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悪夢症(もしくは悪夢障害)と、その治療法について

作者: はりはら

いちおう、真っ暗な悪夢のような話ではありません。安心して読んでください。

「それで? あなたはどんな小説を書いているんですか?」

 私がその男に訊くと、

「いや、小説を書いていると言っても、それが本職ではないので…」

 その男はそう答えた。…いや、答えになっていないなぁ。


 ここは、いわゆるブックバーといわれてる場所。酒を飲みながら、本を読める店。そのカウンターで、私が自分で持ち込んだ本を読んでいると、

「珍しい本をお読みですね」

と、声をかけてきたのはその男のほうだ。珍しい本といっても、私が読んでいたのは、奇書の類ではない。あまり売れていないエンターテインメント系の作家の小説だ。まあ、ブックバーで読むには珍しいかもしれないが、私はこの作品の独特な世界観と文体が気に入っている。

「…この本、ご存じなんですか?」

 私が言葉を返すと、

「ええ、私も読みましたよ」

 男はそう言った。

 どちらかといえば高尚な文学談義をしたがるこの場所で、売れてもいないエンタメ小説を「読んだことがある」と言える人間に出会えるのは稀少な体験だ。私はその男に興味を持ち、少し話をすることにしたのだが…


「あなたさっき『自分も小説を書いている』って、言いましたよね? だから、どんな小説を書いているのか教えて欲しいんですけれど…」

 私は繰り返し、そう尋ねた。

「ええ、私も小説を書いているんです。本も何冊か出していて、読者もいくらかはいますよ。でも他に本業がありましてね…」

 男はそう言った。またしても「答え」になっていない。

 どういうつもりだろう? もしかして、「実は私は、今あなたの読んでいた本の作者です」ってオチかな? この店なら、そんな偶然もあり得るかも…。いや、違う。あの本の作者は写真で見たことがある。この男ではない。結局、会話を楽しんでる、ってことなのか? 私は相手に合せて質問を変えることにした。

「それじゃあ、その本業って、なんなのでしょう?」

 私のその質問に、男は、

「『悪夢症』って、ご存じですか?」

と、返してきた。今度は、答えになっていないどころではない。

(質問に質問で返すなよな)

 少しイラついたが、酒の席の会話だ。相手がそれを楽しんでいるのならば、こちらも楽しまなければ、負けた気がする。私はグラスの酒を少し口にして、言葉を返した。

「悪夢症? 聞いたことありませんね。小説のタイトルですか?」

「悪夢症って、なんだかオカルトめいた言葉でしょう。でも精神医学用語で、実際にある病名なんですよ、悪夢障害とも言うんですけどね」

「へえ」

 私は軽く相づちを打つと、またひと口、酒を飲んだ。

「悪夢症はかなり怖い病気でね。繰り返し同じ悪夢を見るようになって、眠ること自体を恐れるようになる。症状が進むと、日中、眼を覚ましているときも悪夢に恐怖するようになり、うつ病に至ることもあります」

「なるほど。なんだか呪いみたいな病気ですね」

 私はそう言うと、グラスの酒を飲み干し、おかわりを注文して、言葉を続けた。

「…わかりましたよ。あなたはそんなカンジの小説を書いているのですね?」

 男は、笑みを浮かべ、グラスの酒に口をつけて、少し考えるようすをみせてから言葉を返した。

「いいえ、それは少し違うな…。わたしはね、『悪夢症』の患者を増やす小説を書いているんですよ」

 『悪夢症』の患者を増やす小説? 悪夢を繰り返し見てしまうような小説ということかな…。最近、流行っている、読後感が真っ暗になるようなヤツか。私はあんまり趣味ではないが、そういう読書の楽しみ方もあるのだろうな。

「では、なぜ、そういった小説を書かれているんですか?」

 私はそう尋ねて、グラスに口をつけた。

「私の本業は精神科医でしてね。悪夢症の患者も多くやって来ます…最近は増えていますね。悪夢症に苦しんでいる患者を見ていると楽しくてね。一人でも悪夢症を増やしたい、そう思って小説を書いているんですよ」

 そう言うと、男は悪魔っぽく笑った。私は口に含んでいた酒を吹き出しそうになったが、慌てて飲み込んで、言った。

「…精神科医の方が、そんなこと言っちゃって大丈夫なんですか?」

「まあまあ、あくまで酒の席の話ですし」

「それは…、『今のはぜんぶ冗談だ』って意味ですよね?」

「いやまあ、それはどうでしょうね」

 男は、子供のように笑った。

「でね、悪夢症の話は続きがあるんですよ」

 結局のところ、この男がどんな小説を書いているのかは、いまだにハッキリしない。問いただしたい気はするが、話の流れを無視もできないし、悪夢症の話に興味が無いわけではない。私は仕方なく言葉を返した。

「それはどんな話でしょう?」

「悪夢症の治療なんですが、どんなことをすると思いますか?」

「そりゃあ、やはり、薬ですかね? 睡眠薬…いや、睡眠導入剤って言うんでしたっけ、そうゆうものを使うのでは?」

「ええ、もちろんそれもありますね。抗うつ剤などの他の薬を使うこともありますよ。でもね――」

 男はグラスを置き、静かな声で、

「悪夢を幸せな夢に変える。そんな治療法があるんですよ」

と、言った。

「幸せな夢に変える…ですって? 精神科の治療の話ですよね? なんだか、おとぎ話みたいに聞こえますけれど…」

「いえいえ、現実の病気の治療の話ですよ。夢を食べる(ばく)とかのおとぎ話じゃあありません」

「なるほど。では、実際にどうやって?」

「まず、カウンセリングですね。患者が悪夢を見てしまう原因を探りだして、次に、どんな『幸せな夢』を見たいと思っているのかを聞き出してストーリーを作るんです」

「『幸せな夢』のストーリーを作るんですか?」

「ええ、そうです。…とは言っても、大金持ちになるとか、出世するとか、異性にもてるとか、そうゆうのではないです。患者から過去の楽しかった体験を聞き出して、その時に戻るっていうのが、いちばん受け入れてもらえます」

「つまり、悪夢を、楽しかった思い出をもとに作ったストーリーに変えるってことですね。だけど、そのストーリーをどうやって夢にするんですか?」

「そこからは、イメージ・トレーニングですね。患者に、作ったストーリーの説明をして、昼のうちから、そのストーリーの夢を見るように繰り返しイメージしてもらう。そして、悪夢を上書きしてしまおう、というわけです」

「そんなことで、本当にうまくいくんですか?」

「まあ、すべてうまくいく、とは言いませんが、それなりに成果は出ているんですよ。自分自身の楽しい思い出ですからイメージもしやすいのでしょうしね」

 そう言って楽しそう笑う男に、私は訊いた。

「…でも、そんな方法で悪夢を幸せな夢に変えられるなら、悪夢はすべて幸せな夢に変えてしまえばいいんじゃないですか?」

「いや、それは違いますね。悪夢には悪夢の意味があり、存在意義があるんです。それに、人は悪夢を求めるものなのですよ、無意識に、でしょうけれど」

 その話を聞いて、私はひとくち酒を飲み込んだ。

(人は悪夢を求めている、か…)

 その言葉は、納得できた。人類ははるか昔から、悪夢のような物語を多く残している。人は幸せな夢物語だけを求めてはいない。私にしたってそうだ。だけど…昨今はちょっと過剰じゃないかな?

 私が考え込んでいると、男が顔を近づけてきてささやくように言った。

「悪夢っていうのはね、ストレスを緩和しているんです。だけど、日常的にストレスを受け続けて悪夢を繰り返し見ていると、今度は悪夢自体が人の心を傷つけるようになるんです」

「やれやれ、それが精神科医の現実ってやつですか。そのお話自体が悪夢みたいですね」

 私は、ため息をつくように答えた。

 ――いや、待てよ。この男は本当に精神科医なのか? 小説を書いているというのも、悪夢症の話も本当の事なのだろうか?「疑う」というよりも、そう思わせる雰囲気がこの男にはある。

 もし、すべてウソだというならば、それを暴いてやりたい。

 もし、すべて本当だというならば、この男が書いた小説をぜひ読んでみたい。

 私は酔いが回った頭でそう考え、男を見た。男は、静かにグラスを傾けている。

 私の中で渇望が膨れ上がり、それは声になった。

「あなたは、どんな小説を書いているのですか?」


 と――。


 私の記憶はそこで途切れている。男がなんと答えたのか、あるいは答えなかったのか、まるで覚えていない。

 あの後、男ともう少し話をして別れたのは間違いない。そして、どうにかして家に帰りついたのも確かだ。だが、酒を飲み過ぎたせいか、朝起きてみると、記憶が飛んでいた。あの男に、小説のこともペンネームも聞いた気がするのだが、どうしても思い出せない。もう一度、あの男に会って訊いてやろうと思い、あのブックバーに何度も足を運んだが、まったく会えていない。

 そして、私はあの男に会う夢を頻繁に見るようになった。夜中に目を覚ますことも増えた。

 私はあの男に「悪夢」を見せられているのだろうか。

この次は、明るくて夢にあふれたお話を書きたいと思います(笑)

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