19話 暗転 前編
最終調査の後。集会時の研究施設残留者についての情報をレティアに届けると、ヘヴンは<桂木>と共に安いホテルの一室を取った。
明日の活動場所から近い宿の一階。宿といっても客を楽しませるというより、ただ宿泊のために使用するような部屋だった。広くない部屋の中に二段ベッドが一台。男二人が数時間睡眠をとるだけなので問題はないが。
正直、<桂木>とする雑談はない。話したくないのではなく話すことがないので気まずいが、特に会話を交わすこともなく就寝と明日の準備を進めた。十数分で準備を済ませ、ヘヴンは最後に筒を取り出した。
「..................」
筒の中身はトマトジュースだ。もう一つ、荷物の中から取り出したカップに注ぐ。そしてそのカップに懐から出した小瓶の中身を垂らそうとした、その時。
「............っ、?!」
横から誰かに、小瓶を掠め取られた。
ヘヴンは息を呑んで、すぐさま横を見る。見ずとも分かったが、犯人は<桂木>だ。たった今この瞬間、やや気の緩むタイミングだったとしても、ヘヴンから小瓶を奪える人物は現在彼しかいない。
フードはまだ被ったままだ。それに安堵しつつ、口を開く。
「何をしている?」
返答はないので言葉を重ねる。トマトジュースを台に置く。
「それを返却しろ。今なら敵対行為に見なさない」
冷静に告げながらも、内心の動揺は止まらない。何故、小瓶を盗られた? よりにもよって、今日はギリギリのタイミングだったのに。もう一日も耐えられない。あれはこの小瓶にしか入っていない。王国に戻るまで摂取できない。
自然と鼓動が早まっていく。そんなヘヴンをおいて、<桂木>は十分に間を持たせてから言った。
「返さない。意思は見ての通りだ」
意思は見ての通り―敵対行為としな見なせないこの状況で、奴はそれを言うのか。
フードの下で強く<桂木>を睨み付ける。ヘヴンとしては中身は今手に入らない貴重なものなので暴力に訴える訳にはいかない。手を出すことはできず、従うしかなかった。
<桂木>は部屋から一度出ていって、すぐに戻ってくる。
そして小瓶を叩き割ると窓から花壇に捨てた。
―ここまで行くと、黙っていられなかった。瞬時にベッドの二階から飛び降りる。<桂木>の胸倉を掴んだ。
「何やってるんだお前は?!」
返答はない。ただ、静かな視線が返ってくる。勢いで拳を振るいそうになるが―踏みとどまる。今ヘヴンの命を握っているのは奴だ。
ヘヴンはあの小瓶がなければ――
ため息どころではない重い息を吐く。これ以上、感情が高ぶらないように。
「......何が目的だ?」
「明日の任務、こちらの指示に従うこと。具体的には<狂花>を抑えろ」
「<狂花>を?」
「あれの魔術は利便性が高すぎる」
彼女の魔術の腕は脅威に値するようだった。だが―<狂花>に挑めばいいというのは、不幸中の幸いだ。
(あいつなら、俺を殺してくれる)
それで、こんな不良品のような一生とおさらばできる。本来の力を失い、たった一人の同胞のため無情に人を殺し続ける滑稽な人形は壊される。仲間たちと同胞には申し訳ないものがあるが、自分で死ぬ勇気は持っていない意気地無しなので見方を変えれば良い機会といえるのかもしれない。
―なんて、心のバランスを取る。
ただ、それでも。屋敷での日常を温かく感じる自分がいたらしく、裏切りなどしたくないという気持ちが強い。それを強いる<桂木>が憎い。
だから、ヘヴンは最後の悪足掻きとして言葉を吐いた。少しでも暴走までの時間を稼ぐため眠ろうとベッドに横になる。
「メフィストとはお友達か?」
その瞬間、<桂木>の発する圧が強くなった。応じる語気も鋭く、荒い。
「それは今、一番殺したい野郎の名前だよ」
*_*_*_*_*_*
任務当日。午後四時を回った頃、レティアは<背信>に呼び出されて人があまり利用しない街外れの公園へとやって来た。
今日は時間まで魔術研究をしようと思っていたのだが、「どうしても来てほしい」と呼ばれたので仕方なく出向くことにした。本当の本当に仕方なく。
公園には既に<背信>がいる。
「何ですか、用事は」
「......『すみません、待ちましたか』とか言わないの?」
小首を傾げる<背信>に対し、レティアは本気で意味が分からず困惑する。
「どうして私がそんなこと言わなきゃいけないんです?」
「かぁー、可愛いのに勿体ない......」
「私、来たくないのに来てあげたんですけど。まず、待ち合わせ時間よりまだ早いですし」
「ふざけてるだけなんだから、正論言わないでくれる? ていうか、<狂花>ってあたしのこと嫌いすぎない?」
「魔術の方が好きなだけです」
魔術の方が大切なんだから早く用件を終わらせろ、と視線で促すと、<背信>は肩を竦めた。
「恋愛テクニック、いらない? ちなみに、習得すれば絶対誰でも堕とせるけど」
「別に。任務だとしても拒否したいです。誰でもなんて、そんな無節操なことしたくないですし」
リアム一人いれば滅茶苦茶幸せだし、多分彼はそんな浅はかな人間ではないと思う。
<背信>はジトリとした視線になってみせる。
「あんた今、<従事者>の三分の一ぐらいの人間に喧嘩売ったわよ」
「それ、仕事でやってるんですよね......」
手で促されて、ベンチに座る。持ってきた杖槍は茂みに隠しておいた。<背信>は座る気がないらしく、近くに立った。
「今日はね......ちょっと、二ヶ月前くらいの話をしようと思って」
「二ヶ月前......となると、大体この任務の一月ほど前ですか」
「そう」
一体、何の話なのか。それはまだ分からないが、彼女にとって大切な話なのは間違いないだろう。おそらくは、レティアが聞きたい話でもある。
レティアが聞き手の姿勢になったところで、カサンドラは「ちなみに」と前置きをした。蒼い瞳がこちらを覗く。
「他に聞きたいこと、あったりする? 最後だから何でも良いけど」
「聞きたいこと?」
一瞬、<背信>はチラリと空を見上げた。彼女の瞳と同じ色。彼女の妹を、連想させる色。
「スリーサイズとか。本当に何でも―」
「興味ないです。面白みもないですし」
「はぁ? まな板だけど何か? あたしだって詰め物したらあるんだから」
「それ、全人類共通では? それに、実際そんなに良いものでもないですし」
「かぁー、持ってる奴はみんなそれ言う!!」
若干心の準備が整っていないので、ワンクッション挟んだのだが、半ギレされる。レティアとしてはあってもなくてもどうでもいいのだが。
機嫌を損ねたらしい<背信>。だが、レティアが深呼吸をすると、自然体に戻る。
エレナのため。リアムのため。他でもない自分のため。レティアは、<背信>を見る。エレナの名前を出さずとも、聞きたいことは聞けるだろう。
「貴女が工作員になったキッカケの事件を、教えてください」
<背信>は静かなまま。
「長くなるけど」
「構いません」
聞きたいことが、語られるのであれば。小さく頷いた<背信>は口を開く。
あたかも、昔話のような口調で。
「女の子は、王国の辺境の、小さな村で生まれました。美しいお母さんと、賢いお父さんがいました」
<背信>の顔から、感情は読み取れない。
「女の子が四歳になった頃、妹が生まれました。妹は少し生意気な性格でしたが心優しく、女の子を慕っていました。三人は女の子の自慢の家族でした」
家族の仲睦まじい様子が、目に浮かぶ。
「友達もいました。生活も、貧しくありませんでした。姉妹は、時折村に寄る行商人が運ぶ、珍しいものが好きでした」
納得できる。エレナは、珍味を好んでいる。
「でも、女の子が一五になった冬に、幸せは一瞬で去ってしまいました。村に訪れたのは、山賊でした」
そうして、幸福な物語は暗転する。
*_*_*_*_*_*
冬だった。その日は数年ぶりに雪が降っていた。初めて雪というものを見たらしい妹は、朝からはしゃいでいた。もっともあまり素直でない性格だから、満面の笑みではなかったが。
妹は仕草こそ大人ぶっているが、精神自体は年よりも幾分か幼く感じられる。それは普段カサンドラと両親に甘やかされているからか。
「お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「雪だるま、うまくできないんだけど」
「............なるほど」
カサンドラは妹が作っていた雪だるまに目を向ける。その雪だるまはかなりひどい有り様だった。頭の方はデコボコしていて、体の方は頭より一回り小さい。眺めている間に、コテンと頭が転がり落ちて、衝撃で砕けた。
プッと噴き出す。製作者はワナワナと震えた。
「あ、あた、あたあた、あたまが、」
「壊れないでよ......」
妹のすっかり赤くなった両頬を手で包み込む。温かい、と妹が呟いた。
ふふっ、と笑みを溢す。
「じゃあ、可愛いヘレナちゃんのために、わたしが作ってあげ―」
その言葉は、掻き消される。カサンドラが生まれて初めて聞く、普段と音のズレた鐘の音によって。
動けなくなるカサンドラの横で、ヘレナが驚いて、パチパチと瞬きをしている。
「びっくりした。もう三時になったの......」
村では三時間程度に一度、不定期に鐘が鳴る―が、これは違う。音がズレている鐘の音、それは―
「............ヘレナ」
「何? お姉ちゃん」
「............げるよ」
「ん?」
口から出るのは掠れた声。そのためヘレナは聞き取れなかったようで、首を傾げてくる。
―そんな暇、どこにもない。
ガシッとヘレナの手を取る。力を込めて叫ぶ。
「逃げるよって、言ってるの!!」
キョトンと、目の前で自分とよく似た蒼の瞳が見開かれる。
疑問に答えている時間が惜しい。一秒も無駄にできない状況なのだ。カサンドラはヘレナの困惑を一旦無視して小走りで目的地へと向かう。
ヘレナがたまにつんのめりそうになりながら声を上げる。小説の好きな登場人物を真似た口調は、普段なら微笑ましいものだろう。
「ちょっと、待ちなさいなっ。ねぇっ、待ってってば! 逃げるって、何から......」
「山賊だよ。村を襲っては人を殺して財産を奪う蛮骨で最低な輩。国という大きな生き物に涌く蛆虫だって、この前兵隊さんが言ってた」
記憶力はかなりいい。だから、一月前隣街で会った兵隊が語った言葉は一言一句覚えている。
もっと前から定期的に、父と母が口酸っぱく言ってきたことも。
「お父さんとお母さんも言ってたことって、覚えてる? いつもと違う音が鳴ったときはすぐに隠れなさいって」
「............お父さんたちは?」
「大丈夫。大丈夫だから」
二人は大丈夫だろう。カサンドラたちに比べて、一〇倍は賢くて、五倍は強いから。
「ほら、走って」
カサンドラたちは急がなければならない。無事に妹を連れて合流しなければならない。
(一月前から隠れ場所を整備して、一昨日に食料を補充してたお父さんたちだもの)
―賢くて、強くて、それ以上に。二人は優しい人だから。
今後、数ヵ月は投稿が不定期になります。一ヶ月に一話程度の更新頻度になりますが、よろしくお願いします。




