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猫の探偵社  作者: 久住岳
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第10巻 伝承地の事件・主神 怪描ミケ 後編

   猫 の 探 偵 社

   

第10巻 伝承地の事件・主神 怪描ミケ 後編

     

     

 徳島の事件捜査はノアールの協力で進展し始めた。尚樹や尚子、ノアールが思っていた以上に、日本の犯罪史に残りそうな大事件に発展していく。

 

 先に署に戻った村西は捜査会議を始めていた。殺害された男の名前が《鮫島》、一緒にいた男の名が《霧矢》で他に二名の、中国系か台湾系の男と国籍不明の女。殺害犯は霧矢ではなく、中国系の男である事を伝えた。捜査員達は色めきだった。素性が何故わかったのか不思議に思いながらも《霧矢》の名前に反応していた。

 

 捜査員『管理官。霧矢と言うと、あの霧矢ですかね?』

 

 村西『それはわからん。しかし我々が霧矢と聞いて、思い浮かぶのは奴くらいだろう。』

 

 村西達がいう《霧矢》という男は霧矢清二という名の、三十二歳になる愛媛県出身の男だ。中学生の頃から地元では有名な不良だった。喧嘩やカツアゲで何回か補導され、高校一年の時には初等少年院に送られている。一年で退院した時に高校は退学になっており、親の元に戻り半年ほどは大人しくしていた。十七歳の時に家を出て広島や福岡等を転々としていたようだ。十九歳の時に大阪に現れ半ぐれ組織の一員となっている。

 

 霧矢は様々な犯罪に手を染める男だった。力任せな犯罪から詐欺や地上げ等、金になれば何でもする男だった。金の為なら人殺しも厭わない男だ。二十三歳の時に大阪で地上げ詐欺に関わり、逮捕されて三年の実刑判決を受け服役した。二年で仮出所しその後は神戸に拠点を移した。徳島県に霧矢が来たのは三年前、二十九歳の頃だった。大阪や神戸時代の舎弟を数人連れてきたそうだ。徳島でも繁華街の地下に潜り、地元の反社組織とも繋がり悪事を重ねてきた。

 

 捜査員『あの時は決め手が無く悔しい思いをしましたが、今度こそ奴を逮捕しましょう。』

 

 村西『君達の気持ちは理解するが焦っては駄目だ。奴はまだ我々の動きを知らないだろう。前回は証拠を消されたからな。地道に証拠を集めて奴を追い詰めるんだ。』

 

 徳島県警の管轄内で三年前に発生したサラ金強盗事件では、店に押し入った三人の覆面の男達が八千万円を奪って逃走した。店の男女二名の従業員が負傷し、男性従業員は全治三カ月の重傷だった。犯行後、三人の身元は特定され指名手配された。そのうちの一人は霧矢の舎弟だった。警察は霧矢の関与を疑い捜査したが、確たる証拠を得られずにいた。頼みの綱は指名手配中の犯人逮捕だ。犯人からの供述が得られれば逮捕できると確信した。

 

 霧矢には常時、刑事が見張りについていた。犯行から一週間後、追っていた犯人二人の遺体が海に浮かんでいた。この二人はまだ十九歳の若者だった。実行犯の主犯格は霧矢の舎弟、二十七歳の男で二人を殺害したのも主犯の男だった。捜査が主犯格に迫った時、マンションの敷地内で遺体となってみつかった。屋上からの転落死だった。警察は霧矢に任意同行を求め追及したが、彼には明確なアリバイがあった。刑事が終日監視していたのだ。屋上には争った跡はなかったが、体内からは大量のアルコールが検出された。酒を呑ませて突き落とした、警察はそう睨んでいた。

 

 しかし何の証拠もないまま時が過ぎていった。徳島県警は断腸の思いで犯人を被疑者死亡で送検し、強盗事件は一応の決着となった。盗まれた八千万円は舎弟の女のところから、一千万が見つかったが、残りの七千万円はいまだ見つかっていない。霧矢に渡っているはずだ…刑事たちは歯ぎしりして悔しがった。霧矢の姿はその後、徳島県から消えた。二年前、事件から一年後に舞い戻っていた事も警察は把握していなかった。

 

 ひとみ『管理官、追加の資料をお持ちしました。』

 

 捜査会議が開かれている阿南警察署に、立花ひとみが戻ってきた。会議室の扉を開け中に入ったひとみは、室内に立ち込める刑事達の熱気を感じた。ひとみは三年前の事件の時は、まだ刑事になっていなかったが、捜査一課の刑事になった時に先輩から事件の話は聞いていた。ひとみが扉を開いて入ってくると、刑事達が一斉にひとみを期待の籠った眼でみた。

 

 村西『これは…似顔絵か。おい、みんな見てくれ。やっぱり霧矢清二だ。』

 

 捜査員『ええ、そうですね。霧矢を指名手配しましょう。』

 

 村西『馬鹿な事を言うな!証拠もなく手配など出来ん。とにかく霧矢の行方を追え。あと、この二人もだ。中国系の男らしい。立花は引き続き探偵と行動を共にして、何かわかったら報告を頼む。…あの探偵が頼りだな。』

 

 捜査員達が街の中に散っていった。神社では尚子を中心に事件の考察をしていた。探偵としての技量、思考、全てにおいて尚子は抜きんでている。ノアールが聞き取った情報や事実を元に、事件のストーリー、筋読みが行われていた。そこに立花ひとみが戻ってきた。霧矢という男の情報が尚子に伝えられ、尚子の考察の精度が上がった感じだ。二年前の事も含めて考察をし直した。

 

 尚子『お金に執着するタイプの犯罪者なのね。なるほど…何か神社を困らせないといけない理由があった…それはお金がらみの何かって事ね。そういう男なら金にならない事なんかで動くはずがないわ。なんだろう?やっぱり神社関係者の聞き取りが鍵になりそうなきがするわ。明日になれば例の巫女の子も出勤するし、神社の神主も出張から戻るから。二人に話を聞いてからね。今日はここまでにしましょうか。』

 

 響子『尚子ちゃんて凄いね!刑事さんみたいだよ。』

 

 ひとみ『確かにそう思います。では、私は捜査本部に戻ります。明日も九時にお邪魔します。』

 

 尚子『お腹減ったわ~。ねえ、ひとみさん、地元の美味しい所に連れて行ってよ。もう六時だもん、業務は終了でしょう?』

 

 ひとみ『事件捜査中ですよ、定時なんて無いですよ。でも、一緒にいた方が何かわかった時に便利ですね。私の行きつけの店がありますから、ご案内しますよ。ちょっと遠いけどいいですか?』

 

 尚子『うん、尚樹さん、神主さんに車かりてよ。』

 

 ひとみの車には尚樹が乗り、神社から借りた車は尚子が運転し、響子がノアールを抱いて乗った。ひとみは食事が終わったらそのまま阿南市の自宅に帰る予定だ。帰りは尚子の運転する車で三人と一匹で神社に戻る。ひとみの行きつけの店は阿南市の町中から少し離れた、川沿いにある海鮮料理の店だった。店の主人はひとみの母親の同級生で、子供の頃からよく来ていたらしい。

 

 尚子『何よ、超美味しいわ~。』

 

 ノアール『ミ、ミ、ミ、ミャ~~』

 

 料理は…どれも新鮮で素晴らしかった。尚樹も尚子も響子も大満足の料理だった。一番喜んでいたのは所長ノアールだ。美味しい魚に珍しく興奮した様子で、普段はおしとやかなお嬢様が、まるで野良猫のようにがつがつと食べていた。勿論、ノアール嬢の健康の為に人間の味付けはしないものを食べて貰っている。店でも新鮮な魚の本来の味を、ノアール所長は堪能していた。

 

 ひとみ『気に入ってくれました?古い食堂って感じだけど美味しいでしょう。地元の人しか知らない隠れた名店なんですよ。』

 

 尚樹『響子さん、こういった食レポ的なものは書かないんですか。雑誌に乗ればもっと人気が出るよ。』

 

 響子『私は食レポの才能はないからね。でも本当に美味しいわ…女将さん、雑誌社に教えてもいいかしら』

 

 店の女将は響子の申し出を喜んで受け入れた。響子は今回の猫の探偵社密着取材の記事にも、この海鮮料理の店を載せるつもりでいた。それとは別に出版社の編集に伝えようと思っている。その夜は事件の事は忘れて、四国に来て初めて観光らしい夜になった。立花ひとみは久能響子と本条尚子、二人の変わった女性との交流を深めていた。翌日、神社の社務所に響子と尚子が座っていた。

 

 尚子『では、始めますか。神主さん、巫女のバイトの大学生を呼んでください。』

 

 神社にひとみが来るのを待って、尚子と響子が女子大生への聞き取りを開始した。その様子を少し離れた所から隠れて、ひとみと尚樹とノアールもみていた。巫女の女子大生…確かに遊んでいる風の感じの子だ。神社の巫女の衣装を着ていても清い感じには見えない女性だった。バイトの女性は突然、呼び出しを受けて不機嫌そうな感じで、尚子と響子の前に座った。

 

 尚子『神主さんから依頼を受けた探偵社の本条尚子と申します。昨日から神社の関係者全員に、話を伺っていますから緊張しないで話してください。』

 

 尚子は機嫌悪そうに座る女子大生に丁寧な言葉で話し始めた。しかし女性の態度に少しイラついたようで、言葉の端々に恐ろしいほどの圧力がこもっていた。尚樹とノアールは『これは…暴走しなければいいけど』と、心配げに様子を窺っている。ひとみは容疑者の事情聴取の時に、尚子の発する圧迫感が参考になると感心していた。尚子は女子大生にここ最近、変わった事が無かったか問い質した。女子大生はあっけらかんと特にないわよ~と面倒くさそうに答えている。

 

 尚子『いい仕事が見つかりそうなんだってね。』

 

 巫女『誰に聞いたのよ。まあ、いっか、そうよ、ここの倍以上の時給のバイトよ。三千円もくれるのよ。』

 

 尚子『時給三千円って何のバイトなの?水商売なら安いくらいよ。倍以上って怪しくないの?』

 

 巫女『水商売じゃないわ、ただの喫茶店のウェイトレスよ。倶楽部で知り合った美香さんの店はバーだったけど、喫茶店をオープンする事にしたそうよ。美香さんのバーも変な店でもないしバーテンの人も格好よくってさ。誘われちゃったし!パーティーに。』

 

 尚子『なんのパーティーなの』

 

 巫女『知らないわ。』

 

 巫女の女子大生の話では、バイトは新しい店がオープンする来年からだという、五か月後の話だ。随分、気の長い話だが今の店でも、週一でバイトする事になっているそうだ。新年までは巫女のバイトと、週一の店のバイトを掛け持つつもりでいたそうだ。尚子はその話の内容に不審感を覚えた。五カ月後にオープンする店のバイトに、何故いま雇う必要があるのか…尚子的には眼の前にいる女性に、それほどの魅力があるとは思えなかった。

 

 尚子『美香さんはどんな人なの?あなたの話を聞くと…私は怪しい感じがするわ。』

 

 巫女のバイトの女子大生は全く意に介していない感じで、尚子の話を面倒くさそうに聞いていた。尚子は《美香》という女性の事も気になった。ノアールの報告の中に事件現場の車の中に、女性の姿が目撃されている。ノアールが受けた女性の靴のイラストを巫女にみせた。

 

 尚子『ねえ、この靴に見覚えはない?』

 

 巫女『え?あ!この靴って美香さんが履いている靴よ。凄く高い靴だって言って自慢していたもん。』

 

 ひとみ『ごめんね、いきなり割って入って。徳島県警の立花です。詳しく聞かせて。』

 

 バイトの女性の言葉を聞き、ひとみは慌てて社務所の部屋に駆け込んだ。ノアールが目撃猫から仕入れた情報…警察にとっては不確かすぎる情報だが、手掛かりはノアールの言葉だけだ。殺人の現場で猫に目撃された女性、履いていたと思われる靴の所在がわかった。巫女は刑事の出現に怯えるような感じだった。ひとみは勢いに押されただけかもしれないし、何かやましい事でもあるのかもしれない。

 

 女性が怯えている事などお構いなしに、ひとみは靴の持ち主について詳しく事情聴取を始めた。専門家には口を出すなというが、ひとみの聴取は手際がよく、的を得た質問をして情報を引き出した。流石は現役の警察官、捜査一課の刑事だ。巫女の女子大生は美香という女性の事は、あまり良く知らないようだ。たまたま遊んでいた倶楽部で三カ月前に声を掛けられ、何度か倶楽部で会ううちに店に誘われ遊びに行ったそうだ。その時にバイトの誘いの話があり、一カ月前から週一で行くようになった。バーテンの男から誘われ出したのは、二週間前くらいからだそうだ。

 

 巫女『日本人じゃないけど、素敵な人なの。』

 

 ひとみ『いい事、よく聞いてね。捜査情報を教える事は出来ないけど、その人達は危ない人達だと思うわ。まずパーティーにはいかない事。連絡があったら私に伝える事。わかった?』

 

 巫女『はい。なんか怖い事に巻き込まれた?』

 

 大学生はひきつった顔になった。すれた感じだがそんなに悪い子ではなかったようだ。ひとみは美香の店の住所を聞き、この事をすぐに捜査本部に報告した。次に神主に事情を聞いた。神主は流石に危ない交流はなかった。ここ数年で新しく懇意になった人物もいないそうだ。神社関係者や行政の担当者、取材等の対応が多いと話していた。

 

 響子『猫神様の神社ですものね。取材の申し込みも多いでしょう。私も取材させてくださいよ。』

 

 宮司『いいですよ。神社の由来とかなら喜んでお話ししますよ。祟りとかはお断りですよ。』

 

 響子『この神社の事も調べましたけど、特に祟りの話なんて無いですよね?まあ、今回の事件で出ましたけど。』

 

 宮司『本当に困っていますよ。祟りの云われなど特に無いんですけどね…この間の記者は変な事を言ってきてね。』

 

 宮司の話によるとフリーの記者を名乗る男が、半年ほど前に取材に訪れたそうだ。その男性記者は神社の由来を聞くと、土地の祟りの噂の話を始めた。神社に祀られた猫神の生誕地とされる場所がある。庄屋惣兵衛の家があったとされる所だ。現在は神社の所有する土地で、森のように木々が生い茂っている。その周りには昔から住んでいる住民達の古い住居があったが、二年程前から退去する住民が増えていた。現在も住んでいるのは二軒だけだ。二十軒以上あった住居は二年で二軒になっていた。

 

 宮司『住民達が転居したのは祟りのせいだって言うんですよ。あの土地は庄屋惣兵衛の住居があったのですが、その後は庄屋を慕う村人が御鎮守の森にとして敬い、森の周りに住み着いたんですよ。祟りなんてあるわけも無いのに。だから、そんな言い伝えも無いと追い返したんですよ。』

 

 尚子『でも、住民がいなくなっているのも事実なんですよね?心当たりは無いんですか?』

 

 宮司『特に心当たりはありませんね。そういえば…二年前に土地の買収の問い合わせがありましたね。神社にとっても大事な土地ですから丁重に断りましたけどね。』

 

 最後に二時に来た高校生の話も聞いた。この高校生はとてもいい子だった、素直で明るくまさに巫女!という感じの少女だ。巫女選手権があれば間違いなく優勝するだろう。尚子もノアールもそう確信した。聞き取りが終わり部屋に集合し、探偵社の捜査会議が始まった。ホワイトボードを見つめ尚子が腕を組んで考えている。

 

 尚子『聞き取りから得た情報を加味して精査してみましょうか。霧矢については警察が捜査しているでしょうから…私達は別の視点から考えますか。』

 

 ひとみ『美香の事も報告したから、そっちの捜査は始まっています。別の視点とは?』

 

 尚子『聞き取りで気になった情報は…二つかしら。一つは猫の祟りの噂、もう一つは鎮守の森の件ね。住民が二年で一割まで減ったのは変だし、神社に土地の買収の話があった時と時期的に符合するでしょ。』

 

 響子『確かにそうね。』

 

 ひとみ『この二つに関連性があると…調べてみる価値はありますね。』

 

 響子とひとみは尚子の意見に同調した。年齢も職業も性格も異なる三人の女性は、尚子が熱気を纏ったオーラを発し、響子はワクワク感が収まらない波動を帯び…ひとみは冷静に闘志を燃やしていた。もう一人の女子…ノアールは眠そうな目で三人の女性を眺めている。まるで『そんな事はわかっているから早く現地に行こうよ』と言っているように見えた…実際にノアールはそう思っていた。

 

 響子『じゃあ明日からそこで聞き込みね。手分けしていく?』

 

 尚子『全員で行きましょう。地図で見る限り結構広い感じだから、状況によっては二手に分かれて捜査って事もあるし。ひとみさんはどうする?』

 

 ひとみ『管理官から同行するように言われていますし、殺人事件の捜査ですからね。どんな危険があるかわかりませんから、当然、皆さんに着いて行きますよ。』

 

 明日の行動予定が決まり、尚子と響子は上機嫌だ。わくわく感が溢れ出して止まらない感じだった。ひとみは冷静に捜査本部の捜査状況と照らし合わせながら、ひとみなりに情報分析しているようだ。霧矢の行方は依然、なんの手掛かりも得られなかった。一方でひとみからの報告を受けて、捜査員が美香の店の監視を始めた。捜査が美香の周辺に及んだ事を知られると、霧矢や中国系の男達が逃亡する恐れがあり捜査は慎重に行われた。巫女の女子大生には店でバイトしている事を親に怒られ、バイトを続けられなくなったと美香に連絡させた。女子大生に害が及ぶのも避けなければならない。

 

 美香『もしもし、清二。神社の子から電話があってさ、親に怒られて店には来られなくなったって。あの子に気づかれないように覚醒剤を飲ませて、神社に隠した覚醒剤が神社の巫女のだって筋書だったでしょう。どうするの?』

 

 霧矢『化け猫騒動と覚醒剤絡みの騒動があれば、あの神社も金が入らなくなると思っていたんだがな。まあ、いいさ。鮫島が化け猫に殺されたって噂がかなり広まったからな。それだけでも何とかなるだろう。駄目押しが必要なら神社関係者を別の方法で誘い出す事にしよう。』

 

 美香『鮫島が神社に埋めたクスはどうするの?どこに埋めたかわからないでしょう?』

 

 霧矢『ほっとけばいい。美香、おまえはもう動くな。下手に動いて警察に勘づかれても困るからな』

 

 美香『わかったわ。覚醒剤はどうするの?店に一キロあるわよ。』

 

 霧矢『末端価格で六千万にはなるからな。伝手をあたって売人を探してみる。それまでは店の金庫で保管しておいてくれ。』

 

 尚子の読みは当たっていたようだ。神社に使用済みの注射器と覚醒剤を埋め警察に押収させた後、神社の関係者の聴取で巫女から陽性反応が出る。覚醒剤にまみれた神社という風評を立て、神社の評判を貶める事が目的だった。主神ミケのお告げをノアールが聞き、警察に報告した事で目論見は崩された。しかしまだ何のために神社を貶める必要があるのかは不明だった。

 

 霧矢の行方が依然つかめずに焦る捜査員をしり目に、美香は特に変な動きは見せなかった。霧矢も用心してか美香との接触を避けていた。どこに潜んでいるのか…警察は霧矢の行方を追い求めた。警察の捜査が進展しない中、尚樹達は宮司から聞いた神社所有の、庄屋惣兵衛の本家跡地に来ていた。本家跡地にはすでに家屋はなく三百坪ほどの場所は、木々の生い茂る森になっていた。木々を抜けると広い草地が広がっており、近隣の人達の憩いの場所にもなっていたようだ。

 

 響子『立派な木々ね…鎮守の森とはまさにこの場所の事ね。』

 

 ひとみ『静寂で清浄な空気が漂う感じですね。こんな場所があるなんて知らなかったわ。』

 

 地元に住んでいるひとみも知らなかった跡地…ひとみは森の雰囲気に清浄な空気を感じていたが、ノアールには普通の森林と草地にしか感じられなかった。ここに主神ミケの存在感は感じられなかった。主神ミケの意思が通た場所であれば、この地にもミケが降臨する事が出来るだろう。周りを見渡すと森を囲むように、二十数件の一軒家が建っていた。家屋の方面には人影もなく、そこに誰かが暮らしている生活音もしない、まるでゴーストタウンのようだ。

 

 尚樹『…人は住んでいない感じだね。』

 

 尚子『あそこ…洗濯物が干してあるから、あの家には誰かが住んでいるはずよ。』

 

 狭い路地を入った三軒先の二階に、洗濯物が揺れているのが見えた。尚子を先頭に路地の中に入って洗濯物の家を目指した。家の前に着くと表札には《楠》の文字がある…誰かが家の中にいる気配を尚樹は感じていた。《楠邸》は呼び鈴もなく引き戸の玄関の古い家だ。二階建てで二階に物干し台がある、昔ながらの作りの住宅だった。引き戸を開け尚子が家の住人に呼び掛けた。

 

 尚子『楠さん、いらっしゃいますか。少しお話を伺いたいのですが。』

 

 楠 『はいはい、何度来ても同じだよ。うちは引っ越す気はないからね。』

 

 尚子『引っ越す?あの、少しお話を聞かせてください。聞いた話だとここ二年ほどで、殆どの方が転居されたそうですね。』

 

 楠 『ああ、その事かい。ほんとにね、困ったもんだよ。玄関先じゃなんだね、上がりなさい。』

 

 玄関に出てきたのは七十歳過ぎの女性だった。女性の案内で家に上がり居間に通されると、女性と同じくらいの七十歳過ぎの男性が座っていた。この家には楠という名前の老夫婦が二人で暮らしているそうだ。夫の方も十年前に仕事を引退し、今は生まれ育った家で終活の真っ最中だと笑っていた。子供は二人いて長男は大阪で家庭を築き、妹の方は結婚し岡山で暮らしていた。

 

 夫 『この家はな、何代も前の御先祖様から引き継いで住んでいるんだ。鎮守の森を知っているか?』

 

 尚子『庄屋惣兵衛さんの本家跡地でしょう。此処に来る前に寄りました。』

 

 夫 『そうか。この集落に住んでいる者たちは、庄屋様の残された土地を守る為に住みついたんだよ。長い年月が経ってそんな事も忘れているがね。』

 

 ひとみ『楠さんの家くらいしか人が住んでいないようですね。』

 

 妻 『もう一軒この奥に住んでいるわよ。もう八十歳を超えたかしらね。お婆さんが一人で暮らしていらっしゃるわ。少し前まではここも賑やかだったのよ。ご近所同士も全員顔なじみで仲が良かったからね。それがね…あんな事があって…段々、離れて行っちゃったわ。』

 

 尚子『あんな事?』

 

 楠という女性が溜息をつきながら、尚子たちにある事件の事を語り出した。一年半ほど前…深夜一時、鎮守の森に女性の悲鳴が響いた。この地区は夜になると音のない静寂が支配する空間になる。その静寂の空間を引き裂くような悲鳴だったそうだ。住民達は女性の叫び声で起き出して家の外に出た。男性陣は集まって手にバットや棒を持ち、鎮守の森の中に入っていった。楠邸の御主人もその中にいたが…女性が襲われているとすれば、武器も持たずに行くのは危険だと思ったそうだ。

 

 夫 『とにかく凄い悲鳴だったからね。辺り一面に響き渡ったくらいに大きな声だったよ。』

 

 妻 『あんな大きな声は初めて聞いたわ。隣に住んでいた人が言っていたけど、発声の訓練をしている子だったらしくてね。』

 

 懐中電灯で照らしながら注視て進んでいくと、森の中で何かに怯えるように跪く女性の姿があった。住民達は女性の周囲に不審者がいないか、注意深く周りを確認しながら女性に近づいていったそうだ。鎮守の森に向かった住民は住人ちょっと…三人が女性に駆け寄り他の者達は、手にした《武器》を振りかざして警戒していた。三人が女性に近寄り話かけると、女性は半狂乱のようになり『化け物が』と叫び抱き着いてきたそうだ。これが一年半前に起きた事件?だった。

 

 ひとみ『一年半前ですか…そんな事件があったなんて署でも聞いた事が無いですね。』

 妻 『貴女は?』

 

 ひとみ『申し遅れました。阿南署刑事課の立花と申します。』

 

 夫 『警察の人だったのかい…何か事件でもあったのかい?』

 

 尚子『お松大権現の風評被害の調査ですよ。』

 

 妻 『ああ聞いたわ。化け猫の祟りで人が殺されたとかだろう。この事件も同じような感じで知れ渡っていってね。』

 

 結局、その女性は怪我をしていたわけでもなく、街の住人が介抱すると名前も告げずに立ち去ったそうだ。しかし…この話は地元のネットニュースで取り上げられ、当時はそういった話が好きな人達のあいだで話題になっていった。時期は拡散され続け地元だけではなく、遠くに住んでいる住民たちの親族の耳にも伝わっていった。

 

 夫 『娘がその話を聞いたようでな。心配だから家を売って岡山に来いって言われたよ。全く…鎮守の森に危険なんてないのにな。他の家の人達もみんな同じだよ。子供達から心配だって連絡が来て。みんな歳だったから子供が心配して何度も言ってくると…断り切れなくなって…今はうちと御婆さんの家だけになったんだよ。』

 

 妻 『こんな辺鄙な田舎じゃあさ、家の買い手なんかつかないだろう。だけどたまたま二年前に不動産会社がやってきて、家を買いたいって言われていたのよ。その時はみんな先祖代々の土地を離れるつもりもないから、売るって答えた家は一軒なくて断っていたんだけどね。』

 

 尚子『そうだったんですか。じゃあ、皆さん、その会社に売ったんですか。』

 

 妻 『しつこい会社でね。みんな嫌がってたんだよ。子供達の所にまで勝手に、買取の電話をしていてさ。まあ、でもこんな家を買いたいなんて業者もいないからね。』

 

 尚子も尚樹も不思議な感じがしていた。不動産業者が土地の買い占めのように、各家を周って買収を持ちかけていた。しかし買収に応じる家がなく困った事だろう。そんな矢先の化け猫騒動だ…今の状態に似ている…。うさん臭さを感じた二人は老夫婦に詳しく聞き始めた。

 

 尚樹『不動産会社は何の為にこの土地が欲しかったんですかね。何か聞いていますか?』

 

 夫 『病院だか老人ホームだかの集合施設を建設するとか言ってたかな。老人ホームなんて今もあるけど…年寄りの多い地区だから需要があるとでも思っているのだろうな。』

 

 尚子『そうなんですか…今でも業者は来ているんですね。さっき私達を業者と間違えていたし。』

 

 妻 『ああ、月に一度は来るよ。買収した家屋の管理でもしているんだろう。空き家になった家に入って何かして、その帰りに必ず来るんだよ。迷惑もいいところさ。』

 

 ひとみも響子も化け猫事件と、不動産業者の動きに一連性があると感じた。老夫婦は寂しそうにお茶を飲んで話してくれた。二人にとって一年の月日など、ほんの前の事だろう。一年前くらいまでは近所と賑やかに暮らしていた街…いまはその面影はなく寂れる一方になっている。

 

 尚子『寂しくなっちゃったのね。』

 

 妻 『ほんとだよ。空き家が多くなってさ、この間もボヤ騒ぎがあったし…うちも売る事にしようと思ってね。奥のお婆ちゃんは今の家を売って、不動産屋の紹介で施設に入るみたいだよ。鎮守の森も手入れが出来なくて荒れ放題になっちゃったし。』

 

 響子『不動産会社の名刺とかってお持ちですか?』

 

 妻 『あるよ、これだよ。』

 

 久能響子は老婆が差し出した名刺を写メで撮った。何か気になっている感じだ。森と周辺の住宅を合わせると千坪ほどの面積になる。四国の片田舎、人も住んでいない所に病院が建つとは思えない。一時間ほど楠家で事情を聞き一年半前に化け物が目撃されたという、鎮守の森の草地を見に行った。尚樹もノアールも怪しい気や、澱んだものを感じる事はなかった。ノアールの所に数匹の猫が集まってきた。

 

 ひとみ『まただわ…黒猫ちゃんにネコが集まっているわ。』

 

 尚子『あの子達は情報をノアール所長に伝えているのよ。ひとみさん!黒猫ちゃんではなくノアール所長よ。』

 

 ノアールは鎮守の森を出た時に、周囲にいる猫達に思念で呼びかけていた。集まってきた猫達は周辺で起きている事、周辺に来る人々、様々な情報をノアールに伝えていった。数匹の猫は住宅街の火災の件では、怒りの念をノアールに伝えている。彼らが目撃した事も全て黒猫のノアールの中に落とし込まれた。情報を伝え終えると猫達は茂みの中に消えていった。ノアールはさっきまでいた住宅地の方を見ていた。

 

 尚子『所長、何か気になる事が?』

 

 ノアール『ミャ』

 

 尚子『いいのね。じゃあ、戻りましょうか』

 

 神社に戻ると響子がモバイルで、一年半前の化け猫事件のネット記事を調べ始めた。ネット記事の概要はこうだった。深夜一時、近隣からは鎮守の森と言われる森に、帰宅中の女性が近道をしようと中に入っていった。歩いていると誰かがみている感じがして、後ろを振り返った時、恐ろしい形相の化け物が立っていたそうだ。身の丈二メートル以上、口は大きな牙があり爪も長く、今にも飛び掛かりそうな感じだった。腰を抜かした女性は悲鳴を上げ、声を聞いた住民達に救出された。住民達の話では森は妖怪の住む地で、数百年前から何百人の人が襲われているそうだ。近年はそんな事はなかったが復活したのではないかと、近隣の住民達は恐れていた。

 

 響子『…酷い記事だわ…信じられないわ。住民達は鎮守の森を大切にしていたのに、妖怪の住む地なんて言うはずがないわ。』

 

 尚子『面白おかしく書くにしても、そこまで書くなんて何か変ね。』

 

 響子『えっと…これか』

 

 響子はスマホで撮影した名刺の会社も調べてみた。会社名と地域で検索してもヒットしない…ホームページも無く該当の会社は存在しない感じだ。不動産業として法人登記してあるかは、法務局にいけば確認が可能だが…恐らく法人登記もしていない可能性が高かった。名刺にある電話番号に今日が電話を掛けると、留守番電話に繋がって『ご用件とお名前、連絡先をお願いします。こちらから折り返し連絡します』というアナウンスが流れた。住所の所在地は阿南市の中心街のビルの一階だ。どうも楠夫婦の話とは違う感じだ。

 

 響子『この会社は変だわ。でたらめな記事、それと時期を合わせて土地の買収が始まっているのも変よ。この会社って本当にあるのかしら。』

 

 ひとみ『その会社は捜査本部に連絡して調べて貰います。』

 

 響子『この化け物を見たって女性も怪しいね。調べてみようか。』

 

 尚樹『名前も出ていないのにわかるんですか。』

 

 響子『餅は餅屋よ。掲載した雑誌やネットニュースもわかっているから…出版社とか…知合いに聞いてみるわ。』

 

 尚子『じゃあ私達は買収した土地の登記がどうなっているのか調べてみようか。何かわかるかもしれない。』

 

 久能響子は記事を掲載した雑誌社に電話をかけ編集長を呼び出していた。ネットニュースが記事を拡散しているが、大元の記事を書いたのは雑誌社の記者だ。記事を書いた雑誌社は大阪の出版社だった。本来はニュースソースは明かさないが売れる記事を提供する、響子の御機嫌を損ねたくない編集長が記事を書いた記者の名前を明かした。取材した女性についても本来は個人情報であり明かさないのだが…編集長が記者に教えるように指示していた。

 

 化け物の目撃者の女性は神戸在中の女性だった。三宮のスナックで働く二十八歳の女性だ。響子が神戸の店まで事情聴取に向かう事になった。女性とコンタクトが取れてルポライターであることを告げ、一年半前の化け物騒動の核心に迫った。何故、神戸で働いている女性が、帰宅途中に徳島県の片田舎の森を通ったのか。おかしな事が沢山あった。女性はあっけらかんと全てを告白した。

 

 女性『店に来る客に頼まれたの。二十万も出すって言うからさ…あんなんで二十万だよ。ラッキーって思ってやっただけよ。』

 

 女性はスナックに来る常連の男に金で雇われて、渡されたシナリオ通りに演じただけだと言った。鎮守の杜にも常連客と何人かの仲間が同行し、女性の身の安全は守る約束だったそうだ。女性は合唱部に所属していた事があり、その事を聞いていた常連客に大声で叫べと言われたらしい。四国から神戸に戻ると雑誌社にネタとして売れと言われ、雑誌記者の取材を受けて記事になっていた。

 

 女性『雑誌の取材とか記事の提供報酬で十万円も貰ったしさ。本当についていたわ。』

 

 響子『変な依頼だって思わなかったの?』

 

 女性『え~、なんで?お金をくれるんだからいいじゃない。』

 

 響子『…なるほどね…。貴女に依頼した人の事を教えてくれる?』

 

 女性『いいけど。記者の取材を受けた後は店には来なくなったから。』

 

 女性から依頼した男の事を聞いた。神戸にいた常連客で男の名前も教えて貰った。徳島に戻り捜査本部に情報を伝えると、その男は霧矢の神戸時代の舎弟だとわかった。神戸の店に顔を出さなくなったという事は、霧矢と一緒に徳島に渡ってきているだろう。捜査本部内が慌ただしくなってきた。鮫島の殺害事件から思わぬ方向に動き出していた。

 

 法務局の調査は捜査本部の捜査員が担当した。買収された土地の登記の状況を調査すると、買収後、登記変更され結城美香という女性の所有地になっていた。結城美香…あのバーのママの名義で登記されている。捜査員は土地の買収を進めていた不動産会社も調べた。法人登記された形跡はなく名刺の住所に行くと、そこには花屋があり全く不動産会社とは無縁の店だった。名刺にあった電話番号は携帯電話で所有者は北海道にいる人物だった。道警が捜査し名義だけを貸した事が判明した。段々と全ての事象が核心に迫っている感じだ。しかし何のために土地の取得を目指したのかまだわからない。土地を買収する為に化け猫騒動をでっちあげたのが霧矢たちだという事は判明した。

 

 村西『立花巡査部長。君からの報告でいろいろわかってきた。ご苦労。』

 

 ひとみ『いえ…あの探偵社というか…黒猫じゃなくて、ノアール所長ですよ。とても不思議な猫なんです。』

 

 村西『彼等にも感謝を伝えておいてくれ。後は霧矢の居場所と奴らが何を企んでいたかだな。』

 

 ひとみが捜査本部への報告を終え神社に戻ってきた。猫の探偵社の一匹と二人、久能響子に法務局での調査の結果を伝えていた。神戸のスナックの女性に依頼していたのも霧矢の舎弟だ。尚子は捜査の核心に迫りながら、もう一歩届いていない状況がもどかしく思っていた。それはノアールも同じ気持ちだった。主神ミケを祭る神社に信仰する念が弱まると、神社の力も弱まり主神の力も弱まる。一年や二年で変わる事はないが早く信仰を取り戻したいとノアールは願っていた。

 

 尚子『警察の捜査譲許はどうなっているの?霧矢と美香の捜査状況も教えてよ。』

 

 ひとみ『霧矢の手掛かりは依然としてありません。美香には捜査員が張り付いていますが、特に目立った動きがないそうです。警戒しているのかもしれません。』

 

 尚子『…そうか…ちょっと探りを入れてみましょうか。尚樹さん、美香の店に行ってみようよ。表向きは普通のバーなんでしょう。』

 

 尚樹『いきなり何を言っているのか…嫌だよ、何で僕が行くの?理由がわからないよ。』

 

 尚子『尚樹さんはさ、もう霧矢と二人の中国系の人の感覚はわかっているのよね?近くにいればわかるのよね?だったらバーに行って中国系の仲間がいればわかるでしょう。』

 

 尚樹『そうだけど…人を殺す連中だよ。危険だよ…嫌だよ。』

 

 ひとみ『駄目ですよ、尚樹さんの言う通りです…危険です。』

 

 尚子『全く臆病者の副所長なんだから。大丈夫よ、ちょっと呑みに行くだけよ。何もしないわよ。』

 

 ノアール『ミャ、ミャ』

 

 尚子『ほら、所長も行くって言っているわ。ひとみさん、張り付いている捜査員にも念の為、伝えておいてね。』

 

 ひとみが村西に尚子の提案を報告した。村西も難色を示したが尚子が『何もしません、少し呑んだら帰りますよ』と説得した。翌日の夜、変装した尚樹と尚子、ノアールが阿南市の繁華街に立っていた。美香の店のある路地の入口だ。階段を上がり一匹と二人が店の中に入った。張り付いていた捜査員二名にひとみも合流し、見つからないように店の外で見張っていた。ひとみはかなり緊張した感じだった。短い付き合いとはいえ尚子とは親しくなった。危害が及ぶ事は絶対に許されない…ひとみはまだ尚子の本性を知らない…。

 

 尚子『こんばんは、ねえ、猫ちゃんも一緒なんだけどいい?』

 

 女性『ママ、どうしますか?』

 

 美香『いいわよ。でも猫ちゃんにはミルクしかないわよ(笑)』

 

 尚子の変装は素晴らしかった。普段はショートボブの黒髪、化粧っ気もなく薄化粧できりっとしている。今日の尚子は茶髪のロングヘアー。薄いサングラスにきつめの化粧だ。全く別人にしか見えない。尚樹は…黒縁眼鏡に帽子だけだ。変に変装させても怪しいだけだと尚子が言い、この程度の変装に抑えさせた。店に入るとカウンター席に座り、二人ともサワーを頼んでいた。

 尚樹は美香や店で働く女性や男性従業員から、霧矢や二人の男の手掛かりを探った。霧矢を持つ気の感覚を感じるのは、美香とバーテンの男だけだ。この二人からは中国系の二人の感覚も感じた。特にバーテンからはあの中国人の気を強く感じていた。ノアールは店の中で空間の記憶を追っていた。ノアールには空間に残された痕跡を感じる能力がある。今回の件に関連しそうな痕跡だけを追った。

 

 美香『可愛い猫ちゃんね。何歳なの?』

 

 尚子『一歳半よ。お姫様みたいでしょう。ママも猫が好きなの?』

 

 美香『う~ん、ごめんね。ワンちゃんの方が好きかもね。あんまり見ない顔ね、店には初めてでしょう?』


 尚子『旅行で来ていて…こいつがダラダラしているから、呑みにも行けなくてさ。やっとサワーにありつけたわ。』

 

 ノアールと尚樹の意識が、店の奥の金庫に向かっている。霧矢の感覚を金庫の中から強く感じていた。美香が他の客と話し始めると、尚子はバーテンや店の女性と話し始めていた。危険な事はしないという約束を守り、差しさわりの無い話をしている。今日の尚子の役目はあくまでも、ノアールと尚樹の調査のサポートだ。しかし…美香が客の一人に何か手渡すのを横目で確認してしまった。恐らく覚醒剤だと尚子の野生の血が直感的に感じた。こうなると尚子を止める事は不可能だ。尚子がスマホでひとみに電話を掛けた。

 

 尚子『ひとみさん。何処にいるのよ。今ね、○○って店にいるの。早く来てよ。』

 

 ひとみ『尚子さん、何を言って…わかったわ。突入しろって事?』

 

 尚子『早く来てね』

 

 尚子の意図を察したひとみは驚きながらも、急いで二人の捜査員と階段を上がり店に向かった。尚子たちに危険が及んでいる…ひとみは尚子の電話をそう解釈した。ひとみと捜査員が店の中に入ってきた。その時、尚子が席を立ち美香の腕を抑えて、客に渡そうとした物を取り上げてひとみに投げ渡した。捜査員は覚せい剤の試薬を持ち歩いていた。ひとみが試薬で確認しすぐに覚醒剤だと判明した。ひとみが美香と客の前に立った。

 

 ひとみ『徳島県警です。二十時三十二分、覚醒剤所持の現行犯で逮捕します。』

 

 美香『なによ。知らないわよ。』

 

 尚樹『あの金庫の中が怪しいです。』

 

 尚樹が捜査員に告げるとカウンターのバーテンが、客を押しのけ店の外に逃げようとしていた。バーテンの前に尚子が立ち行く手をはばんだ。バーテンの男は尚子に向かっていった。格闘技を使う男の様だ。ひとみと一名の捜査員は美香と客を確保している。もう一人の捜査員が尚子の前に立ちバーテンと争う形になった。捜査員は必死に食い止めようとしたが、蹴りとパンチを浴び床に倒れた。

 

 ひとみ『尚子さん…逃げて!』

 

 ひとみが尚子に向かって叫んだ時、すでに尚子とバーテンの戦いが始まった。ひとみは手錠で美香をテーブルに繋ぎ、急いで尚子の救出に向かおうとした…が…ひとみの眼に飛び込んだのは、バーテンの蹴りを十文字受で受け止め、膝に足蹴りを加え倒れ込むバーテンの首に、廻し蹴りをいれた尚子の勇姿だった。バーテンはそのまま床に倒れ込み意識を失っていた。捜査員が県警に応援を要請している。店の中の残りの従業員は女性が一名だけだ。客は逮捕された一名の他に二名いたが、三人とも大人しく指示に従った。

 

 ひとみ『尚子さん…なんで?』

 

 尚樹『そんな事よりも、金庫、金庫を開けてください。』

 

 応援の警察官が来るまで十分も掛からなかった。警察署内で見張りの刑事からいつ連絡が来ても、対応できるように待機していたようだ。警察官が到着し美香だけを残し、客やバーテン、女性従業員は連行されていった。ひとみが美香に金庫を開けるように言ったが、美香は横を向いたまま返事をしなかった。残ったひとみと鑑識班が金庫を開ける作業にはいった。金庫はナンバーを入力して開けるタイプだ、番号がわからないと開かない。

 

 ひとみ『さあ、もう観念して金庫を開けなさい。』

 

 美香『………』

 

 ひとみ『往生際が悪いわね。鑑識さん、開けられますか?』

 

 鑑識『ダイヤル式だからね。専門家を呼ぶか、焼き切るかだね。』

 

 ノアール『ミャ』

 

 尚樹『…なるほど。ママさん、ダイヤルの番号は?』

 

 美香『………』

 

 ノアール『ミャ、ミャ』

 

 尚樹『ひとみさん。番号は…』

 

 尚樹が八桁の番号を口ずさんだ。その数字を聞いた時、美香の顔色が変わった。捜査員が番号を入力すると『カチ』っと音がして金庫の鍵があいた。尚樹の問いかけに美香が頭の中に番号を浮かべ、それをノアールが読み取り尚樹に伝えていた。

 

 金庫の中からは大きめの透明の袋が出てきて、中には白い粉が入っていた。その他にも現金が数百万、書類やメモ等が出てきた。全てその場で押収され美香も連行されていった。鑑識班が店内の鑑識作業を始めたところで、尚樹と尚子、ノアールはひとみに連れられ、店の外に出て車に乗り神社に戻っていった。

 

 ひとみ『もう!危ない事はしないって約束したのに。』

 

 尚樹『そうだよ。僕やノアールに何かあったらどうするんだよ。』

 

 尚子『何よ、すご~い言い方だね。だってさ~、白い袋を目の前で渡すんだよ。見逃せないでしょう。』

 

 ひとみ『でも…本当に驚いたわ…尚子さん、格闘技とかやってるの?』

 

 尚樹『空手の全国レベルの選手だったんですよ。もう、無茶ばっかりするから、僕の身が持ちませんよ。』

 

 ひとみ『ビックリしたよ。カッコよかった!』

 

 尚子『ありがとう(笑)』

 

 警察署に連行されたバーテンと、美香への取り調べが行われた。罪状は覚せい剤取締法違反だが、霧矢との関係も問い詰められていた。霧矢の名前が出て驚いた美香だが、取り調べでは一言も語らずに黙秘を通した。バーテンの男も一言も話さなかった。バーテンの素性は台湾出身で三年前に日本に初めて入国し、日本人と結婚して日本国籍を取得していた。偽装結婚の可能性があった。

 

 店の中と押収物から霧矢と鮫島の指紋も検出された。美香と霧矢、鮫島の繋がりを立証する証拠があがった。金庫の押収物には合同会社の登記に関する書類等もあった。取得した土地で登記申請する予定だったようだ。申請書には結城美香の名前があったが、霧矢の名前は無かった。会社はバナナの加工会社として登記予定だった。施設の設計図も出てきた。設計及び施工は反社組織のフロント企業、大阪の建設会社だった。霧矢が大阪で地上げ詐欺で逮捕された時にも関わっていた企業だ。

 

 村西『霧矢と鮫島が繋がったな。何を企んでいたんだ?加工工場の建設で儲けるつもりだった?人まで殺めてか?』

 

 ひとみ『とにかく土地の買収を急いでいた感じです。逮捕したバーテンは台湾マフィアの一員でした。やはり覚醒剤絡みでしょうか。』

 

 村西『霧矢の身柄の確保だな。あの探偵はどうしている?』

 

 ひとみ『昨日、神社に送り届けました。これから神社に行こうと思います。』

 

 ひとみが神社に着くと三人と一匹は、今までの事を事実のみ時系列で纏めて、猫の探偵社捜査会議の真っ最中だった。時おりノアールの『ミャ~』という声が響くと、尚樹が日本語に翻訳し伝えていた。ひとみが輪の中にはいり捜査会議に参加した。美香とバーテンの聴取の報告も聞き、店内から押収した証拠類も伝えた。全てを聞き終わると尚子がホワイトボードに概要を纏めた。

 

 尚子『霧矢が二年前に徳島に戻ったのは、あの神社周辺の土地に眼をつけたのね。人がいない場所なら他にもありそうだけど…。まあ、いいわ。三年前の事件で徳島を離れた後、台湾系と知り合って依頼されて土地の買収に至った。ってところかしら。』

 

 ひとみ『まだ男も女も黙秘を続けているわ。工場を建設して何をするつもりだったのかしら。』

 

 響子『この記事を見て。台湾で摘発された麻薬工場の記事よ。表向きは普通の工場で、地下で覚醒剤の製造をしていたんだって。台湾国内で三か所摘発されて、台湾マフィアは大打撃だったらしいわ。ねえ、台湾で厳しくなって日本で作ろうとしたんじゃない?』

 

 ひとみ『日本では覚醒剤の密輸入での摘発は多いですけど、製造に関しては殆どないですよ。あってもマンションの一室とかの小規模な事案くらいです。』

 

 尚樹『凄く怖い話だね。もう事件も解決でしょ?千葉に帰ろうよ。』

 

 尚子・響子『殺人事件ははまだでしょ!風評被害を根絶するには殺人事件を解決しないと!』

 

 尚樹はもう帰りたくて仕方がない。喧嘩どころか人と争う事が嫌いな尚樹は、この殺伐とした事件から一刻も早く抜け出しかった。尚子と響子は正反対に事件の解決にどん欲に取り組むつもりでいた。ひとみは猫の探偵社とそれを取材する響子のやり取りが楽しくて仕方が無かった。深刻で難解な事件に遭遇しながら、知力と体力、不可思議な力で解決に導こうとする姿が頼もしくも思えた。

 

 ノアール『ミャ~』

 

 尚樹『え?森に行くの。』

 

 ノアールが鎮守の森に行くように尚樹達を促した。森で猫達に聞いた事が気になりだしたようだ。すぐに神社を出てひとみの車に乗り鎮守の森に向かった。鎮守の森の傍で車を降りると、ノアールは森には行かずに廃墟のような感じになった住宅街に向かっていった。楠の家を通り過ぎ人の住んでいない住宅の中に入っていった。ひとみも響子もドキドキしながら、ノアールの後に続いた。ひとみはここ数日、探偵社・黒猫のノアールと行動を共にし、計り知れない未知なる力を感じていた。ノアールが一軒の空き家の中に入っていった。

 

 ノアール『ミャ~』

 

 ノアールが一階の畳を引っ掻き、下に何かあると告げている。ひとみと尚子は力を合わせて畳を外した。畳の下の床板は剥がされていて地面がみえていた。ひとみが床下を覗き込んで、そのまま動かなくなった。床下にはジュラルミンケースが三個置いてあった。ひとみが床下におりケースを一つ引き上げた。ジュラルミンケースには鍵がかかっている。鍵を壊して中を確認するか、捜査本部に連絡して鑑識班に任せるか…ひとみが考えている時、ノアールがひとみに向かって『ミャ~』と声を掛けて歩き始めた。

 

 ひとみ『ちょっと黒猫…じゃなく…ノアール所長、どこに行くの。これはどうしよう…』

 

 ノアールは次の家に向かっていた。ひとみは慌ててノアールの後を追いながら、捜査本部に連絡し村西に報告した。村西はすぐに捜査員と鑑識を向かわせるよう指示を出した。響子と尚樹にジュラルミンケースの見張りを頼み、ひとみと尚子は一緒にノアールについていった。その後、ノアールは三軒の家に入り二軒目は天井裏、三軒目は床下を示した。

 

 ひとみ『一体この猫ちゃんは。』

 

 尚子『そんな言い方をすると怒られるわよ。所長の御機嫌を損ねないようにしてね。この間、鎮守の森で猫達に何か聞いていたけど、この事だったようね。霧矢か仲間かが隠している所をあの猫達が視ていたんだわ。』

 

 捜査員が駆け付け空き家になっていた三軒の家の中から、十一個のジュラルミンケースを押収した。ケースの中からは覚せい剤と、その原料がみつかった。覚醒剤の量は三キロ、思った程の量ではないが、原料は五百キロの覚せい剤が生成できる量だった。その後も空き家の捜索は行われ、二軒からもジュラルミンケース六個が見つかった。近来稀に見る大量の麻薬の量だった。この一件は全国のニュースで放映された。大事件だ。

 岡山市のホテルの一室で、例の台湾の二人と別の二人の四人がテレビの報道を見ていた。スーツ姿の男は持っていたグラスを投げ叩き割ると、激怒したようにテレビに向かって怒鳴っていた。三人も立ち上がってテレビ報道を見ている。河川敷にいたスーツ姿の男がボス格のようだ。ボス格の男は椅子に座ると三人に向かって話し始めた。

 

 ボス『何故、ばれたんだ!』

 

 部下『女の店が摘発されたようです。土地の件も警察が把握したと思われます。』

 

 ボス『奴らは何をしていたんだ。だから日本人は信用出来ん。これ以上、日本にいるのは危険だな。明日の便で本国に戻る事にする。ジンフー、お前は霧矢を始末してから、本国に戻って来い。もし日本の警察に捕まるような事があれば、本国のおまえの身内が…わかっているな』

 

 ジンフーと呼ばれた男は、鮫島を殺害した黒服の男だった。翌日、台湾の三人は岡山空港から、台北行の飛行機に乗って旅立った。ジンフーは特急で徳島に入った。霧矢の潜伏先をジンフーは知っている。近くまでは電車でいき、駅からはタクシーで向かうつもりだった。捜査本部では村西が美香の取り調べを自ら行っていた。

 

 村西『いっぱい証拠が出て来ちゃったな。覚せい剤の原料も千キロ以上が作れる量だ。ケースからは君の指紋も霧矢の指紋も出ている。他に数人、わからない指紋も出た。もう観念して白状したらどうだ。』

 

 美香『……』

 

 村西『黙秘を貫くか。鮫島も可哀相にな、あんな残忍な殺され方をして。台湾マフィアが絡んでいるのはわかっている。これだけ報道されれば奴らも、もうこの件からは手を引くだろう。霧矢は何処にいるのかな~。まだ生きていればいいがな。』

 

 美香『何よ、清二が死ぬわけないでしょ』

 

 村西『やっと口を開いたか。霧矢が心配か?このままだと口封じで殺されるぞ、いいのか?居場所を教えなさい。』

 

 美香『…わかったわよ。絶対に清二を守ってよ。』

 

 村西は身かが黙秘を続ける理由は、霧矢を守る為だと考えていた。あんな男でも好きになれば守りたい…女性の心理はよくわからない…霧矢が消される、その言葉は身かには衝撃だったようだ。すぐに美香は霧矢の潜伏先を白状した。阿南署の北にある川沿いの倉庫、そこが霧矢の潜伏先で仲間と隠れているという供述を得た。村西は捜査員に集合を掛け潜伏先に全員を向かわせた。

 

 霧矢たちも報道で自分達の企みが露見し、美香達が確保された事を知った。台湾のボス格にも連絡し指示を待っていた。台湾マフィアのボスからは暫くそこで身を隠すように指示があった。ボスが口封じの為にジンフーを向かわせている事を、マフィアのボスは勿論、霧矢には伝えていない。

 

 台湾系のマフィアは今回の件で、莫大な資金を使っていた。麻薬の原料の入手だけでも数十億の資金を使っている。それが全て水泡に帰したのだ…ボスの怒りは頂点に達していた。そして責任の全てを日本側の霧矢に押し付ける算段だった。組織の中で責任を追及される事を避ける為にも、霧矢たちの口封じはしなければならなかった。

 

 舎弟『霧矢さん、どうするんですか』

 

 霧矢『美香は口を割る事はない。あいつは俺にぞっこんだからな。覚醒剤の所持だけなら、数年で出て来れるから黙秘を貫くさ。』

 

 舎弟『あの土地はもう使えませんね。』

 

 霧矢『そうだな、台湾マフィアとコネが出来たんだ。他の土地を物色して奴らと交渉だ。ほとぼりが冷めるまではこの倉庫を根城に、奴らからの連絡を待つ事になった。連絡があるまでは此処にいるしかねえな。』

 

 霧矢は自分に捜査の手が及んでいる事は知らない。神社周辺の土地の買収は自分達の資金をつぎ込んでいる。六百七十坪の土地を買収するのに坪単価は八万の相場だが、上乗せして坪単価十万で買収した。買収につぎ込んだ資金は七千万弱、三年前に手に入れた七千万はほとんど使い切ってしまった。この案件が成功した際には三億の報酬と日本の窓口として、ボスになる事が約束されていた。全財産をつぎ込んでいる霧矢はまだ諦めていなかった。

 

 ジンフーが倉庫の裏に身を隠して、中の様子を窺っている。舎弟の一人がトイレに立つと、倉庫の中にそっと入り舎弟の首を?き切った。声をあげる間もなく舎弟は息絶えていた。標的はあと二人になった。そっと中を覗いて隙を見てもうひとりの舎弟を仕留めた時、やっと霧矢がジンフーの存在に気づいた。慌てて近くに落ちていた鉄パイプを拾い、二人が対峙した時、倉庫のドアが壊され警察が入ってきた。

 

 捜査員『霧矢、覚せい剤取締法違反で逮捕する。おまえは…かぎ爪か。お前が鮫島を殺した犯人か。あいつも殺人容疑で確保しろ。』

 

 霧矢はジンフーから逃げるように、捜査員のところに走っていった。極悪非道で人の命など何とも思わない男だが、自分の命は惜しいようだ。ジンフーはかぎ爪を構えて捜査員たちを睨んでいた。後ずさりし入ってきた倉庫の裏の方に走り出したが、裏手にも警察の姿を確認し観念したのか逃げるのをやめた。囲む捜査員を睨みながら何か叫んだ時、自分の手のかぎ爪で首を引き裂きその場に倒れた。

 

 捜査員『くそ、救急車だ、死なすな。』

 

 救急車が到着した時には、ジンフーは息絶えていた。霧矢は確保され阿南署に連行され、倉庫からは二人の遺体も発見された。阿南署で霧矢への取り調べが始まった。鎮守の森周辺の住居から見つかった原料は、台湾の漁船に積み海上で日本の漁船に積みかえて国内に持ち込んでいた。あの一帯にダミーの加工工場を作り、地下施設で覚醒剤の製造をする予定だったそうだ。神社に土地の買収の問い合わせした時、神社が断っていなければ工事が始まっていて、施設の一部は出来上がっていたはずだった。

 

 台湾マフィアは本国で警察が摘発に躍起になり、国内で新たな工場の設立が難しく日本に白羽の矢を立てた。神戸や大阪、福岡、東京は警察の目も厳しく、日本の反社勢力も根強く残っている。日本の暴力組織との摩擦を考え、霧矢の案内で徳島の過疎地が絞り込まれた。表向きはバナナの加工工場を装い、地下に工場を造り日本全国に売りさばくつもりだった。台湾のボスの名前は最後まで吐かなかった。霧矢は報復を恐れていた。

 

 三年前のサラ金強盗も自白した。指示したのは霧矢で舎弟をリーダーにして、闇サイトで募集した二人に手伝わせたそうだ。最初から二人は始末するつもりだったらしい。舎弟の名前が指名手配されたのは予想外だったらしく、慌てた霧矢に手を貸したのがジンフーだった。無理やり酒を呑ませふらふらになった時、ビルの屋上に運び突き落した。その縁で今回の話が持ち上がった。

 

 お松大権現の風評被害をもたらした事件は、霧矢の供述により一応の決着を見た。しかし逃亡した台湾人のボス格の男の素性はわからなかった。村西管理官は事件が解決して安堵する気持ちと、黒幕を取り逃がしたじくじたる思いが交錯していた。事件が終息し捜査本部が解散となり、村西は阿南署を去り県警本部に戻る事になった。ひとみの運転する車は村西を乗せ、お松大権現に向かっていた。

 

 響子『凄い体験だったわ。有難う、黒猫の探偵さん達』

 

 尚樹『響子さん、約束は守ってくださいよ。お松大権現の風評被害を、無くすような記事にしてくださいね。あと…僕達の事は書かないで下さい。こういう事が世間に知れるのは…困りますから。』

 

 響子『わかっているわ。この事件と探偵社・黒猫のノアールが関わった事は書かないわ。神社の主神、猫神ミケの神通力を中心に組み立てるわ。でも事件の事を書く時には、警察に協力した探偵の存在は必要よ。猫の探偵社・黒猫のノアールの名前は出さないから、探偵の関与は記事にしていいでしょ(笑)。』

 

 尚子『それじゃ意味が無いかもしれないわ。うちの探偵社は猫好きの間では結構有名になっているみたいだし…私はもっといろいろな事件の依頼が来るのなら、探偵社の名前を出してもいいんだけどね!』

 

 尚樹は響子の案に反対して抵抗したが、名前は出さないというところで押し切られた。そこに村西とひとみが入ってきた。

 

 村西『やあ、お疲れ様。君達のお陰で無事に事件も解決した。礼を言うよ。』

 

 尚子『い~え、こっちも大権現の宮司様の依頼を達成できそうだし。スリルがあって楽しかったわ~』

 

 ひとみ『尚子さんはもう少し大人し目になった方がいいよ。危なっかしくって見てられないよ。』

 

 村西『しかし…立花君の報告を聞くたびに驚きだったよ。藤見管理官にも感謝せんとな。君らの事は公には出来ないしするつもりはないよ。』

 

 尚樹『お願いします。ひとみさん、お世話になりました。』

 

 尚子『ひとみちゃんとは気が合いそうだったのにな~。東京に遊びに来たら連絡してね。』

 

 ひとみ『また、すぐに会えるかもよ。』

 

 事件は解決した。お松大権現の社を出る時、猫の探偵社の一匹と二人は立ち止まり、振り返って社殿をみた。社殿の上に猫神ミケが現れ、感謝の意を伝えてきた。ノアールは勿論だが、尚樹にもミケの姿がはっきりと見えた。尚子は見えなかったがミケの存在を感じていた。主神ミケはノアールを見つめ、暫くすると消えていった。神主に阿南駅まで車で送って貰い、久能響子は徳島空港に向かい飛行機で帰っていった。すぐに東京に戻って記事を書きたかったようだ。ノアール達はレンタカーを借り、新神戸駅から新幹線で戻った。六日間の長旅になった。

 

 徳島の事件は今までない大掛かりな麻薬の密売、そして複数の死者が出た事件として注目が集まった。連日テレビのニュース番組で特集が組まれ、事件のあらましが報道されていた。報道が一段落ついた頃、久能響子の記事が雑誌に掲載された。《お松大権現。主神ミケの怒り》という見出しで、この事件のあらましを記事にした。警察の捜査が行き詰まる中、大権現の守護神ミケの御神託で、覚せい剤の発見や犯人の手掛かりに繋がる物証の発見等、捜査に協力した探偵社…探偵社の詳細だけを隠して記事にした。

 

 テレビ報道には無かった事実や《主神ミケ》の存在が、世間の注目を浴び雑誌は飛ぶように売れた。響子の記事は基本的に事実に基づいている為、報道各社が知らなかった事も含まれていた。そして主神ミケの神託を受け捜査に協力した探偵社の存在…報道各社もあらためて取材をするようになった。徳島県警に主神ミケの事や協力した探偵社についても報道各社が質問したが、警察は否定も肯定もしないという姿勢を貫いた。否定しない事で人々は響子の記事が事実なのだろうと思っていた。

 

 週刊誌に掲載された記事は反響を呼び、お松大権現には全国から参拝客が集まってきた。神社に災いをもたらそうとした者を退けた主神・ミケ。ミケの御利益に与かろうとする人々が神社に殺到した。宮司は嬉しい悲鳴を上げた。巫女選手権に優勝できそうな、高校生の巫女も注目の的になった。

 

 響子はそれとは違う雑誌で、探偵社・黒猫のノアールの記事を書いていた。不思議な能力を持つ探偵社の二人と一匹の黒い猫。猫と感情を交流し猫の意識を読み取り解決にいざなう。所長ノアールの不思議な力にも触れていた。しかし尚子の超人的な力には触れていなかった。各地で解決した案件を事実に基づきながらも、場所や個人が特定されないような記事にしてあった。この記事が更に探偵社の評判を高めてしまった。尚子にとっては嬉しい事だが尚樹にとっては厄介な事だった。

 

 尚樹『響子さん、こんな記事書いたら変な依頼が来そうだよ。』

 

 尚子『まあ、その時はその時でしょ』

 

 ノアール『ミャ~』

 

 今回の事件は大事件だった。尚樹はこういった事件への関与が、危険を伴う事を理解している。二度と関与する事が無い事を祈った。尚子も今回は大変だったと感じていた。高山の時や男鹿の時のような依頼なら受けるが、こういった犯罪に関わる依頼は受けるのを止めるつもりでいた。自分の事よりも臆病な尚樹の事を心配し、不思議な力があるとはいえノアールは小さなお姫様だ。ノアールは…来るものは必然であり偶然はない。流れに任せる、それが所長の考えの様だ。

 

 探偵社・黒猫のノアール…次はどんな事件がまっているのか。依頼は意外な形で探偵社に舞い込んだ。

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