第9話 新たなる朝
翌朝。
「……はぁー」ジリリリとやかましく鳴く目覚まし時計を止め、俺は目を覚ました。新たな寝床でもすんなり眠れたようで、体中のどこにも疲れはない。
「阿陰。おはようございます」ユアの声だ。どうやらドアの裏側にいるらしい。
「んー、おはよ」朝だからか、我ながら少々適当な返事の気もする。「着替えたら下に降りるわ、先行っといて」
朝に弱い、とは昔から何度か言われていた事だ。刑務所時代には規則正しい生活を強いられたこともあって起床時間ある程度矯正できたと思っていたが、少し口が悪くなりやすいのは変わらないのである。
「はい!今日は学校に行く日ですから、早めにご支度ください」ユアはそう言って、階段の方へと歩いて行ったようだ。
昨晩の直談判により、俺はこの町の魔法学校に編入学することになった。といってもすぐにどうこう出来る訳ではなく、まずは試験を受ける必要があるそうだ。
「まずは肌着を……」
その結果が合格基準に達していれば、晴れて俺も一学生となるのだが、その試験内容というのが……。
(教諭との実戦、かぁ)
シフさん曰く、推薦による入学は原則として戦闘技術・魔法・特殊能力を判断材料とする実戦試験のみをもって合否決定を行うとのこと。これなら即日合格・不合格が判明するため、学校側にとっては都合がいいらしい。
(俺の魔法は……やっぱり前衛向きか)
もしこれが回復や味方の補助、または直接戦闘に結びつかないような魔法であれば試験内容も変わるというのだが……。
「試験本番までの1週間でどれだけこの力をコントロールできるか、だな」
昨日発現した俺の魔法は、俺が激しい怒りに身を任せて使わなければ行き過ぎることはないのだろう。どんな力でも、振るうものの意思によってその効力は大きく変動する。ビルを解体する時に使うダイナマイトが、取り付ける位置を計算することでより少ない量で最大限の効果を発揮するように。
考え事をしているうちに、気づけば着替えが終わっていた。学生カバンをひっつかんで部屋を出る。このカバンは俺が通っていた高校のやつだが、俺は普段もう一つのクラブバッグの方をを愛用していた。ここに飛ばされる数日前、汚れが酷くなったので洗いに出していたのだ。
「アイン、来てくれましたか」階段を下りてダイニングルームへ入ると、ユアが立座っていた。いかにも魔女といった感じのローブに全身を包んだその姿は、特定の趣味を持つ人間にはまさしく現人神のような存在なのだろう。そういった趣味のない俺には、「良く似合ってるね」とか「凄く可愛いよ」とか当たり障りのない言葉でしか評価できない。
それが不幸なのかどうかはさておき、二人きりではない場所ではユアは俺のことをそのまま呼ぶことにしているようだ。個人的な感想になるが、同じ音でも漢字とカタカナでは受け取り方に違いがあるように思う。
「女子の制服ってこれなのか。えらく古典的だな」
「帝都の方にはもっと新しい服があるんですけどね。『セーラー服』なる服装とか」
「セーラー服が新しいのか……それもロスト・テクノロジーの産物か?」
「多分そうだと思います。元々は水兵さんの制服だったらしいですが、水兵さんって男ばかりなので女の子の服装というのが信じられないです」
えらく平和な話をしつつ、俺達はマイさんの作った朝ごはんを美味しくいただいた。
「それじゃあ、今日も行ってくるよ」
「お母さん、行ってきます!」
「マイさん、俺も行ってきます。帰ってきたらお店を手伝いますので」
俺達3人は挨拶をして、玄関から陽光眩しい外界に出る。
「みんな、いってらっしゃい。気を付けてね」マイさんの返事を聞きつつ、学校を目指す。
「レイファはかなり広い町なので、あちこち馬車が走っているんです。まずはその駅まで歩きますよ」
「馬車に乗れば、学校まで一直線さ」
歩くこと10分、馬車の駅に到着した。名標には「南門広場前」と書かれており、時刻表も併せて掲載されている。先ほどこちらの世界に時間を合わせた腕時計で確認すると、あと数分で来るらしい。
「馬車には中型と大型があってね、中型は定員4名。大型は定員10名だよ」シフさんが手で顔を仰ぎつつ教えてくれた。
「それにしてもアイン、その腕時計は珍しいですね。ロスト・テクノロジーから生み出されたのですか?」ユアの興味は俺のスポーツウォッチに向いているようだ。俺は何と答えるべきか悩んでいると、後ろに1人並んできた。フードを目深にかぶった、女性か男性か分からない人だった。
「………………」
何も喋らず、表情も全く変わらないその人物を見て、俺は何故か得体のしれない居心地の悪さを感じた。と、
「学園正門前行き、到着しました」籠を引いた立派な馬が現れ、馬上の男の声が聞こえた。
「さあ、乗りましょう」あらかじめ渡された運賃分の硬貨を馬車入り口横の箱に入れ、俺達3人と後ろの人物が乗り込んだ。
馬車内部は2人掛けの椅子が向かい合うように配置されており、俺は後ろ側の奥に座った。向かいにはユア、その隣にはシフさんが座る格好だ。そして……。
「………………」やはり何のリアクションも取らない謎の人物が、俺の隣に座った。
俺達は学校までの間とりとめのない話をしていたが、その間も隣の人物はピクリとも動かず、また声を発することもなかった。その様子が気になったのは何も俺だけではないようで、ユアもシフさんも気が付けば口数が減ってきていた。こんな状況ではせっかくの人生初馬車を楽しむことはできないと思っていると、窓の外に大きな建物が見えてきた。まるで城か、それとも要塞か。
「あれが、私たちの学校です」俺の視線に気づいたのか、ユアが話しかけてきた。「大分昔に作られた石造りの建物なんですが、老朽化が進んできています。新校舎を作るかどうかという話もあるようですが……」
「現に不便な個所もいくつか見受けられているからね。とはいえ、まだまだこの校舎も現役だろう」シフさんが補足する。俺は車窓にそびえ立つ灰色の学府に期待と不安を抱く。だが、それも一瞬の事だ。
(まずは、向こうの人に挨拶しなきゃならないからな)
決意を新たにしたところで、馬車が停まった。「ご乗車ありがとうございました、学園正門前です」男の声で、目的地への到着を知った。
馬車から1人ずつ降りる。まずはシフさん、次いでユア、その次に俺だ。フードの人は最後に降りて、すぐに何処かへ行ってしまった。まあ、そんなことはどうでもいいか。
「ここが、学校か……」
正門と思われる巨大な門扉、その横の表札を読んだ。
アレイア帝国立レイファ中央学園
と書いてあった。という事は、この一帯はアレイア帝国なる国家の支配下にあるということか。この辺はよく分かってないので何とも言えないが、きっと周囲にもいくつか国家があって、それらの戦力均衡によって現状が保たれているであろうと推測してみる。
「アイン!こっちに来てください、早く!」どうやら少し待たせてしまったようだ。俺はユアの下へ小走りで駆け寄り、門をくぐった。シフさんの案内で校舎内に入り、『理事長室』前で止まる。
「理事長、入ります。編入希望の生徒を連れてまいりました」シフさんが扉の奥にいるであろう人物に入室許可をもらおうとする。
「ふむ、入るがよい」何故だろうか、どこかで聞いたような声がした。理事長という人物のもののようだが、一体……。
そして、扉が開けられた。そこにいたのは、白髪の老人と、赤い髪の少女だった。
「さあ、皆座り給え。まずは話を聞こうではないか」
その老人の声は、まるで。
俺をこの世界に導いた、あの渦の声と同じだった。