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第13話 特訓開始・前編

 数分後。

 そのまま町を激走して帰宅しようと思ったが、そもそもここが何処なのかも分からない事に気付く。いかんいかん、気持ちだけ先走っても意味が無い。

「仕方ない、まずは駅を探すか」

 ふとポケットを弄ると、払ったはずの馬車代がそのまま入っていた。どうも寝ている間に亜理素が返してくれたようだ。変に律儀なんだかお人好しなんだか分からないな。

「ま、さっさと帰れるのなら問題はないか」

 少しでも時間は無駄にしたくない。金はやがて回ってくるし、食事も最悪獲って喰らえば元手がかからず腹を満たせる。しかし時間の矢は決して戻ることなく、ただ未来へと突き進むのみなのだ。一分一秒を無駄にするのは、それだけで人生の価値を損なう恐れがある。

 早速、近くにいた人に最寄り駅の居場所を尋ねる。濃紺のニット帽のような物を被った、農夫と思しき中年男性だ。

「すいません、ここから一番近い駅までの道を教えてくれますか?」この世界では、何故か日本語が広く通じる。ご都合主義か、それとも謎の配慮か。

「ああ、はいよ。それならね、ここの道を真っすぐ行って、3つ目の角を左に曲がってしばらくすると中央大通りとの交差点に出るだよ。そこを右に曲がってから直進して、その突き当たりが大噴水広場。この四方に馬車の駅があるから、後は行きたい方面の馬車に乗るだよ」案の定、彼にも日本語が通じたようで、駅がそれほど遠い場所にある訳ではないことを教えてくれた。

「ありがとうございます」俺は軽くお辞儀をして、その場を去った。言われたとおりに歩いてみると、20分ほどで最初の目的地に着いた。どうやらここは町の中心地となっているようで、広場の周りには沢山の民家や店舗が立ち並び、路上にもワゴンタイプの屋台がずらりと軒を揃えていた。老若男女問わず石畳の道を埋め尽くさんばかりの人々が、談笑を繰り広げている。

「おっと、あそこから帰れそうだな」

 見覚えのある風景だ。朝、俺達が乗った馬車はこの辺りを通っていたはずである。駅の時刻表を見るに、次の馬車にはギリギリ間に合ったようだ。

 時刻に殆ど遅れることなく、中型|(4人乗り)の馬車が到着した。先客は、誰もいなかった。

「もう騙されるのは御免だぜ……」

 嘯きつつも、運賃箱に小銭を入れて乗り込んだ。



 今回は無事、何事も起きなかった。終点の南門前で俺は降りた。何故だろう、たった数時間離れていただけなのに周辺の風景が懐かしく感じる。

「っと、急がなければ」

 駆け足であっという間にエルシア家にたどり着いた。ドアをノックし、開けてもらう。

「はいはーい。今開けるから待ってて」マイさんの声だ。扉から覗かせた彼女の表情は、朝と変わらぬ笑顔だった。

「すんません!直ぐ帰ってくるつもりだったんですが……」少々帰りが遅くなったことを弁明しようとするも、マイさんに止められた。

「大丈夫よ、開店時間には間に合っているからね」

「そうでしたか……。分かりました、開店準備をしてきます」

 マイさんから手渡された鍵で、店舗スペースを覆う木製の鎧戸を開ける。家の内側とは奥で繋がっているが、のれんで仕切っているため客には見えない格好だ。

「それじゃあ、店番をよろしくね。何か分からない事があったら私を呼んで」そういってマイさんは家の中に入っていった。

「はい!」今は出来るだけ俺が抱えている事情を話したくはないし、悟られたくもない。相談するのは夜になってから、出来るだけ家族全員が居た方が都合がいいだろう。

 店の奥から箒を取り出し、外へと埃を掃き出す。と同時に、陳列棚や積まれた木箱の中から気になったものを取り出してみる。無論、軍手は着用している。

「へえ、これは魔結晶っていうのか。何々、「この魔結晶では、闇魔術『時間停止』を約5分間使用できます。」か。……うへえ、やっぱ微妙に高いな」

 お値段、何と30000円。通貨単位まで日本と同じというのも、実にシンプルだこと。よく見りゃこの魔結晶、色も形もバラバラである。均一の品質かどうかも怪しい。

(職人が一つ一つ手作りでもしてるからだろうか)

 いや、こんなものの製法なんて想像がつかないけどな。幾度もの産業構造の転換を迎え、オートメーションの普及した現代世界の住民からすれば納得できるものではないはずだ。生憎この世界にも消費者基本法に相当するものががあるのかどうかは知らないし、それ以前に法律自体、前近代的な古めかしいものしかないのだろう。じゃなきゃ決闘という形であれば何をやっても問題ないなんて古臭い価値観が成り立つものか。

「すいませーん、探しているものがあるのですが」

「え?あ、はい」

 考え事をしていると、軒先から声がした。客が来たのだろうと思って、返事しつつ外へ向かう。

「はいどうも、魔道具の店『幻夢堂』です。ご用件は何でしょうか?」

 見た感じ、50手前だろうか。男性の客が指さしたのは、外に面した棚の一番下。そこには色鮮やかな木の実が小分けで麻袋に詰められていた。これは魔術・呪術に使う木の実で、薬品の原料としても重宝する代物らしい。

「これを3つ、下さい」

「マサノキの実3袋ですね。会計しますので、奥のカウンターまで来ていただけますか?」

 男性は頷き、俺の後ろについて店の奥に入っていった。

「では、代金は1080円になります」

「はいよ。……お前さんの事は知ってるよ、昨日悪党をボコボコにしたんだろう?」

 こう言われるのは予想できたので、俺としてもあまり驚きはしない。

「いやあ、カッとなって殴りかかったら何時の間にか終わってたって感じですかね。でも正直、俺の事怖いと思ってるでしょう?」そう言いながら男性から代金を受け取り、カウンターの引き出しに入れる。単位こそ円だが、1000円札のデザインには俺の知るものとの大きな違いがあった。美しい女性の肖像が真ん中にあって、その裏にはレトロな街並みが印刷されていた。銭貨も結構違っていて、10円玉には西洋の城が刻まれていたり、50円玉は線路がぐるっと一周していたりする。

「そうでもないさ、お前さんは町のヒーローだよ。そういや今度は決闘するっていうのを仲間から聞いたんだが、本当かい?相手は誰なんだ?」

「まあ、そういう流れにはなっていますね。相手は……ツェギン・ホフマンという方です」

 どこまで言っていいのか分からなかったが、世間話のノリでつい口走ってしまう。

 すると、男性は顔をしかめた。

「ほう、あの若造が吹っかけて来たのか……。理由は十中八九僻みだろうな」

「でも、俺は昨日ここに来たばかりですよ?そんな因縁なんて身に覚えがないんですが……」

「ところが、奴にはあるのさ。これは情報屋の爺さんから聞いた話だが、丁度一か月前に奴がこの町を訪れた時、ある魔法使いの少年と出会ってな」

「………………」

「彼はこう告げたんだと。『あなたは、この地の巫女の力を手に入れるに相応しくない』とな。一方的にそんな事を言われたもんだから、奴は怒った。そのまま少年を痛めつけようとしたが、攻撃を悉くかわされた挙句更に屈辱的な言葉をぶつけられてしまった」

「屈辱的な言葉?」

「ああ、何でも『ここであなたを倒すことはたやすい、しかしそれは時間と労力の無駄だ。だから、賭けをしようじゃないか。一か月後、僕はある男を連れてくる。ああ、安心し給え、僕とほぼ実力の変わらぬ男だ。彼にはあなたが欲する少女の近くに暫く居てもらう。あなたはそんな彼に対して決闘を持ち掛ける。その決闘にあなたが勝ったなら、僕は今回の非礼を詫びるとともに全財産を譲渡しよう。これなら形式上は一応正式な方法で少女を娶ることが出来るだろう?』って話だ」

「待ってください。俺はその少年と一度たりとて会った事はない」

 この世界に来て1日しか経ってないのに、勝手に話を広げられても困る。第一、適当な事を言いやがって。何様だよそいつ、無責任にもほどがあるぜ。

「それは奴の前で弁明するしかねえな。どうも奴は代わりにあんたをボコボコにして、コケにされた憂さ晴らしをするつもりだぜ」

 つまるところ、奴にとって俺はサンドバッグみたいなものか。どいつもこいつもバカばっかりだ、いい迷惑だよ本当にもう。

「あとは、奴がここの娘さんに大層ご執心っていうのもあるがな。金と見た目をしょっ引いたら、ただの気持ちの悪いストーカーにしか思えねえ程よ」

 一体ツェギンがどんな事をやっていたのか、想像するのも馬鹿馬鹿しかった。実はユアを覗いてたのも、あの野郎だったのかもしれない。あー、怒りを通り越して侮蔑感情すら覚えてくるわ……。

「何となくですが、理由がつかめました。ありがとうございます」とはいえ、図らずも重要な情報を聞き出せたことは素直に嬉しかった。しかし、別の疑問が一つ。

「ところで、何でツェギンについてそんなに詳しいんですか?」

 俺の質問に、男性はいくばくかの逡巡の後、口を開いた。

「奴の親父の代から、オレはあそこの家来でな。親父さんは割と男気があったんで、地元の人間も彼を支持していた。が、そんな彼の唯一の欠点が一人息子の教育だったのさ。世継ぎとして大事に育てたい気持ちは分からなくもないが、その結果があの自己中野郎ではお先真っ暗だろう。せめてもの反抗心としてオレは数人の部下とその家族を連れて逃げて来たんだが、これが大正解だったよ。……親父さんが死んだあと、奴は自分の領内を好き勝手に荒らしまわった」

 俺は思わず息をのんだ。ドラマのような話だが、これが現実に起きているのか。

「具体的には、村の若い娘を片っ端から浚っては『品定め』し、気に入った娘とは昼夜を問わず行為に及んだ。更には貢物として、住民が汗水たらして作った農作物の殆どを治めさせたり、それに反発した住民を処刑したりもした。オレには今年で20になる娘がいるが、もし逃げなかったら奴の慰み者にされていたかもしれない」

 男性の声色には、静かな怒りが含まれていた。俺は黙って話を聞く。

「当然、何度も住民たちは決起した。安穏に暮らすことのできる、かつてのような領地を取り戻すためにな……。だが、奴は住民を何とも思っていなかった。金と女を差し出すだけの都合のいい機械としか見ていなかった。だから、見せしめに何十人もの市民が焼かれた。大人も、子どももお構いなくだ」

「………………」

 男性は最後に、こう述べた。



「恐怖政治、とでも言うべきか。大昔に絶えたはずのそのやり方を、オレの故郷は今も繰り返している」


 

 正直な話、俺は自分の周りの人々が幸せであればいいと思っていた。それ以上高望みする必要はなかった。世界平和だとか戦争根絶なんて聞いても、それは他の人間がやるべきことで、俺は俺の世界を守ることでいっぱいいっぱいだった。しかもそれでさえ、2度も失敗している。

 でも、世の中にはこうして自らの力だけでは解決できないような問題に直面している人々もいる。彼らは、いずれ来る幸福を信じて、鬱屈たる日々を過ごしているのだ。

「……そうでしたか。辛い事を思い出させてしまったようで、すみません」

 俺は頭を下げた。男性の表情は確認できなかったが、

「いや、いいって事よ。ただ、奴には気を付けろ。剣術の実力こそ大したものではないが、金にものを言わせて買い集めた魔道具で叩き潰そうとしているようだ」

 なるほど。だったらそれさえ封ずれば、後は十分勝ち目がありそうだな。

「それじゃあな、ボウズ。決闘頑張れよ」

「分かりました。精一杯やってみます」

 男性が店を出て、遠く見えなくなるほど経ってから、俺はため息をついた。

「やれやれ……。どいつもこいつも、俺に期待し過ぎだっつーの」

 口ではこんな事を言いつつも、ますます負けられなくなってきたと実感した。



 それから数時間、昼飯を挟みつつ俺はぽつぽつやってくる客を相手にとりとめのない会話をしながら、順調に仕事をこなしていった。慣れればそれほど難しいものではなく、取り扱う商品がファンタジーなアイテムであること以外はありふれたアルバイトの範疇であった。

 気が付けば午後5時。太陽は赤々として町を照らし、軒下から伸びる影はそれを侵食する。

「今日はあともう少しで閉めるんでしたっけ?」

 先ほどから仕事を手伝ってくれているマイさんに訊く。昼間の男性との話に気付いているのかそうでないのか、または聞いてはいたがあえて突っ込んでは来ないのか。何であれ、彼女は仕事のアドバイス以外の事を話そうとはしておらず、それは俺にとっても好都合だった。

「ええ、6時になったらみんな帰ってくるからね」

 カレンダーによると昨日は日曜日で、今日は月曜日とのこと。学校の授業自体は2時には終わるが、ユアのような特別コース所属の学生は更に遅くまで課外活動という名の補習があるらしい。優秀な人間は更なる研鑽を重ね、凡人には辿り着けない境地に至るもので、恐らくはユアもそうなるのだろう。

「ところで、魔道具ってこんなに沢山あるんですけど、これも使用者との相性とかあるんですか?」

「そうね……低級の魔道具はあくまで媒体や素材としての効果しか持たないし、ある程度強力なものでも大抵は魔法とそれを操るための魔力が封じ込められているの。効力自体は本来の使い手が唱えるものより落ちるけど、この場合は『誰でもそれなりに使える』汎用性が重要視されるわ」

 いわば、量産型か。

「ただ、魔道具の中でも一点もの、例えば国宝クラスのものなんかは別らしいけどね。そういった類の魔道具は、血筋や性別、年齢などによって大幅に使用者を制限するといわれているわ」

「マイさんの店にも、そういった品物が入荷されたりは……してませんよね?」

「当然よぉ。よっぽどのことが無い限り、皇族や有力斥候・他国の大富豪などか所持するような代物だから。……実のところ、ユアが今使っている杖も私の知る限りじゃかなり優れた杖の一つだけど、それも世界全体で見るとさほど大したものではないと言われているわ。それほどに魔道具の世界は広いのよ」

「へえ……。もし良ければ、入試までに色々と教えていただけますか?」

 朝方貰った入試要項には、「規定された範囲内なら魔道具の使用を許可する。」という一文があったのを思い出して、頼んでみる。無論、その他にも理由はある。件の決闘においてそれなりの知識を頭に入れておきたいと考えたからだ。実戦で一々気にしていては勝機を逃す恐れもあるだろうが、転ばぬ先の何とやらだ。

「ええ。勿論、教えてあげるわ」マイさんは俺の依頼に快諾してくれた。

 よし、これで特訓の目処はついた。後は事情を話すだけだな。


 

 その後、シフさんとユアが帰ってきた。予定通りに店じまいした後、支度をしてから食事をとろうと思い、二階へ上がろうとした。が、その一段目に足を掛けた時に、俺を引き留める声がした。

「阿陰。学校はどうでした?」

 ユアだ。振り返り、俺は正直な感想を言ってみた。

「まあ、結構面白そうな場所だったよ。ちょっとばかし建物が古いけど、俺が通っていたのもどっこいどっこいだったしな」

 時折奇抜なデザインも見られる私立と違って、公立高校の校舎は非常にシンプルな場合が多い。白一色の細長い校舎は、見方によってはケーキを彷彿とさせたシルエットで、思い出すと余計に腹が減る。

「ふふ、そうですか。通い始めたらもっと楽しいですよ!授業は少し大変ですけどね……」

 それにしては、ユアはとても嬉しそうだ。それもまあ、当然か。人生において自由と保護のバランスが最も優れている時代、それが高校生活だ。

 つくづく俺は思う。彼女にはやはり笑顔が似合う。それは俺の存在によってもたらされるものなのか、それとも関係なく笑っているのか……まあ前者は自意識過剰だな、うん。とはいえ、あのクソ野郎の手に落ちればその表情が曇ってしまうことは想像に難くなかった。

「そりゃ大変だ。俺もあんまり頭がいい訳じゃないから、何かあったら教えてくれ」

 嘘は言ってない。そこそこの公立校に編入学したとはいえ、素の知能が足りんのか成績は少しづつ下降気味だった事を思い出す。特に数学が苦手だ。ギリギリ赤点回避レベルの低空飛行では、いつ墜落するのか分かったもんではなかった。どうせやり直すなら、その辺もフォローしていきたい。まあ、同じような事教えてるかどうかは分からんけど。

「……っ!わ、分かりましたっ!」俺の頼みに一瞬きょとんとした後、ユアは承諾してくれた。

 そうだ、俺は自ら約束を破った事などない。そして今回も、決闘に打ち勝てば無問題なのだ。むしろ余計なことを考えずに思うまま力を振るえるという点を考えれば、確かにこういう展開の方が性に合っている。

「さて、俺はちょいと上に用事があるから、先に行っててくれ」

「はい!お母さん達にも言っておきますね」

 ユアに軽く言いつけて、俺は着替えるために2階の部屋に戻った。



 素朴な麻のTシャツを着て、俺はダイニングに降りた。豪勢な晩飯を頬張りつつ、話を切り出すタイミングを待つ。それまでは一家の団欒とでも言うべき日常的な話題が繰り広げられた。朝市で見つけた安値の白菜|(のような物)の争奪戦、教員会議で昨日の事件が取り上げられたことなんかが本日のトピックだ。個人的には、ユアが言い出した下着の話がインパクトありすぎて困った。というより年頃の男が居るんですからご両親も止めて下さいよ……。

 そんなこんなで料理も粗方さらえたところで、ついに話す決心がついた。

「すみません。ちょっと大事な話があるんですが……」

 この一件は俺にも責任の半分以上はあるだろうと思うので、さっきまでの空気を一旦切らなければならない。

「おや、どうしたんだい?さっきまであまり喋らなかったけど……」シフさんが聞いてくるのも無理はない。なんせ緊張気味でリアクションが固まっていたものだからね!我ながら情けない……。

「ええ、実は……」だが、腹を括った以上は誤魔化すつもりなどなかった。俺は今朝から現在に至るまでの事情を話した。その間、家族三人は黙って聞いていたが、話が終わると……。

「なるほど。あの男がまたちょっかいをかけてきたのか」それまでの柔和な表情から一転、シフさんは苦々しい顔をしてツェギンを詰った。

「有体にいえば、そうですね。あの手の奴は相当陰湿ですよ、俺も昔似たようなのに会った事何度もありますし」同調する形で、思ったままの事を述べる。どうもマイさんもツェギンの事は良く思っていないらしく、どこか不安そうな面持だった。

「大丈夫なの?試験と同じ日時なんでしょう?」

「……どっちもやるしかありません。もし決闘が長引けば、その分だけ試験に不利条件が重なる」

 実際、勝算はどれほどか分からない。昨日みたく力任せに叩き潰そうとするのは論外だ。奴が魔道具を使ってきたとき、その効果・種類が分からないまま突っ込むのは危険すぎる。となれば向こうが手の内を晒すまで根競べに持ち込むほかないが、それにしたって早いタイミングで決めにかかられると一瞬で死が見える。時間停止、あるいは催眠系の魔道具を使われたら、もうお終いだ。そうでなくてもこっちはほぼゼロからのスタート、対する向こうは戦闘術・魔法知識ともにそれなり以上のものは持っていると推測される。得意の肉弾戦に移行する前に、負けるリスクは高い。

「でも、俺が招いたようなもんですからね。まあ死にはしないでしょう」

 それは半ば、自分に言い聞かせるつもりで言ったようなものだった。シフさんも、マイさんも、それは分かっているかのように、何も言わなかった。

 そして、ユアは。

「……どうして、受けたんですか?」怒っていた。

「俺は、男の子だからな。ああいうこと言われちゃ黙ってられないっていうか……。」何ら解決になっていないと思いつつ、言葉を紡ぐ。

「そんな、無責任なこと言わないで下さい!もしアインに何かあったら、私は……」

 涙を流し、怒るユア。俺は精一杯の笑顔で、何とかその続きを否定して見せる。



「大丈夫だ。俺が全部、守ってみせる。お前も、この家もな」



 うわー、言っちゃったよ。完全に臭いセリフだよこれ、どうすんだよもう……。

 穴があったら入りたい、恥ずかしすぎて申し訳ない、手垢まみれのベッタベタなヤツじゃんか……。

 ああ、何か負けた気がする。空気に飲まれてエライ事を口走った気がする、を通り越して既に音声になってやがった。笑え。実に陳腐かつテンプレートなこの展開を、いっそ笑って……。



「うええ……」

「へっ?」

 ユアは俺の腕に抱き付き、肩のあたりに顔を載せてきた。涙で濡れるTシャツ、そして密着する体と体、色々とヤバくなってまいりました。あの、泣き止んでくれませんかね?このままだと俺、理性とかぶっ飛んでしまいかねないんですが。

 腕に彼女の体がくっついてくるおかげで、その、なんだ、一種のロマン的な、それでいて触れることの難しい部分がね、ああ、柔らかい……。肩にかかる吐息も妙に甘く、もう駄目だ、俺、イキマス!

 がばっ。

「……え?」これはユアの声。

 気が付くと俺は、ユアを抱きしめていた。ああああああ、ごめんなさい!取り敢えず、何か言わないと……!

「そ、そういう訳だから、絶対負けないから!だから安心しろ、なっ!?」声が裏返った。うーん、締まらない……。一旦離して、顔を向き合わせる。待て、何顔赤くしてんのさ。やめてくれよ、せっかくシリアスな話をしようとしてるのに!

「アイン……」いかん、ユアは本気だっ!何とかしてこの空気から抜け出さねばっ!

「は、はい!という訳でですね、明日から全力で、修行したいと思いますので、シフさん!宜しくお願いいたします!!それでは、御馳走様でした!!」

 最後の方はヤケクソ以外の何物でもなく、音の調子がてんでバラバラだった。誰か助けて!

 結局、皿を高速かつ丁寧にシンクに戻して、逃げるようにして部屋に帰った。



 一瞬の血の迷いだった。あれはそうだ、俺の中の悪魔的部分が俺を支配しようとしたんだ。かつて読んだ小説に凄まじいものがあったのを思い出した。異世界に飛ばされた主人公が多くの女性と関係を持ち、巨大な帝国の王となるって話だった。凡そ倫理もへったくれもない作品だったが、サービスシーンは官能小説とは言わなくてもジュブナイル・ポルノ一歩手前といった過激な代物で、友人も含めて妙なテンションになったのをよく覚えている。しかし、何故今更……?

「まさか、俺にも同じ道を歩めとかいうふざけた話じゃ……」

 冗談じゃない。あの作品の最後は女性たちと主従関係が逆転し、アレな言い方をしてしまえば「延々搾り取られる」バッドエンド。それ以前に俺には心に決めた女性が……。

「許してくれ、実希……」

 そもそもこの世界に来てから、何処か上手く行き過ぎてる気がする。計3回分のラッキースケベに、謎の力の覚醒。これではまるで、ファンタジー作品の主人公じゃないか。

「って、それは自意識過剰すぎるか」

 創造の世界に生きる彼らは、程度の大小こそあれ大体は幸福な冒険者である。どん底を経験した俺と比べりゃ、まあ羨ましい限りではあるけども、だからといってメンタル面以外であのような立場になるのは少し荷が重い。

「そんなことより、俺はこの現状をどうにかするしかねえ」

 一週間後、俺がツェギンを下し、試験も合格して、後日亜理素を救出する。単純な話、全部クリアするには俺が強くなればいいのだ。強化魔法のおかげでパワーは十分だと思うなので、武器の扱いを学ぶか、それとも喧嘩術の向上・応用で戦うか。まるでコンピュータ・ゲームだが、人生は一回限りでセーブ地点もリセットボタンもありゃしない。

「……風呂入ろう。んで食器洗って夜の修行でもやろうか」

 出会って1日ぐらいしか経ってないのに、皆妙に俺を心配するんだよな。まったく、不思議な話だ。苦笑しつつ、俺は着替えを持って浴室へ向かった。気が付けば、上に引っ込んでからもう30分以上経っていた。



 この家で熱湯が出るというパターンは二つ。一つは火を起こして、それで水を沸かすもの。この火というのは魔法によるものも含むようで、マイさんは売れ残った火属性の魔石で水を沸かすことが多い。もう一つは、蛇口をひねれば出てくるというもの。上水道の整備が進んでいる町だからこそ可能であるのだが、お湯自体は町の外れにある大きな川の水を処理したものを魔術師たちが加熱して送り出しているとのこと。こっちは専らシャワーを浴びたり湯船につかったりする時に用いられる。ちなみに昼の間は処理だけ行って、各家庭に供給しているので、熱湯が出るのは夜の限られた時間のみである。もし夜中に冷たい水が欲しければ井戸から汲み上げてくる必要があるが、エルシア家には専用の井戸が備わっており、わざわざ町中の井戸にまで行かなくても大丈夫だという優れもの。

「ふー、こうやって体を洗えるのも、インフラ整備が進んでいるおかげだな」

 そんな水事情を思いつつ、熱々のお湯で体の芯から温まろうとしたが。

(ああ……温い!温すぎる!)

 体感で36度といったところか。あまり高温すぎるのも体を害するとはいえ、普段は40度強の湯加減になれている俺には温いとしか感じられなかった。もしや、この家では温い風呂がデフォなのか?

「いや、単純に距離の問題って線もあるのか」

 当たり前の事だが、幾ら高温にした水でも、加熱をやめて放っておくと、どんどん温度が下がってくる。水道管は地中に敷設されているので、地面に熱を奪われやすいのだ。加熱を行った場所から離れるほど、そこに供給される水の温度は下がっていく。

「シャワーの時はそれほど気にならなかったが、どうも満足できないな……」

 とはいえ、ここに住まわせている身である以上、あまりこういったリクエストは出しづらい。

「はぁ~。っても、やっぱり風呂に入ると生き返るわ~」

 オッサン丸出しの感嘆は、この際許してほしい。浸かってみるとなるほど、肩や腰に心地よい暖かさが染み入る。このままだと、風呂場で寝てしまいそうだ……。

「あ、アイン。お風呂なのですか?」

「ん……ま、まあな」

 ユアの声がして、思わず先の痴態を思い出す。やはり慣れない事をするものではないな。

「その……さっきはごめんなさい。貴方の決意も知らずにあんな事を言ってしまって……」

「気にすんな、ユアに非はないだろ」

「でも、私達の事情に巻き込んでしまったのが申し訳なくて……」

「言ったろ?俺が全部守ってみせるって」

 半ば自虐的に言い放ってみたが、夕食時とは違って不思議と恥ずかしさは感じなかった。もう振り切れてしまったのかもしれない。三人の少女に出会い、そして思う存分振り回されたことを鑑みるに、俺のここでの立ち位置というものが見えてきた。いつ元の世界に戻れるかは知らないが、それまではせいぜい「正義の味方」で居てやる。

「……ありがとう……」

 扉の向こうで、ユアはそう言ったようだ。その返事に苦笑いしてから、俺は聞いてみる。

「で、どうしたんだ?この話なら風呂上がりにでも出来ただろ?」

「はい。それが……」

 どこか言いあぐねているようだった。一体何なんだ、と問てみようとした瞬間、

「あの……私の歯ブラシ、お風呂場に置いてきたままなんです。上がる時でいいから、戻してくれませんか?」

 何だ、そんな事か。乾燥機のないこの浴室に放置していては、衛生上よろしくないからな。

「んー、分かった。後でやっとくわ」

「すみません……」

 ユアはそう言って、洗面室から出て行った。俺もそろそろ上がらせてもらおうかな、と思った瞬間、変に温まって回転の良くなった俺の脳味噌が余計なことを告げてきやがった。

(待て、さっき風呂に入ったのは……ユアか?)

 どうでもいい話だ。

(どうでも良くない。もしそうであれば、お前は彼女の残り湯に浸かり、今彼女の歯ブラシを手にしている)

 変態かっ。いいからさっさと引っ込め、第一どうしてそんな仮定が成り立つのさ。

(簡単なことだ。先の食卓で、シフさんやマイさんは入浴するタイミングは俺達二人の後でいいと言っていた。そしてご覧のとおり、ユアが歯ブラシを置き忘れたという事は、お前の直前には彼女が入っていたという証拠に他ならない!)

 俺が根を詰めていたというのに、よく話を聞いていたなこの変態。よしよし、その推理は褒めてやるからさっさと引っ込んでろ!

「ったく、俺はそんな残念な人間じゃないっつの」

 小学生時代のあだ名は「生真面目系一匹狼」、中学では「中二病」、高校では定着こそしてはいなかったが「狂気の喧嘩王」などという不名誉な代物を名付けられていたが、まあ、ご覧のとおりエロ方面のあだ名ではない事からも分かる通り、普通で普通の感性しか持たなかったからな。

「………………」しかし、気にならないと言えば嘘になる。俺は拾い上げたユアの歯ブラシを見つめ、そして軽くため息をつく。

「やめよう。情けない」

 こんなことをやってる場合ではないのは何よりも俺が承知している。何より俺のキャラクターとはかけ離れているし、正直言って引くレベルだ。今日一日、どうも俺の思考は狂ってやがる。冷静に考えなければ、何事も。俺は風呂場を出て、先に歯ブラシを戻す。それから身体を拭いて服を着て、自分の歯ブラシで歯を磨く。その後はキッチンへ向かい、食器を洗った。



 この時、俺はどこか事態を甘く見ていたのかもしれない。自分自身の力と修行のみで、今背負い込んでいるものをみんな解決できるだなんて、幻想を見ていたのかもしれない。こうやって自分が馬鹿なことを考えていられるのも、どこか心に油断があったからかもしれない。

 しかし、決闘の日、俺は思い知ることとなる。

 何かって?

 この世界に来てから少しづつ顔を見せてきた、

 俺の「凶暴」を。

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