2話 楽しい楽しい裏業界(非)常識講座
そして翌朝、日が昇って数分。レティアは静かに起き出し、身支度を整える。昨日のうちに屋敷に届いた私物を簡単に整理すると髪を高い位置で一つに纏めた。
そうして、屋敷の玄関に向かう。
「......セイラさんは三日に一回、と言ってはいましたが」
正直のところ、三日に一回でいいのか、というぐらいだ。
生活を保護してもらっていて、働かせてもらえることになっていて、自由にできるお金まで潤沢な額を受け取っているのだから。最早返しきれない恩だらけ。
なのに、三日に一回の訓練だけでいいのだろうか。勿論、その訓練は滅茶苦茶キツい。今も筋肉痛になっているぐらいだ。
屋敷の玄関にある大きな扉に付けられたドアベルが夜中に何度も鳴ることから、リアムがとても忙しいのが分かる。解っているから、少しでも負担を減らすため、出来るだけ早く成長しなければ―というのが、昨夜半ば寝かけながら考えていたことである。
軽く準備運動をした後、走り出す。買い出しは昨日した上に何が必要か分からないのでなしだ。
空は青い。真っ青な世界に、たまに混じる白は今、何を思っているのだろう。この時期の早朝特有の、やや冷たい風を浴びながらレティアは山を下っていく。
「どんなに頼りなくても、砂糖一摘み分の助けでも、いつかあの人が―師匠が私を後悔するぐらいには頑張るとしますかっ」
決意を、誓いを口にし、走りながら拳を振り上げる。自分には似合わないポーズだと感じ、レティアはそれでも頬を緩めて笑った。
*_*_*_*_*_*
屋敷到着、午後六時。夜明けの少し後に出発したから、昨日よりは成長したと見るべきだろう。山を登る際に荷物が無かった、というのも大きいとは思われるが。
今日も大量に汗を流した。流しすぎて、衣服は出発時よりも少し重い。
「分かってましたが......足が千切れそうです」
そうボヤキながらレティアが鉛のように重い足を動かし、ゆっくりと屋敷に戻る途中。後ろから突然声をかけられ、レティアは飛び上がる。
「―レティア」
「ふえぇっ?! ......し、師匠ですか」
反射的に奇声を上げてしまったことに羞恥を覚える。顔を逸らし、チラリと視線を送った。
その視線の先、レティアの顔を真っ赤にした原因であるリアムは何とも思っていなさそうな顔。立ち止まったレティアの前に出て扉を開ける。
「......ぁ、ありがとう、ございます」
「あぁ」
頷いての感謝に応じる言葉は短い。リアムがそういえば、と訊ねてきた。
「昨日訓練を行ったと聞いたが......何に取り組んだんだ?」
「えっとですね......」
未だ頬を紅潮させたままのレティアが昨日の訓練内容を説明すると、リアムは唖然とする。元々、あまり動かない表情を完全に硬直させた。
「......荷車を引いての山登り?」
「大変でしたが頑張りましたよ。今日は自主練ですけど」
過酷な訓練を思い出して、やや得意げな顔で報告。そんなレティアに、リアムは数度瞬きをすると鋭い声を発した。
「セイラ」
「―只今参上致しました、<嚇焉>様」
そしてどこからか現れるセイラ。もうレティアは驚けない。この屋敷に足を踏み入れてから、既に十何回も同じことをされていて、
セイラの気配のようなものを既に体が記憶したからだ。
リアムはメイドの礼をとるセイラに告げる。セイラもそれに応じて、二人は舌戦を始めた。
「訓練内容......ふざけているのか?」
「いえ。セイラは至って真面目です。そもそも、任せたのは<嚇焉>様の方では?」
「お前は限度というものを知った方がいい」
「達成できたのですから限界ではないですね」
「だからといって、素人にいきなり一五時間かかるような訓練をするんじゃない」
リアムは厳しい訓練は早い、と主張し、セイラはただただそれを突っぱねる。この二人はこんなに仲が悪かったのか、とレティアは間に挟まれて虚ろな目になった。
(そろそろ部屋に戻ってもいいでしょうか)
だが、二分経過しても二人の口喧嘩のようなやり取りは止まらない。
「<嚇焉>様、そんなだから未だにあの方に勝てないのです」
「関係のないことにまで口を出すな。お前は普段役に立たないだろう」
「それとこれとは別です。加えて、お姉様にもです。いつになったら―」
そこで、レティアは大きく息を吸って、声として吐き出した。その直前に目を瞑り、勢いで叫ぶ。
「どんな訓練でも私、頑張りますからぁっ!!」
すると、言い争っていた二人はレティアを見て、もう一度顔を見合わせた。そして渋々、といったようにリアムに対し、セイラは―
「セイラ、胸を張るな」
「ふっ、負け犬の遠吠えですか」
―微妙なドヤ顔を炸裂させていた。
*_*_*_*_*_*
結局、二時間にわたるリアムとセイラの話し合いの末、何やら結論が出たらしかった。
それを伝える、と言われてレティアは今準備をしていた。何の、かというと―紅茶である。
「明日からふざけた馬鹿二人の支援に向かわなければならないのを忘れていました」
「忘れないであげてください......」
見も蓋もない言葉に、思わず苦笑してしまう。淹れたばかりの紅茶をテーブルに置いて椅子に腰をおろした。
セイラはレティアが用意した茶菓子を食べながら言葉を続ける。
「明日の夕方、燠沖へと出発します。新しく物資が必要とのことで、帰宅までは一ヶ月後前後。その間は訓練なし、ということになります」
「訓練、しないんですか?」
「そして、セイラが不在の期間、レティア様には屋敷の維持を担って頂きます」
微妙に会話が噛み合っていないが、いちいち反応していてはいつまで経っても話が進まないと知っているのでスルー。
「屋敷の維持............掃除とか、ですか?」
「料理、洗濯、掃除、物資購入、支出管理、その他諸々―つまり、全部です」
「それは、セイラさんの代わり―」
「いえ」
家事全般に取り組んで屋敷の状態を維持。補佐班のセイラが行っているであろう業務だ。そのことからの発言は、セイラが涼しい顔で発した言葉に遮られる。
「完全に上位互換でしょう」
レティアは思う。
セイラから『ふざけた馬鹿二人』と評される人物とは、どんな人なのだろう、と。リアムはリアムで初対面の人物に魔力吸収するくらいにはマイペース。
となると、この屋敷の住人の中で最もまともなのは自分かもしれない。
―そう思っているだけで、実際レティアも変人ではあるのだが。
「そのためこの辺りでこの業界についてお伝えしておこうと思います。まず......」
そう言って、セイラはいつの間にか最後の一枚になっていたクッキーを口に放り込む。そして咀嚼。ゆっくりと飲み込んでから言った。
「この業界、まともな人は滅多にいません。まともな人間がこの仕事をする必要はないからです。全員、精神オバケだと思いなさい」
「は、はぁ」
「数秒前まで戦っていた敵が降参。情報を差し出してくる......あり得ません。命乞いされた場合は即、殺しなさい」
「............」
滅茶苦茶である。紅茶を噴き出さなかったのが奇跡だろう。
レティアがドン引きしている間にも、講座は続いていく。
「命を賭ける分、収入は多いです。それはどこも同じですが......<従事者>制度において、必要な物資は経費で落ちません」
無機質な瞳を向けられて、レティアは口を開く。経費で落ちない、ということは。
「収入から引かれる、ということですね」
返答は、無言の首肯。
「武器、魔石、交通費、変装道具、食事代......任務で使用するものもそうでないものも、全て、管理本部に申請します。そして任務費用のみ来月分の給料から差し引かれる形ですね。半額は本部負担となるものもありますので、一年に一度不正がないか告知なしでチェックが入り、問題があれば処刑人が殺しに来ます」
「<従事者>、何でもありですね......」
「『処刑人と戦ってはいけない』............<従事者>業界の警句です。おかしな魔導具を使うらしいので、襲われたら全力で国外逃亡しなさい」
魔導具、と聞くと興味が湧くが、破格の性能ということしか分からないらしい。基本狙われれば次の日までに殺されることがほとんどなため情報が出回らないそうだ。
レティアは処刑人からは逃亡、と心に刻み込む。
「レティア様の仕事は一ヶ月間支出管理を含め、屋敷を守ることです。馬鹿二人は嫌がるでしょうが無視しなさい」
「......それはどのくらいの発言権ですか?」
おそらく一番大切なのはそこ。セイラの持つ権限が高ければ、『馬鹿二人』が厄介な人間でも方針を貫ける。ただ、セイラの位置付けが二人よりも低い可能性がある。同等だったとき、納得させるのは難しいだろう。
そう考えての問い。そして、その答えにレティアは驚愕することになる。
セイラは、至って何とも思っていなさそうに。
「全権です」
レティアの口が無意識に口をぽっかーん、と開く。
「え............」
「あの二人は同じチーム故の居候......よって<嚇焉>様が全権を握っております。それを譲渡していただきました。協力も得られるでしょう」
「セイラさん......それなら」
レティアは目を輝かせる。チラリと周囲に視線を走らせた。
「この屋敷、綺麗にしていいですよねっ?!」
努めて見ないようにしていた屋敷の惨状。
物置以外は整理などされておらず、キッチン、居間は特に酷い。リアムが黙認しているのが信じられないほどに、この屋敷の内部は汚かった。最早セイラは何のために屋敷にいるのか、という感じである。
セイラは飲み干した紅茶のカップを置く―使用後の食器が重ねられている場所に。
「構いません。むしろ綺麗にしておいてください」
「了承されるのは良いんですが、職務怠慢ですよね......」
開き直った、の比ではない様子に呆れてしまう。
「メイドはご主人様に良い顔をしつつ、陰ではいかに仕事をしないかに全力を懸ける生き物です」
「メイド服なだけで補佐班ですし、良い顔すらしてませんよね......とりあえず、講座の続きをお願いします」
足元に置いていたクッキーの紙袋を差し出して要求。セイラは食べ物がある間ぐらいは講座をしてくれるようだった。
やはり微妙な解説に、レティアはコッソリ笑う。
(............まぁ、裏業界非常識講座ですけどね)