小学校
新学期が始まると、紫乃は俺のクラスに来た。
そして、俺の隣の席に座った。
最初は、その可愛いルックスで男子からも女子からも人気者だったけど授業が始まって三日もすると、あまりの勉強の出来なさに超いじめられっ子に転落した。
紫乃は友達が欲しいのに人との距離がうまくつかめないようで、ちょっかいをかけては墓穴を掘る。
ちょっかいをかけた相手に、疎まれ、罵られ、極度に追い込まれると、恐怖のあまりお漏らしをした。
親から、それとなくは聞いていたけど、まさかと思った。
紫乃の母親は、俺の手提げカバンに紫乃の着替えを入れてもたせ、俺の手を握って毎朝「しーちゃんをお願いね」と言った。
俺は手を振り払って「知らねえ」と毎朝言い換えした。
でも、なぜか手提げカバンだけは持って出た。
はじめてお漏らしした時は、紫乃も泣いていたけれど、俺も泣きながら片付けた。
一人でバケツに水をくんで、床を拭いて、ベタベタの紫乃を保健室まで連れて行っていって着替えさせた。
俺は、すぐに教室に戻れなかった。いつまでこんなことが続くのかと思ったら、もう恥ずかしくて、悲しすぎて保健室で声を上げて泣いた。
紫乃は、道もまったく覚えない。
俺がいなかったら家に帰ることもできない。
俺が委員会で遅くなるからというと、早く帰ってピアノが弾きたいと言うから、一人で先に帰れと言った。
1週間も同じ道を通っているのだから当然、帰れるものだと思っていた。
1時間遅れで俺が家に帰っても、紫乃は家についていなかった。それから、慌てて紫乃を探すと、すごく離れた交番に保護されていた。
俺はその晩、父親に怒られた。
「もう俺いやだ。紫乃はものすごく勉強ができなくて学校でいじめられっ子なんだ。一緒にいると俺までいじめられるだろ。おもらしはするし。恥ずかしくてもう、一緒にいたくない。」
「蒼史、お兄ちゃんなんだから。」
「もう、お兄ちゃんはいやだ。一人のままでよかった。お兄ちゃん、お兄ちゃんって、いきなり言われても困る。」
「それでも蒼史はもうお兄ちゃんなんだ。紫乃は勉強も教えてもらえて嬉しいって言っていたぞ。」
「嫌だ。もう絶対嫌だ。こんな奴。いなくなればいい。」
そう言えば殴られることくらい、予想がついただけど俺は逆らい続けた。
その度俺は、自分の布団に潜って泣いた。
泣いていると布団の上から俺の背中に頭をこすり付けて啜り泣く声が聞こえた。紫乃だった。
「ごめんね。蒼ちゃん。」
「もういいよ。今度はちゃんと俺の言うことを聞けよ。」
「うん。」
「ゲームでもするか。」
俺たちの仲直りの方法は、1個のゲームを代わりばんこにすることだった。その日は二人で遅くまでゲームをした。
次の委員会の日は、紫乃を音楽室で待たせることにした。
「いいか、絶対ココから出たらダメだからな。ピアノは好きなだけ弾け。
先生には後で俺が怒られてやるからな。いいな絶対、出たらだめだからな。」
紫乃はものすごく喜んでピアノを弾き始めた。ものすごくキレイな音色が学校中に響きわたった。みんなざわざわしたけど、俺は知っていたし、紫乃が弾いている事がなんだかとても自慢だった。
俺は、曲が終わるころに委員会の部屋を飛び出して音楽室へ飛び込んだ。
そして集まってきているみんなの前で思いっきり紫乃に拍手を送った。
はじめはみんな、ポカンとしていたけれど、みんなも少しずつ拍手しだした。そして、そこにいた全員が拍手すると、紫乃は椅子から立ち上がってお辞儀をした。音楽室はちょっとしたコンサートのような熱気に包まれた。
毎週、委員会の時はピアノの演奏会になって、それから紫乃はあんまりいじめられなくなった。
俺が描いた紫乃の絵も金賞を取って、その絵は長く、学校のエントランスに飾られていた。
二月が俺の誕生日だ。
二月八日が俺で三日遅れて十一日が紫乃の誕生日。
今年は八日が平日で十一日が日曜だから、その日に二人あわせてお誕生日をお祝いしようと父親から言われた時、なぜか無性に腹が立った。
今まででも、共稼だったから、誕生日なんていい加減だったけど、いま思い出しても不思議なくらい、それを言われたとき怒った。
俺はこの家ではいらない子になりましたと言われた感じがして、寂しかったのだと思う。
その二月八日、学校から帰ると部屋で勉強していた俺を、紫乃はピアノのある部屋に呼んだ。
机の上にはプリンに火のついていないローソクを立てて、紫乃はハッピーバースデーの曲をピアノで弾きながら歌った。俺はそれにも腹が立って、プリンを手づかみして紫乃に投げつけた。
「だいたい、お前がここへ来るから悪いんだ。おまえなんていなくなればいい。」
俺は、訳のわからないイライラをとにかく紫乃にぶつけた。
階段をワザと大きな足音を立てて登り、ドアを思いっきり閉めた。それでもイライラは消えなかった。少ししたら、玄関の扉が閉まる音がした。
母親がかえってきたのだろう、今日はいつもより早いな、くらいに考えていた。
それにしても、一行にピアノの音が聞こえてこないな・・・と思ったのと同時に、嫌な予感がした。だが、すぐには紫乃の様子を見にいく気持ちにはならなかった。
本当にどうしようもなく気になりだしたのは、外が少し薄暗くなって、雪がちらつきはじめてからだった。
「紫乃・・・」
俺はピアノのある部屋の扉を開けてみた。
そこには俺が投げつけたプリンが散らかっているだけで、紫乃の姿はなかった。
「紫乃!」
俺は外に飛び出して、近くを探した。
家の周囲、田んぼ、畑、川、学校、いつも行くお菓子屋。走っていける範囲はどこも探した。
けど、見つからなくて、もう少し遠くまで探そうと自転車を取りに倉庫に行くと、倉庫の前で上着も着ずに震えている紫乃がいた。頭や顔にまだプリンがついたままだった。
「紫乃・・・」
「ごめんね、蒼ちゃん。僕、どこへも行くところなくて・・・」
「中に入ろう。」
「いいの?」
「うん。」
エアコンもストーブもつけたけど、紫乃の体は暖かくならなかった。
毛布も掛けたのにいつまでも体はがたがた震えていた。とんでもないことをしてしまったと思った。
お湯で濡らしたタオルで髪や顔についたプリンを拭いて、服を着替えさせているとき、やっと言えた。
「ごめんな。今は俺が悪かった。」
「僕、ずっといていい?」
「いい。」
それからはもうなにも言えなかった。
ただただ、紫乃が温かくなってくれと、このがたがた震えるのを止めてくれと、それだけを願って、毛布の上からギュッと抱きしめて体をさすった。
子供だった俺はいつまでも氷のように冷たい紫乃の体がとても怖かった。
当然、親が帰ってきて俺は又、とんでもなく怒られ、紫乃は病院へ連れていかれて、そのまま入院してしまった。その日の晩御飯は一人でカップラーメンだった。そんな晩御飯は久しぶりだった。ずっと、一人で食べる晩御飯があたりまえだったのにものすごく寂しく感じた。
翌日、学校帰りに紫乃の入院している病院に寄った。病室のドアを十五センチくらいだけ開けて中を覗くだけで、怖くて中に入れなかった。紫乃は四つあるベッドの一番奥のところにいた。
「蒼ちゃん。しーちゃんのところに来てくれたの?」
ふいにあの女に声をかけられ逃げ出した。
なんだ、一人じゃないんだ。どうせ夜はお父さんも病院に行くんだ。
昨日もどうせそうなんだ俺は一人でほおっておいて、そう思いながら帰った。
一人は慣れているはずだった。
でもその日はなぜか無性に寂しかった。