{Interval Story}2<桂木>の受難/蜜月を経て
帝国任務後、新たな所属となったヴァルクの朝は、攻撃魔術の行使から始まる。
扉を少しだけ開ける。詠唱をして、中に手だけ差し込んだ。炎系統初級魔術を行使する。ヒュン、と飛来するいくつかの炎の針はその中で眠る人物の頭に突き刺さろうとして―結界に弾かれる。
「............起きたか」
「おはよーぉ」
上体を起こした女性を見る。普段の奇抜な格好からは想像もつかない姿だ。時代遅れのローブの代わりに可愛らしいネグリジェを身につけ、長い赤髪はサラリと流れている。この状態で、話さず、という条件付きであれば
これがヘレネルだと、信じられるのは彼女に先輩と慕われる女性ぐらいだろう。ヴァルクもまだ半信半疑である。
ヴァルクの一日の最初の仕事―それは、ヘレネルに攻撃を仕掛けて起こすことだ。自動防御の中級結界が作動すると寝ていても気付くためこの方法をとっている。ヴァルクは部屋の中に入りたくないので。
「入ってきてもいいんだけどねーぇ? 専属の秘書だしーぃ」
ヴァルクの考えを見透かすようにヘレネルが言う。ヴァルクは「勘弁してくれ」と呟いた。
*_*_*_*_*_*
ヘレネルの秘書として働くことになったのは、帝国任務が終了した夜である。その場にいたのは、任務に参加していた六人だ。
恙無く報告は行われる―裏切り者なんていなかったかのように。その最後、捕縛されたまま聞かされる言葉に、ヴァルクは思わず絶句することになる。
「<桂木>の処遇なんですけど」
覚悟はしている。いつかの同期生の祖母のように、処刑人に殺されるかもしれない、と。
しかし、その覚悟は見当外れだった。
「ヘレネルの秘書でどうですか?」
「............は」
そう告げる少女と同じチームの人間は笑いをこらえている。
ヘレネルの秘書―というと、宮廷魔術師の専属秘書か。<従事者>階級五級相当の権限を持つ。今よりも給料は落ちるが、行うのは主に書類作業で―
そう、脳内で始まる情報の羅列。頭を振ってそれを無理やり押しのける。
「ヘレネル、秘書が欲しいって言ってましたし、それに......」
こてんと、首を傾げる動きで目の前の白髪が揺れる。整った美しい顔に、あどけない表情が浮かんだ。
「貴方の我儘で迷惑を被ったので―仕返しですっ」
仕返しと、そう言われると拒否を示す気にはなれなかった。ヴァルクの行いが罪深いのは確かだったから。
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「それにしても」
一ヶ月前のことを思い出していたヴァルクは呟く。同じ部屋にいる相手に文句を伝えるかのように。
「朝起こすのは秘書の仕事じゃないと思うんだが」
「飲酒を許してるんだから問題ないよぉ」
そう言われると、ヴァルクは言葉に詰まるしかない。基本的に一般部署では飲酒が禁止なのである。
たった今整理し終わった書類をまとめる。備品を買い足しに行くか、と立ち上がったところでソファで寝そべるヘレネルが声を上げた。
「自分はこの後店の方にいくからーぁ、担当地の代表との会合と巡回、魔術学会との打ち合わせ、奨学金出資の合意書類......諸々頼んだよぉ」
今日の予定はそれで全部である。
ヴァルクは深く息を吐いた。忙しい方が寂寥が薄れる、ということは正しいが、あまりにも酷い職場だった。
返事をせずに執務室を出る。まず向かうのは担当地である。
階級一級の者が管理する一定範囲を、王国では担当地と呼ぶ。部署の公開非公開に関わらず、その土地の治安維持や行政を担当するのだ。
ヘレネルの担当地は本部の最寄りから汽車で二駅のところ。かなり近い方だった。座席を使うまでもないと、目立たない所で立って待つ。
フワリと、重厚感のある甘い匂いが香った。ヴァルクはこの香りを知っている。バルサム―彼女がずっと愛用している香水の匂いだ。
「―<不虞>?」
「えぇ、そうだわ。新たな職場は天国なのかしら」
「どちらかといえば地獄だ」
「......そう。あまり悲しくないわね。でもきっと、空の上の神は悲しんでおられるわ」
<不虞>はたおやかな墨色の髪を触った。流石のエセ聖職者というべきか、その後のお祈りのポーズは流れるように行われる。
自分には同情すらくれないらしい―と、ついネガティブな思考をする。もう一月もすれば春だというのに、気分が晴れる様子はなかった。
隙間から入ってくる北風が頬を撫でる。いつかの承認試験のときよりも寒いと感じた。それは隣に彼女がいないからか。
カサンドラを失うことに繋がった自分の愚かさと未熟さへの恨みが心を浸す。
その様子を眺めていた<不虞>が静かに口を開いた。
「そう悪いことでもないと神はおっしゃるでしょうね」
無表情な訳ではないが、<不虞>の感情は読み取れない。その声からそれを感じることはできず、カサンドラと友人でもあった彼女の顔を見ることもできないから。
ただ、柔らかい声だった。
「宮廷魔術師は王国史に載る偉人ばかりよ」
口から、掠れた息が漏れる。何とも言えない感情に心が埋め尽くされる。
その果てで、一つだけ問いかけを絞り出した。
「慰めているのか?」
てっきり彼女には死ぬほど嫌われていると思っていたのに。
その困惑すらもお見通しなのか、<不虞>はあまりにも予想外のことを言う。
「えぇ。アナタのこと、嫌いでもなんでもないんですもの」
「......じゃあ、どうしてわりと対応がきつかったんだ?」
その瞬間、ヴァルクは<不虞>が微笑むのを初めて見た。泣いている顔以外の、直接的に気持ちを表した表情。
「わたくし、下戸なのです。だから羨ましかったの......アナタがグランと杯を交わすのが」
「なっ......」
「今日から五度目の春が来るまでに結ばれてみせるわ」
「結婚式には呼んで差し上げるわ」と告げる彼女はどこまでも魅力的な表情だった。これぐらいなら、<豊饒>ぐらい数百人はオトせるだろう。
ヴァルクは隙間風が少しだけ暖かくなったように感じた。
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深夜、全ての仕事を終えて執務室に帰ってきたヴァルクをヘレネルが出迎えた。書類の整理をしていると、話しかけられる。
「ねーぇ」
(妙に静かだし、何かあるのか?)
少なくとも、嫌な予感しかしない。
返事をせず、ただ視線を向けるとそこには小さな紙が一枚、あった。
「......豪華客船の乗船券?」
公国行きの二等室のチケットだった。
「旅行は好きかぁーい?」
「人並み程度には好きだけど......どうして公国行き?」
「それがねぇ、どうも公国の遺跡に旧時代の物品が残されているらしくてーぇ」
まさか、と顔をしかめる。ヘレネルが身を乗り出してくるので、ヴァルクは仰け反って避けた。
近くで、寝ていれば可愛らしい彼女がニヤニヤと笑う。
「ちょっと、持ってきて欲しいんだよぉ」
そんな、ペンを貸してほしいくらいのノリでヘレネルが依頼をしてくる。
ちょっと気が楽になったからといって、ヴァルクの受難はこれからも続いていくのだろう。
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一方その頃。一週間程度と言いつつ、色々なんやかんや大騒ぎもあったりしたものの楽しすぎて一ヶ月屋敷に滞在したユーフラシアはようやく<従事者>本部への帰還を果たした。
「よくもまぁ、引きこもりがちな私が二週間の予定を二ヶ月に延長したものです」
一応、ちゃんと仕事はした。非公開部署と違って処刑人と兼任の調査員は大して忙しくないので、誰にも迷惑はかかっていないはずである。
本部の受付に階級カードを提示する。真夜中でも普段と変わりなく「調査員の方ですね」と通された廊下で、一番奥の部屋の扉を開けた。
「ただいま、戻りました」
「ユーフラシアか......随分久し振りだ」
「............」
ちょっとした思いつきがあった。レティアに、彼女の師匠と同じようにレティーと呼んでも良いかと訊ねたとき、「あれは好きな人専用なんです」と返されたのだ。
それを聞いてユーフラシアは、大切な人に特別な呼び方をされたいと思った。
処刑人たちを束ねる立場の、かつてユーフラシアを救った恩人に告げる。
「ユーファって呼んでください」
その恩人は、それを聞いてガチリと固まった。普段何事にも動じないにも関わらず、ユーフラシアのたった一言でその変化が起こったことに驚く。
それは相手にとってユーフラシアが大きな存在であることを示しているのだが、人付き合いが得意になった訳ではないユーフラシアは気付けない。
ただ、周りの他の処刑人たちも動きを止めてギョッとした様子なのことに驚く。
(私がこんなことを言うのはおかしいでしょうか)
でも、きっと二ヶ月間のことを話せば理解してくれるはず―そう、意気込んで口を開く。
「愛称というものは、大切な相手に使うと聞きました。愛称を使って呼んでほしいというのも、その相手を大切に思うからだと。私はあなたに、ユーファと呼んでほしいのです」
視線の先にはたった一人。その人は珍しく少しだけ笑ってくれた。
「少し見ない間に成長したか......」
「友達が五人ぐらいできました」
「成長しすぎだ」
ほんの少しだけ呆れたように動く目尻を見て、帰ってきたのだと安心する。物騒な部署だけれども、何だかんだ安心できる場所。
ユーフラシアの紛れもない『家』だ。
「期待の仕方、新しい関係の築き方、少しふざけたっていいこと、本気には本気が返ってくること、たくさんの考え方をする人がいること、行動には理由があること、人を案じること。全部、教えて頂いたんです」
「良い友達だな......他には?」
もちろん、他にも報告してみたいことはたくさんある。この二ヶ月間の密度はこんなものではない。
ただ―もう今日は夜も遅いので。
「残りは明日にします。おやすみなさい、ヴェロニカ様」
そう告げて書類を渡し、部屋から出ていこうとヴェロニカに背を向ける。追いかけるようにして、彼女の声が飛んできた。
「うん。おやすみ、ユーファ」
その一言に、思わず頬を緩めて笑ってしまったことは言うまでもない。




