1話 突然始まる地獄回
リアムの屋敷は、豪勢だった。山の奥、森の深くに立てられた大きな屋敷は、王都にある貴族の館と比べても引けを取らないだろう。
屋敷は大きいだけでなく細部まで拘られた設計で、職人の意地を感じさせる。
レティアはどうして暗殺者がこんなに大きな屋敷に住んでいるんだろう―と当たり前の疑問を抱く。
普通、暗殺者や工作員といった職業に就いている者は目立たないことに注力するはずである。
―だが流石暗殺者というべきか、リアムがレティアの理解の及ばないところで何かをしたおかげで、落下や激突による怪我はない。
「..................」
レティアはどう呼び掛けたらいいのかしばらく悩んで、この場はとりあえず気にしないことにした。やはり、対人関係は苦手だ。
「あの......」
「どうした?」
「ここって......」
「僕の屋敷だ。暗殺者といっても、僕は個人業ではない。数多くある<従事者>の職業の内の一つ。チームを組んでいるのはあと二人、この屋敷には一人の補佐班がいる」
「今日から五人で......ってことですか?」
「そうなるな」
相槌を打って、空けた穴から空を見上げ―ようとして、レティアは完全に動きを止める。
壁を突き破ったのだから、そこに空はない。あるのは天井だけである。当然のことだった。
「わ、私、魔術が暴走するんですけど......」
「それは身に染みてよく分かったよ」
「............壁、すみません......弁償しますから」
「構わないよ。僕もそれなりに稼いでいる」
ほぼ他人ではあるが、これから面倒を見てもらう上に自分で壊した壁の修復までしてもらうのは流石に申し訳ない。
そう思っての言葉だったが首を振られる。なおも食い下がろうとしたが―闖入者に邪魔をされた。
「―お帰りなさいませ、<嚇焉>様」
完全な意識外からの声に飛び上がる。
「―っ!!」
リアムは眉一つ動かさなかった。おそらく、気配を読めていたのだろう。
「あぁ、ただいま」
何事もなかったかのようにリアムは上着を脱ぐ―完全に穴が空いた壁を背にして。ツッコミ所満載である。レティアが壊したのだが。
ところで、と少女の声が言う。
「いつから物置が玄関になったんです」
一体何歳なのか、小柄な少女の鎖骨辺りまでの髪は端然とした紫紺色。深い紫の瞳はどこか無機質だった。頭にはホワイトブリムを身につけ、黒いワンピースに白いエプロン。
―つまりはメイド。先程言っていた補佐班なのか、チームの構成員なのか―いまいち分からない。
「僕の口座から修理代を払っておいてくれ」
「<嚇焉>様」
追及をかわせないリアムがレティアを示した。逃げである。
「こちら、今日からこの屋敷に住むレティア・レグリアだ。案内してやってくれ」
「......かしこまりました。見習か従業員、どちらです」
「客―」
セイラとリアムのチラリとこちらに向いた視線に、レティアは反射的に叫ぶ。
「み、見習っ、弟子ですっ!!」
「左様ですか。では、こちらへ」
勝手に言ってしまった、と猛省。
だが、その間に少女は「補佐班のセイラと申します」と会釈すると出ていってしまう。ついていきながら、レティアはリアムの方を振り向いた。
「えっと」
「荷物は後で届けさせよう」
「............ありがとうございます」
勝手に弟子になったことはお咎めなしらしい。
分からないことだらけのままレティアはセイラの姿を追った。すぐそこで待ってくれていて、レティアが追い付くと少し先を歩きながら話し出す。
「ここは郊外にある山の中のお屋敷になります。山の所有者は先程の<嚇焉>様ですね。元は国の所有でしたが、<従事者>階級第一級になった際報酬で受け取ったそうです」
「いちっ......?!」
唖然とする。
<従事者>階級第一級といえば、魔術師なら宮廷魔術師のレベルである。王国の数多い<従事者>の中でも、三〇人いるかどうか、ということを聞いたことがある。ちなみに、学生は<従事者>には含まれない。
「はい。そしてレティア様は<嚇焉>様の弟子ということなので五級相当の権利が与えられます」
「私が五級......国が滅びたらごめんなさい」
「反意があるんですか」
「ないです」
ならどうでもいいです、と流されて苦笑いする。淡白である。セイラはまず、他人にあまり興味がないのだろう。
そんな会話をしていたら、セイラが扉の前で立ち止まる。
流麗な彫刻が為された、大きめの扉。促されるままに扉を開いた。その奥は広い部屋になっていて、中にはセミダブルベッドと机一組。あとは棚がいくつかある。
レティアの喉がひきつった。
「この部屋です。ご自由にどうぞ」
「いえっ、こんな部屋、」
「立派すぎて無理です」。
その言葉はセイラの有無を言わせない声に遮られる。
「ここ以外だと二回りほど広い部屋になりますが」
「私、ここがいいです。ここじゃないと耐えられません」
*_*_*_*_*_*
翌朝―ではない。まだ午前四時だ。疲れているから、とシャワーだけを浴びて食事もとらずに就寝したレティアはドンドンと大きな音で目を覚ました。
眠い目を擦りながら時計を見て驚きつつ、扉を押す。そこにいたのはセイラだった。
「おはようございます、レティア様」
「お、おはようございます」
昨日と一切変わらない姿。セイラは無表情ででは、と玄関を指差した。
「行きましょう」
どこにですか、と聞く間もなく、セイラは歩き出してしまう。
レティアは嫌な予感がした。
―何かが始まってしまう気がする。
その予感は的中した。玄関から屋敷の外に出ると、セイラは宣言したのである。
「それでは、本日教育係に任命されました不肖セイラが貴女を鍛え上げて差し上げます」
「か、家事担当じゃなかったんですか?」
「教育係に任命されましたセイラが貴女を鍛えます」
「質問に反応すらくれないっ?!」
メイド服は飾りだろうか、と考える。戦うメイドさんを喜ぶのはそういった趣味の方だけなのだ。
「これから基礎運動能力を底上げするための訓練に入ります。三日に一回、午前四時から午後三時です」
「一一時間......っ?!」
絶句する。何故かセイラと会話しているとツッコミをさせられていた。
セイラは無表情なまま首だけを傾ける。普通に怖い。
「そうですが」
「......食事は」
「食べたいですか」
「食べたいに決まってるじゃないですかっ」
「なら許可しましょう」
最早何と言ったらいいのか分からなかった。黙り込んでいるとセイラはやはり恐ろしいことを言い出す。
「これから山を走って下ります。その後一周したら山の麓にある街で買い出しをして、荷物を引きながらこの屋敷に戻ってきてください」
「............」
レティアはセイラの無機質な瞳と見つめ合って―目を剥く。
「じょ、冗談ですか?」
「あいにくジョークは嫌いなのです」
ということは、今のは本当のことらしい。レティアはにっこりと微笑んで、次の瞬間崩れ落ちた。
「私、全然体力ないんですけど......」
「そうですか。では、今日は上りでは途中から歩いていいとします」
早く出発してください、と催促されてノロノロと立ち上がり、走り出す。
今更セイラの常識のなさに気付いたところで、もう意味はなかった。レティアは捕まったのだ―恐ろしい教育係に。
*_*_*_*_*_*
その日の夕方。
体が土で汚れるのも気にせずに大の字になってレティアは地面に転がった。ゼェゼェと荒い息を吐く。身体中汗が伝っていて気持ち悪かった。
「............終わりっ、ましたぁ」
「えぇ。初日にしては普通です」
結局、午後三時には間に合わなかった。もう日が沈む時間。セイラは上出来、とも言ってくれない。レティアの教育係が薄情すぎる。
「次の訓練は明明後日ですね。午前四時にはここにいなさい」
「はい......」
一度グッタリと横になると駄目たった。地面に寝転がるのは抵抗があったはずなのに今は逆に心地いい。昨日と同じだ。
セイラはチラリとこちらを一瞥すると歩いていく。柔らかく吹く風が体の熱をさらった。
「………………昨日は、思ってもみませんでした。まさか、暗殺者の弟子になるなんて……一体、どんな小説なんでしょう」
嘘みたいですね、と呟いて立ち上がる。
昨日の今頃というと、学園からの脱走を考えていたぐらいだっただろうか。その時には<従事者>から枝分かれする職業に暗殺者があることなんて知らなかった。人生とは本当に何があるか分からないものである。
服についた汚れを軽くはたいて、荷車に積んだ荷物を屋敷に運び入れる。勝手が分からないのでとりあえずテーブルに置いておくことにした。
浴室で軽く汗を流すと麓の街で買ったパンと燻製肉を持って自室へ。リアムも他二人の同居人も今日は出かけているらしい。セイラの気配もレティアには読み取れなかった。
(勝手に弄るのは良くないですよね……埃含めて色々、気になるんですが)
暗殺者ではないようだが、セイラはセイラで忙しいのだろう。屋敷の掃除が行き届いていないことを証明する要素が屋敷中に散乱している。
かなり綺麗好きなレティアは片付けたい、とウズウズしながら扉を押して中に入った。
椅子に腰を下ろして素早く夕食をとる。包み紙を塵箱に入れると、部屋の隅に用意されていた大量の白い紙を机に数十枚移動。セイラに訓練中仕入れて貰ったものだ。インクも大量にある。
そこで初めて、レティアは上機嫌に笑った。白紙にペンを走らせる。口から漏れるのは、早口言葉のような内容。
「一度構想を書き出して……ここに迂回術式を埋め込むと全七七二七節。挿入節の省略はいらない。魔力の余分が出るから補完術式も加えるとして……規模が大きいので、保護術式も必要ですかね? その場合には素数でなくなるから…………節制術式でも新しく挿入しましょう。脳内構築分はかなり長くなりますが、まぁ……許容範囲内です。威力を上げるなら魔素式を第三項目と入れ換えするべき……あとは、魔力圧縮術式を……既存のものだと不可能なので、開発。…………となると、現時点での予想では一〇〇〇〇節を超えそうな感じですね。実戦で使うとすれば、脳内構築三〇秒、魔力操作をしながらの詠唱三分半程度ですか。暗殺者なら魔術以外の手段での戦闘中、の可能性もありますし……出来るだけ詠唱を削るとなると........................」
たくさんの紙を使って考察を進める。
レティアは何故か魔術暴走を起こしてしまう。魔力量は王国一、魔力操作、魔力制御能力は信じられない程の腕前。術式構築、魔術関連知識も卓越している。
―なのに、魔術だけは使えない。魔術師になるために生まれてきたような才覚を持つのに、魔術を愛しているのに、肝心の魔術が行使できない。
つまり、魔術が好きなのに行使できないレティアは大いに愛を拗らせてしまっているのだった。