プロローグ
24歳の誕生日を迎えた。モラトリアムを抜け出し、これからは社会人として生きていく……そんな決意は案外簡単に打ち壊されてしまう。
「たっくん?いないの?ねえ、たっくんったら……」
僕はいつもここにいる。ここは、幼馴染の木林愛花が住んでいるマンションの一室。僕は10年間、愛花と共に生活をしてきた。と言うのも、僕の両親はずっと前に交通事故で死亡し、唯一生き残ってしまった僕を引き取ってくれたのが、両親の友人であった、愛花の母親と父親だった。幼い頃から家族ぐるみの付き合いで、愛花の両親は、僕のことを快く引き受けてくれた。そして……誰よりも僕がやって来ることを歓迎したのは、愛花だった。当時、愛花は僕のことを、たっくん、と呼んでいた。
「たっくん……いっしょに住んでくれるの?」
「ああ、そうだよ。よろしくね」
当時、僕は愛花に対して、友達以上の感情を抱いていなかった。でも、愛花の場合は違った。孤独になった僕の心を優しく研ぎ澄ましてくれるような感じがした。
「やったあ!!!私、たっくんと一緒に生活できるんだね!!!初めてたっくんに会った時から、ずっとこの日を待っていたような気がするの!!!私の、大好きな、たっくんが!!!私と一緒に住むなんて!!!」
これだけで、愛花は十分亢奮していた。でも、この当時は、僕はまだ子供だったから、愛花が僕のことをどう思っているのか、よく分からなかった。
「これからよろしくね、たっくん!!!」
愛花は無邪気にはしゃいで、そのまま僕の額にキスをした。僕は思わず顔を真っ赤に染めて、
「ああ、よろしく……」
と答えるにとどめた。でも、あの時の愛花は本当に可愛かった、と思う。中学、高校、そして、大学と年を経るにつれて、僕は全く持って恋愛には疎くなった。つまり、あの時愛花にキスをされた時に、僕の恋は終わったようなものなのだ。愛花は……あの時から僕のことを愛し続けている。
「たっくん???食事の準備はできた???」
愛花の両親は共働きで、しかも、研究者であるから、時には家に帰ってこないこともある。だから、お世話になっている代わりに、愛花の世話は、僕が率先して引き受けた。
「たっくん、そんなに気を使わなくていいのよ???」
「いつでも、私たちを頼ってくれていいんだからな???」
愛花の両親は、最大限僕のことを気遣ってくれた。でも、僕は、こんな自分をどうしてだか好きになってくれた愛花に対して、やはり、何か恩返しをしなくてはならないと思った。だから、家事全般については大いに学んだ。愛花の弁当を作ったり、部屋の掃除をしたり、もちろん、朝食、夕食の準備など、その大半は僕がやるようになったのだった。
始めは、愛花も、僕に気を使って、
「なんだか、悪いね……」
と言っていたが、10年も経てば、僕が愛花の世話をするのは、当たり前のことになっていった。
「今日もたっくんの愛の籠った食事が食べられるんだね!!!」
愛花はそう言って、いつも僕の料理を褒めてくれる。
「食堂とかで食べたほうが美味しいんじゃないのか???ていうか、大学生にもなって、弁当食ってるのは、愛花くらいじゃないのか???」
「そんなことはないよ。私と同じで、弁当を持ってくる子だっているよ。そういう人はね、きっと誰かに愛されていて幸せなんだよ!!!」
「へえ、そんなものかねえ……」
愛されている……僕は愛花に愛されている。僕は……確かに愛花のことが好きなんだけど、これは果たして本当の愛なのだろうか???
そんな疑問を抱えながら、愛花が朝食を美味しそうに済ませていく姿を、今日も僕は見守っている。