お許し下されっ……!!
「お、お許し下されっ……!!」
しわがれた女性の声が響きわたる。
森に囲まれた街道に人の気配はなく、ただただ悲鳴だけがこだましていた。
まだ太陽は高くあるというのに、それに似つかわしくない面相の男三人が、一人の老婆を囲っている。
「金目のものを出せ! 婆さん!」
「そしたら、命だけは助けてやる!」
彼らは各々に持っている武器を光らせ、老婆を威嚇する。
道の隅で、老婆は小さくうずくまっているだけだ。
「ひえぇ~~! どうか、どうか、お助けを……!」
老婆の身体を覆っている赤茶色のポンチョが、小刻みに震えている。
肩に薄茶のショルダーバックをかけているが、身なりからして、とても大金を持っているようには見えない。
それでも、男達は脅しにかかる。
「早く出せよ!」
「待て!」
そこに颯爽と、一人の若者が現れた。
肩と胸に当てられたプロテクターに、衣服の隙間から見える隆々とした筋肉。大剣を背負い、髪を雑に一つにまとめている姿は、荒武者のようである。
「一人の女性を、大の男が寄ってたかって虐めるなんて、みっともないぜ」
「あ~! なんだ!? てめえは!?」
三人の男達の敵意は、若者へと向けられた。
しかし、若者に焦る様子はない。
「俺か? 俺はこういう者だ」
若者は、懐からあるモノを取り出す。
手のひらくらいほどの木製のプレートだ。その真ん中に、星をかたどった鉄がはめられている。
それを見て男達の顔は、一気に青ざめた。
「げっ……!」
「警衛隊員の印……」
「まずいぜ」
警衛隊は、この辺りを支配するフランク国が創設した治安部隊だ。
捜査・逮捕・拘束などの特権を持っている。
悪漢達にとっては、まさに天敵であった。
「勝負しようって言うのなら、受けて立つが?」
背中の剣を抜き、警衛隊員はジリジリと男達に詰め寄る。
その構えや足の動かし方。素人ではない。
「ちっ……! ずらかるぞ!」
悔しそうに舌打ちし、悪漢の一人が逃げ出そうと踵を返す。
その時だ。
「お、お許し下され~~~!!!」
うずくまっていた老婆が、突然立ち上がった!
手には、モーニングスター。鉄の棍棒を握りしめ、鎖でつながった鉄球を振り回してくる。
「いっ!」
ただならぬ気配に、警衛隊員は道の端へ避けた。
警衛隊員には目もくれず、老婆は闇雲に男達を追いかけ回す。
「お許しくだされ~~!!」
ぶんぶんと振り回される鉄球には、無数のトゲがついている。
あんなものに当たったら、ひとたまりもない。
「ぎゃあぁぁぁああぁ!!」
男達は逃げる、逃げる、逃げる。
「お許し下され~~!!」
老婆は追いかける、追いかける、追いかける。
そして。
全員、遠くへ行ってしまった。
「え。ええ~……」
一人とり残される警衛隊員。
……いや。
「お許し下されぇ!」
「助けてぇぇ!!」
戻ってきたー-!!!
どこまで走ったのだろう。男達は汗まみれになって、肩で息をしている。
それに対し、老婆は疲れた様子がない。目を光らせて、狂ったようにモーニングスターを操っている。もうどちらが悪漢なのか、わからないほどだ。
「婆さん、落ち着けよ」
とても見ていられず、警衛隊員は老婆の前に立ちふさがった。
上手く鉄球をかわしながら、老婆の手元を押さえつける。鉄球の勢いはおさまり、それを機に、老婆も落ち着いてきた。
「あっ……」
「もう大丈夫だよ。奴らは逃げちまった」
警衛隊員が後ろを指すと、砂埃がもうもうと舞っている。「ババア、怖っ!」と情けない声だけが耳に届いた。
「婆さん。何も取られてないんだろう? これくらいで勘弁してやれよ」
「はっ……!」
警衛隊員の言葉に、老婆は何かを思い出したかのようにショルダーバッグを漁った。
奥から白い包み紙を取り出すと、ほっと安堵のため息をつく。
「孫の誕生祝いのお金ですじゃ。良かった、盗られてなくて」
その笑顔や先ほどの元気な様子を見ると、どこもケガもしていないようだ。
「婆さんは、どこへ行くんだい?」
「フランクの城下町ですじゃ」
「フランクの城下町!?」
警衛隊員は目を丸くした。
聞き間違いかと思ったほどだ。
「おいおい。ここからまだあるぜ。どんなに歩いても明日になっちまうだろう」
「一週間前に、六番目の孫が生まれたと報せがありましてな。わしの足がいつまで動くかわからんし。最後だと思って行ってみようと思ってのう」
ホッホッホッホッと笑いをたてる老婆。先ほどまで襲っていた……いや、襲われていたとは思えないくらい朗らかだ。
警衛隊員は不安に襲われた。
「ここ、ディッグ街道は、最近、盗賊団が住みついて、追いはぎをしていくって知らないのかい? 違う道から行った方がいいんじゃないのか?」
「いやいや。この道を通るのが、一番近いですじゃ」
ゆったりとした口調だが、その言葉には強い意志のようなものを感じる。
最後だと思っている分、何が何でもフランクの城下町に行くつもりらしい。
「あー、わかったよ」
ため息をつき、警衛隊員は頭をかいた。
「俺が送っていくわ」
「え。いいんですかのぅ?」
「このまま別れて、婆さんに何かあったなんて聞いたら、変な罪悪感に苦しみそうだからよ」
引きつったような、乾いた笑いを出す。
それを聞いて、老婆は嬉しそうに頭を下げた。
「それはそれは、ご親切に。ありがとうございます」
「じゃあ、報告しないと」
空を見上げ、警衛隊員は口笛を吹いた。
すると、それに合わせるかのように、一羽のハトが飛んでくる。
当たり前のように、警衛隊員の肩に止まった。相当訓練されているようだ。
「このディッグ街道であったことは、逐一、本部に報告する決まりなんだよ」
警衛団員は、懐から小さなメモと鉛筆を取り出し、手紙を書いていく。
それを丸めて、ハトの足に括りつけた。
「行け」
空に解き放たれるハト。
無事に飛んでいく姿を見届けると、警衛隊員は老婆に出発を呼びかける。
「よし、行くか」
「はい」
こうして、二人の短い旅が始まった。
☆★☆★☆
「下等魔物のデロリンウサギだ!」
二人の行く手を遮るかのように、ウサギの魔物が現れた。
この街道。
警衛隊員が必要とされているだけあって、治安が悪い。
先ほどのような盗賊団もいれば、魔物たちもウジャウジャ現れた。
デロリンウサギは一見すると、ただのウサギだ。しかし、決定的に動物のウサギと違うのは、長い舌がだらしなく垂れ下がっているところ。大きさも普通のウサギより一回り大きい。
「ひえ~!」
老婆は腰を抜かしてしまった。
「そこで見ていな、婆さん」
弱き者を守るのが俺の役目だとばかりに、警衛隊員が大剣を抜く。
しかし。
「お、お許し下され~!」
老婆はショルダーバックから短剣を取り出した。
しかも一般人が使用するようなモノではなく、軍事用の厳ついタガーだ。
「え!? ちょっ、ちょっと! 婆さんっ!」
老婆が武器を取り出し、攻撃を始めるまでの間が短すぎて、警衛隊員は止める事すら出来ない。
「お許し下され~~!!」
先ほどまで腰を抜かしていた姿はどこへやら。
魔物の喉元めがけて、老婆はタガーを振り下ろした。
「ぐええ~~!!」
魔物は絶命した。
死んだ魔物の身体はすぐに蒸発し、骨すらも残さない。
このデロリンウサギもまた、瞬く間に湯気と化したのであった。
「……あれ? あれ?」
警衛隊員が剣を振るう事はなかった。
「ちっ! 中等魔物アラブルシシだ!」
次に出会ったのは、イノシシによく似た魔物だった。
鼻息荒く、こちらを睨みつけている。前足で地面を蹴り続けているのは、いつでも突進出来る証だ。
さすがにこれは老婆には無理だろう、と警衛隊員は再び剣を抜いた。
「さあ! かかって来……」
「お許し下され~~!!」
老婆の叫び声と共に、何か光るものが警衛隊員の頬をかすめた。
次の瞬間!
「プギャ!!」
アラブルシシは断末魔を上げ、大きな音をたてて倒れた。
「えぇぇ!?」
魔物の眉間に、大きな槍が突き刺さっている。
先ほどの警衛隊員の頬をかすめたのは、槍の刃先であった。
老婆は死骸から槍を抜く。その身体は震えていた。
「はあ~~、恐ろしい事じゃ……恐ろしい事じゃ……」
「……」
(恐ろしいのは、あんただよ)
蒸発する魔物を見つめながら、警衛隊員は剣をおさめた。
「婆さん、先ほどはよくもやってくれたな!」
「今度はもっと仲間を連れて来たぜ!」
「さあ、大人しく孫の誕生祝いの金、よこしな!」
先ほど、老婆を襲っていた三人の悪漢達が再び現れた。
しかも、さらに四人ほどの仲間を連れて。
もうすぐ日が暮れ、視界が悪くなる。
本来なら、まだ太陽が出ている時間内に勝負をつけようと、意気込むところであるが。
「おい! てめえ、やる気あるのかよ!」
悪漢の男がツッコミを入れるほど、警衛隊員から覇気が感じられない。
構えをとらず、あくびまでしている。
ふざけた態度に、悪漢達は激昂した。各々の武器を強く持ち、声を張り上げる。
「この野r……!」
「お許し下され~~!!!!!」
「っ!」
言葉を最後まで言い切る前に、悪漢の一人は……宙を飛んでいた。
老婆の太く大きな拳が、悪漢のアゴ下を突き上げたのだ。とんでもない攻撃力だ。
「お許し下され~!!」
「ぎゃあぁぁぁあああぁぁ!!」
一人、また一人と悪漢達は宙を舞い、地面に倒れていく。
たった一人で大の男達をなぎ倒す老婆を見て、警衛隊員は心底思うのであった。
(……俺、いらねーな……)
夜も更けた。
最初に睨んだ通り、フランクの城下町への道はまだ遠い。
そこで、街道を少し離れ、森の開けた所で野宿をする事にした。
火をおこし、それを囲むように二人は座る。
警衛隊員は干し芋を、老婆は野菜を持っていたので、芋粥を夕飯にとる事にした。
「婆さんは、なんでそんなに強いんだい?」
芋粥の入ったお椀を、老婆から警衛隊員は受け取った。
熱さがお椀から手に伝わってくる。
一さじすくって、ふ~ふ~と息をかける。
湯気と共に漂ってくる粥の香りが食欲をそそる。
「……ふっふっふっ。なぜじゃろうな~?」
老婆は自分の分もよそり、温かさを味わうようにお椀を両手で包み込む。しかし、食べる気配はない。
「この辺に住みつく盗賊団は強いのですかな?」
「え。あ、ああ」
警衛隊員は「あちっ」と言いながらも、芋粥を口の中に入れる。
少量ではあるが、温かさが身体に染みわたった。
「それでは、盗賊団の団長は相当強いのでしょうな~?」
「多分な」
芋の甘さと温かさを、更に身体が求める。
警衛隊員は、粥を一気に口の中にかきこんだ。
「なんで、そんな事を聞く?」
「会ってみたくないですか? その団長に」
「それはどういう……」
「意味だ?」と聞こうとして、警衛隊員は異変に気付いた。
手足が痺れる。視界が狭くなる。口が言葉を紡がない。出てくる声は「あ……あ……」だけだ。
「くっ……」
耐えきれず、警衛隊員は地面に倒れてしまった。
毒をもられた!
だが、気付くのが遅すぎた。
もはや、起き上がる事も出来ず、ただただ夜空を見上げる事しかできない。
かすむ視界の中、老婆が近づいて来るのが分かった。手には縄を持っている。
「何をする気だ!?」と問いかけたいが、もはや目を開くのも辛い。
「お許しくだされっ……」
朗らかな笑顔で、いつもの言葉が聞こえてくる。
それを最後に、警衛隊員は意識を手放した。
☆★☆★☆
「んっ……」
昇りたての太陽の光で、目を覚ます。
昨夜、芋粥を食べた跡がそのまま残っているが、不可思議な点が一つあった。
自分が縛られている事だ!
「なっ!」
身体をねじり、力任せに引き裂こうとしても、身体の自由を奪う縄は全く緩む気配がない。
そんな様子を、老婆が楽しそうに見ている。
「目が覚めたばかりなのに、元気じゃのう」
「てめえ! これはどういう事だ!」
「お主は逮捕されたのじゃ」
「ああん?」
眉間に皺をよせ、警衛隊員は老婆に睨みをきかせる。
だが、老婆は「ほっほっほっほっ」と笑うだけだ。
「わしを襲った盗賊団の奴らが何と言ったのか、覚えておるかのう?」
「あ?」
「「孫の誕生祝いの金、よこしな」。そう言ったのじゃ」
「そ、それが何だ!?」
「わしが「誕生祝のお金」を持っていると、なぜ奴らは知っておる?」
「え」
威勢が良かった男の顔が、急に沈んだ。
正反対に、老婆はより目を細め、破顔する。
「わしが「誕生祝い」の話をしたのは、お前さんだけじゃ。あいつらの前では口に出していない。あのハトを通じて、仲間に知らせておったのか?」
本部に連絡すると言って、男はメモをハトの足に括り付けていた。
実は、あれ、盗賊達に老婆の情報を送っていたのだ!
「しかも、お前さんの警衛隊員の真似事に、あいつらが素直に付き合っているところを見ると……」
老婆はグッと男に近寄った。
「お前さん、盗賊団の団長じゃろ?」
「ぐっ……!」
老婆の話し方に変わりはないのに、声色が変わった。
何とも言えぬオーラを感じ、男は口をつぐむ。
すると。
「隊長!」「隊長はいらっしゃいますか!?」
街道の方から数名の人の声が聞こえる。
「おお、こっちじゃ」
声のする方に、老婆は手を振る。
すると、鎖帷子を着込んだ数名の兵士達が姿を現した。
「隊長、ご無事で」
「どうじゃった?」
「アジトらしいものを発見しました。一斉に突撃し、逮捕する予定です」
「よし。わしが指揮をとろう。それまで待機」
「はっ!」
数名の隊員たちは老婆に敬礼した。
目を疑う光景に、男は声を震わせる。
「あ、あんた……何者だ?」
「わしか?」
老婆はポンチョの内ポケットから、あるモノを取り出した。
シルバーのプレートに、星をかたどったラピスラズリがはめられている。男が最初出した「警衛隊員の証」に似ているが、こちらの方が細かい彫刻が施されており、精巧な作りをしている。
「け、警衛隊の証……」
「一応、隊長という役職を授かっておる。お前さんの「証」は陳腐なものじゃったのう。わし、笑いそうになったわい」
警衛隊隊長は悪戯に成功した子供のように、笑いをたてた。
まさか、自分がこんな老婆の手の中で転がされていたなんてっ……!
あまりの悔しさと腹立たしさに、盗賊団団長は声を荒げた。
「よくも、騙したな!」
それはお互い様だ。
だが、こういう時、彼にかけるべき最もふさわしい言葉を、警衛隊隊長は知っていた。
一泊二日の短い旅であったが、その都度、口に出してきたあの言葉。
思いっきり意地悪な顔をして、彼女は平然と言ってのけたのだった。
「お許し下されっ……!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。