子はうちの子なのですが...この子に連れて来られて...なんというか...』

 

 尚子『探偵社・猫の手の者です。この子とお知合いですか?』

 

 女性『猫の手!聞いた事があるわ。ええ、良く遊びに来てくれるんです。』

 

 子猫は尚子の手から抜け出し、女性の部屋の中に入ってしまった。突然の見知らぬ者の訪問...しかし女性は三人を部屋の中に招き入れてくれた。探偵社・猫の手の信頼度は、愛猫家の中では極めて高くなっているらしい。

 

 女性『コマメって言う名前だったんですね。クロって呼んでも、返事もしないから』

 

 女性は笑って子猫の頭を撫でていた。どうやらコマメもクロも彼女はお気に召していないようだ。女性の話では一カ月くらい前から来るようになったという事だった。

 

 女性『下着が無くなったり部屋の中が何か変な感じで、気になっていたらクロが来たんです。最初はこの子が持っていったのかと思ったんですけどね。でもクロが来るようになってから、変な事も無くなってきて。』

 

 その時、子猫から静寂の感情が私の頭に届いてきた。子猫を見ると私を見て、『静かに』と言っているように感じた。私は紙に『しゃべらないで』と書いて、三人にみせた。部屋が静けさに包まれると、子猫はテレビの後ろのコンセントの所にいき、振り返って私達を見た。

 探偵学校を歴代でも最優秀で卒業した尚子が、そっと子猫に近づきコンセントに付いたままタップを分解して、蓋を開けて中を確認した。盗聴マイクが仕込まれていた。タップの中を見せながら、紙に『盗聴器です』と書いて私達にみせた。どうやら子猫はこの事を女性に伝えたかったようだ。尚子は紙に『普通に会話しましょう』と書き、私達はテーブルに座った。その後は普通の会話をしながら、髪とボールペンを使い筆談となった。女性と漆原は困惑したような感じだった。

 尚子の話ではあの盗聴器では、半径三十メートル位しか受信が出来ないようだ。通りまでは五十メートルはある。埃の付き具合から仕掛けられてから、半年も経っていないという事だった。盗聴しているのはアパートの住人だと思うと尚子は推測した。

 盗聴器はあのままにして犯人を捕まえるというのが,尚子の判断で女性も同意見だった。どうやって捕まえるか?その時、子猫がドアに行き、『連れて行け』と私を催促していた。どうやら子猫は犯人を知っているようだ。

 ドアを開けると子猫は階段を走り下りていった。一階の右から二番目のドアの前で止まり、振り返って鳴いた。どうやら盗聴犯はここに住んでいる十人が仕掛けたようだ。尚子がドアに耳をつけ中の様子を確認し、電気メーターの動きを確認していた。

 

 尚子『どうやら留守のようです。メーターの動きも微小ですから。』

 

 尚樹『一度、戻って対策を練ろうか。』

 

 私と尚子は子猫を連れて女性の部屋に戻った。漆原が紙に『ここでは話せないから、私の家で』と書いてみせた。女性も頷き漆原の家に向かった。女性が住む集合住宅は三階建てで、各階六部屋が並び十八世帯が暮らしている。女性の一人暮らしが多く、あまり近所との付き合いは無いという。一階の部屋に住んでいる人物もよくわからないそうだ。

 

 女性『あの部屋に住んでいる人が、私の部屋に盗聴器を?どうやって?』

 

 尚子『合鍵を持っている可能性がありますね。ピッキングで開けた形跡は、ありませんでしたから。どんな人物なんだろう?不動屋さんに聞いてみましょうか。』

 

 尚樹『教えてくれないよ。僕達は警察じゃないんだから。』

 

 女性『なんか戻るのが怖いです。』

 

 漆原『そうよね、暫くここにいてもいいわよ。』

 

 女性『でも、いない間に入られるかもしれないし...』

 

 尚子『それよ!それ。』

 

 漆原と尚子と女性が再び女性の部屋に戻った。私と子猫は集合住宅の一階の、例の部屋の玄関が見える場所で待機した。子猫の感情が高ぶった時、一人の男が集合住宅の前に現れた。男は例の部屋の前に立ち、鍵を開けて中に入っていった。私は尚子にメールを送った。『対象者、帰宅。部屋にはいった』まるで本当の探偵のようだ。五分ほどすると尚子達の芝居が始まった。

 

 尚子『ねえ、そろそろ行こうよ。いい旅館だよ。ゆっくり温泉に入ってさ。』

 

 漆原『そうね、久しぶりのお泊りだわ。行きましょう。』

 

 盗聴マイクの前で大きな声で女性達は会話をしていた。女性が支度をする振りをして、五分後に戸締りをして部屋を出ていった。盗聴班を油断させ罠を仕掛ける作戦だ。一度、漆原の家に戻り尚子だけ私のところにやってきた。

 

 尚子『尚樹さん、交代で見張りましょう。一時間交代でいいですね。今、まだ六時だから、動くのはもっと暗くなってからでしょう。七時に交代に来てください。もし、尚樹さんが見張りの時に動きがあったら、すぐに連絡くださいよ。尚樹さんじゃ取り押さえられないでしょう。』

 

 尚子に見張りを替わり子猫を連れて漆原の家に戻った。子猫はまだ緊張感を保っている。犯人確保までが彼女の使命のようだ。一時間後、尚子と見張りを交代し、その一時間後、再び尚子が見張りに着いた。八時半、男が動いた。一階の部屋から出ると周りを気にしながら、階段を上がり二階の廊下を歩いている。

 尚子から『男が動いた』という連絡を受け、漆原と私と女性もすぐに見張り場所に向かった。私達が尚子と合流した時、男がポケットから鍵を取り出し、女性の部屋のドアを開け侵入した時だった。

 

 尚子『漆原さん、警察に連絡。行くわよ、二人は危ないから部屋の外で待ってて。捕まえたら呼ぶから。』

 

 三人で静かに階段を上りドアノブに手を掛けた。鍵がかかっている、女性から鍵を預かり、尚子がカギを開け部屋の中に入った。すぐに部屋の電気をつけ『泥棒』と叫んだ時、部屋の中では男がタンスを物色している所だった。

 男は慌ててベランダから逃げようとしたがここは三階だ。窓からの逃走を諦め部屋に引き返して、尚子に向かって殴りかかってきた。

 憐れな男だ、お前が襲い掛かったのはクマと勝負をしたがる、恐ろしい女性だ。次の瞬間、男は床に叩きのばされていた。尚子に呼ばれ部屋に入ると、顔が腫れ口から血を流す男が、尚子の下で蠢いていた。尚子にロープを渡し男の手を縛り捕縛は終わった。

 

 尚子『女性に殴りかかるなんて、最低の男ね。まだ、嫁入り前なんだからね。』

 

 漆原『警察、すぐに来るって。また、貴方ですかって言われたわ。』

 

 警察はすぐに来た。中学校で教師を連行した刑事だった。住居侵入の現行犯で男は逮捕、所轄署に連行されていった。警察が男の部屋を家宅捜査すると、盗聴器の受信機が何台もあったそうだ。その後の自供で住宅の五つの部屋に盗聴器をつけていた。三つの部屋の合鍵もみつかり、女性の下着類がたくさんみつかった。この三つの部屋は入居時に鍵を交換している。鍵を交換した業者が男の仲間だった。業者の男も翌日逮捕された。

 

 刑事『また、貴方達ですか。一体?何がどうなっているんですか?』

 

 漆原『この子よ、コマメが教えてくれたの。』

 

 刑事『そんなこと言われても...。とにかくご協力感謝します。後日、事情聴取にもご協力ください。』

 

 刑事は首をかしげながら署に戻っていった。女性はコマメを抱き『クロ、ありがとう』と言っているが、子猫の返事は無かった。やはりその名前は嫌なようだ。女性は私達にも感謝していた。長い一日だった。一度、漆原邸に戻りお茶をしながら『大変な一日だったね』と笑いながら話していた。良かった、笑って話せる結果になって。

 それから暫くして帰る時間になり、挨拶をして立ち上がると子猫がズボンのすそを咬んでいる。『まだだ』という子猫の感情が伝わってきた。この子はまだ問題を抱えているようだ。

 

 尚樹『まだ、用事があるみたいだよ。どうしよう』

 

 尚子『乗り掛かった舟だもん。コマメちゃんが安心できるまで、付き合うしかないわね。』

 

 漆原『コマメ、まだあるの?あんたは脱走して何をしていたの?もう、遅いし野上さん、本条さん。明日一日、追加でお願いできますか?』

 

 コマメの捜索は...捜索ではなくなったが...明日まで延長になった。子猫にそれを伝えると満足そうな顔で、ゲージの中に入っていった。翌日、十時に漆原邸に行くと子猫がそわそわしながら待っていた。

 

 漆原『コマメったら朝からテンションが高くて、もう落ち着きがなくってね。何を考えているのかしら。』

 

 子猫はすぐに出掛けたがっていた。十時半に家を出て子猫の意思を読み取り、彼女が行きたい方向に歩いていった。昨日の住宅とは反対の方向だった。家から百メートルほど歩き、一軒家の前で子猫が鳴いた。成猫でも半径百五十メートルが猫の行動範囲だ。生後四カ月、彼女は生後三カ月から動き回っている。百メートルはかなり離れた距離だ。猫の鳴き声に気づいた住民が、玄関をあけて顔を出した。

 

 老人『おや、チビ、来てくれたのか。うん?貴方達の飼い猫でしたか。』

 

 お爺さんは子猫を抱きかかえると、嬉しそうな顔を摺り寄せた。子猫は少し迷惑そうな様子だが、甘んじて受けいれている。漆原が男性に説明をしている。

 

 男性『コマメっていうのかい。チビって呼んでも見向きもしなくてね。』

 

 男性は笑って部屋に通してくれた。男性は八十歳近くで三年前に奥様をなくし、二人の子供は大阪と横浜に住んでいて一人で暮らしているそうだ。『身体も元気だしね。動けるうちは一人が気楽だよ』と笑っていた。子猫が来るようになったのは、やはり一カ月くらい前からだそうだ。生後三か月を過ぎ身体も思うように動くようになって、脱走を繰り返しだした頃からだ。

 

 老人『チビが遊びに来てくれるのが、いつのまにか楽しみになってね~。二日も顔を見せないから心配していたんだよ。そうか、溝に落ちちゃってたのか。可哀相に、心細かったろう。』

 

 男性は子猫を抱き寄せると、愛おしそうに頭を撫でていた。その時、部屋の電話が鳴り老人が受話器を取った。

 

 老人『あ~、大丈夫だ、気にするな。用意は出来ているよ。』

 

 老人は縁輪口で親しそうな感じで話して電話を切った。子猫から私に警戒と焦燥、不安の感情が流れ込んできた。『気をつけろ』と言っている。

 

 老人『チビが来ている時に電話が鳴ると、電話に飛び掛かって切っちゃう時があってな。良かったよ、息子の電話を切られないで。』

 

 私 『息子さん、どんな要件だったんですか?子猫がとても気にしています。差しさわりが無ければ教えて頂けますか。』

 

 老人『え、チビがかい?恥ずかしい話だがね。』

 

 男性が言うには昨日、息子から電話があって仕事がうまく行かず、明日までに仕入れ代金を払わないと倒産するといって来たそうだ。五百万貸して貰えないかという内容だったという。

 老人は息子さんがサラリーマンを辞めて転職した事を知らなかったが、あまり親を頼らない息子が頼ってきた事が少し嬉しかったそうだ。昨日、五百万を銀行からおろし、手元に用意してあった。さっきの電話も息子さんで自分は用事で行けないから、代わりの者に取りに行かせるという内容だったそうだ。

 

 尚子『お爺ちゃん、本当なの?それって絶対に詐欺だよ。息子さんの連絡先は知っているんでしょう?』

 

 老人『え?詐欺?息子だよ。俺を頼ってくれたんだよ。』

 

 尚子『今すぐに息子さんに電話して。早く!』

 

 尚子の勢いに押され老人は受話器を取り息子に電話を掛けた。

 

 老人『ああ、俺だ。お前、さっき電話してきたよな?五百万は用意したぞ。会社やめて大丈夫か?』

 

 息子『何の話だよ。俺は電話なんかしてないし、会社も辞めてないよ。親父、オレオレ詐欺に引っかかたのか?何やってるんだよ。金は渡しちゃったの?』

 

 老人が戸惑っている様子を見て、尚子が電話を替わった。

 

 尚子『息子さんですか?縁があってたまたま居合わせた探偵社の者です。御安心ください、まだお金は渡していません。良かったわ~、渡す前で。犯人は私がとっちめて捕まえるから安心してください。』

 

 私が電話を替わり息子さんに事情を説明して、こちらで対処する事を伝えた。老人の話では午後一時に代わりの男性が、お金を受け取りに来るそうだ。約束の時間まではあと三十分。私は昨日の刑事に連絡し事情を伝えた。私服の刑事をすぐに向かわせるという事だった。

 

 尚子『刑事が来る前に来ちゃうかもしれない。仲間もいるかもしれないわね。尚樹さんは家の外でどこかに隠れて見張っててください。車だったらナンバーとか車種とかメモって下さいね。』

 

 私と漆原は家を出て家と通りが見渡せる、隣の集合住宅の階段から見張りを続けた。一時前、近くの通りに車が停まった。助手席から男が一人おりて、老人の家に向かった。尚子の携帯に『男が向かった』と連絡を入れ、車のナンバーと車種をメモった。尚子の予想通り刑事の到着は遅れていた。男が男性の家に入り呼び鈴を押した。

 

 男性『こんにちは。息子さんに頼まれてきました。』

 

 老人『さっき、息子に連絡をとったよ。そんな事は頼んでないって言っていたぞ。』

 

 男性『い、家を間違えたようです。失礼します。』

 

 尚子『逃げられると思っているの?人を騙すなんて恥を知りなさい。』

 

 次の瞬間、詐欺の男は玄関の床に倒れていた。尚子の中段突きが男のみぞおちに入っていた。上から見ていた漆原が『野上さん、あの二人、刑事じゃない?』と下を歩く男を見ていった。慌てて階段からおり刑事に近づき、車の事を伝えた。刑事二人が車の前方を塞ぎ中の男を確保した。家から尚子が出てきて受け子の男性を引き摺って、刑事に引き渡していた。男達は近くで待機していたパトカーに乗せられ連行され、刑事二人が男性宅で事情聴取を始めた。

 

 刑事『また、貴方達ですか。いったいどうやって事件を探り当てているんですか?』

 

 私 『いや、なんとなく...』

 

 漆原『猫の探偵さんですよ。私達、猫好きの中では有名な探偵さんです。猫と話が出来るのよ。この子が教えたの。』

 

 刑事『調書にそんな事は書けませんよ、困ったな。』

 

 刑事は半信半疑といった感じだ。にわかには信じがたいが昨日の今日だ。困った様子で事情聴取をしている。結局、男性が訪問した私達の助言で息子さんと連絡を取り、詐欺が発覚し逮捕に協力したという事になった。私もその方が有難かった。こんな事が広まったら更に変な依頼が多くなる。尚子は悔しがっていたが...

 刑事が帰った後、男性は息子さんに報告し、息子さんから私達に感謝の言葉と、探偵としての料金の請求を申し込まれた。丁重に断ったが聞いて貰えず、成功報酬と日当の三万円を請求する事になった。

 

 老人『チビ。ありがとう。チビが切った電話は詐欺の電話だったんだな。チビは名探偵だ』

 

 老人は子猫の頭を撫でていた。子猫は安堵の感情と達成感を私に伝えてきた。男性の話では子猫が来る前に役所を名乗る者から、一人暮らしの老人家庭の調査をしていると電話があったそうだ。その際に家族構成や連絡先などを聞かれたという。それから数日して子猫が来るようになり、電話が鳴ると切ってしまうという行動が繰り返されたそうだ。不思議な事に子猫が切らない電話は、近所の友達や親戚や家族だったそうだ。

 

 老人『チビ、俺の事を守りに来てくれてたのか。漆原さん、チビを譲ってもらえんかな。一人暮らしで寂しいし。うちの息子や娘も猫が好きだから、もし俺に何かあっても、ちゃんと面倒を見るようにいっておくから。どうだろう?』

 

 漆原『本当ですか。うちの子が五匹も産んだから、三匹は誰かに譲ろうと思ってたんです。一匹は引き取り手が見つかったんですけど、二匹はまだですから。』

 

 老人『そうですか。チビ、俺のうちに来るか?』

 

 子猫は男性の顔を舐めると、『ミャ』と鳴いて男性から離れ、私達の元に戻ってきた。子猫からは『役目は済んだからね』という意思が聞こえてきた。男性に子猫の気持ちを伝えると、寂しそうな顔になった。

 

 漆原『この子の兄弟でも良かったら、お譲りしますがどうですか?』

 

 老人は嬉しそうに頷いた。事件が片付き老人の家を出て漆原邸に戻った。子猫は親と兄弟と顔を寄せた後、満足そうにカーペットの上に寝転がっていた。抱えていた案件は全て解決し安堵している感じだ。寝転がった彼女はあどけない可愛い子猫だった。

 

 漆原『本当にコマメに驚かされましたよ。こんな子を貰ってくれる人がいるかしら。』

 

 尚子『子猫ちゃん達。里子に出すって言ってましたね。』

 

 漆原『ええ、五匹産まれましたからね。三匹は里子に出そうと思っているんですよ。さっきの方で二組の引き取り手は見つかりました。明日、見に来るんですよ。』

 

 尚子が子猫に近づき話しかけた。

 

 尚子『ねえ、小さな探偵さん。私のところに来る。うちのマンション、ペット可だから、大丈夫よ。』

 

 子猫は起き出すと尚子の顔を舐め始めた。

 

 尚子『来るのね。漆原さん、譲っていただけますか?尚樹さん、連れて帰りますよ。』

 

 漆原は願ってもない事だといって喜んだ。子猫は満足そうに私達に親しみと信頼の感情を寄せて来ていた。子猫は親と兄弟に別れを済ませると、尚子の胸に抱かれ家を出た。二人と一匹はそのまま探偵事務所のあるワンルームに向かった。事務所に戻ると子猫は私の席の机の上に乗り、ずっと前からそこにいたような感じで座っている。彼女はここで働くと訴えている。

 生後三カ月にして事件の匂いを嗅ぎ分け、あっという間に三つの事件を解決に導いた黒い子猫。漆黒の身体に妖しく光る黒い瞳、それでいて可愛らしく愛くるしい姿。探偵事務所の所長に相応しいかもしれない。

 

 尚子『尚樹さん。これは...所長交代ですね。』

 

 尚樹『え~、この子が所長になるの。じゃあ、僕が副所長で尚ちゃんは平の調査員だね。』

 

 尚子『い~え。副所長の座は譲りません。』

 

 結局、子猫が所長となり、私と尚子は副所長に就任した。子猫に名前を付けなくてはいけない。コマメもクロもチビも彼女のお気に召していない。三十分近くいろいろな名前で呼んで、やっと返事をしてくれたのが《ノアール》と呼んだ時だった。子猫の名前がやっと決まった。我が《猫専門探偵社・猫の手》も《猫の探偵社・黒猫のノアール》に社名変更した。

 所長ノアールの調査能力は素晴らしかった。探偵学校もいっていないのに、尚子を凌駕するところもあった。優秀な所長を迎え一匹と二人は、難事件に挑んでいく事になる。



 尚樹、尚子...そして黒猫のノアール。猫の探偵社の主役が揃った。ノアールの能力は尚樹の想像をはるかに超えている。二人と一匹の探偵業.は迷子猫の捜索から難事件へと向かう事になる。

 

 黒猫のノアールが大活躍していきます。


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