お兄ちゃん
六時頃、俺がカップラーメンを食べながらテレビを見ている時に父親が帰って来た。
「蒼史。」
いつもならただいま蒼史っていうのに、いきなり俺の名前を呼びつけた。
「なに。おかえり。」
「おまえ、紫乃になにをした。」
「何も。」
「何もって、何もないなら倒れたりしないだろう。」
「何もしてないよ。あいつが勝手に俺について来たんだ。ただそれだけだ。」
「ついて来たって、どこへ行ったんだ。」
「学校のプールだよ。」
「紫乃がいるんだから、休んで家にいてあげないとだめだろう。」
「なんでだよ。夏休みの昼はプールだろう。
1年生の時からずっとそうして来た。
お父さんは知らないかもしれないけど、俺にだってやる事があるんだ。
かまってられるか。
お父さんが勝手にここへ連れて来たんだ。俺がなんで面倒みなきゃいけないんだ。」
そう言うと、人生二度目のビンタを食らった。でも、今でも思う。俺は間違ってない。
そのあと嫌という程「お兄ちゃんなのに」「お兄ちゃんだから」と散々言われて頭に来た。
今まで、誰も俺に何も言わなかった。はっきり言って好き放題、やりたい放題。親がたまの休みの日は俺を甘やかす。
じいちゃんも、ばあちゃんも、みんなで俺を甘やかす。なんでも1番だった。でも、昨日から二番になった。紫乃に1番の座を奪われた。第一、父親は俺が熱を出して苦しんでいても、帰ってこなかった。なのに、昨日来たばかりのこいつが倒れただけでこんなに早く帰って来た。
俺は二番どころじゃない。
たまにくる野良猫より下だ。
頭に来てベッドに潜り込もうと思ったが、ベッドももう俺のものじゃなかった。
八時頃、紫乃が戻ってきた。でも俺は床でタオルケットをかぶって寝たフリをしていた。
俺のベッドに寝かされ、俺の父親に手を握られて
「大丈夫か・・・」
って、俺はまったく大丈夫じゃない。
やっぱり、途中で落としてきたらよかった。
一生懸命頑張ってこれだけ怒られくらいなら、頑張らない方がどれだけいいかわからない。
翌日からはなるべく紫乃には関わらないように過ごそうと努力した。
テレビは、ほぼあきらめた。けれど、十一時からやるマンガの再放送と五時からやるマンガだけは絶対見たかった。だから、話しあって決めてスケジュールを組んだ。
その代わりに、プールは諦めた。
変わったことはまだあった。
父親が会社から毎日早く帰ってくるようになった。
ピアノを弾いていた紫乃もやめて玄関まで迎えに行く声を部屋で聞いていた。
三人家族みたいだ。俺は何も聞こえないふりをして部屋にいたが、俺の部屋には父親は来なかった。晩御飯も紫乃が俺を呼びに来た。
俺のほうがこの家に先にいたのに。俺は一人でずっと頑張って来たのに。
この家にとってはどっちでもいい人間になっていた。