表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢を見る。  作者: 富井
7/21

やり直したい・・・

五年生の夏、俺は補欠だったけど水泳の選手に選ばれた。


それでも、俺にとっては名誉なことだと思っていた。


大会は八月のはじめで、七月の終わりに学校の大会で選手が決まる。


俺の他は、みんなスイミングスクールに行っている奴ばかりだった。


俺も少しの間でいいから通わせてくれと頼んではみたけれど、聞いてはもらえなかった。


だから、紫乃は鍵をかけて家に閉じ込め、できるだけ学校のプールに行った。





だけど、その夏休みは、なぜか雨が異常に多くて、学校のプールもずっと中止が続いた。


毎日、窓の外を見ながらため息ばかりついている俺に、紫乃は気を使って、アニメの曲をピアノで弾いた。




「紫乃の好きな曲を弾けよ。」


「いい。これで。」


「どうして。練習にならないだろう。」


「蒼ちゃん元気ないから・・・」


「雨だからな。」


「蒼ちゃんは、雨が嫌いなの?」


「プールに行けないからな。」


「僕は雨が好き。だって蒼ちゃんがお家にいるから。」


そう言って延々とアニメの曲を弾き続けた。


「もういいって。元気出たよ。」


俺は仕方なく、夏休みの宿題の絵をかくことにした。また紫乃がピアノを弾いている絵だ。


「俺、絵を描くから、紫乃が一番好きな曲を弾いてくれ。」


「どうして?」


「紫乃が一番いい顔をしているから、その絵を描く。」


「また金賞とる?」


「うん。だから弾いてくれ。」


紫乃は流れるように美しいメロディを弾きはじめた。


俺はそのあまりにも美しすぎる音に、ソファーから身を乗り出して近づいた。


紫乃が好きだというその曲は、去年よりも・・・昨日よりも増して格段に綺麗な音で、泡のようないっぱいの丸いもののようになって俺にぶつかってきた。




俺は紫乃が音の泡に包まれているような絵を描いた。




その泡の一番端っこの空を飛ぶ泡の中に俺を小さく描いた。




俺は選手には選ばれなかった。




だからその夏はもうプールは諦めてずっと家にいた。またつまらない夏休みになった。




家にずっといると紫乃はご機嫌だった。別にいるからと言ってすごく話しをする訳でもないし、一緒に遊ぶ訳でもない


俺がゴロゴロして、紫乃はずっとピアノを弾いている。それだけでも安心するらしい。俺は買ってもらった小さいソファーで、紫乃のピアノを聞きながら勉強するのが日課になっていた。




「おまえもたまには勉強しろよ。テストの点、悪かったんだろう。」


一日中ピアノしかしない紫乃にちょっとそう言ってみた。飽きないのか本当に不思議だった。


「僕、勉強嫌い。」


「でも、少しはしないとダメだ。夏休みの間は俺と一緒に勉強しよう。


朝、十一時まで。


十一時に一緒にマンガ見て、それからピアノにしろよ。」


「ヤダ。朝のほうがうまく弾けるんだもん。」


「じゃあ昼ごはんのあと。」


「・・・」


「一時間だけ。ちゃんとできたら、お菓子買いに行く。ダメだったら行かない。」


「ヤダ。」


「ヤダじゃない。ちょっとでいいから。せめて、字だけでもうまく書けるように練習しよう。な。」




なんでこんなこと言わなきゃいけないのか、小さい子でもあるまいし・・・そうは思ったが、紫乃はまったく勉強をしようとしなかった。


どうして勉強しないのか、この時は俺自身もわからなかったけれど、学校で一人浮いた存在の紫乃が可哀想なのと、俺も恥ずかしかった。表立っていじめられることはなくなったけど、ひそひそと影口を叩かれているのは気がついていた。


「おまえが勉強しないなら、俺、友達の家で遊ぶ。」


立ち上がって部屋を出ようとすると、紫乃は慌てて俺の隣に座って来た。


「何したらいい?」


「じゃあ紫乃のノート持ってこいよ。」


紫乃はノートを持っては来たけど、ひらこうとしない。ノートを取り上げて開くと、ほとんど何も書いてないか書いてあってもひらがなが少しだった。


「だめだ。これでは、中学、高校、大学とどうする。行けないぞ。」


「行かない。蒼ちゃんとここにいる。」


「俺は行く。中学も高校も大学も行って世界中で働ける人になるんだ。」


「じゃあ僕も。」


「だったら勉強しろよ。これでは中学のテスト受けられないぞ。まずは漢字だな。」


紫乃はしぶしぶだったがドリルをやり始めた。夏休みも半分終わったのに夏休みの宿題もまったくやってなかった。


「紫乃、何もやってないじゃないか。今日から夕飯が終わってからも勉強するぞ。」


「ヤダ。」


「ヤダじゃないだろ。新学期が始まったら怒られるだろ。俺が教えるから。」


「夜は、お父さんが僕のピアノ聞きたいって。」


「聞かせなくていい。」


俺は紫乃がお父さんと読んだことにも違和感を抱いていたが、父親と紫乃と紫乃の母親の俺のいない三人家族の図式がこの家に出来つつあることに嫉妬していた。


だから、ごはんを食べ終わって、いつもならすぐにでも自分の部屋にこもるけれど、この日からは紫乃を待って、食べ終わると、ごちそう様も言わせないくらいの早さで、腕を掴んで部屋へ連れて行き二人で勉強した。


面倒くさいなと思いながら教えていた。


半分は父親と引き離すため、もう半分は、俺が紫乃のせいで恥ずかしい思いをしたくないという気持ちだった。


何日かした朝、すごく早い時間からピアノの音が聞こえてきた。紫乃が夜できない分、早起きをしてピアノの練習をしていたようだ。階段の途中まで降りて見ていると、お父さんが紫乃の頭を撫でてすごく褒めていた。ニコニコと紫乃に向かって笑っている父親と、俺とが遠目に目があって気まずそうにしている親の顔にムカついていた。


その日は、紫乃を家において十時になるとすぐ自転車で図書館に行った。


昼も帰らず閉館までいた。次の日も、その次も、また次の日もそうした。土曜も日曜もそうした。


1つの机に根が生えたように動かず勉強していた。


「蒼史。ちょっといいか。」


日曜の昼頃、父親が図書館にきた。俺は一度顔をあげたけど、すぐにノートに目を落とした。


「ここは話しをするのはダメなんだ。」


「そうだったな。昼ごはんを食べてないだろ。なにか食べに行こうか。」


「いらない。パン食べた。」


「お腹すいただろ。」


「紫乃が待っているだろ。早く帰れよ。」


「お父さんが悪かった。」


「何が、どう悪いの?」


俺は父親の顔を正面から見た。父親は何も言わなかった。だから俺はムシして勉強を続けた。


図書館が終わって、そのまま帰るのもシャクで、少し遠回りをして帰った。家に着くと紫乃は部屋で勉強していた。


「おかえり。勉強ここまでやったよ。」


紫乃がノートを見せてきたけど、ムシして勉強道具を机に置くと風呂に向かった。


「蒼史ちょっといいか。」


「俺、風呂入るから。」


「ごはんもまだだろう。食べないのか?」


「いらない。パン食べた。」


「話しがあるんだ。」


「だから俺、疲れているんだ。」


「紫乃のことなんだ。蒼史にまだ言っていないことがあって。聞いてほしいんだ。紫乃の障害のことなんだ・・・」


父親は、紫乃の障害のことを言っているような気がした。


でも聞こえなかった。ただ、はっきりと聞こえたことは、俺は大人になっても、紫乃の世話を一生見ていくのだとその言葉だけだった。


母親も俺のそばにやって来て、紫乃を支えてやってくれと、手を握って泣かれた。


「なんでだよ。おまえがちゃんと勉強をさせて来なかったのが悪いんだろ。


俺に押し付けるな。何が支えてほしいだ。お前が生んだんだろう。お前が何とかしろ!」


俺は思わず怒鳴って紫乃の母親を突き飛ばした。


それを階段のところで紫乃が見ていた。


しまった、と思いながらも自分を止めることができなかった。



紫乃は声をあげて泣きながら、自分の手で頭を叩きだした。

そんな紫乃を見たのは初めてで、驚くというか・・・怖かった。

母親は必死でそれを止めようとしていたが、おさえこもうとすればなおさら激しく泣いた。




「俺、こいつと一緒にいると学校で恥ずかしい思いをするんだ。わかるだろう。勉強はやらないし、おしっこはちびる。やりたい事しかしない。おまえがそうやって育てたんだろう。自分でなんとかしろ。」


そう叫んだ俺を、その日、父親は殴らなかった。


たぶん、こんな俺に呆れたんだろう。嫌な奴だと思ったにちがいない。


俺は湯船に沈んで考えていた。どうしたら今、この状態から逃げ出せるのか。


もう一度、四年生の夏休みから人生をやり直したいと本気で思った。



そして、その騒ぎが終わる前に部屋に閉じこもり寝てしまった。



明け方、トイレに目を覚ましたが、紫乃は自分のベッドにいなかった。


たぶんもうピアノを弾きに行ったのかと思い階段を降りると、紫乃はピアノの下で両手をタオルで縛られて眠っていた。



たぶん、あれからもあばれたのだろう。それにしても母親は自分の寝室で寝ているのか、紫乃のそばにはいなかった。




「紫乃・・・」




俺はタオルを解いて紫乃を起こした。泣きはらしたのか、目が真っ赤だった。




「紫乃、なんでこんなところで寝ているんだ。」


「蒼ちゃん。」


「風邪引くぞ。おまえすぐ熱だすだろ。ベッドで寝ろ。行くぞ。」


俺は紫乃を立たせようと腕を持ち上げた。でも紫乃は力をいれず、だらんとしたままだった。


「紫乃、立てよ。部屋行くぞ。」


「蒼ちゃん僕のこと嫌い?」


「・・・嫌いじゃない。」


即答できなかった。それと・・・好きとは言えなかった。


「僕のお母さんの事は?」


「・・・」


「僕はいない方がいい?」


「・・・いていいよ。」


「いいの?」


「いい。ちゃんと勉強するならな。」


どっちかというと、この家にいらないのは俺のほうだ。


紫乃は、自分なりに周囲との関係を模索して、いい関係を気付こうと努力している。



俺にはそれはできない。紫乃の体を肩で支えて部屋へ上がった。




この家で俺に要求されていることは、紫乃の面倒をみること、それだけなのだと悟った。




それからの紫乃は苦労しながらも勉強をやっていた。




算数にはだいぶ苦戦していたが、漢字はほぼあたり前くらいまでかけるようになってきた。


夏休みの宿題もできて、俺はこいつの事でとりあえず恥をかかなくてすんだと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ