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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

紫紺の紋章

作者: 黒石*馨胡

「今日はここまで。明日は続きから」

白いチョークを置いて、教室から早々に出ようとする。

「あの、質問があるのですが」

「ああ、いいよ」

「…るる教官のような立派な軍人になるにはどうしたらいいですか?」

「私が立派かどうかは怪しいものだが…日々の鍛錬と勉学それに…」

「それに?」

一呼吸おいて言葉を続ける。

「優しい心を人を思う心を持ち続けることだ。今の君のようにね、零君」

「…はい!」

少し赤らめた頬を見て、心臓が掴まされた思いがした。


赤墨色をしたコーヒーに零の顔が映る。

「だからこの問題は…」

「待って!自分で解けるかも!」

そう言うと薄浅葱色のシャープペンシルをノートに必死に走らせる。

その様子をゆっくり観察すると自分のPCに戻った。

教官という立場上、書類の仕事は多くなる。

しばらく作業をしていると、シャーペンを走らせる音が聞こえなくなってきた。

振り向くと零がゆっくり舟をこいでいる。

ずっと遅くまで勉強していたから無理もない。

自分の部屋にある備え付けのベッドに横にさせる。

なんとなく離れがたくなり、ノートPCを持ち込んで傍で仕事を再び始めた。


何かキーボードを叩く音が聞こえる。

柔らかな感触が自分を包み込んでいる。

その瞬間稲妻が走った感覚が背中をすり抜けた。

これは憧れなんかじゃない。熱烈な片思いだ。

眠気など飛んでしまったが必死に寝たふりを続けた。少しでも傍にいたかった。


次に日から一切質問ができなくなった。

ただ一番頼りにされたくて、一番傍にいたくて、勉学と鍛錬は必死に頑張った。

空が桜色に染まり卒業式を迎えた。


「卒業生総代前へ」

そう言われて零が前に出る。

元々将来を渇望された零だったが、自身が努力家でもあったためにずば抜けた成績で卒業式を迎えた。

配属は決まっていた。トップ官僚が集うエリートコースだ。

これから前線の指揮やゲリラの命令など危険で責任ある任務を熟していくことになるだろう。

もう頬を赤らめて「教官」とノートを持ってくる少年はいない。

そこには緋色の紋章を付けて青い空に向かって堂々とスピーチをする青年がいた。


「るる教官…」

零がこの部屋を訪れるのは何ヶ月ぶりだろうか。

先ほど堂々とした態度を見せていた青年は、今度は飼い主に相手にしてもらえない子犬のような様子で訪ねてきた。

「主席おめでとう。コーヒーでも一杯どうだい?」

「…いただきます…」

向かい合って座るとしばらく無言が続いた。

「るる教官…」

「なんだ」

「僕の気持ち…気付いてますよね」

「…」

「教官のために頑張ったんです。教官にずっと見て欲しくて」

自分を見る熱っぽい視線。声をかけると明らかに上がる返事のトーン。

気付かないわけがない。ずっと守りたいと思っていた。

こんなに熱望されたことはなかったから。

「君はいずれ立派な軍人になる。こんなところで足踏みしている場合じゃないよ」

途端にコーヒーカップが割れる音がした。

「抱いてください」

「…」

「最後だって言うなら抱いてください。せめてあなたが最初の人になってください」

なぜその言葉を聞いてしまったのだろう。

ただベッドで初めて見る零は堂々とした青年でもなく、可愛らしい少年でもなく、ただただ美しい守りたい人だった。

次の日、ベッドで眠る零を置いて前線部隊に志願を出した。


あの人が行ってしまった。

自分を殺しに行ってしまった。

ただ愛されたかった。あの人の一番になりたかった。

しばらくして大量の作戦データや過去の事例などと戦うことになりそれどころではなくなってしまった。

それでも夜になるとあの人を思えて眠れなくなった。


前線はよかった。何も思い出さなくなるほど命の駆け引きは瀬戸際だった。

それでも暗闇に光る星が見えると思い出した。

そんな瀬戸際の日々が何ヶ月も続いた。

運よく生き残りながら敵軍の撤退を知った。命が助かった嬉しさと向かい合わなければならない問題に少し怯えた。

その晩だった。

敵軍から急襲を受けた。


状況がよくなりつつあるのは知っていたからそれは落ち着いて聞いていられた。

だが撤退後の急襲は流石に血色の地獄のどん底に突き落とされた気がした。

生きていますように。どうか自分の命を引き換えにしても。

毎晩そればかりを考えて益々眠れなくなった。

そんな夜が何日も続いた。


流石に眠れない日が続くと人間眠くなるのは自然らしい。

その晩は夢うつつに眠っていた。

扉が開く音に、身体が細かく震える。

「…零…」

暗い部屋に響くあの人の声。

「…るる教官…生きてたんですね…」

姿は見えない。だがその人の存在は胸の鼓動まで感じる。

「怪我がひどくて現地の病院に入院していた。復帰は無理だと言われたよ」

「夢じゃないんですね…」

「夢だったら俺は幽霊かな」

「よかった…教官…!」

思わず見えない姿を手探りして強く抱きしめる。

「どこにも行かないでください。もう一人にしないでください」

涙でちゃんと言えたかわからない。だが自分が眠るまでその人は抱きしめられてくれた。


退役し、昇進と立派な屋敷が与えられた。

紫紺の勲章付きというたいそうな身分だ。

屋根が赤色のレンガである立派な屋敷に引っ越すと一人の青年が迎えてくれた。

零だった。

「お前一体…」

「僕も退役しました」

「まだやるべきことがいっぱいあっただろう」

「ありません。るる教官を守る以外に僕がやるべきことはありません」

その胸には紫紺の紋章が飾られていた。

「今日から僕は教官だけを守る軍人です」

「零…本当にいいのか…」

「教官が言いました。立派な軍人になるには優しい心人を思う心を持たなければならないと。僕は教官以外にその気持ちを持てません」

少しばかりおかしくなった。

「立派な軍人になったな」

頬を赤くしてあの時の少年が答える。

「教官のおかげです」


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