2話 隣人
2話 隣人
《七倉》
「おーい」
なんだ、あいつか。僕は振り向き声の主に返事する。
「おはよう。相変わらず元気だな」
彼は須藤。小学生からの仲だ。
今日は高校初の登校日。真新しい制服に身を包んでもこんなに呑気にしていられるのはこいつぐらいだ。
「当たり前だろう?俺の運動神経を見せればクラスの女子はみんな俺に一目惚れだよ」
「どうだか」
僕は肩をすくめる。
しかし、彼の言っていることは間違っていない。確かに彼の運動神経は侮れない。彼は中学生の時には陸上部で大会では全国大会に出場できるぐらいである。
「いやいや、そんな目で見るなよ。俺だってそんな軽くな… あれ、熊谷じゃない?」
「ほんとだ。 いつ帰ってきたんだ?」
「まぁ、あいつに聞いてみればいい」
僕は須藤に続いて駆け寄る。
「おーい、熊谷!久しぶり」
彼は振り返り、数秒のフリーズの後「あぁ!」と我々を認識する。
熊谷は須藤と同じく小学校時代からの付き合いである。彼は須藤とは対照的で運動オンチだ。しかし、頭脳だけはずば抜けていい。中学校で学年1位なんて彼にとってはよくある話だ。
よく考えてみれば熊谷と須藤が仲良くしてるのが不思議に思える。
「2年ぶりか?帰ってきたんだな」
「あぁ、こっちに戻ってきたのは2週間前だな」
彼は中2の1学期が終わると同時に父親の仕事の影響で山形に転校していた。
「でも、まさか同じ高校に行くことになるとはなぁ」
僕は言った。
そう、東京の高校ともなれば電車で通学なんてザラにある。いくら近所とはいえ、同じ学校ということに驚かざるを得なかった。
「おいおい、七倉。忘れちゃったか?俺が高校生になったら一人暮らしもできるから一緒に高校行こうって中学の頃言ってたじゃん。お前らそういうとこ律儀だからな。受かってみたらまさか本当になるとは」
「そうだぞ。お前が熊谷転校するときに一緒の学校行けるといいなって言ったんだぞ。しかもあんなレベルの高い高校選ぶなんて。お前ら2人は勉強できるからいいけど、俺は入るのに一苦労したんだぞ。」
須藤は少ししかめっ面で言う。
「ごめんごめん。ただ、こうして一緒に居られるなんて思ってなかったからさ。素直に嬉しいよ。」
するとすぐに2人は声を合わせる。
「「ヤメロ!照れるだろ!」」
そんな会話をするうちに学校に着いてしまう。
僕と熊谷は同じクラスの4組だったが、須藤のみ1組に分けられてしまった。少し残念だが同じ高校に行けているということだけでもなかなか大きい。
「そんじゃ、俺はこっちだから」
須藤と別れ僕たちは4組に向かう。
この学校は有名大学への合格者が多いことで有名な高校である。並みの高校とはわけが違う。さすがというべきか。授業のレベルは高く、一週間ほどでありありと実感するほどだった。
高校生活にも慣れて7月のことだった。
「七倉さんいますか!?」
教室に飛び込んできたのは教頭先生だった。今は4時間目、数学の授業だった。いつもなら柔和な表情の彼のただならぬ様子に違和感を覚えながら、彼に続いて教室を出た。
「先生、話というのは」
「少し待ってください。車内で伝えます」
ー車?僕をどこかへ連れて行こうとしているのかー
僕は教頭先生の車の助手席に乗り込む。車が発進して彼は口を開いた。
「七倉くん、君はこれを聞いて混乱するかもしれないけど、落ち着いて聞いて欲しい」
まるで余命宣告のようないいっぷりだ。だが、実際そうだった。余命宣告も同義であった。
「今日の11:30ごろに君の家に強盗が入って、お母様が...」
20分ほどで病院に着いた。凍りついた思考回路のせいでふらふらと病室まで歩いていた。
集中治療室と書かれた部屋にドアを開けると向こうには綺麗なシーツに母が横たわっていた。顔色は悪く、いつ最悪の事態が起きてもおかしくない状況だった。
数分後に主治医と警察から報告があった。彼らの話す事件当時はひどかったらしい。
母は近所のスーパーへ買い物に行こうとしていた。買い物を済ませて帰宅する道中を狙われたらしい。家の鍵を開けて中に入ろうとした瞬間、彼女は後ろからやや大きい石で殴られた。気を失いその隙に家のものを犯人は漁っていた。なんとか意識を戻した彼女は警察へ連絡した。しかし、その様子を見られてしまい、逆上した犯人は我が家の包丁で母を刺した。犯人はその後すぐに捕らえられたが、母は4箇所を刺され、瀕死の傷を負っていた。救急車が後3分遅かったらその場で死んでいたという。
僕は虚無感と同時に母の姿を嘲る自分が自身の中にいるのを感じていた。
ーざまあみろー
母はボクのなかでは保護者であるものの、敵のようなものだった。母に気にかけられた記憶がない。僕の前では言わなかったが、母は夜中になると度々一人で愚痴をこぼしていた。「あんな子いなければいいのに」と。その時の母は缶チューハイを片手に虚ろな目をしているのが常だった。
医者の話によると、母は昏睡状態に陥っていて助かるかは五分五分だという。病院に運ばれ応急処置を施したが、内臓の損傷が激しく、かなり弱っているらしい。
これから入院だが、こんな人一応育ててくれた人だ。せめて毎日様子をみに来るべきだろう。
そう考えながら、病室を後にした。
次の朝、3人は揃った。
「なぁ七倉。昨日のこと聞いてもいいか?もちろん話したくないようなことなら強いはしないけど」
須藤は見た目に似合わず申し訳なさそうに聞いてくる。
「いいよ。ただし他には漏らさないで欲しい」
2人は黙って頷く。
「昨日さ、教頭先生の車で病院に連れてかれてさ…」
僕は昨日聞いた一部始終を話した。
「まぁ君たちが心配するほどのことじゃな…」
「いやいやいや。心配するだろ普通。全然気にかけなくていい話じゃないぞ」
「全く須藤の言う通りだと思う。今度俺たちもお見舞いに行くよ」
彼らの目はどこまでも透き通って偽りがないことを表していた。
「ありがとう…」
嬉しくてこれ以上言葉が出てこなかった。
それから、僕は気が軽くなった。母のことは僕の意識に重くのしかかっていたが、何が嬉しいって熊谷と須藤はそれから学校ではもちろん、あまり母の話題を出さなかったことだ。彼らと話している間は僕は何も考えなくてよかった。
あの日からの生活は今までとあまり変わらないものだった。自分で食事を作って、洗濯をして、学校へ行って。慣れた仕事だ。
学校はいつも通り。授業を受けて、昼休みにはいつもの2人と弁当を食べ、いつもの学校生活だった。
しかし、その生活もすぐに終わりを告げた。
母が倒れて4日後の土曜日、母の見舞いを終えて帰路についた時、僕のスマホが鳴る。
「はい、七倉です。」
電話は病院から母の急な容体変化を知らせるだった。病室を後にして1時間もたっていない。すぐに引き返す。「今すぐ来てください」と言うナースの声は焦っていた。
息をつくまもなく病室に駆け込むと母の顔は白い布で覆われていた。遅かった。
なぜ。傷は縫合されて出血も止まっていたはずなのに。4日ももっていたはずなのに。しかし、母の心臓に鼓動は戻ってこない。
喪失。そしてそれは唐突。痛いほどに感じた。母は自分を産んだ人であり育ててくれた人だ。あの暗い自分の片割れも影をひそめ、今の自分の中には普通の、母を亡くした高校生の僕がいた。
僕の傍には孤独がいた。熊谷と須藤は孤独をはらう存在。
母の傍には死がいた。どこへ逃げ隠れしようとも常に隣り合わせ。隣人だった。