3話 エリー
3話 エリー
《由宇》
1年後の春、私は子供用の礼服に身を包んで赤と白の幕が張り巡らされた体育館にいた。小学校の入学式。パリッとした服が私の背筋を伸ばすようだった。
慣れない雰囲気に母を見ようと後ろを向くと、母はあまり手を動かさずに手をこちらに振った。
しかし、私は父と母の座る5つ隣の母親2人組に目がいった。何か耳打ちしていた。父の「前を向きなさい」というサインで私は前を向いたが耳打ちは聞こえた。
「見て、あの子髪が真っ白よ。」
「ほんと。この歳で髪を染めているなんて。親はどんな教育をしているのかしらね。」
「なに言ってるの。白子って知らない?たまに真っ白な子供が生まれるって言う。」
「聞いたことあるわ。たしかに肌も真っ白ね。」
「あれでは可哀想ね。」
『可哀想』。この言葉には強い疑問を抱いた。自慢の髪を可哀想と言われたのは初めてだった。モヤモヤしたのが心の中に棲み着いた。
私のクラスは1年4組だった。生徒の多いとも少ないとも言えないこの学校はほとんどの学年が1クラス30程度の4クラス編成だ。この時は気づかなかったが保護者の間で随分と話題になっていたようだ。
次の日から学校生活が始まった。家を出発する前、母は言った。
「いいわね?髪や肌の色を言われても気にしないこと。貴女は見た目の色以外は他の人となにも変わらないんだから。」
真新しいランドセルを背負い家を出た。父と母が選んでくれたのは少し黒めの赤のランドセルだった。「落ち着いた感じの色が似合う」と思ったらしく、父に促されて背負うと以外と似合っていると我ながら思った。
歩いていると前に1年生の4人の集団を見つけた。1年生は登下校中、黄色の通学帽を着用することになっている。
少し髪の長い私は日光が髪に当たるのを避けるためには黄色い通学帽のつばは小さかった。母が学校に行き交渉した結果、帽子に黄色く見えやすいタグをつけることを条件につばの大きい帽子の使用を認められた。
ベージュの帽子はランドセルの赤に合っていた。
1年生の集団のうち1人の女の子がふいにこちらに視線を向けた。周りは気づかなかった。私もかろうじて、見られていることに気づいたほどだ。
「あの子かな?昨日お母さんが言ってた子。」
彼女はさほど大きくない声で周りに話題をふった。-お母さん?昨日、私の後ろで耳打ちをしていた人だろうか。
すると、隣を歩いていた子がこちらに振り向く。目が合い思わず私は顔を伏せてしまった。
「多分。あまりいないよね。外国の子かな?」
「でも、顔は日本人だよ。」
他の子も話題に参加する。
「そういう人なんでしょ。私のママは『小学校にはいろんなお友達がいるけど言われたくない人もいるから』って言ってた。」
1人が言った。
-私はこの髪を言われたくないのかな。
「でもお友達になれるといいな。」
どうやらこれは最初の子の言葉のようだ。
不思議と元気が出た。
学校に着き、自分の席を探すと比較的早く見つかった。一番窓側の後ろから二番め。私はしまった、と思った。窓側。陽に当たってしまう。
しかし、気にする必要はなかった。ランドセルの荷物を机に移していると、先生が来て私に言った。
「日光に当たっちゃ駄目らしいね。安心して。この教室の窓はほとんど北向きだから。それでも大変だったら私に言って。席を替えることもできるから。」
綺麗な先生だった。
1時間目は互いに自己紹介をした。
あの先生が最初に自分のことを言った。
「私の名前は宇津木です。...」
彼女は自分はプリンが好きなこと、カニが食べれないこと、本を読むのが好きだということを話して自己紹介を終えた。
3人が話し、ついに私の番が来る。
「私の名前は岸宮由宇です。わたしは生まれつき髪が白いですが、皆さん仲良くしてください。よろしくお願いします。」
自己紹介というものはなんと疲れるものだろうと思った。
「私の名前は、エリー・クイナーです。お父さんもお母さんもイギリス人ですが、おばあちゃんが日本人で、生まれてすぐに家族で日本に来たので日本語は大丈夫です。よろしく。」
ブロンドの髪の少女は自己紹介した。
私の後ろの子でこの列の全員が自己紹介を終えた。
ふと背中を突かれているのに気づく。
後ろの子だった。
「私はエリー。貴女とはいい友達になれそう。よろしくね。」
「私は由宇。こちらこそよろしく。」
エリーはこちらをじっと見つめてきた。彼女の顔は整っていて可愛く、金の髪に緑と青との中間の色の瞳が映えていた。
昼休みになって、ほとんどの男子と一部の女子が校庭に遊びに行った。
私とエリーは2人は自己紹介の続きをしていた。
エリーは日本に来たのが1歳になったばかりの時で、生まれたロンドンの風景も家の近くにあったという牧場の風景とかも覚えていない。
エリーは今、おばあちゃんの家で祖父母と6つ上の兄と暮らしている。お父さんとお母さんは仕事で1年のほとんどをイギリスで過ごしているらしく、向こうの年がわりの休みとクリスマス休暇に会えるぐらいだという。
エリーは日本人の血が混じっているのに見た目はほぼイギリス人だ。
「...それでね、私のおじいちゃんがイギリス生まれだからお母さんがハーフで、私がクウォーターってわけ。」
エリーは活発だということに気づいた。
「由宇ちゃんは?由宇ちゃんのことも教えて。」
私は話し始める。
「私は...生まれつき髪と肌が白い。エリーさんは知ってる?アルビノ。」
「ええ。聞いたことはある。会ったのは由宇が初めてだけど。」
「太陽の光って体に悪いものも入っていて、人間は体を黒くすることで守っているんだって。」
「私もみんなより白いから太陽に弱いってことだよね。で、私より白い由宇ちゃんはもっと太陽に弱い。」
「うん。それよりひどいかも。日焼けってあるでしょ。」
「日本のみんなは黒く焼けるけど私は赤くなっちゃう。」
「私もそうなんだけど、体の色がほとんどないから、陽にずっと当たっていると病気になっちゃうんだって。」
エリーが息を呑むのがわかった。彼女はおずおずと尋ねる。
「もしかして、由宇ちゃんの眼は赤いのもそのせい?」
私は頷く。
私の眼は赤かった。メラニンがあまり無いのだから、虹彩にあるはずの黒も無く、眼底の血の色が反映されていた。虹彩は日光をシャットアウトし、眩しくないようにはたらく。しかし私の場合、いくら虹彩が光を遮ろうとしても、透明なカーテンを閉めるように本来のはたらきができなかった。
「うん、外にいると眩しい。」
「そっか。大変だね。何か困ったことがあったら、いつでも言って。力になるから。」
エリーの言葉が嬉しかった。
エリーは優しかった。私のことを周りの大人のように詮索するような目で見て来なかったし、しつこく聞いて来ることもなかった。いつも笑顔で接してくれた。
私はエリーに安心感を感じていた。