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夢を見る。  作者: 富井
20/21

卒業

日本に帰ると紫乃をしばらく実家に行かせた。


疲れている様子だったから、大事をとってのことだ。


俺は本格的に就活と卒論の準備に取り掛かかった。


山中にはほんとうに世話になって申し訳ないと思ったが、会いには行かず手紙だけで終わらせた。


最後に、「絵は1枚も描けなかった」と付け加えた。




俺は忘れたかった。興奮と感動に包まれた三週間を。




すべてが刺激的でなにより自由だった。




山中がいった通り、たった三週間という短さで流れていったのに、今までにない高揚を覚え、ふとした時にその思い出に支配されそうになっていた。




紫乃もまた、そうだったのだろうか・・・紫乃が弾く音楽はさらに磨きがかかり、俺には越えられないほど高く美しくそびえたつような音になっていった。






卒業したら紫乃はとりあえず実家に帰る。

俺は就職してコッチに残る。

今まで二人で住んでいたこの贅沢なマンションを引っ越して、小さな古いアパートを借りることにした。


紫乃は多分、就職は無理だろうし、親もあと少しで引退だ。


俺が働いて生活を支えなければならないと考えていた。


仕事は、機械設計の仕事についた。仕事はクソつまらなかったが給料はよかった。


ボーナスもあるし第一、安定していた。それだけで決めた。


通勤も自転車でして、給料の殆んどを仕送りした。盆も正月も帰らなかった。


紫乃のことは、少しは気にかかったが、今の俺を見せたくなかった。


きっと、とてもつまらない顔をしている。毎日毎日、ため息の連続。


たぶん紫乃は好きなピアノを弾いて生活しているんだろうなと僻んでいる自分がもっと嫌だった。

俺がそうする、それでいいと決めたのに、まったく嫌な俺だ。




紫乃から一月に一度か二度送られてくる手紙も殆んど・・・いや、まったく封を開けていない。自分で積み上げた不満を、こんな小さな嫌がらせで返しているバカな俺も大嫌いだった。




そんな生活を1年半ほど繰り返していたある日、父親から電話があった。


紫乃と暮らすようになってからは、怒られる以外は特に思い当たる会話もなかった。


紫乃のようにうまく甘えることができれば、俺ももっと楽に生きられたのかもしれない。


けれど今さら遅い。自分の父親なのに何を話していいのかもわからない。


しばらく沈黙が続いたあと、


「もう、仕送りはいいよ。おまえの好きなように生きなさい。」


と言った。俺は、父親に褒められたい一心で、子供の頃から言い聞かせられた通りに生きてきたのに、今さら、どうしていいかわからなかった。


だから、そのまま、同じことを続けた。仕送りも辞めなかった。




けれど、ある日、黒い大きな車の後部座席に紫乃に似た姿を見つけた。


車は俺の住んでいるアパートからさほど遠くないところにある大きなホールの駐車場に滑り込んで行った。




ホールの入り口には、紫乃のリサイタルのポスターが貼ってあった。




それを見た時すべてを悟った。俺はもう、誰からも必要とされない人間になったんだと。




俺は、もうその足で勤めを辞めた。毎日ゴロゴロとアニメのDVDを見て過ごした。


今更好きなようにと言われても、この程度のことしか思いつかなかった。バイトもしてみた。

でもなにをやっても満足できず、どれも長続きしなかった。


次にした事は紫乃を恨むことだった。あいつさえいなければ俺はもっと幸せだったはずだ。


あいつは、いつも俺が助けてやらなければなにもできなかったのだ とか・・・俺は最低だ。


母親が死んでも認めずに、生きているふりをして紫乃の母親が作ったオムライスも母親が作ったと思い込んで周囲の人間に当たり散らしていた、ワガママでイジワルな小学校四年生のガキのままだ。


スッキリと眠れない毎日をもうどれくらい送っただろう。起きたら雨だった。だから、バイトを休んだ。


携帯のアラームが鳴って、一度は起きた。カーテンを半分開けてまた、枕を抱えて布団に潜り込んだ。俺はダメな奴だ。


もうじき俺の二十四歳の誕生日だ、誰も喜びはしない。このまま誰にも知られないまま、知らない場所で暮らそうか・・・そんな勇気も金もない。


ここにいてもどうせ誰も訪ねは来ないし、友達もいない。俺は結局どこにいてもどうでもいい人間なんだ。


そう思っていた午後だった。

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