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第三話  お疲れナイスミドルと、甘味噌の焼きおにぎり

鍵穴に鍵を差し込む音は、昼と夜ではだいぶ違う。昼は小鳥のさえずりほどにささやかであっても、夜、特に夜中は、心臓がきゅっとするくらい響いてくるものだ。

 本を読みながらうつらうつらしていた僕は、聞こえてきた鍵の音で跳び起きた。

 僕は訳あって、魔法使いの家でハウスキーパーをしている。そして家人の帰宅とあらば、それが午前零時でも顔を出すのが勤めなのである。

僕は、自分の部屋のある二階から降りてきて玄関に向かった。そこで見つけた靴を脱いでいる後姿は、思った通りのシルエットだった。

「おかえりなさい、達也さん」

 僕は、できるだけ優しく声を掛けたつもりだった。でも達也さんは、全身を盛大にびくりとさせた。

「うわっ、びっくりした……。なんだ広樹くんか……僕はてっきり……いや、なんでもない」

 達也さんは優しい人だが、少し気が弱い。奥さんの……いや、元奥さんの花さんと足して二で割ればちょうどいいが、なかなかそうもいかない……。



 ここで、魔法使いの特殊な結婚事情について説明させてもらおう。彼らの結婚継続期間は魔法律上50年と決まっている。彼らの寿命に合わせて何百年も一緒にいると、倦怠期のようなものにおちいるカップルも少なくないのだろう。

さて、離婚が成立したその後だが、ここで十年のフリーな時間、いわゆる婚活期間を過ごすことになる。この十年の間に、次はだれと結婚するのか、はたまたフリーを続けるのかを決断することになる。

 もちろん、『やっぱり前の配偶者がいい』という結論が出た場合は、十年後晴れて同じ人との再婚が認められる。案外そういう魔法使いも多いのだという。

 達也さんと花さんは、去年からこの婚活期間に入っている。花さんは非常に積極的に、達也さんは申し訳程度に婚活している状態だ。ならば別々に暮らしたらよさそうなものだが、二人の娘はまだ高校生である。しかもなかなか繊細な子なので、余計な刺激はしたくないようだ。

そんな理由もあって、二人はまだ一つ屋根の下で生活している。



「お仕事お疲れ様です。お夕食はどうなさいました?」

 達也さんの仕事鞄を受け取りながら、広樹はさりげなくそう聞いた。

「夕食……?ああ、忘れてたな……なんだか急に腹が減ってきたよ」

「では、キッチンまでおいでください。簡単な夜食を作りますよ」

「いやあ、広樹くんはもう休んでたんだろ?そのくらい魔法で……」

「そんな顔色で、魔法なんて使っちゃだめですよ。さあ、行きましょう」

 僕はそう言うと、達也さんの背を押した。肉の薄い背中は、まるで少年のようだった。



 僕は達也さんを椅子に座らせてから、お湯を沸かしご飯を温め始めた。さすがに夜中なので、大したものはできない。夜食のメニューは、とろろこぶのお吸い物と焼きおにぎりに決めた。

 お吸い物の方は簡単だ。お椀にとろろこぶとおかか、それから塩を少々入れて、あとは熱湯を注ぐだけでいい。具材の持ち味だけで優しい味になる。

焼きおにぎりは、少し甘い味噌だれを塗ることにした。達也さんは案外甘党だし、なにより全身から疲労がにじみ出ている。

「お仕事大変そうですね。いま、忙しい時期なんですか?」

 味噌と砂糖、それから若干のみりんを混ぜながら、広樹は尋ねた。達也さんはネクタイを緩め、苦笑しながら頭をかいた。

「忙しい時期なんてないよ。年中忙しいんだから」

「忙しいのはいいことかもしれませんけど……でも、体も大事にされないと、倒れてしまいますよ」

「そう言われてもなあ……。僕は責任のある部署にいるしね」

「部署にはほかの方たちもいらっしゃるんでしょう?」

「『ほかの方』?部下ばっかりだよ。一応三人いるんだけど、僕より仕事が遅いし、出来上がったもののクオリティーが下がるんだよね。彼らに任せるより、自分でやった方がいいんだ」

「そうですか……」

 広樹が甘味噌を混ぜ終わった時、ちょうどレンジが『チン』と音を立てた。ご飯が温まったようだ。

「さてと……」

 僕はレンジからご飯を取り出し、それにお吸い物のあまりのおかかを振った。

「じゃあ達也さん。一緒におにぎりを握りましょう」

「えっ!僕が!?」

 達也さんはぎょっとしたような顔になる。でもそれは予想通りだ。

「この前、花さんが言ってましたよ。『おにぎりを握れる男の人はかっこいい』って」

「えっ、そうなのか……じゃあ、やってみようかな……」

 達也さんは、婚活期間でも相変わらず花さんにべた惚れである。達也さんの場合、永遠に婚活期間など必要ないようだ。

「まず、きれいに手を洗ってください……はい、いいですよ。では、ご飯をこのくらい手のひらに乗せて……手の形はこうです。それをぎゅっと握ります」

「うわっ!崩れた……」

「達也さん、力が入りすぎですよ。……ああ、それじゃ弱すぎですね。……きっと、赤ちゃんを抱っこする時の感じに似てるんだと思いますよ。落とさないようにしっかりと、でも、痛がらないように優しく……そうそう、そんな感じです」

 達也さんの手の中で、おにぎりは少しずつまっとうな形になっていく。それを見つめながら、達也さんの顔がだんだんと明るくなっていった。

「うまくできるようになってきたよ……これって楽しいね」

「できないことができるようになるのは、とても楽しいことです。……案外それは、仕事でも言えることかもしれませんね。今はあまり仕事ができない部下の方たちも、できるようになればきっと楽しいはずです。そうなれば仕事の効率も上がりますし、達也さんの忙しさも軽減されるのではないでしょうか」

 達也さんは僕の言葉に、少し困ったような顔になった。

「しかしそれは、簡単なことじゃないよ。仕事には納期もあるし、利益も必要だ」

「確かに僕は、達也さんの仕事のことは何もわかりません。でも、仕事の楽しさを部下の方たちに教えられるのは、達也さんだけです。それだけはわかります」

 作りかけのおにぎりを皿において、達也さんはじっと考え込んだ。僕はその間に、おにぎりの片面に甘味噌を塗っていく。おにぎりにしっかり味が付くように。でも、多すぎては台無しだ。適度な着地点を探すのは、なんだって難しい。

「では焼きますね」

 僕がオーブントースターにおにぎりを並べ始めると、達也さんもそれを手伝い始めた。

「……達也さん?」

「君と話していて思い出したんだ。子供の頃、大叔母と一緒に魔法水を作ったことをね。大叔母は、僕がどんなにへたくそでも、絶対に手を出さなかった。ちゃんと出来上がるまでやらせてくれたよ……あれは楽しかったなあ……。僕も大叔母みたいに、部下のみんなを『楽しかった』と言わせたくなったよ。そして彼らが一人前に育ったら、僕は定時に帰って、花さんと一緒に夕食を食べるんだ」

「それは名案です。花さんも喜びますよ」(……か、どうかはわからないが……)



「さあ、どうぞ。お召し上がりください」

 テーブルにおにぎりの皿とお吸い物の椀を並べる。二つの食品から立ち上る湯気は、空中で溶け合ってさらにおいしい香りを作り出していた。

「広樹くんも一緒に食べよう」

 達也さんは突然そう言って、僕を手招きした。

「え……僕は……」

「いいから、いいから。みんなで食べたほうがご飯はおいしいよね」

「……そうですね」

 僕は子供の頃、ほとんど一人で食事をしていた。そのせいか、あまり一人で食事をすることに違和感はない。でも、穏やかにほほ笑む達也さんと向かい合って焼きおにぎりを食べるのも悪くない気がした。

「じゃあ、お言葉に甘えて、頂きます」

 僕は達也さんが握った、小さくて少しいびつな焼きおにぎりをほおばった。ご飯の暖かさと甘い味噌の香りは、僕の体と心にふわりと広がっていった。

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