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11話 信じられるわけがない



「本当は心の奥底で、疑ってるんじゃないのか!!」



 自分の顔が歪むのを感じる。


 ――あぁ、全くもって。


(心が、痛い)


 ずっとそうだ。

 嬉しくても、どこか心が痛い。悲しいとき、心のどこかに別の痛みがある。笑いながらも、痛みを堪えている。泣くことで痛みを誤魔化している。


(いつもそう。ずっとそうなんです)


 嬉しい。楽しい。心が躍る。幸せ。ワクワクする。気分が弾む。心地良い。満ち足りている。満喫する。晴れやかな気持ち。夢心地。ときめく。高揚する。浮かれる。頬が緩む。胸が高鳴る。――痛い。

 エレナに軽口を叩いて笑い合うと心が痛い。ヘヴンに励まされると心が痛い。セイラに評価されると心が痛い。ミラに信じられると心が痛い。シェルムやシーラに頼られると心が痛い。幸せなはずなのに、心が痛い。

 居場所の分からない、触れられない痛みがずっと心を蝕んでいる。


 原因だけは分かっていた。


(私が誰も信じていないから。信じているフリをして、心はみんなを疑っているから)


 つい数秒前まで笑い合っていた人に刺されるかもしれない。励ましてくれた人の狙いは陥れるためかもしれない。評価の裏側で嘲笑しているかもしれない。信じていると言いながらも疑われているかもしれない。頼りながらレティアの隙を窺っているかもしれない。

 他人の心なんて読めやしない。本当の意図なんて分からない。言葉が絶対に正しいなんて保証もない。


 なのに、どうして――


「どうして、信頼してもらえると思ってるんですか?」


 人との関係は想像以上に希薄だ。自分に被害が及ばなければ、人は驚くほど他者に無頓着だ。容易く他人の被害よりも自分の利益を優先する。人は驚くほど浅ましい。

 人はすぐに意見を翻し、他者の権利を侵害する。


(信じられるわけがないじゃないですか)


 ユーフラシアに出自について聞いたときも心は痛んだ。『死ぬまで誰かの隣で生きていく』なんて語って、他人を信じきれない疑心暗鬼を抱えた自分が何を言っているのか、と。

 理想ばかりの綺麗事を吐いて、その綺麗事で救われた彼女が心底羨ましい。


 エレナがレティアのその心のズレを指摘してくる。


「やっぱりね。思ってたのよ、常日頃から……あんたはずっと一歩引いたところにいる。あたかも常識人かのように装って」


「……常識人ではありますが」


「そこは要点じゃないって分かるでしょ。あんたが周囲を騙してるって話をしてるわけ」


 エレナの詰問と並行して、ヘヴンが血の刃を飛ばして攻撃してくる。最低限の抵抗としてレティアは氷魔法で礫を作り出し、相殺した。

 血の刃と礫がぶつかる度、ガシャリ、と氷が砕ける音がする。それがまさしくレティアの心みたいで、レティアは唇を噛む。

 

 人が信じるに足る生き物ならば、何故この世界の憂虞は消え去らないのか。

 強者に弱者が嬲られ、苦しむ人に見向きもしない者が大多数。親は子を捨て、人は仲間を見捨てる。私利私欲のために人を殺める。



 ――人には、信じる価値がない。



 レティアは自嘲的な笑みを浮かべた。


(――なんて、随分と偉そうですが)


 信じているフリをしながら心の奥底で疑いを抱える自分も、到底信じられたものではないだろう。もう自分を役立たずとは思わないけれど、それでも自分のことは嫌いなままだ。

 まさか、他人に見透かされるとは思っていなかった。できるだけ考えないようにしているというのに。目の前の二人はレティアの記憶をもとに形作られた魔獣の分体であるから、それも当然なのかもしれないけれども。


 ヘヴンが一歩一歩近付いてくる。エレナは動かない。偽物のはずなのに、他の人に任せられるところでは絶対に動かないのは彼女らしい―なんて思いつつ。 

 いつの間にか座り込んでしまっていたレティアは、立ち上がろうと足に力を入れて―やめる。


 エレナの能力のせいなのか、それともレティアの心のせいなのか。

 もういい、と心が諦めてしまっていた。


「―どうせなら。このままパタッと死んじゃったり、とか……」


 あの日と同じ言葉を口にする。


 偽物とはいえヘヴンに殺されてしまったら、自分の姿を取った存在が仲間を殺したという報告を受けた彼が傷付くかもしれない。それならいっそ自ら死を選んだ方が良い。きっとそうした方が心残りが少ないだろうから。


(舌を噛み切ったら死ねるんでしょうか)


 ヘヴンはあと数歩の距離にいる。

 レティアは、舌を噛み切ろうとしてもその実行の手前で動きを止めてしまう自分に、戸惑う。急がなければいけないのに、どうしても力を入れる寸前で踏み止まってしまう。


 ――どうして?


「……っ、!!」


(死んでもいいと、思っているはずなのに)


 ヘヴンに自分を殺させてしまうぐらいなら、自死を選びたいと、そう思っているはずなのに。

 これまで傷付いてきた彼が傷付かなくて済むようにしたいと、そう思っているはずなのに。


 段々と痛みに慣れてきて、エレナの能力の強制を感じる。もう、立ち上がれない。立ち上がれたとて、立ち上がったのかどうかはノーコメントとしたいところではあるが。


 レティアの死を悼む人なんて誰一人もいない。

 だから、犠牲になるとしたらそれはレティアであるべきだ。


 ――本当にそう?


 問いかけてくる声は無視して両拳を握り込む。


「そうに決まってるでしょう。私が死んで、誰が悲しむんですか」



 ――あぁ、早くしないと。

 そうでなければ――レティアは、ヘヴンに殺される。



*_*_*_*_*_*


 一方、時を遡り、所変わって。

 王都に出かけてきていたエレナとヘヴンは、困惑していた。物産展が開かれていると聞いて、ヘヴンを荷物持ちとして同行させ、珍味を買い揃えに行くところだったのだ。


 それなのに、突如として隣に立っていた人間が突如武器を取り出したのである。


 決して戦闘向きというわけではないエレナは、小柄な体つきから舐められることが多い。もっとも、武器を持っていないのも大きく影響しているだろうが。

 エレナは容易に屈服させられる相手として、完全に舐められ、首筋に剣を突きつけられていた。

 しかし、悲鳴を上げるなんてことはしない。


 首に当たる剣がヒンヤリと冷たい。

 命の危険が迫ってもいっそ呑気なエレナ―をまさしく死に追いやろうとしている張本人の方が正気とは言い難いぐらいだった。


「この女の命はオレが握ってる!! 殺されたくなきゃ、全員動くな!!」


「何が目的なわけ? 正直に白状しなさいな」


「テロだ……!! これ以上の悪政は見逃しておけん!!  王城へ攻め込み、民を苦しみから解放する!!」 


 周囲の一般人は、若い少女が無防備に剣を突きつけられているという状況にすっかり呑み込まれてしまっている。

 ヘヴンはエレナの判断を待っているようだ。 


 キナ臭い輩が襲ってきたとき、することは一つ―プロファイリング。


(呼吸は荒くない。周囲からの視線を気にしている。王城を攻めると言いつつこんな道端であたしを脅している……語った目的はブラフ。他に何か理由がある。少し離れたところから戦闘音が聞こえる。悲鳴もいくつか……でも王城の方じゃない。郊外で騒ぎを起こしている……本来の目的のためか。何より、王国の政治を主に執り行うのは<従事者>であって国王ではない。それは一般人でも何となく理解している。悪政という言葉を王城に結びつけるのはおかしい)


 そこまで考えたところで、何となく相手の目的を察する。


(―あぁ、そういうこと。やっぱりね)


 エレナは自分が呆れ顔になるのを止められなかった。

 よりにもよってエレナ(<従事者>)を人質に利用しようとするなんて―よっぽど日頃の行いが悪いらしい。


「国王に不信感を持たせたいってわけね。あたしが思うに、あんたら連邦の人間でしょ。国王が変われば都合がいいのは連邦だけだもの」


「なっ……っ、?!」


「そんな目に見えて図星って表現しなくても全部丸わかりだから」


 絶句して手元を震わせる男。断片的な情報から真実を見出され、驚愕が心を浸しているに違いない。何故、と問いを繰り返していることだろう。

 しかし、エレナは冥土の土産としても教えてやる気にはならなかった。理由は単純―こんな奴、どうでもいいからだ。


 エレナを人質として選んだ時点でセンスがない。

 エレナを人質にしたとしても、すぐにいくつか負傷させなかった時点で才能がない。


 ―そして。

 こんなふうに、図星を突かれて逆上してしまうような人間は救いようがない。


「う、あああぁああぁぁっ!!」


 男は叫び声を上げる。

 エレナの首筋に添えられた手が震える。その隙を見逃さず、エレナはその手を掴んだ。


「―おあいにくさま」


 今日は休みだからとつけていた『枷』を一つだけ外す。特技を解放する。

 少しでも動きがブレれば十分だ。


 慌ただしさなんて欠片もなく、そっと男の手首を外側に、雑巾を絞るようにねじる。そして手の甲を地面に向けさせれば、上手く動けないはず。

 ついでに小指をあらぬ方向に曲げてやると、男の手から剣が落ちる。リアムならこの程度では落とさないだろうが。


「ぐ、うっ」


「降参しなさいな。良いようにはしないけど」 


 返事がなかった。仕方がないので足を踏み抜く。エレナはヒールを履いているから、わりと痛いだろう。レティアなら頑張って耐えるだろうが。

 

 男の顔を覗く―絶望は、していない。

 エレナはこの顔を知っている。歯を食いしばりながらも、目だけはギラついている。

 これは、それだけの精神力があるのではなく―


「仲間がいるんでしょ。知ってる」


―起死回生の一手がある人間の、顔。

 仲間がいることなんて、テロという状況からも男の視線からも見抜いていた。


「―死ね、<従事者>」


 エレナの死角。

 今度こそ、と首に凶刃が迫る。気配からして、この男よりもこちらの方が上手か。


 風が強く吹く。常緑樹の葉が空を舞う。中々に爽やかな天気だ。

 エレナはただ、振り向いた。そこにいた今にも斬りかかろうとする男を視界に映し、口の端を少しだけ持ち上げる。


「無駄。あんたじゃあたし()()は倒せない」


 エレナは、ヘヴンにハンドサインを送るといったようなことはしなかった。彼なら既に行動を始めていると、知っているから。

 だからただ、待つ。敵が全滅するのを。


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