第七話 思い合う家族と優しいアールグレイの香
「おかあさん。どうしていつもそうなの」
突然キッチンから、咲さんの大きな声が聞こえてきた。僕はぎょっとして思わずその場に立ちすくんだ。
「わたしの気持ちなんて、ちっとも考えてくれてないでしょう?」
「考えているわよ。だからこんなに…」
「そんなの迷惑よ」
「…わたしはとにかく、あんたと言い争いしてる暇はないのよ」
キッチンから出てきた花さんは、僕をちらりと見て肩をすくめると、そのまま玄関から出て行った。
僕は、訳あって魔法使いの家でハウスキーパーをしている。咲さんも花さんも魔法使いだが、人間と同じくいろいろと悩みを抱えているようだ。
「咲さん…大丈夫ですか」
僕は、繊細な咲さんに恐る恐る声をかけた。
咲さんは少し涙目になっていたが、僕を見るとぎゅっと唇を噛み締めた。
「おかあさん…ひどい…」
「ちょっとそこに座っていてください」
僕は咲さんを座らせると、ティーポットを取り出してレディーグレイの茶葉を取り出した。
レディー グレイは、アールグレイの茶葉にオレンジピールを加えたもので、鎮静作用のあるベルガモットに爽やかな香りがプラスされている。
「おかあさんが今つきあってる人のこと知ってる?」
「…ええ…まあ…」
花さんは、現在魔法界の法律に則って自由恋愛中なのだが、相手はなんと大学生だ。少しうだつの上がらないもっさり君だが、花さんの色香に迷ってしまったらしい。
「じゃあ、その人が、わたしのつきあってる人と… 」
「えっ、まさか… 」
もしかして、母娘で同じ人を好きになってしまったのか?なんという修羅場…。僕の脳内を、危ない妄想が駆け巡る。しかし純粋な咲さんは僕の顔を怪訝そうに見つめた。
「…兄弟だってこと知ってる?」
「あ…ああ…兄弟ですか。なるほど…って、それはそれで大変ですね 」
「おかあさん、なにかというと彼のことに口出してくるようになって。彼のお兄さんに聞いたらしいんだけど、彼は頭が固すぎるんじゃないかとか、文学青年だから古くさい考え方なんじゃないかとか…」
「だったら、咲さんも花さんの彼氏に口出ししていいと思いますよ。突っ込みどころはいっぱいあるでしょう?」
だいたい、熟女とつきあっているくらいだ。頭が柔らかすぎることは確かだろう。
「だって、泥仕合いになりそうだし…」
「大丈夫ですよ」
僕はそう言いながら、彼女の前に入れたての紅茶を置いた。ふわりと広がる柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。
「花さんは、咲さんのお相手のことをいろいろ言っても、決して別れなさいとは言ってもらっしゃらないんじゃないですか」
「そう言えば…」
「心配にはなっても、結局咲さんのことを認めてらっしゃるのでしょう。なんと言っても、家族ですから」
「そっか…わたしたちこんな風でもまだ家族なんだね…」
咲さんはそう言いながら、紅茶のカップを両手で包み込むようにしてゆっくりと口に運んだ。レディグレィの香りも、あたりを包み込んでいくようだ。
「心が家族なら家族ですよ。魔法使いだって、人間だって」
「うん、そうだよね」
自分ではどうしようもない慣習や法律は、どんな世界にもある。でも、その中で生きるものは案外変わらないのだ。家族に背を向けて生きる自分にも、そのくらいはわかる。
花さんがどこかから戻ってきたら、僕は彼女にもレディグレィの紅茶を入れてみようと思った。彼女も咲さんと同じように、この紅茶が大好きなのだ。