3話 愛らしくも美しい花
男女がホールに入場する。大理石でできたホールの床を踏み、ヒールが静かに音を立てた。
青年が少女をエスコートし、静かにホールの中へと進んでいく。
少女は透き通るような美しい白髪。小柄ながらもメリハリのある肢体を紅いドレスに包んでいる。大きく切り取られた背中側の生地は陶器にも似たその肌を惜しげもなく晒していた。パートナーがいるとはいえまだ婚約状態、という会場内の青年たちは熱烈な視線を向ける。
青年は艶のある黒髪。贅肉を削ぎ落としたようなあまりにも完成した長身に礼服を身に纏い、少女に手を差し伸べる。整った顔立ちは色気を匂わせ、パートナーがいるとはいえまだ婚約状態、という会場内の少女たちはほうっと息を漏らす。
多くの視線をかっさらう、美しい男女。誰もが参加客リストを取り出し、一体誰なのかとチェックする。犯罪予告があったために任務で潜入している<従事者>ですら、その半数が参加客リストを取り出す。
そんな注目を集めながら青年にエスコートされる少女は―今、混乱していた。
「どうしてこんなに注目されているんですか? 確かに、師匠は見目麗しいですが」
「......お前の容姿が原因だろう、レティー」
師匠と呼ばれ、前日の出来事を思い出したのだろう彼の返事の、何と重いことか。そのことに悲しみつつ、少女―レティアは決意を新たにする。
今日、昨日の失言の謝罪と意思をちゃんと正しい言葉で伝えるのだ、と。
*_*_*_*_*_*
その日、フローズィンは自分が恋に落ちる音を聞いた。勿論比喩だが、それほどに衝撃的だったのである。
「なんて美しいんだ......」
黒髪の青年にエスコートされ、会場を歩く白髪の少女。貴族の子息であるフローズィンからしてもその仕草は洗練されており、かなりの身分だと伺えるほど。時に美しく、時に可憐に雑談に花を咲かせる様は一本の花を思わせる。
ハッキリ言って、女神かと思った。
参加客リストを見ると、並び的にアンツヴァイク家の三女か。青年はツヴァーク家の五男だ。アンツヴァイク家とは聞いたことがないが、似た響きだからツヴァーク家の分家なのだろう。本家に分家の娘が嫁入りするのは珍しくない。
ワイングラスを持ち上げ、香りを楽しむフリをしながら考える。なお、ワインの香りの差異などフローズィンには分からない。
(ミモザ嬢か......すごく可愛らしい響きだ)
ミモザ―花の名前だ。あいにくフローズィンは花言葉を存じ上げないが。
入場はまだ続いている。若者や立場が低い者から入場し、立場が高い者を待つ慣例があるのだ。
フローズィンは一口だけワインを含んだ。口内を潤して、もう一度入り口の方を窺う。
(そろそろ中間層の入場だから......あと三分くらいはチャンスがあるかな)
心が浮き足立っているような感覚を覚えながら、ミモザの方へと近付いていく。フローズィンの婚約者はというと、『幼馴染』らしい男と何か話している。だから、フローズィンがミモザに話しかけてもおかしくはないはずだ。ツヴァーク家との関わりも、先代まではあったはずだし、遺恨が残るような出来事は欠片もなかったし、ミモザの相手の青年は他の参加者と話しているし、彼女の迷惑にはならないし。
思いつく限りの理由を並べ立てて歩き、ついにフローズィンはミモザの元へと辿り着く。
参加客リストを眺めるミモザ。近くで見るとその美しさはより際立った。睫毛なんてマッチが置けそうなほどに長いし、その奥の瞳も美しい。
自然と鼓動が高まっていく。一目惚れという現象を実感してようやく分かる―馬鹿にするようなものじゃない、と。
咳払いをするとミモザは目線を上げた。宝石のような瞳と視線がかち合う。
「っ、ミモザ嬢で間違いないでしょうか」
「えぇ、そうです。それで、貴方は……」
中間層以上でなければ顔を覚えられていることなんて稀である。声も鈴の音みたいで可愛いと思いつつ上擦りそうな声でフローズィンは名乗る。
「フローズィン・ノアイクト。あなたが気になって、話しかけてしまいました」
「え」と固まる様子のミモザに、勢いよく告げる。
失礼な行動とは分かっている。婚約者がいることも分かっている。ついでに、家に帰ったら両親に怒られるのも分かっている。
恐らく、彼女が本当の貴族ではないことも。
それでも、フローズィンは、言いたいと思った。
「婚約者がいることは百も承知。しかし、どうしてもあなたに惹かれてしまったのです」
ツヴァーク家は武力によって地位を高めた。だから、子供に花の名前なんてつけない。公言されていないが、希代の英雄のようにと、星の名前がつけられることがほとんど。最近はそれ以外も見られるが、いずれにせよ気の強い現当主の方針で強さの象徴になるような名前をつけるだろう。分家といえど名付けは当主が行う。
だから、ミモザはきっと貴族令嬢じゃない。貴族令嬢よりもよっぽど令嬢らしい振る舞いだが、ツヴァーク家と関わりがあるフローズィンだけはこの会場内でそれを見抜けた。
「どうか私と添い遂げ、永久の愛を誓ってくれないでしょうか」
帝国ではいざ知らず、王国では本人たちの意思があれば婚約解消は自由。高位の貴族でないので遺恨も残らないから、と。
そう、フローズィンは言外に告げる。
そして言葉が途切れないよう、語彙を尽くす。自分の姿が馬鹿で愚かな男に写るように。
「その淡雪と見紛えそうな白髪も、宝石じみた薄紅の瞳も、人形のような顔も脳に焼きついて離れそうにない」
ミモザは呆気にとられているようだった。しかしすぐに微笑んだ。まさに、ミモザが咲き溢れるかのように。
「そのお言葉は誠に光栄です。それこそ、身に余るお誘いですわ。―ですが」
少しだけ、首を傾ける仕草。
「私には愛する殿方がおります。その方と共に生きることがただ一つの望みなのです」
清々しいほどのフラれっぷりだった。
すぐに「そんな」と肩を落として落ち込んで見せる。
だが、これでいい。
なんて馬鹿で愚かな男だろう、と周囲の視線が突き刺さってもいい。なぜなら、紛れ込んでいる<従事者>であれば、普通は何があっても目立たぬように行動するからだ。
だから―
(逆に彼女が犯罪予告の連中に怪しまれなくなる)
こんなことで、少しでも自由に動けるようになるのなら。大体は自分一人の問題で片付くのなら。
フローズィンは喜んで、何度でも馬鹿で愚かな男を演じるだろう。
(だって―ほら)
「どうか婚約者の方を大切になさって。始まりは政略でも、きっと暖かい家庭が築けるでしょうから」
目の前に愛らしくも美しい、笑顔が咲いているのだから。
*_*_*_*_*_*
フローズィンと名乗った青年から離れて、レティアはリアムの方に近付いた。そろそろダンスが始まる頃合いだと思ったのだ。
となると、レティアはある程度近くにいた方がいい。パートナーなので。
「―あ」
背後から思わず空気が漏れた、というような、小さい声が聞こえた。その声を聞いて誰のものか特定し、レティアは瞬時に振り向く。
「シーラ様、ごきげんよう」
振り向いた先には薄い水色の髪の少女がいる。膝下から人魚のヒレのように広がるマーメイドドレスは紺青の瞳によく合っていた。
シーラ様、という呼び方で状況を理解したらしい彼女は、少し息を呑んだ後小さく頷いた。
「えぇ。ごきげんよう......名前をお聞きしても?」
「ミモザ・アンツヴァイクと申します。本日はお会いできてとても嬉しいですわ」
シーラはあと数ヶ月でセレナイト学園を卒業する。まだ学生だという彼女が任務でここにいるとは考えにくいから、普通に招待されたのだろう。犯罪予告が出た、ということ自体は客側にも告知されているから状況の理解が速い。
促されるのに従って歩き出す。
「シーラ様......ご婚約されていたのですね」
「いえ、わたくしはまだしておりません。当家は新規事業の出資をしているのでお招き頂いた形ですわ」
「当主は招かれていらっしゃらないのですか?」
「父は......半年ほど前に他界しまして。姉はもう嫁入りしていたので、婿をとるまではわたくしが当主を務める予定ですのよ。もっとも、相手はまだ決まっておりませんが」
シーラの姉―中々想像がつかない。目や髪の色、魔力属性は遺伝することが多いので、水属性だろうか。
いつか行われるかもしれない魔術談義に思いを馳せつつ、レティアはふんわりと笑う。
「きっと、シーラ様にお似合いの方が見つかりますよ」
「そう言っていただけると叶いそうな気が致します」
「では、姉を紹介しますわね」という言葉に正面を向くと、そこには三人の男女がいた。シーラの紹介に従って視線を移していく。
一人目は薄い灰色髪の女性、ケイティ・リルグニスト。美しい、知性を感じさせる瞳の色はアイスグリーン。全体的に色素が薄く、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
二人目は茶髪の男性、ジーク・ネイソン。茶髪の中でも王国で一番多い色味だ。中肉中背で、顔はある程度整っているが中々印象に残らない。
三人目は濡れ羽色の髪の女性、エムリナ・ネイソン。彼女がシーラの姉らしい。黒真珠のような瞳で、実に陰鬱そうな雰囲気を醸し出している。そのうえ濃い青色のドレスを纏っているので、なおさら暗い印象があった。
―全員容姿は整っているが、そこはかとなく変人臭がする三人組だ。
あまり挨拶したくない、と失礼にも考えつつ、内心と相反した、礼儀を尽くした挨拶を行う。
「お初にお目にかかります。ミモザ・アンツヴァイクと申します。本日はお会いできてとても嬉しいですわ」
その挨拶を受けて、灰色髪の女性―ケイティが口を開く。儚げなその容姿に、ドス黒めの笑みを浮かべながら。
「私もとっても嬉しい......あなた、お金の匂いがするからさぁ?」
え、と思わず固まる。視覚と聴覚の情報が上手く対応してくれない。
(お金の臭い............金属、的な?)
武器の臭いがする、と遠回しに指摘されているのだろうか。
ジークが呆れた顔つきでフォローを入れる。
「初対面なのに失礼......将来有望というか、そういう誉め言葉だと受け取ってもらえれば」
「............救いようのない女だわ......」
シーラとどこか似た顔立ちで、全く似ていない雰囲気と仕草で毒を吐くエムリナ。
(情報が多すぎますね)
とはいえ、ジークとエムリナの正体は分かる―<従事者>として、本名で参加している魔術師だ。今日参加している<従事者>の名簿は暗記済み。招待されてもおかしくない者は本名で参加するのだ。
唯一分からないのはケイティである。本名で参加していて、彼女は<従事者>ではない。それなのに、パートナーは見当たらない。シーラのような特別枠なのだろうか。
(少し探りを入れてみましょう)
ケイティに目を向ける。
「婚約者はいらっしゃらないのですか......?」
不審な問いかけではないはずだ。懇意にしたい相手の婚約者にも挨拶を行う、というのは貴族として普通のこと。
ケイティはドス黒い笑みのまま頷いた。
「えぇ。私、新規事業の出資者なの。だから、婚約者がいなくても参加可能ってわけ」
「出資者......凄いですね、お若いのに」
「商人だから、儲け話には目がないの」
そこまで言うと、ケイティはこちらに一歩近付いた。レティアの耳元に顔を寄せる。アイスグリーンの瞳が、キラキラとした輝きを放っている。
「あなたのことも勿論知ってるわ......<狂花>さん。私、魔術業界でも一切躊躇うつもりはないからさ。だから、以後、お見知りおきを―上客さま?」
そう、リナリアとしての魔術発表についても知っていると言外に告げる。
ケイティ・リルグニスト―相当なやり手である。




