アメリカ
初めてのアメリカはとても刺激的だった。
楽しいとか嬉しいとか、言葉でなんて言い尽くせない何かがそこにはあった。本でしか見たことのない景色がそこに現実にあった。触れるところができ、感じることができる街の空気が歓喜を振るいったたせた。
紫乃のレッスンにはつきっきりで、教師が言ったことを紫乃に通訳した。教科書と教材の声でしか知らない英語がおもしろいようにわかることも、喜びのひとつだった。
自由な時間にはなるべく街へ出た。ほんの少しの時間しかなくても近くの公園に連れて行った。絵葉書を買って家族や友人に送ったり、紫乃とおそろいの服を買ったり、ミュージカルも見にいった。紫乃はキラキラした目ですべてを見て、その感動を音楽にぶつけた。
レッスンが終わると二人で逃げるように街へ飛び出した。こんなにも遊んでいていいのかと思うほど遊んだ。時間が止まればいいのにと思うほど楽しんだ。
そして俺は紫乃の絵を描いた。公園で遊んでいる時、レッスンをしている時、街でアイスクリームを食べている時、地下鉄に乗っている時、眠っている時。
いつも、スケッチブックをかかさず持って紫乃のすべてを描き留めた。そして端っこに俺を描いた。虚ろな目で背中を丸めて頬杖をつく俺の姿を。
レッスンの待ち時間に、コミュニティフロアで紫乃がテーブルでピアノを弾く練習をしている絵を描いていた。俺は紫乃が何か見えないものを見つめながら、一生懸命練習している姿も大好きだ。
「oh it's wonderful 」
「thank you 」
その姿を描いている時、そこに居合わせた女性にそう声を掛けられた。
「蒼ちゃん今なんて言ったの?」
「この絵をきれいだねって言ってくれたから、ありがとうって言ったんだよ。」
そう言うと、そう言ってくれた女の人のところに紫乃が走っていって何かを言っていた。
「何言って来たんだ。」
「僕のお兄ちゃんだよって。いいでしょって。」
「日本語じゃわからないよ。」
「わかるよ。一生懸命言ったから。みんな僕のこと羨ましいって。いいお兄ちゃんでいいなって言ってくれる。僕をバカにしていた人たちもみんな友達になったよ。
蒼ちゃんのおかげ。本当にありがとう。」
「なんだよ。急に。」
「いつも思っていたよ。いつも、言いたかったけれど、なかなか言えないね。
四年生の時、はじめて蒼ちゃんにあった時から、嬉しかった。」
「あの頃の俺は、お前に酷いことばかりを言っていた。」
「もう忘れた。だって、それ以上に嬉しいことをいっぱい言ってくれた。
蒼ちゃんがいなかったら、僕はダメだった。
ねえ、覚えている?
小学校の時、音楽室でピアノを弾いていた時、みんなが集まって来て、曲が終わると蒼ちゃんがダーって走って来て、一番に、一番大きい拍手してくれたでしょう。アレから僕はいじめられなくなった。あの時から僕は蒼ちゃんにもっと喜んでもらえるように一生懸命練習してきた。」
「それでお前はこんなにうまくなったのか。」
「僕、上手になった?」
「うん。とても。」
「もっと上手になるから、ずっと僕のそばにいてくれる?」
「うん。いるよ。お兄ちゃんだからな。」
「僕のそばで絵を描いていてくれる?」
俺は紫乃の肩をぎゅっと抱いた。けれど、それには返事をしなかった。




