第5話 旅立ちと出会い
「……来い……我らの下へ……」
「そいつ」は、瞬きの合間に突如として現れた。
「何なんだよ、突然。あんたは誰だ、どこへ行くっていうんだ?」
俺は目の前の異様な光景に若干驚きつつ、素朴な疑問を発した。
なんせ、奇怪すぎる。眼前には黒と紫の渦が夕暮の路地裏を侵食するように広がり、その渦が老人のような声で俺に語り掛けるのだ。
「私は……そうだな。お前を必要としている存在とでも云っておこう。そして、お前にはある人物を守ってもらう」
「残念だが、ボディガードのアルバイトなんてやるつもりはないぜ。他をあたってくれや」
俺は渦の問いかけにぶっきらぼうに答えた。
「第一、なんで俺なんだ?」
「お前はこの世界に何らかの不満を抱いている。自分の力を十全に発揮できないこの世界にな」
「……何のことやら」とぼけてみる。が、渦の話は止まらない。
「お前は一度、人を殺めるという大きな過ちを犯した。それはお前の中で足枷となり、自分の全力を尽くす妨げになっているのだ。だからこそ他者との争いに、不誠実な態度をとるのだ。それは他者を虚仮にするのではなく、寧ろ自らの行いを馬鹿げたものと考えているからだ。違うか?」
渦の語りが一段落し、俺に長考の時間が与えられた。相手を力任せにねじ伏せるのは、あの事件を思い出してしまうために意識して避けていた。かといってただ逃げ出すのも、昔の無力な自分に戻ってしまうような気がした。結果としてあらゆる手を使ってでも、迅速に相手の戦意・戦力を奪い勝利するようになった。
「……違わないね。殆どその通りだ。でも、あんたの言うとおりにして、俺の不満とやらがどうにかなるのか?」
何も乗り気になった訳じゃない。ただ、このまま自分を抑え続けることが、かつて身につけると誓った俺の強さになるのか。それだけが気がかりだった。
「それは、お前が決めることだ。だが、お前の真の力を発揮できる世界は、ここではないとだけ言っておこう」
「……チッ。分かったよ、あんたの誘いに乗ってやる」
勿論、未だわからないことは多い。だが、それは後々になって考える。今この瞬間、俺なんかに助けを求める変わったやつの正体もどうでもいいさ。
本当に強い自分を見つけるために、行ってやろうじゃねぇか。
「了解した。では、参ろうか」老人の声と同時に、渦が一回り大きくなる。「さあ、飛び込むがいい」
「へいよ。んじゃ、行くぜ!!」周辺の家にもはっきり聞こえる程度に、声を上げる。そのまま、俺は渦の中心めがけて頭から突っ込んでいった。
「……ようやく、最後のピースが揃ったか」飛び込んだ直後、老人のつぶやきが聞こえた気がした。
「う、うわぁぁぁぁぁぁああああああ!?」
渦の先は、よくあることだが底なしの自由落下をやる羽目になった。
(しかし、どこまで落ちるんだ……?)
昔見たアニメとかだと、こういうのは地面に激突する寸前にありえないほどの慣性ブレーキでもってソフトランディングに成功するものだが……。
「おぉぉぉ、地面が見えたぞ!」
一瞬自由落下の終わりに安堵するが……よく見りゃ地面じゃなくて水面じゃねぇか!しかも減速する気配なし!一応泳げるには泳げるが、体中の穴という穴から水が入るという不快さは水泳選手でもない限りまず慣れないだろう。
「目ェ瞑って、鼻つまんどくか」
予想外の高飛び込みだが、付け焼刃の対策でなんとかなると思うしかない。そして、顔に強烈なインパクトが―来ない。
「もしや……死んだ」
そう思って目を開こうとすると、殆どが暗闇だ。それになんだか柔らかい。水にしてはほんの少し暖かく、まるで低反発クッションのような弾力。
イヤ~な予感……。恐る恐る顔を上げると……。
そこには綺麗な緑髪の美少女が、顔を真っ赤にしてわなわなしていた。
あーあ、やっちゃった。もうね、使い古されてんですよ、こういう出会い方は。俺ならこの脚本家に30点しかつけないね。だいたい、空から落ちてくるってのがよくあるテンプレでね……。
現実逃避して何故かこの展開に批評を付け始めた俺、絶賛混乱中。
「い、い……」
「すみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁああ!!」一気に10メートルほど飛び退き、浅瀬に額を擦りつける。そう、これが日本の伝統芸能、土下座だ!!頼む、頼むから叫ばないでくれ……!
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
しかし願いは通じず、美少女は辺り一帯に聞こえそうなほどの声量で不埒な不審者(俺)の乱入を叫んだ。
くそう、こんなとこまでテンプレかよ……。
幸いにして近くの人が駆けつけてくるようなこともなく、俺はひとまず難を逃れた。陸に上がるが、少女は離れたところで布に覆われて震えていた。どうやらここは森の中の小さな泉のようだ。
「……(ジトーッ)」
……ものすんごいジト目で見られてますが。完全に変質者扱いですね、俺。
「あ、あの……本当に済まんかった。このとおり……」
「はぁ……いいですけど」
もはや何度目かの謝罪も忘れてしまうほど、頭を下げる俺を一応は許してくれるようだ。
「何故か最近、ここで沐浴してるといつも誰かの目線を感じてたんですが、それが貴方だったんですね……」
「それは俺ではない!俺はここに初めてきたんだ。信じてくれ!」
「……本当ですか?」少女が訝しげに問う。少しだが信じようとしてはくれているようだ。
「無論だ」そういって、弁明から話題をそらす。「にしても、そんなことがあったのか。家族とかに話したのか?」
「いえ、まだ……。不用意に言って、町の人を混乱させるのは好きじゃないですし……」
発言を聞きつつ、俺は彼女をじっくりと観察していた。緑髪を二つ結いにし、やや幼く見える顔立ちから、俺とそれほど年齢は離れていないだろう。先ほど不可抗力|(強調)によって顔面からダイブした胸部は、今は大きな白いタオルに隠れて見えない。しかし、その上からでもかなりのボリュームを誇っているのは明らかで、不可抗力|(2回目)ながらその感触を味わえたという点では幸運なのかもしれない。
「……何見てるんですか。安くはないですよ」
いかんいかん、また疑われている。何とか挽回せねば……。
その時。
「へへへ、嬢ちゃん。俺達と遊ぼうぜぇ~!」
「へッ、アニキのお眼鏡に叶うなんて光栄だぞ、喜べ!」
えらくまぁ、これまた使い古されたデザインのチンピラ2人が茂みから現れた。
「……っ!」少女はすくみ、震えた声で告げた。「何ですか……そんな、見ないでください!」
「嫌だねぇ、生娘は。まぁ、それを調教するのがまた楽しみでもあるんだがなぁ!ヒャヒャヒャ!!」チンピラコンビのうち、背高ノッポの男が下卑た笑い声をあげ、少女に迫る。
「やめて……助けて!」
「……くそっ!」足はもう、彼女を救うために動き出していた。
チンピラの手が彼女を覆うタオルに触れる寸前に、俺は男の手をはねた。そのまま間に入り、彼女を守ろうとする。
「あぁ?なんだお前は!男に用はねぇんだよ!!帰れ帰れ!!」
「そうだそうだ!」チンピラコンビのもう一人、小太りが同調する。
「は?何でテメェらみたいな下等生物の指示を俺が受けなきゃならないわけ?」
こういう相手はすぐに血が上る。こんな感じで罵倒すれば、
「あ?何てった?」ほらほら、でっかい釣り針に食いついた!
「もう一度その腐った蝸牛に響かせてやろうか?テメェらごときが俺に指図すんじゃねぇってなァ!!」これで止めだ!
「なぁにぃ!!てめえ、死にたいようだな!おら、二人がかりで潰すぞ!」
「合点だぜ!お前、馬鹿だなぁ!!」
嘲り笑うチンピラコンビを尻目に、俺は少女に囁く。
「いいか?戦いが始まったら、後ろを向いて耳をふさいでくれ」
「え……何で、ですか?」
「見ても面白くないし、女の子には刺激が強すぎるからね。分かった?」
「は、はい!」よしよし。これで残るは、眼前の敵を叩き潰すのみ。
「おい、何いちゃついてんだそこォ!俺達の獲物だぞ!」
「はいはい。騒音をまき散らすのもいい加減にしろよ。今すぐ黙らせてやる、よ!」先制して隠し持っていた石を、小太りの男の左目に投げつけた!
「あがぁっ!い、痛ぇっ!!」果たしてそれは直撃し小太り目を押さえる。一瞬二人の動きがひるんだ隙に、小太りの首をつかんで水面に叩きつける。そのまま、俺はノッポにこう持ち掛ける。
「さあ、選択肢を与えてやる。ここから今すぐ逃げるというなら、こいつを解放してやろう。まだやるなら、こいつの命はないがな!!」
窒息死するまでどれぐらいかかるかは分からないが、どうやら俺の脅しは信憑性をもって伝わったらしい。
「ぐっ……き、汚ねぇぞ!」
「お褒めに預かり光栄だね。さぁ、選べ!!」
「分かった!逃げる、逃げるぞ!だからそいつを解放しろ!」ノッポが俺の予想通りの答えを述べる。
「よかったじゃないか。命が助かってなぁ」小太りの首を持ち上げ、呼吸させてやる。
「ハ、ハ、ハ……ハヒヒィ!」小太りも命永らえて嬉しそうだ。
「ま、そういうことで。さっさと逃げ帰れ腰抜けコンビ!」俺は彼らの背中に暴言を浴びせてやる。
「くっそぉ!覚えてろよ!!」最後までテンプレな捨て台詞を吐きつつ、チンピラコンビは背を向けて走りさった。
姿が見えなくなってから、俺は横でうずくまる少女に話しかけた。
「終わったよ。取り敢えず、着替えてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
彼女は何故か、英雄を見る目をしていた。よせやい、照れる照れる。
「まあ、もう一度痛めつけてやんないといけないかもだけど。とにかく俺がいる内は安心してもらっていいよ」
普段の俺からすれば歯が浮きそうなほどの気障なセリフだが、まずは一人一人の信頼を勝ち取ることが先決だ。ましてやここは新天地|(だと思う)、衣食住を確保するのにも一苦労だな……。
「すみません。ただの変態さんかと思ってましたが、まるで王子様みたいでした。反省です」
下をぺろりと出す彼女はとても魅力的で、何であれその笑顔を守ることが出来たのなら決して悪い出会いではなかったろう。
「んじゃ、近くの町にでも行って金稼ぎの方策でも探すか……」
予想だが、俺の財布にある小銭では数日も持たないし、何より使えるのかどうかも怪しい。バイトの経験はないが、やるしかあるまい。
「あ、あの……!」
「ん?なんだ?」
「もしよければ、うちのお店で働きませんか?」
少女の問いに、俺は無意識のうちに首肯していた。