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拝啓、その宵で願う貴女へ  作者: 願音
第1章 別離の鐘、高らかに
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4話 訪れたおかしな平穏


 セイラが屋敷を出発してから二週間。洗濯物を干し終わったレティアがぐっと伸びをして屋敷の中に戻ると、居間のテーブルで突っ伏すエレナがいた。

 テーブルには何かの箱が置かれていて、エレナは何やら震えている。


(この人は何をしているんでしょう)


 またおかしなことをしている、というのがレティアの認識。ヘヴンと違ってよく顔を合わせるものの、エレナに対して良い感情を抱いたことはない。

 話しかけるか無視するか迷って、放っておこうと結論を出した頃にエレナがムクッと上体を起こす。


 何とはなしに眺めていたので、目が合ってしまった。レティアが唯一綺麗だと思う蒼い瞳は何故だか、潤んでいる。


「何ですか?」


「........................勝っておいた生ハム、出して」


「別に構いませんけど......」


 それぐらい自分で取ってください、という本音は呑み込んで、買ってあった生ハムを渡す。素直に従ってやったのは、エレナの様子がおかしいからだ。

 軽く咳き込みながら涙目で生ハムを味わうエレナ―咳をしているのも涙目なのも見たことがない。エレナは普段、健康と美容にかなり気を使っているようだからなおさら。


(............誰かと喧嘩した、とかですかね)


 セイラはおそらく現在燠沖観光中。リアムは昨夜任務に出発して、帰宅は今日の夕方。この二人が屋敷内の人間に暴力を加えるのは予想できないが。残りあり得るのはヘヴン。

 実はここが一番分からない。避けられているせいでほぼ言葉を交わしたことがないのだ。

 それでも滅多に人を傷つけることはしないイメージは構築されている。レティアと比べれば親しげなエレナが相手なら、なおさら。


 今日、レティアは街まで下りていない。もし何か騒ぎがあったなら気付けたはずだ。エレナは何をしていたか、記憶を探る。


(今日は......一〇時に起床して、入浴して......)


 そういえば。エレナは街に出かけていなかったか。何か買ってきて食べたのかもしれない。―となると。

 レティアはテーブルの方へ近付いて、箱の中を覗き込む。エレナの方向、ちょうど死角だった位置には一部分がスプーンで抉り取られたのであろう皿にのったそれがあった。



「........................『辛味蕃茄』?」



 箱の中のトマトは普通のものより赤黒い。成程確かに、辛いトマト、と言われても何となく分かる。


「何ですか、これ......トマトから甘みを抜いたらもうトマトとはいえないじゃないですか」


 生ハムを頬張り終わったエレナがチラリと箱に視線を向けて答える。


「ピリッとするぐらいだと思ったの」


「そうしたらかなり辛くて悶絶......って、馬鹿なんですか」


 完全に自業自得。しかもトマトはまだほぼ箱一つ分残っているのだ。これをどうしろと。


「あんたが食べる?」


「エレナちゃんが食べられないものを私が食べられると思います?」


「じゃあどうすんのよ」


 こっちの台詞である。とはいえ、捨てるには量が多い。砂糖をかければいい、というものでもないだろうし―


「............ん」


―トマトに、砂糖。

 思考に引っ掛かったそれを、レティアは引っ張り上げる。その過程で提案に絶大な自信が生まれた。これはいける、と勘が言っている。



「―トマトジュースはどうでしょうっ」



 その手があったか、とエレナが勢いよく立ち上がった。


*_*_*_*_*_*


 トマトジュースが消費手段として有効な理由―それは、ヘヴンの存在だ。彼は四六時中フードを被っているので未だに顔を見たことはないが、好物なら知っている。


「ヘヴンくん、月五〇リットル注文しているみたいですからね」


 最初は申請ミスかと思ったのだが、ヘヴンの生活を見かけているとそれは自然と否定される。起床して飲み、朝風呂後に飲み、朝食時に飲み、水分補給で飲み、昼食時に飲み、夕方に飲み、夕飯で飲み、入浴後に飲み、就寝直前に飲み―とにかくそんな様子で、大量摂取しているのである。


「え、あいつそんなに飲んでるの?」


「私もビックリしました......あ、そのザル取ってもらえます?」


「はいはい......やっぱり、あたしが」


「結構です。物置にあるので、空瓶の用意をお願いします」


 トマトを綺麗に湯剥き。適当にカットして、鍋に突っ込んでいく。『辛味蕃茄』を全て入れると、蓋を被せて煮込み始めた。

 時折混ぜながら二〇分。途中で砂糖を加え、考える。


(遠い部屋の分かりにくい位置にあるので時間は稼げたでしょうが............そろそろ戻ってきますね)


 グツグツと煮だったトマトをザルに。万が一にでもエレナにおかしな調味料を入れられないよう、さっさと濾してしまうことにした。

 普段ヘヴンが飲んでいるのは比較的ドロッとしたタイプのトマトジュースのはず。従って網目の広めのザルを使い、丁寧に濾していく。空瓶を持って合流したエレナは、もう作業が残っていないことに気付いてテーブルの方へ。レティアはほっと胸を撫で下ろし、出来上がった大量のトマトジュースを瓶に注いだ。瓶は冷やすため、氷が入ったカゴに刺しておく。


「辛いトマトなんて......何がいいんでしょうね」


 キッチンの調理台のスペースに頬杖を突いてぼんやりとする。意図的に焦点を外して、リアムと出会ってからの怒濤の日々を思い返す。

 星空の下でリアムと出会った。壁に激突して屋敷に到着した。自分自身でもどうかと思うが、勝手に弟子を名乗った。職務怠慢を常とするメイドに仕込まれて、癖の強い同居人に振り回されている。屋敷の維持で動き回って、その合間に山の登り下りをして、魔法の訓練をしている。

 まだ、暗殺者としての武器を扱う本格的な鍛練はしていない。魔術も未だに使えず、弟子としての働きといえば、屋敷の維持くらいか。だがそれも、ちゃんと仕事をする従業員を雇えばいい話―別に、レティアでなくても構わない。


 そもそも、レティアがリアムに出会ったのはセレナイト学園から逃げたから。リアムがレティアを屋敷に連れていくことを決めたのは、おそらく多大な魔力量から素晴らしい魔術の腕を期待してのことだろう。魔術を使えないことに大きな反応は示さなかったが、内心は落胆していたに違いない。

 ―逃げてばかりだ。学園からも、恩人からも。期待を裏切って、落胆させて、そのくせ別のことに必死になって空回りをしている。

 皆ウンザリしているだろうに、誰も口にしないからレティアは心苦しさを感じていた。


(私でないと駄目な役割なんて、ここには一つもない......小さい頃から、ずぅっとそうです)


 代わりがいる。すぐに用意できる―それが、辛い。何かレティアにしかできない弟子としての恩返し(ここですること)があればいいのに、と何度望んだか。望むばかりで何も解決できない、学園にいた頃から何も変わらない自分に何度呆れたか。

 レティアは自分の存在意義が分からない。何のために存在するのか。何ができるのか。何が欲しいのか―何も理解できていない。


 レティアは唇を噛んで、声を震わせる。

 エレナがいるから声は小さいものの、泣きそうになりながら。



「..................本当に、嫌になります......中身のない、空っぽの私が......っ」



 両親がずっと傍に居てくれたら良かった。せめて人並みに魔術を使えれば良かった。

―もしそうだったなら、誰よりも努力をして、誰よりも幸せになったのに。

 何か突出する分野があれば良かった。『普通』の人のように、器用に生きられたら良かった。

―もしそうだったなら、自分が生きる意味を定めて、前を向けたのに。


 『私は、何のために』。

 レティアが、母親が姿を消してしばらくしてから毎晩毎晩自問する言葉。答えは毎晩変わらない―レティアと同じように。


 レティアの溢した言葉に、エレナがん、と反応を示した。


「......何か言った?」


「別に。エレナちゃんの頭は空っぽで羨ましいです、と言いました」


「言ったんかいっ」


 どうやら詳しくは聞こえていなかったらしい。聞かれたかもしれない、と身構えていたレティアは、適当にはぐらかすと体の力を抜く。


(............流石に、聞かれていたら殴りかかっていたかもしれません)


 他人がいる空間で勝手に口にしておいて何言っているんだ、と自分でも思うが、仕方ないのだと主張したい。

 ―あの言葉は本来口に出す予定のない、私の中で封印しておくべきものであって。誰かが、ましてやエレナちゃんには絶対聞かれたくない内容なんです―と、意味のない弁解をして頭を抱えていると、椅子がガタン、と音を立てた。

 エレナが立ち上がって、自室の方へと歩いていく。去り際、少し振り返ったようだった。廊下に繋がる扉を開ける音、それから数瞬遅れてエレナの声がやってくる。


「別に、あんたが落ち込んでようがあたしはどうでもいいんだけどね」


 は、と口から空気が漏れる。


 ―まさか。



「自分でどうしようもなくなる前に、誰かに相談しなさいよ。そういうので死ぬ奴っていっぱいいるんだから。あたしは嫌だし、ヘヴンは無理だろうけどリアムさんは役に立つと思うわ............セイラも、意外とマトモなとこあるのかもしれないし」



 そう言い残すと、エレナは勢いよく扉を閉め、自室に引っ込んでしまう。それを呆然と見送ったレティアは、一分ほど経過してようやく立ち上がる。

 あまりの勢いに、椅子が後ろに倒れたようだが気にしていられない。


 ―聞かれた。それも、エレナに。


「最悪なんですけどっ!!」


 顔を両手で覆って叫ぶ。顔に熱が集まっていくのが分かった。ちょうど羞恥に悶えている最中に帰宅したヘヴンが若干引いていることも知らず、レティアはエレナの自室へと歩き出す。



 ―殴らなければ。殴って殴って殴って、記憶を飛ばしてやらなければ。



 薄紅色の瞳を完全に決意で燃やして出ていくレティアの後ろで、ヘヴンが「......いつもと違うトマトジュースがあるな」と呟いた。


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