7話 押し売りのプロ
「あなた、どこかで。もしかすると、レティアさんでは―」
背後のシーラの声に、座学教科満点の頭脳がフル回転する。
ふぅ、と息を落ち着かせ、レティアは周囲を確認。踵が高いブーツを履いているのは失敗だろうが、シーラは運動音痴のはず。
―なら、レティアが本気を出せば多分大丈夫だ。
「突然停学になったと聞いて―」
安心を含んだ言葉を聞きながら、レティアは―
(逃げましょうっ!!)
―走り出した。
焦ったシーラの声が背後から聞こえるが、知ったことではない。走って走って走って、魔力を感じなくなった頃に足を止めた。
「............ふぅ」
停学などと気になる言葉はあったが、逃げ切れたので良しとする。大方、シーラが退学になっているのを停学だと勘違いしただけだろう。
何よりも、セイラの荒修行は間違っていなかったらしい。厳しかったのは確かだが、あれがなければ途中で追いつかれていた可能性がある。
「頑張った甲斐はありましたが......」
ここはどこでしょうか、と呟く。無我夢中で路地裏にまで来てしまった。
脇の建物に蜘蛛の巣を発見してレティアは頬をひきつらせる。鼠もいるし、どこかから悲鳴が聞こえてくるし、確実に治安の悪い区域だ。
「............大通りに出なければ」
走ってきたのと反対方向に歩き出そうとしたその瞬間。背後で何かを振りかぶる音がして、レティアは反射的にしゃがみ込んだ。
地面にのめり込む金属棒の鈍い輝きを視界に収め、慌てて距離を取る。
応対するのは煤に汚れた衣服を纏う強面の男性だ。「はずしちまった」と頭をガリガリと掻いており、まぁ所謂チンピラという奴だろう。背後には仲間と思われる二人の少年がいる。
「嬢ちゃん、金持ちだろ? 父親の仕事は?」
身代金目当ての行為のようだった。レティアは大真面目に父親のことを思い浮かべる。
首を傾げ、人差し指を口元に当てた。
「多分、死にました。母は何年か前に失踪しましたけど」
え、と三人が固まる。予想外の返答らしい。それも当然、父親の仕事を尋ねて両親がいないと告げられるとは予想しないだろう。
―と、そんな風に分析をして、レティアはたじろいている三人に風魔法をぶちこんだ。
生み出された強風で三人は気絶して吹き飛ぶ。遠目に見てもピクピクと震えているので生きていることは間違いないだろう。
「この手の人間は初めて見ました......兵士でも呼びますかねぇ」
少し悩んで、思い出す。飲食店を探さなければならない、ということを。
「..................」
レティアは三人を置いて歩き出した。次に飲食店を見つけたらそこに入ろう、と決意して。
数分後。レティアは大通りに辿り着き―そこがセレナイト学園近くだということに気付く。
猛烈に、かなり滅茶苦茶嫌な予感がした。
レティアはコソコソと道の端を進むことにする―というより、進もうとした、ところで。
確実に運が悪い自分が無事に飲食店を見つけられる訳がなかった、と痛感した。
「―あ、先生。知ってます? あそこのオムライス、すっごく美味しいんですよ」
「............」
「そっぽ向かないでください」
「寄らねぇぞ」
「......ご、五分だけ」
「慰労会の買い出しに来てんだろうが」
聞こえてくるのは女性二人の会話。その片方には聞き覚えがある。セレナイト学園の教師だ。
そしてまたもや背後からやってくる―もう、レティアにはセレナイト学園が後ろから迫ってきているように感じられた。もう泣きたい。
(............逃げられる道がないんですけど)
唯一あるとすれば来た道を戻るくらいだろうが、そんなことをすれば一時間に間に合わない。そして確実に気付かれるだろう。
―別に、気付かれてはいけない訳ではないのだが。
(もう、セレナイト学園と関わるのは願い下げなんですよ......いい加減、昔の私のことは忘れたいんです)
こういったところが昔から変わらない。変われない。―分かってはいるが、だからといってどうにかできはしない。
今も昔も、レティアに出来るのは目を背けるだけ。
―だから、見つけた。
見ていた方向から目を背けた先、ケーキ屋と併設になったオープンカフェを。すぐさま飛び込んで女性たち二人の様子を窺う。
どうやらレティアに関心は移らなかったようで、和やかに談笑しながら大通りを進んでいった。
ほっと胸を撫で下ろしてカウンターに立つ店員に向き直る。
しっとりとした髪を一つ結びにした落ち着いた雰囲気の女性だ。「いらっしゃいませ」とこちらに微笑みかけてくる。
氷魔術が付与されたショーケースには所狭しとケーキを含むスイーツが陳列されていた。ホールケーキから、定番のプリン、シュークリームまで。ショーケースの横には豊富な種類の焼き菓子が並ぶ。
商品は希望すればカフェの方で食べられるらしい。ドリンクも一杯無料とのこと。
エレナの好物が塩味の効いたもの、ヘヴンがトマトジュースとすれば、レティアにとっての好物はスイーツだ。甘いものなら普段の数倍は食べられるし、胸焼けを起こすことは絶対に無い。
思わず、ふおおぉ、と間の抜けた声が漏れた。
(あまり私物を増やさないせいか頂いている活動費が殆ど余ってますし......お持ち帰りしましょう、沢山っ!!)
二つ、店で食べる用に注文するとして、お持ち帰りは五個―いや、七個。出来ればもう少し買いたいけれど―と思考する。
ショートケーキはホイップクリームの甘味と苺の酸味が噛み合っていれば完璧。チョコレートケーキのずっしりとした感じはない方が良い。フルーツタルトはケーキ屋の良し悪しが判断できる品。モンブランのマロンはどれだけ良い素材が使われているかが感じられる。チーズケーキのチーズの異物感をどれだけなくせているかも確認したいし、シフォンケーキのフワフワとした食感も捨てがたい。プリンやシュークリームなどケーキでないもののクオリティも大切だ。マドレーヌやマフィン、フィナンシェの風味や嫌みのなさ、クッキーの焼き加減も気になる。
数十秒長考して、結論を出す。別に、少ない個数に絞る必要はないのだ。
「チーズケーキとショートケーキを店内で頂きます。ドリンクは......珈琲と紅茶で。それと、お持ち帰りでチョコレートケーキとフルーツタルト、モンブラン二種類、シフォンケーキ、桃のコンポートケーキ、ミルフィーユ、タルトタタン、ムースケーキ、ベリーのシャルロットケーキをお願いします」
合計、一万リゼル超のお買い上げ。普通ケーキ屋で使う金額ではないが、レティアは気にしなかった。
ロブスターの金額には反応するのに、スイーツのことになると全肯定なのだ。これでもケーキだけに絞った結果である。ケーキでさえもいくつか購入を見送ってある。
ふふふふふ、とやや怪しい笑みを浮かべていると、素早くケーキを取り出した店員が口を開く。
「お客様、本日のオススメはこちらのロールケーキになっております」
「……へ?」
店員に声をかけられショーケースから視線を動かすとそこには、百点満点の営業スマイルがあった。
「いえあの、」
「本日のオススメはこちらのロールケーキとなっております」
「その、」
「本日のオススメはロールケーキとなっております」
「めっちゃ推してきますねっ‼」
「本日のオススメはロールケーキとなっております」
「…………」
何と返しても、微塵もその笑顔が崩れず思わず黙り込んで見つめ返す。レティアはしばらくその、唯一笑っていない目と見つめ合っていたが―
「お客様、本日のオススメはロールケーキとなっております。いかがですか?」
―もう一度繰り返されると、視線を女性店員から離して渋々頷いた。何故か、営業スマイルに負けてしまった気がする。
一応、買わない理由は特に無かった。
「まぁ、ありがとうございます‼ ―それと、プリン購入されてはいかがですか? 当店自慢の品ですし、次回の来店時に一割引きになる券を配布しておりますよ」
どこまでも商売魂を貫く定員に、全面降伏をする。勝てる気がしなかった。庶民的な感性を持つレティアとしては割引券は有難い。
「分かりました......プリンも買います......」
「ご購入ありがとうございます。ところで―」
「流石にもういいですっ‼」
叫んで、カウンターに紙幣を置く。
すると、店員の女性はその鉄壁の笑顔をようやく崩して、ふっと目元を綻ばせて。
「ふふっ、ここまで乗ってくれるお客様は珍しいですね。おまけに……クッキーをお一つどうぞ」
「え?」
「―優しいお客様にサービスです」
華麗なウインク。
わなわなと体を震わせる。無意識に、笑い返していた。
「ありがとうございますっ!」
この店員は恐ろしいと思っていたが、優しい女性だったようだ。ちなみに、ロールケーキはレティアが選ばなかったものの中で一番高値である。
そこで、ふと店員の目つきが鋭くなる。
「その代わり、また来てくださいね……店内が華やかになりますから」
「はい。また近くに来ることがあれば」
最後に、本音が出ていたが、レティアの耳には届いていなかった。
次回、言葉通り立ち寄った時また押し売りされ、今度はケーキを一五個買った後客寄せに使われることをレティアはまだ知らない。
この店員は押し売りのプロなのだ。客の機嫌を損なわない塩梅、また来ようと思わせる絆し。ケーキの味と合わせ、常連客がかなり多い人気店なのだということもレティアは知らない。
案内されたテラス席。初夏のテラス席では爽やかな風が吹いている。白いパラソルの下、ガーデンチェアに腰掛けて深く吐息を落とす。
何も変われていない。返せていない。貰ってばかりで、何の役にも立てていない。意思を尊重してもらう度、希望を叶えてもらう度、それを痛感する。
心に打ち込まれた楔のように、レティアを痛めつける原因はまだ取り除けていない。
―ただ、普通の年頃の少女のように、街に馴染めている事実がほんの少しだけ嬉しかった。
運ばれてきた紅茶の味に頬を緩めていると、リアムがやってくる。レティアの向かいに座って、珈琲のカップを持ち上げる。
そこで、またレティアの心境の変化に気付いたらしい。心の機微に鋭いのは職業柄だろうか。
「何か良い事でもあったのか?」
暗殺者といえば、どうしてもマイナスなイメージが拭えない職業だ。それでも、人の心情に寄り添うことができるなら悪くないのではないだろうか。
そんなことを考えながら、紅茶を口元に運ぶ。レティアは薄く微笑んで、告げた。
「............秘密です」
「私のトップシークレット、ということで」と口にすると、リアムはどこか安心したようにも見える表情で「それは残念だ」と返す。
先程まで逃亡劇を繰り広げていたとは思えないほど、穏やかな一時だった。
ちなみにその穏やかな一時は二分後、ケーキを運んできた押し売り上手の店員に「素敵な彼氏さんですね」と言われてぶち壊れることになるが、それはまぁ、どうでもいいことである。