喧嘩
二年生の時、喧嘩で足の骨を折って学校を休んだ。
担任はまた山中で、毎日のように家にやってきては課題を置いて行った。
だから俺はゴロゴロしているわけにもいかず、ソファにもたれて1日中勉強をしていた。山中の課題には数学のプリントのほかになぜか絵もあった。
絵は・・・後回しにした。
そんな馬鹿な俺に付き合って紫乃も学校を休んで家にいた。
久しぶりに紫乃のピアノを聞いて、こんなに上手になっていたのかとびっくりした。
俺の知っていた子供の紫乃とは違って、かわいさの中に少しずつ落ち着きを加えた大人との中間のような、複雑に入り混じった何か生き物が宿ったような音がした。
「おまえ、また一段と上手になったな。」
「そう?」
「うん。なんだか一生懸命やっているのがすごくよくわかるよ。」
なぜだか無性に、紫乃の絵を描きたくなった。
あの心地よい音に包まれて、小学校の時みたいに音が泡のような、なんだか丸く柔らかいものに包まれて俺にぶつかってくる、そんな感じを絵にしてみたくなった。
紫乃はあの時のマンガの主題歌を弾いた。
「まだ覚えていたのか?」
「蒼ちゃんが大好きな曲だからね。元気出して。僕は何もできない。ピアノを弾くだけしか。」
「元気出たよ。」
「絵を描くの好き?」
「まあまあ、好きかな。」
「よかった。また金賞とってよ。」
紫乃はピアノを弾いて俺が歌う。
小学校の夏休みのあの時と同じだった。自分を反省した。
全く成長していない自分を。
怒りも喜びもうまくコントロールできず、人にぶつけてそんな自分にまたイライラして、また誰かに迷惑をかける。そんなことばかり繰り返している自分に。
足も相当痛む。もう喧嘩はやめよう。
今度こそ、きっと・・・・。
三年になると紫乃は高校受験に向けて、ピアノの先生のところにレッスンに通い始めた。
もう母親だけではダメならしい。
俺はそこまで送って行って、勉強しながら待った。
俺はたまに 勉強に飽きて、紫乃のピアノを弾くところをスケッチしたりしていたが、紫乃は何時間弾いてもまったく弱音を吐かなかった。たまに、電車の中で寝てしまうことはあったけど、起きている時は、ずっと膝の上でピアノを弾く真似をした。
ある日、電車から降りると、隣町の中学に通っている奴に喧嘩を売られた。
でも紫乃がいたから「今度にしてくれ。」そう言って通り過ぎようとしたが、つかまってしまった。
俺だけを殴るならそれは別に構わなかった。痛いのには慣れっこだ。
けど、そばで泣き叫ぶ紫乃にまで殴りかかろうとした。
俺は相手を殴るのをやめて、紫乃の上に覆いかぶさった。
指でも折れたら最悪だ。
こいつらから死ぬ程殴られるより、親から「お兄ちゃんのくせ」にとか、「お兄ちゃんなのに」と言われる方がどれだけ嫌か。
「蒼ちゃん、蒼ちゃん大丈夫。」
何人でどれくらい殴られたんだろう。短かったのかもしれないが、俺にはとても長い時間だったように感じた。
「大丈夫。歩けるか?どこもけがをしていないか。」
「僕は大丈夫。蒼ちゃんは?おんぶしようか?」
「紫乃には俺をおんぶするのはムリだよ。」
足も手も痛くてたまらなかったけど、俺は自分の足で歩いて帰った。
当然、こんなボロボロの俺を見て親は怒ったが、痛すぎて笑えてきた。
そのまま体を引きずって部屋まで行くとすぐに布団の中にもぐった。
もう泣くこともなかったけれど、相変わらず柴乃は俺の背中に頭をこすりつけてすすり泣いた。
次の日から、母親が車で紫乃を送り迎えすると言う事になった。
俺の進学は全寮制でもなんでも好きなところへ行けと言われた。
高校も母親が仕事をセーブして紫乃の送り迎えをするらしい。
俺もやっと塾へ通わせてもらった。せいせいした。
俺は元々一人だったし、それがなかなか気に入っていた。
俺は生まれて十年一人で、紫乃が来て二人になったのはたった五年、まだ半分だ。
なのに、心が半分になってしまったような変な感じがした。
塾には子どもの頃から通ってみたかった。けど、面白くなかった。
半分になった心を埋めるものはなかなかみつからなかった。