20話 勝者は一人だけ
「ほう......とりあえず、旧庭園近くの巡回は増やせ。怪しまれるなよ? <嚇焉>とはできるだけ接触しないこと。明日、結界を起動する。その後は書き込みをしていくから、全員通りかかれば確認すること」
「はい。凱旋をお待ちしています」
凱旋、と口にしてあ、と口元を押さえる。
これは比較的用途が近いが、普通この場面では使わないはず。ちなみにこの場合、『良い知らせを持って再会する瞬間』のことを指す。
「............凱旋?」
「こ、公国の言い回しです」
マベルはまた同じように、誤魔化した。
マベルは―レティアは。レティア、は。
――自分は、だれ、だ?
自分が、わからない。自分は、だれで、まざっているのは、だれで、だから、それなら、わたしは、だれ―?
思考が混ざって、心が混ざって、人格が、混ざる。他者との境界線。そんなものはどこにあるのか。自分と他者とでは何が違うのか。
自分は、何をもって自分が『自分』なのだと断言できるのか。
分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない―
無理解が積み重なって、『レティア』が『マベル』と同化してしまいそうになった、その瞬間。
「アナタはアナタだから、『レティア』なの」
どこからか、そんな声が、聞こえた。
*_*_*_*_*_*
「―おい!! おいってば!! レティアっ!!」
「ぁ......ぇ」
レティアは、椅子から転げ落ちていた。
マベルの記憶を追体験していた間に、バランスを崩して転倒したらしい。唐突に起こる金縛りのあとのように、体が気怠い。
いつの間にかレティアの上にいたノルアが、前足でテシテシと頬を叩いてくる。それをやめさせるために体を起こしてベッドに移動した。
ノルアは椅子に飛び乗り、やや心配そうにする。
「で......大丈夫か? 定時連絡に来たら床に転がってるんだからよぉ。一三〇〇年生きている俺様でも、流石に驚いたぜ。てっきり死んでんのかと」
「......縁起でもないことを言わないでください。というか、そんなに驚くことでもないでしょう?」
苦言を呈しつつ、レティアは小首を傾げる。
訓練を始めてすぐの小娘なのだ。任務地で突然攻撃を受けてバッタリ死んでいても、正直おかしくないのでは、とレティアは思う。
「いんや。なんか知らんが誰かさんの【祝福】がついてるっぽいし。薄まっては来てるが結構頑丈に守られてんぜ? お前のことが大切なんだろうなぁ」
「かっ、【加護】ですか?!」
【加護】とは自らの寿命を擲って、心の大部分を占める人物に影響を与える奇跡の総称だ。その相手に対して抱いている感情によって様々な効果を為す。
少しでも幸せに、生き永らえて欲しいのなら―【祝福】。前を向いて、願いを叶えて欲しいのなら―【鼓舞】。恨めしく、苦しみを抱えて欲しいのなら―【呪詛】。
全員が全員、誰かに【加護】を与えられる訳ではない。人生で一度もその話題に触れることがないのが殆どなほどに、【加護】を与えられている者も与えられる者も少ない。
【加護】を与えられる者と与えられない者の違いは何なのか―未だに判明しない謎だった。
そんなものが、自分に与えられているのか。
レティアからすると、自分はどれだけ属性を盛るのか、という気分である。
「......ちなみに、誰からか分かるんですか?」
「............そうだなぁ。誰からだろ。普通は分かるんだが......むー、魂の格的に、俺様が下か............」
その言葉に、思わずえ、と固まる。
「リューヘルの方が格が下とか......あるんですか」
基本的に、魂というものは長い時間を生きた分だけ成長していくもの―というのが一般論。リューヘル―特に、一三〇〇年も生きた個体となると、どれだけのものか。
「普通にあるな、珍しいけど。お前も人間の中では上位の方だな。俺様は若い<魔女>とほぼ対等で......長生きには勝てねぇし。神様とは比べ物にならねぇよ。【加護】の臭いは<魔女>っぽいけどなぁ」
「<魔女>も神様も......存在するんですね」
御伽噺に出てくるだけの存在―特に<魔女>は、不幸の象徴として語り継がれている。リューヘル程になると言葉を交わしたこともありそうだった。
そこで、話が脱走していることに気付いたのか、ノルアが前足を鳴らす。
「まぁとにかく、お前にはやべぇ奴の【祝福】がついてる。だから簡単に死ぬとは思ってなくて、驚いた―で、何であんなことになってたんだ?」
先程の、心配そうな色を銀の瞳に覗かせたノルアが問いかけてくる。レティアは手短に、かいつまんで説明した。
直近三日間の<流離>による魔力反応。先日判明した<流離>の目的もあったため、マベル公女に接触。法を掻い潜れるだろうと上級精神干渉付与魔術を行使し、記憶を覗き見たところ自我を失いかけた―そう、語り終えると。
ノルアは目を剥いて唖然とした。実に表情豊かな精霊である。
「おまっ......!! 馬鹿なのか?!」
「馬鹿かは分かりませんが、大真面目ですとも」
レティアはムッとして口を尖らせる。
無茶をした自覚はあるが、残り八日ということで大真面目に思いきってみただけのことだ。
ノルアが騒ぎ立てて煩いので、無視を決め込むことにする。
「それで......結界の核がおそらく旧庭園にあります。ここ最近の魔力反応は、書き込みかと」
そう言っても、ノルアはやはり騒いでいる。反応するのも面倒になって、レティアがウンザリとしながら黙っているとようやく静かになる。
ノルアが机に飛び乗って軽く笑った。
「じゃあ、明日結界を壊しに行くのか?」
「あ、いえ......それはできればもう少し後............戦闘時がいいと思うんです」
「何でだ?」
ほら、と右手の人指し指を立てる。
「戦闘中でも......核にさえ触れることができれば解除は一瞬でできますし。最悪、無理矢理破壊すればいい............ただ、戦闘中いきなり結界が無くなればほんの一瞬でも隙ができるのでは?」
成程な、とノルアが尻尾をゆらりと揺らした。
*_*_*_*_*_*
その、四日後のことだ。レティアは、校舎の一階、端の部屋で気になるものを見つけた。
肌にビリビリと刺激が走った気がして思わず、首から下げたペンダントに触れる。
「....................................っ、これは」
大きな音を立てないように、気を配る。周囲に人がいないことを確かめて、レティアはしゃがみこんだ。
視線の先にあるのは、部屋の床に彫られた文字だ。
―精霊文字。
精霊文字は文字だけでなく、同時に意志をも刻み込む。使われていたのは遥か昔のこと。組み込まれた文字は、条件を満たすことによって内容を実現し、刻んだ者を尊重する。
この場所なら、レティアが設置した魔導具に刻んだときの記録が残っているはず。残留魔力、帝国付近の地域で使われやすい文字―完全に、<流離>の仕業。
レティアは精霊文字を暗記している。主流ではないので王国では滅多に教科書にも載らないものまで。
「............《ຂັດ ສະເຕກ》」
その文字から感じ取れるのは、その文字に滲み出すのは、その文字に刻み込まれたのは。
レティアに訴えかけてくるのは、激しい憎悪。強く、最早惨くさえある憤怒が精霊文字の存在を主張する。
「おそらくはこれが、書き込み......」
指先で文字を撫でる。
『破砕の杭』―きっと、これが何ヵ所にもある。発動の条件満たせば、文字通り周囲を破砕する怨嗟の杭が。
刻むときには、魔力反応が出る。だが、刻んだ後には感知魔術にも引っ掛からないような微弱な魔力しか纏わない。―見つけるのは、難しい。
―でも。
難しくても、やるしかない。
「<流離>……あなたに、私の大切な場所は壊させない」
*_*_*_*_*_*
<流離>の、作戦決行日の前日。
セレナイト学園の生徒たちの様子は一切変わらない―が、<流離>は自分の気が張り詰めているのを感じ取っていた。外部工作戦闘員としての経験が長い<流離>としてはあるまじきことではあるが、当然のことだろう。
「一〇年間……一〇年も、待った」
寮母に与えられた自室で、腕を組む。心待ちにする時間の訪れがまだ遠いことに苛々しながら。
午後三時―おおむね仕事が終わり、寮母が暇を持て余す時間帯だ。寮母といっても、寮の管理を行うだけで料理は外部の人間を雇っており、仕事は共同スペースの管理だけ。それぞれの部屋の掃除や洗濯は各生徒が行うから、<流離>はこの時間帯やきもきするのが日課のようになってしまっていた。
「定期連絡までは、数時間ある……計画達成が見えてきた今、不審な行動はとれない」
定期連絡を作戦決行日ギリギリまで行うのも、本当は控えた方が良いことだ。―だが、今回は協力者との連携がとりにくい環境。教育機関という中で、自分は生徒ではない―面倒だった。教員を協力させることができれば、もう少し楽だったはずだけれど。
「......<従事者>制度が邪魔をしてくる」
<流離>は歯軋りをする。
王国の<従事者>が帝国の外部工作戦闘員に秘密裏に協力する。祖国への裏切り。それは、大罪として扱われる。
その結果、処刑人が派遣されるのだ。
『処刑人と戦ってはいけない』―実力者も多い<従事者>業界にそんな警句が受け継がれるほどの脅威―いくら脅迫したとしても、帝国に寝返る者は少ない。
セレナイト学園では、戦争などでよく活躍する魔術師を育成する。帝国出身の生徒はいるものの、他国の生徒も入学できる故に<従事者>管理本部からの警戒も厚い。
そんな場所の壊滅―その任務を言い渡されるのは、信頼のある実力者だけ。これまで何人も挑戦して、何人も死んでいった。
だから、<流離>は一〇年待った。上司から、信頼されるまで。仕事を、任されるまで。
魔術師を志望して、この場所に集まった生徒たち―特に、優秀だという編入生の少女には、悪いという気持ちはある。
急に注目を集めたことで警戒したが、自分が対応するほどではないと感じた。マベルが確認しても怪しいところはなかったそうなので、彼女はただの優秀な少女だろう。
ただ、それでも譲れない。
「あと少し......あと少しでこの忌々しい場所を壊せる」
願いが叶う、その瞬間まで、あと少し。
*_*_*_*_*_*
―セレナイト学園を守りたい。
―セレナイト学園を壊したい。
相反する、対極的な二つの願い。叶うのは、片方だけ。叶えられるのは、勝者だけ。
互いの望みを懸けた戦いが始まるまで、あと一日。誰が何を手にするのか、知る者はまだ、いない。




